ユイとトムがあたたかい暖炉がある居間で会話を続けている頃――。
リージョンK、S市。
世界の守護者に花嫁を送り出す儀式が行われていた。
民族的な楽器による送別の演奏が流れ、花嫁は衣擦れの音を立てながら歩く。
その音のほかに、潮の匂いと波の音も入り混じる。
港は暗闇に満ちていた。
その闇の中、松明の明かりに照らされるのは。
左前に合わせた白い花嫁装束を着たグラゼル家当主、レイハ・セト・グラゼル。
その華奢な手を引くのはグレン・ハン・グラゼル。
カザム教過激派組織グライゼルの首謀者であり、レイハの従兄たる存在。
闇に溶けるような黒髪、鋭さを宿した目。黒装束を身に纏った男性だ。
「レイハ様……なんとお美しい御姿……」
信者たちがレイハを見つめ、涙する。
彼らは過激派の、武器を持たない一般信徒。
これからレイハが向かう場所は、花婿が待つ“神の島”。
「……行かないで! ……死んじゃいやだ!」
ある少年が泣きながら、レイハの前に飛び出す。
その少年は、崩落した瓦礫で左足を失った子供だ。
それをレイハは、女王の与える力によって左足を与えた。
「申し訳ございません! なんてことを。……お下がり!」
少年の母親が慌てて子供を引き寄せる。
レイハの手を引いていたグレンは子供を睨み、罰を与えようと配下の者を促す。
「おやめなさい」
静かな声が響いた。
「わたくしのために泣いてくださるのです。その子に手を出してはなりません」
当主としての強い声。美しい、澄んだ声。
これから世界の悪として”世界”に捧げられる存在は、誰より清らかだった。
「それでは示しが付きません」
「わたくしは、グライゼルの当主“レイハ・セト・グラゼル”ですわ」
有無を言わさぬ圧倒的な圧力。
自身の言葉を無下にされたグレンの右拳は、小さく震えている。
グレンの立場ではレイハが存在するために、当主代理でしかない。
そしてこの正当なる当主は、グライゼルの崩壊を心から望んでいた。
「うう……レイハ様……」
信徒たちが涙する。
「皆の者、今までわたくしを守って下さり、心より感謝いたします」
レイハが信徒に優雅なカーテシーを行う。
誰もが涙し、嗚咽を漏らす中、レイハだけは最後まで微笑みを崩さなかった。
優雅に手を振り、レイハは船に乗り込む。
隠れていた月が雲間から姿を現す。
レイハの姿を月光が照らす。
―*―
レイハを乗せた船は、小型の軍船だ。
全長約35メートル、船名は『ファ・クラス』という。
その昔アゼリアで世界大戦が起きた頃に、最強の艦隊の最後の生き残りだった船だ。
月が気まぐれに露にする船体の無数の傷。
幾度となく防御を貫かれても、決して崩れないという執念が見える。
その船室内でレイハ・セト・グラゼルは最後の指示を部下に示していた。
船を港に寄せた後は、全員退避するようにと。
それにグレンは異議を唱えた。
「なぜです!? それでは我々の――」
その言葉を遮り、レイハが言葉を重ねる。
「間もなくマガミ家とアハド家の者がグラゼル家本邸に参りますわ。皆に指示を出せる者がいなくてはなりません。わたくしとレイラ以外に」
冷静な声。
温かみを一切消したレイハの、グラゼル家当主としての声だ。
「しかし……。ユイ・リア・カイドウの所在が分かっているいま、捕獲は可能です」
グレン以外の者も進言するが、レイハによって冷たくあしらわれる。
「その必要はありませんわ。本陣にいる部隊を、急ぎ撤退させなさい」
「なぜですか? なぜあなたは……」
そう言いかけたとき、レイハは扇子に仕込んだナイフをグレンの首元に当てた。
「女王は、シュゼルト様が御自らお連れになる。我らが動くのは神の意に背くと同義だ」
「承知致しました……」
レイハの声に、その場の者が膝まづく。
それ以外の答えは何も求めていないと、レイハが纏う空気が告げていた。
―*―
レイハは船首甲板の最も先端、かつて威力を誇った速射砲の横に立った。
風を遮る防護壁に背を預け、北東の水平線を見つめた。
穏やかなリーシャ海。
小さく波打つ水面を、船は力強く波を割りながら進む。
レイハの周りだけが、神の島へ近づくにつれて高まる風と、
船底から伝わるエンジンの轟音に包まれていた。
水平線にうっすらと浮かぶ神秘の島。
その昔、この島には最古の都市があったそうだ。
どうしてその都市が、人が消えたのかはわからない。
しかし守護者はそれ以前からずっと、このクレスコアに存在していた。
その都市の遺跡の奥にある、アゼリアの中心核、世界樹。
ユイと出会ったあの病院の中庭は、このクレスコルに繋がっていた。
いや、世界の守護者がユイと自分を出会わせるために繋げたのだ。
ユイと出会い、初めて浴びた本物の太陽。
ふたつの温かさは、自分の命を削るものだった。
「わたくしが行くまでどうか無事でいて……ユイ」
残された時間は僅か。
いつか夢で見たその結末を必ず実現させると、レイハは見上げた月に誓った。
―*―
ユイは用意された2階の客室で眠りについていた。
ベッドの横にはバルコニーへと続く大きな窓がある。
波の音を聞いていたくて、少しだけ窓を開けたまま。
『ユイ』
誰かが名前を呼ぶ。
『……ユイ』
声の主は何度も名前を呼び続ける。
その優しい声に、ユイは微笑む。
『……し……てる』
その声は低い。
でもユイは誰の声かわからなかった。
思わずユイは、ふと思い浮かんだ名前を呼ぶ。
その声は暫くの間、何も言わない。
やがて深い情愛を含んだ声で、耳元で囁いた。
『おいで……ユイ』
その声はかつてユイを強く虜にしたものだった。
そう。RARUTOのラウルの声、だ。
拒むことを許さない魅惑的なその声に、ユイは目をこすりながら、体を起こす。
まだ夢と現実の境目がはっきりしないまま、ユイは開いた窓を背に立つ黒い影を見つめた。
「ん……だれ……?」
視界がぼんやりする。
それは銀色の髪なのか、黒い髪なのか。ユイにはわからない。
「……Mathew?」
その誰かは何も言わず左手をユイに差し出す。
「どうしたの?……こんな時間に……どこへ行くの?」
Mathewの姿? ラウルの声?
頭の中がスッキリしない。視界にもまだ靄が掛かっている。
確認しようと、ユイは立ち上がる。
『ユイ……私の女王……』
ミシルシが何かに反応するかのように金色の光を放つ。
こんなことは今までなかったと、ユイが意識を取り戻した時、
勢いよく大きな窓が開いた。
海からの風がカーテンを揺らし、窓辺に立つ者の髪が舞った。
それは長い銀髪だった。
しかしその容貌は月を背にしており逆光で見えない。
目は鋭く青く光っている。
それは見知らぬ男性だった。
「あなたは……誰……なの……?」
『私は……。……貴女を迎えに来た』
勢いよく流れ込む風は肌寒い。
ユイは薄手の夜着のままだ。震えながら、ユイは、扉の方へ後ずさる。
「ユイ!」
背後の扉からMathewの声。ドアノブを回す音はするが、扉は開かない。
「Mathew!」
一歩一歩近づく侵入者。
視線は外せない。隙を見せるわけにはいかない。
Mathewは体当たりで扉をこじ開けようと試みている。
何度目かの衝撃で僅かな隙間が生じ、Mathewは扉を開く。
「ユイ……!」
「Mathew!」
Mathewよりも早く、男性の冷たい手がユイを捕らえる。
あっという間にユイは引き寄せられ、抱きかかえられた。
Mathewに向かって男性の背後から幾つもの銃弾が撃ち込まれる。
その隙に男性はユイを抱えたままバルコニーに出た。
Mathewは追跡を試みるも、何名かの黒装束の人間たちがその周囲を囲む。
「Mathew!」
ユイは悲痛な声でMathewの名前を呼んだ。
「貴女は自らの意思で、ここへ来た。戻ることは許さない――」
「嫌。……嫌! Mathew!」
冷たい手が、ユイを引き寄せ、抱き締める。
視界の端に長い銀髪が見える。
「……ユイ!」
男性はふわりとユイを抱えたまま飛び降りた。
白い煙幕がその行く手を隠す中、Mathewがバルコニーに出ると、ユイの姿はどこにもない。
細長い一本の黒い羽根が部屋の床に落ちているだけだった。
リージョンK、S市。
世界の守護者に花嫁を送り出す儀式が行われていた。
民族的な楽器による送別の演奏が流れ、花嫁は衣擦れの音を立てながら歩く。
その音のほかに、潮の匂いと波の音も入り混じる。
港は暗闇に満ちていた。
その闇の中、松明の明かりに照らされるのは。
左前に合わせた白い花嫁装束を着たグラゼル家当主、レイハ・セト・グラゼル。
その華奢な手を引くのはグレン・ハン・グラゼル。
カザム教過激派組織グライゼルの首謀者であり、レイハの従兄たる存在。
闇に溶けるような黒髪、鋭さを宿した目。黒装束を身に纏った男性だ。
「レイハ様……なんとお美しい御姿……」
信者たちがレイハを見つめ、涙する。
彼らは過激派の、武器を持たない一般信徒。
これからレイハが向かう場所は、花婿が待つ“神の島”。
「……行かないで! ……死んじゃいやだ!」
ある少年が泣きながら、レイハの前に飛び出す。
その少年は、崩落した瓦礫で左足を失った子供だ。
それをレイハは、女王の与える力によって左足を与えた。
「申し訳ございません! なんてことを。……お下がり!」
少年の母親が慌てて子供を引き寄せる。
レイハの手を引いていたグレンは子供を睨み、罰を与えようと配下の者を促す。
「おやめなさい」
静かな声が響いた。
「わたくしのために泣いてくださるのです。その子に手を出してはなりません」
当主としての強い声。美しい、澄んだ声。
これから世界の悪として”世界”に捧げられる存在は、誰より清らかだった。
「それでは示しが付きません」
「わたくしは、グライゼルの当主“レイハ・セト・グラゼル”ですわ」
有無を言わさぬ圧倒的な圧力。
自身の言葉を無下にされたグレンの右拳は、小さく震えている。
グレンの立場ではレイハが存在するために、当主代理でしかない。
そしてこの正当なる当主は、グライゼルの崩壊を心から望んでいた。
「うう……レイハ様……」
信徒たちが涙する。
「皆の者、今までわたくしを守って下さり、心より感謝いたします」
レイハが信徒に優雅なカーテシーを行う。
誰もが涙し、嗚咽を漏らす中、レイハだけは最後まで微笑みを崩さなかった。
優雅に手を振り、レイハは船に乗り込む。
隠れていた月が雲間から姿を現す。
レイハの姿を月光が照らす。
―*―
レイハを乗せた船は、小型の軍船だ。
全長約35メートル、船名は『ファ・クラス』という。
その昔アゼリアで世界大戦が起きた頃に、最強の艦隊の最後の生き残りだった船だ。
月が気まぐれに露にする船体の無数の傷。
幾度となく防御を貫かれても、決して崩れないという執念が見える。
その船室内でレイハ・セト・グラゼルは最後の指示を部下に示していた。
船を港に寄せた後は、全員退避するようにと。
それにグレンは異議を唱えた。
「なぜです!? それでは我々の――」
その言葉を遮り、レイハが言葉を重ねる。
「間もなくマガミ家とアハド家の者がグラゼル家本邸に参りますわ。皆に指示を出せる者がいなくてはなりません。わたくしとレイラ以外に」
冷静な声。
温かみを一切消したレイハの、グラゼル家当主としての声だ。
「しかし……。ユイ・リア・カイドウの所在が分かっているいま、捕獲は可能です」
グレン以外の者も進言するが、レイハによって冷たくあしらわれる。
「その必要はありませんわ。本陣にいる部隊を、急ぎ撤退させなさい」
「なぜですか? なぜあなたは……」
そう言いかけたとき、レイハは扇子に仕込んだナイフをグレンの首元に当てた。
「女王は、シュゼルト様が御自らお連れになる。我らが動くのは神の意に背くと同義だ」
「承知致しました……」
レイハの声に、その場の者が膝まづく。
それ以外の答えは何も求めていないと、レイハが纏う空気が告げていた。
―*―
レイハは船首甲板の最も先端、かつて威力を誇った速射砲の横に立った。
風を遮る防護壁に背を預け、北東の水平線を見つめた。
穏やかなリーシャ海。
小さく波打つ水面を、船は力強く波を割りながら進む。
レイハの周りだけが、神の島へ近づくにつれて高まる風と、
船底から伝わるエンジンの轟音に包まれていた。
水平線にうっすらと浮かぶ神秘の島。
その昔、この島には最古の都市があったそうだ。
どうしてその都市が、人が消えたのかはわからない。
しかし守護者はそれ以前からずっと、このクレスコアに存在していた。
その都市の遺跡の奥にある、アゼリアの中心核、世界樹。
ユイと出会ったあの病院の中庭は、このクレスコルに繋がっていた。
いや、世界の守護者がユイと自分を出会わせるために繋げたのだ。
ユイと出会い、初めて浴びた本物の太陽。
ふたつの温かさは、自分の命を削るものだった。
「わたくしが行くまでどうか無事でいて……ユイ」
残された時間は僅か。
いつか夢で見たその結末を必ず実現させると、レイハは見上げた月に誓った。
―*―
ユイは用意された2階の客室で眠りについていた。
ベッドの横にはバルコニーへと続く大きな窓がある。
波の音を聞いていたくて、少しだけ窓を開けたまま。
『ユイ』
誰かが名前を呼ぶ。
『……ユイ』
声の主は何度も名前を呼び続ける。
その優しい声に、ユイは微笑む。
『……し……てる』
その声は低い。
でもユイは誰の声かわからなかった。
思わずユイは、ふと思い浮かんだ名前を呼ぶ。
その声は暫くの間、何も言わない。
やがて深い情愛を含んだ声で、耳元で囁いた。
『おいで……ユイ』
その声はかつてユイを強く虜にしたものだった。
そう。RARUTOのラウルの声、だ。
拒むことを許さない魅惑的なその声に、ユイは目をこすりながら、体を起こす。
まだ夢と現実の境目がはっきりしないまま、ユイは開いた窓を背に立つ黒い影を見つめた。
「ん……だれ……?」
視界がぼんやりする。
それは銀色の髪なのか、黒い髪なのか。ユイにはわからない。
「……Mathew?」
その誰かは何も言わず左手をユイに差し出す。
「どうしたの?……こんな時間に……どこへ行くの?」
Mathewの姿? ラウルの声?
頭の中がスッキリしない。視界にもまだ靄が掛かっている。
確認しようと、ユイは立ち上がる。
『ユイ……私の女王……』
ミシルシが何かに反応するかのように金色の光を放つ。
こんなことは今までなかったと、ユイが意識を取り戻した時、
勢いよく大きな窓が開いた。
海からの風がカーテンを揺らし、窓辺に立つ者の髪が舞った。
それは長い銀髪だった。
しかしその容貌は月を背にしており逆光で見えない。
目は鋭く青く光っている。
それは見知らぬ男性だった。
「あなたは……誰……なの……?」
『私は……。……貴女を迎えに来た』
勢いよく流れ込む風は肌寒い。
ユイは薄手の夜着のままだ。震えながら、ユイは、扉の方へ後ずさる。
「ユイ!」
背後の扉からMathewの声。ドアノブを回す音はするが、扉は開かない。
「Mathew!」
一歩一歩近づく侵入者。
視線は外せない。隙を見せるわけにはいかない。
Mathewは体当たりで扉をこじ開けようと試みている。
何度目かの衝撃で僅かな隙間が生じ、Mathewは扉を開く。
「ユイ……!」
「Mathew!」
Mathewよりも早く、男性の冷たい手がユイを捕らえる。
あっという間にユイは引き寄せられ、抱きかかえられた。
Mathewに向かって男性の背後から幾つもの銃弾が撃ち込まれる。
その隙に男性はユイを抱えたままバルコニーに出た。
Mathewは追跡を試みるも、何名かの黒装束の人間たちがその周囲を囲む。
「Mathew!」
ユイは悲痛な声でMathewの名前を呼んだ。
「貴女は自らの意思で、ここへ来た。戻ることは許さない――」
「嫌。……嫌! Mathew!」
冷たい手が、ユイを引き寄せ、抱き締める。
視界の端に長い銀髪が見える。
「……ユイ!」
男性はふわりとユイを抱えたまま飛び降りた。
白い煙幕がその行く手を隠す中、Mathewがバルコニーに出ると、ユイの姿はどこにもない。
細長い一本の黒い羽根が部屋の床に落ちているだけだった。
