08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 Mathewが向かったのは婚姻会場の左端にある非常用のヘリポートだった。
 そこには緊急用のヘリが置かれている。
 “万が一の場合に備えて、ユイ様をお連れ出来る者が使うこと”

 カイドウ家の護衛チームの総指揮官、フジナミ・エル・カイドウはそう告げた。
 その場所に行けば誰でも操縦が簡単なヘリがある。
 それは完全な初心者向けのヘリ。
 一刻を争う事態になった時は重要な足になる。  
 
 それが目前に見えたとき。
 赤い果実を手にした黒髪、機械で出来た猫耳を付けたAIドールが目の前に躍り出た。

「やあ、来ると思ってたよ」

 それはレイラの護衛サポート用のAIドール、ラナンだ。
 着ているのは執事服ではなく、戦闘用の黒装束。
 Mathewがユイを庇うように前に立つ。

 後ろからは、銃を構えたグライゼルの戦闘員たち10名。
 四方を塞ぐように取り囲む。
 彼らは人間なのかAIドールなのかもう判断が付かなかった。

「どうして……」
「どうしてって、僕の”主”がこの場所で僕を待機させたからに決まってるだろ」

「……悪いが、急いでいる。どけてもらおうか」

 いつになく低い声だ。
 Mathewは本気で怒っているのだろう。
 
「あのさぁ。平和ボケしてる? はいどうぞ、って言うわけないじゃん」
「……AIドール3原則……、忘れたわけではあるまい」

 ラナンの煽りにMathewは乗らない。
 ただただ静かに激情を含んだ声で正論を述べるだけだ。

「人間を傷つけない、人間の命令に服従、自己保存。ホント、マニュアル通り。……さあ女王様、どう対応する? 教えてよ」

 ユイはMathewの後ろから、半歩前に出て、Mathewと並ぶ。
 ミカゲに渡したファミリー・リングと同じものを、ユイも付けていた。
 ユイが仕込んだのは“歌”でもなく“声”でもない。“麻痺の効果がある霧だ”
 これはAIドールには効果がない。
 至近距離で大勢に囲まれた時に有効になっている。
 
 ユイが左手の薬指に右手を添えた。
 それでMathewはユイの意図を推測した。いや、長年の学習から察した。

「以前君は、意図を知らずに主のサポートなんて出来ないと言っていたな」
「……さあ? 記憶にないけど?」

 ラナンと対面した日は限られてる。
 そんな昔の記憶もMathewにはあるという。
 その明らかなMathewの異常性に、銃を構えた戦闘員たちが気付く。

「あなたたちにも守りたいご家族がいるはず。……それは私も同じです」

 ユイは問いかけながら、素早く左の薬指からファミリー・リングを外す。
 
「……俺の妹は、カイドウ家の医療に殺された」
「神を守る為の戦いだ。還る場所はもとより一つ」

 銃がユイに向けて発砲される。
 Mathewが動いた。
 軌道を読み、ユイに当たる前に、金属の指先が弾を弾いた。
 何が起きたのか、ユイは理解できなかった。

 ただタイミングとしては今だ! そう思ったユイは、
 戦闘員たちの中央にファミリー・リングを投げつけた。

「OPEN」

 ユイの声に反応した指輪。
 勢いよく黄色の煙幕が流れ、消えた。

「なんだ……?」
「うぅ、ち、力が……!」

 その隙にMathewが何かを空に向かって投げる。信号弾だ。
 それを見て走ってくるミオンとセキジが見えた。

「ユイ様! お待たせ致しました!」

 セキジが視線でMathewを促す。
 Mathewは何も言わない。
 迷わずユイの手を取る。
 ラナンの背後にあるヘリに向かって走り出す。

「行かせるな!」 

 ミオンとセキジは背中を合わせ、ラナン含む戦闘員と対峙する。
 ラナンはユイたちを何故か追わない。
 追わないこと自体が、不気味だった。

 ただ無表情で赤い果実を宙に投げては片手で受け取るを繰り返す。
 直後、その果実を恐ろしい速さで空へ向かって飛び立つヘリに向かって、投げた。

 それは正確に言うと果実ではなかった。
 赤のインクが入った、果実の偽物だ。

 白いヘリの機体に、血のように赤い染みが付く。
 ヘリは薄暗い雲をした空を駆ける。

 爆音と爆炎の中、ヘリの窓越しにユイが見たのは、崩落した聖堂の天井だった。