08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 突如、視界の端で白が揺れた。
 トミオが驚いて視線を横に向けると、誰かが立っている。
 白い着物姿の女性だ。顔は見えない。降ろした長い髪が、肩から滑り落ちて胸の上に流れる。
 その女性は言葉を発することなくトミオの横に屈み、トミオの手を下から支えるように自らの手を添えた。
 トミオはその手の温かさを誰よりよく知っている。

「君は……」
 
 トミオの言葉に女性はまっすぐに四葉のクローバーを指さす。
 病院で再会してから、リエとトミオは交際を始めるようになった。
 一年ほど交際を続けたある日、有名なファームガーデンを訪れたことがあった。

『四葉のクローバーは、幸運の使者なの』
 
 そう言いながらリエは四葉のクローバーを探していた。
 トミオはリエに、プロポーズのつもりで言葉を掛けた。

「俺が君の四葉のクローバーになれば、探す必要なんてないだろ」
「それって……」
「俺は君と一緒に歩いて行きたい。だから俺の幸せになってほしい」

 目標は手を伸ばしても届くかどうかわからないほど離れた場所にある。
 それでもトミオは深い皺が刻まれた手を、四葉のクローバーに向かって伸ばし続けた。
 何度目かでその指が茎に触れ、掴み取る。

 役目を終えた女性は静かに姿を消していく。
 トミオは四葉のクローバーを手に、芝生の上に足を投げ出して座っていた。
 目から滑り落ちた涙が頬を伝い、トミオの右手で跳ねた。

(リエ……それが君の願いなんだな)
 
 また中庭は明るい光に包まれる。
 ただ穏やかな水の流れが光りを受けて輝きを放つだけだった。

 ー※ー
 病院の送迎バスの窓から海辺の風景を見つめ、トミオはそっと目を閉じる。
 開いた窓から波の音が聞こえる。
 両手には四葉のクローバーを忍ばせた藍染めのハンカチ。
 このハンカチは、サツキが着けている藍染めのエプロンと同じ時に染めたものだった。
  
「お爺ちゃんは幸せになれた?」
「……僕は今までもずっと幸せだったんだ」

 トミオの言葉に少女は不思議そうに首を傾げる。

「それならどうして四葉のクローバーを探すの?」
「幸せになってほしい人がいるんだけど、その人はここに来れないからね」

 少女はその瞳を大きく見開く。 

「だから、届けたいんだ」

 トミオと少女はベンチに座わる。
 少女とその友達は”中庭”で出会った。その子は芝生の上で何かを探していたそうだ。
 ある日少女は勇気を出して、その子に何を探しているのかと聞いた。
 その子は”四葉のクローバー”と応え、見つけたらきっと幸せになれるから、と告げた。

「それじゃあ、四葉のクローバーの幸せは誰が叶えてくれるの?」
 
 その問いかけに、トミオは不意にサツキを思い浮かべた。
 サクラが咲く満月の夜に出会ったAIドール。

(ああ、そうか。サツキは――)

「誰が、ではないんだ。一緒に叶える幸せがあってもいい」
「それがお爺ちゃんの言う幸せ?」
「”幸せ”になって欲しいと思う相手がいる。これはとても”幸せなこと”。……僕は、そう思う」

 少女は何かを吹っ切ったように、トミオに笑顔を見せた。

「……ありがとう。お爺ちゃんのおかげでやっと……納得できたよ」
「僕の方こそ、ありがとう。見失っていたことが見えた気がする」

 トミオの言葉に少女は微笑んで答える。
 それから中庭へ戻ってきた女性看護師に声を掛け、少女は看護師と共に中庭を去って行った。
 見上げた空は、何処までも高く遠く、感じられた。

 送迎バスは最後の乗客(トミオ)を送り届けると、また戻るべき場所へ向かって走り出す。
 トミオも藍染めのエプロンを着た、白いサツキが待つ自宅へと進む。

「トミオさん、おかえりなさい! 遅かった!」
「ただいま。遅くなってごめんよ」
「大丈夫。もう心配、終わった!」

 サツキには表情は無い。ただ黒いカメラがピンク色の光りを灯すだけだ。
 トミオにはサツキが嬉しそうに微笑んでいるように見えた。