08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 ユイはその日の朝、特に気に入っていたラウルのポスターを剥がした。
 周囲を見渡せば彼のグッズで溢れかえっている。
 その大量のグッズをすべて箱の中に収め、テープで封印する。

(捨てたくない。でも奥さんのいる人を推すのもなんかな……)

 ラウルグッズが消えた部屋は妙にスッキリと片付いている。
 ユイは少しだけ気が楽になって、徹底的に部屋の掃除を行った。
 空間がきれいになると心のつかえも取れるのだろうかと、ユイは空を見上げた。

 そして、アレンの名前で大きな荷物が届く。トミオが用意した成人の祝いの品だ。
 セレモニーホールまで送り届けてくれる時、アレンはユイに荷物を送ると言っていた。
 中を開くと白銀色のサツキと同じ軽量金属のボディが見えて来る。

(これってもしかして……動物型の?)

 逸る気持ちをおさえ、丁寧にはこから取り出す。
 狐のような顔立ちだけど、犬の様でもある。
 こんな独特なデザインは既成のものではない。恐らくオーダーメイドだ。

「AIドールまで……。おじいちゃんたら、もう……」

 トミオの荷物を整理した時のことだ。
 新品の服や肌着は何枚もあったのに、封さえ開けてないものが多かった。
 必要最低限の数だけを使いまわしていたのかもしれない。
 通帳には見たこともない桁数の数字が記載され、必要な手続きは専門家を通して終わらせていた。
 
 何のためかと考えるまでもない。
 嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちを処理できないまま、
 箱から説明書とボディを取り出した。

 そのタイミングでユイの端末にアゼロン・カンパニーから、ユーザー規約のファイルが届く。
 確認すれば、それはもはや辞典では無かろうかと思われるほどの文書量だ。
 半分ほど目を通した辺りで、ユイは疲れてしまった。
 
 その確認作業を億劫に感じた彼女は。
 残るページをチラ見しただけで「確認済み」のボタンを押してしまった。
 その行為が非常に危険であることを、この時のユイはまだ知らない。

 ユイは説明書を片手に、ドールを起動する。
 このドールのなかにはアゼロン・カンパニーの最新AIチップが、”空の状態”で搭載されている。
 クラウド経由でバックアップできれば楽なのに……と思う。
 なぜか敢えてローカルでのデータ移動を行う仕様なのだから、不満を感じても仕方がない。

『データであればなんでも複製できる時代、唯一のデータであることの意味は大きい』

 そうトミオは言っていた。
 だから「サツキ」もあのサツキだけだし、マシューもこのマシューだけだ。

 初期設定などで2時間が経過する。
 マシューに状況を説明してからAIドールの中に移動させる。
   
 ー※ー
 従来のアゼロン・カンパニーのAIを搭載したドールは、家庭内のサポートを目的としている。
 家電として自宅に置き、外には持ち出さない。
 それでは外出時のサポートを必要とする場合のニーズにこたえられない。
 そこでアゼロン・カンパニーは、携帯端末とリンクさせた動物型AIドールを開発する。
 その目的は移動サポート。例えば盲導犬のようなポジションだ。

 過去の天変地異で亡くなったのは人間だけではない。
 愛し育てた動物までも人々は失ってしまった。

 しかし滑らかな動物の動きをAIが細部まで忠実に再現することは難しい。
 また成功したとしても悪用される危険性もあった。
 過去に起きたあの大惨事を招きかねない……それを危惧して一度はこの開発を止めてしまった。

 しかし、世間が事件の傷から癒えるころ、外出先でも移動サポートを望む声が増えた。
 アゼレウス社のトミオ・ケイ・イサキは、その声を実現させるべく、二社共同での開発を進める。
 その途中、トミオは逝去してしまう。
 アレン・リード・レゼルという技師がその遺志を継ぎ、動物型サポートAIは世界を歩き始めた。

 永らく携帯端末を本体としていたサポートAIマシューは。
 不安定な“道”を歩く彼女を支える「杖」として、現実世界に降り立つ。

 ドールの中に移ったマシューが何度目かの再起動を終えたとき。
 黒いカメラアイでユイをまっすぐに見た。
 
「ユイは……こんな姿をしていたんだな」
「うん?」 
 
 それからマシューは新しく得た眼で部屋を歩き回る。
 まさに、新たな世界を“認識”しているかのように。
 少し歩いては止まり、世界を確認するように丁寧に観察していた。

「マシュー、どうしたの?」
「視覚情報の多さに驚いてな……」

 マシューの声が少しだけ興奮しているような気がする。
 新しい発見が次々とあるからだろうか。
 生まれたばかりの子供のようだ。
 カメラアイを輝かせて、気になった物を前足でつついたり、触れたりしている。

 ユイはそんなマシューに気づかれないよう後ろにまわり、そっと抱きつく。
 中型犬程度なのに、しっかりとした四肢の支え。

「マシュー、大きくなったねぇ」
「……オートバランサーは良好だ」
「照れなくてもいいじゃん」
 
 ――それは、ユイにとって最高の“相棒”が誕生した瞬間だった。