08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 ユイとトムがあたたかい暖炉がある居間で会話を続けている頃――。
 リージョンK、S市。
 世界の守護者に花嫁を送り出す儀式が行われていた。
 民族的な楽器による送別の演奏が流れ、花嫁は衣擦れの音を立てながら歩く。 

 その音のほかに、潮の匂いと波の音も入り混じる。
 港は暗闇に満ちていた。
 その闇の中、松明の明かりに照らされるのは。
 左前に合わせた白い花嫁装束を着たグラゼル家当主、レイハ・セト・グラゼル。
 その華奢な手を引くのはグレン・ハン・グラゼル。
 カザム教過激派組織グライゼルの首謀者であり、レイハの従兄たる存在。
 闇に溶けるような黒髪、鋭さを宿した目。黒装束を身に纏った男性だ。

「レイハ様……なんとお美しい御姿……」

 信者たちがレイハを見つめ、涙する。
 彼らは過激派(グライゼル)の、武器を持たない一般信徒。
 これからレイハが向かう場所は、花婿が待つ“神の島”。
 
「……行かないで! ……死んじゃいやだ!」

 ある少年が泣きながら、レイハの前に飛び出す。
 その少年は、崩落した瓦礫で左足を失った子供だ。
 それをレイハは、女王の与える力によって左足を与えた。

「申し訳ございません! なんてことを。……お下がり!」

 少年の母親が慌てて子供を引き寄せる。
 レイハの手を引いていたグレンは子供を睨み、罰を与えようと配下の者を促す。

「おやめなさい」

 静かな声が響いた。

「わたくしのために泣いてくださるのです。その子に手を出してはなりません」

 当主としての強い声。美しい、澄んだ声。
 これから世界の悪として”世界”に捧げられる存在は、誰より清らかだった。
 
「それでは示しが付きません」
「わたくしは、グライゼルの当主“レイハ・セト・グラゼル”ですわ」

 有無を言わさぬ圧倒的な圧力。
 自身の言葉を無下にされたグレンの右拳は、小さく震えている。
 グレンの立場ではレイハが存在するために、当主代理でしかない。
 そしてこの正当なる当主は、グライゼルの崩壊を心から望んでいた。

「うう……レイハ様……」

 信徒たちが涙する。
 
「皆の者、今までわたくしを守って下さり、心より感謝いたします」

 レイハが信徒に優雅なカーテシーを行う。
 誰もが涙し、嗚咽を漏らす中、レイハだけは最後まで微笑みを崩さなかった。 

 優雅に手を振り、レイハは船に乗り込む。
 隠れていた月が雲間から姿を現す。
 レイハの姿を月光が照らす。

 ―*―
 レイハを乗せた船は、小型の軍船だ。
 全長約35メートル、船名は『ファ・クラス』という。
 その昔アゼリアで世界大戦が起きた頃に、最強の艦隊の最後の生き残りだった船だ。
 月が気まぐれに露にする船体の無数の傷。
 幾度となく防御を貫かれても、決して崩れないという執念が見える。

 その船室内でレイハ・セト・グラゼルは最後の指示を部下に示していた。
 船を港に寄せた後は、全員退避するようにと。
 それにグレンは異議を唱えた。
 
「なぜです!? それでは我々の――」
 その言葉を遮り、レイハが言葉を重ねる。

「間もなくマガミ家とアハド家の者がグラゼル家本邸に参りますわ。皆に指示を出せる者がいなくてはなりません。わたくしとレイラ以外に」

 冷静な声。
 温かみを一切消したレイハの、グラゼル家当主としての声だ。

「しかし……。ユイ・リア・カイドウの所在が分かっているいま、捕獲は可能です」

 グレン以外の者も進言するが、レイハによって冷たくあしらわれる。

「その必要はありませんわ。本陣にいる部隊を、急ぎ撤退させなさい」
「なぜですか? なぜあなたは……」

 そう言いかけたとき、レイハは扇子に仕込んだナイフをグレンの首元に当てた。

「女王は、シュゼルト様が御自らお連れになる。我らが動くのは神の意に背くと同義だ」
「承知致しました……」

 レイハの声に、その場の者が膝まづく。
 それ以外の答えは何も求めていないと、レイハが纏う空気が告げていた。
  
 ―*―
 レイハは船首甲板の最も先端、かつて威力を誇った速射砲の横に立った。
 風を遮る防護壁に背を預け、北東の水平線を見つめた。
 穏やかなリーシャ海。
 小さく波打つ水面を、船は力強く波を割りながら進む。
 レイハの周りだけが、神の島(クレスコア)へ近づくにつれて高まる風と、
 船底から伝わるエンジンの轟音に包まれていた。

 水平線にうっすらと浮かぶ神秘の島。
 その昔、この島には最古の都市があったそうだ。
 どうしてその都市が、人が消えたのかはわからない。
 しかし守護者はそれ以前からずっと、このクレスコアに存在していた。
 
 その都市の遺跡の奥にある、アゼリアの中心核、世界樹(クレスコル)
 ユイと出会ったあの病院の中庭は、このクレスコルに繋がっていた。
 いや、世界の守護者がユイと自分を出会わせるために繋げたのだ。

 ユイと出会い、初めて浴びた本物の太陽。
 ふたつの温かさは、自分の命を削るものだった。
 
「わたくしが行くまでどうか無事でいて……ユイ」

 残された時間は僅か。
 いつか夢で見たその結末を必ず実現させると、レイハは見上げた月に誓った。
 
 ―*―
 ユイは用意された2階の客室で眠りについていた。
 ベッドの横にはバルコニーへと続く大きな窓がある。
 波の音を聞いていたくて、少しだけ窓を開けたまま。
  
『ユイ』

 誰かが名前を呼ぶ。
 
『……ユイ』

 声の主は何度も名前を呼び続ける。
 その優しい声に、ユイは微笑む。

『……し……てる』

 その声は低い。
 でもユイは誰の声かわからなかった。
 思わずユイは、ふと思い浮かんだ名前を呼ぶ。

 その声は暫くの間、何も言わない。
 やがて深い情愛を含んだ声で、耳元で囁いた。

『おいで……ユイ』  

 その声はかつてユイを強く虜にしたものだった。
 そう。RARUTOのラウルの声、だ。
 拒むことを許さない魅惑的なその声に、ユイは目をこすりながら、体を起こす。

 まだ夢と現実の境目がはっきりしないまま、ユイは開いた窓を背に立つ黒い影を見つめた。

「ん……だれ……?」

 視界がぼんやりする。
 それは銀色の髪なのか、黒い髪なのか。ユイにはわからない。
 
「……Mathew?」 
 
 その誰かは何も言わず左手をユイに差し出す。

「どうしたの?……こんな時間に……どこへ行くの?」

 Mathewの姿? ラウルの声?
 頭の中がスッキリしない。視界にもまだ靄が掛かっている。
 確認しようと、ユイは立ち上がる。

『ユイ……私の女王……』

 ミシルシが何かに反応するかのように金色の光を放つ。
 こんなことは今までなかったと、ユイが意識を取り戻した時、
 勢いよく大きな窓が開いた。
 海からの風がカーテンを揺らし、窓辺に立つ者の髪が舞った。

 それは長い銀髪だった。
 しかしその容貌は月を背にしており逆光で見えない。
 目は鋭く青く光っている。
 それは見知らぬ男性だった。

「あなたは……誰……なの……?」
『私は……。……貴女を迎えに来た』

 勢いよく流れ込む風は肌寒い。
 ユイは薄手の夜着のままだ。震えながら、ユイは、扉の方へ後ずさる。

「ユイ!」 
 
 背後の扉からMathewの声。ドアノブを回す音はするが、扉は開かない。

「Mathew!」

 一歩一歩近づく侵入者。
 視線は外せない。隙を見せるわけにはいかない。

 Mathewは体当たりで扉をこじ開けようと試みている。
 何度目かの衝撃で僅かな隙間が生じ、Mathewは扉を開く。

「ユイ……!」
「Mathew!」
  
 Mathewよりも早く、男性の冷たい手がユイを捕らえる。
 あっという間にユイは引き寄せられ、抱きかかえられた。

 Mathewに向かって男性の背後から幾つもの銃弾が撃ち込まれる。
 その隙に男性はユイを抱えたままバルコニーに出た。

 Mathewは追跡を試みるも、何名かの黒装束の人間たちがその周囲を囲む。

「Mathew!」

 ユイは悲痛な声でMathewの名前を呼んだ。
 
「貴女は自らの意思で、ここへ来た。戻ることは許さない――」
「嫌。……嫌! Mathew!」

 冷たい手が、ユイを引き寄せ、抱き締める。
 視界の端に長い銀髪が見える。

「……ユイ!」

 男性はふわりとユイを抱えたまま飛び降りた。
 白い煙幕がその行く手を隠す中、Mathewがバルコニーに出ると、ユイの姿はどこにもない。
 細長い一本の黒い羽根が部屋の床に落ちているだけだった。