08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 ユイとミカゲの婚姻式が開催される。
 タクマに導かれて、聖堂の中央に引かれた赤い絨毯のバージンロードを歩く。
 ユイの視線の先には、黒のフロックコートを纏ったミカゲ。
 静かに微笑みながらユイを待っている。
 しかしその目は――。
  
(ミカゲ……?)

 会場には大勢の参列客がいた。
 メディアのカメラマンも多数いるだろうか。
 
 ミカゲの奥、中央には白い法衣を纏った司祭が立つ。
 司祭から離れた左側に「RARUTO」メンバーと合唱団アルゼリス。

 ユイの入場と共にレミの美しいソプラノが聖堂に響く。
 その旋律に寄り添うのは合唱団アルゼリスによるバックコーラス。
 「RARUTO」のトミーが奏でるピアノ伴奏が、ルークの優雅な指揮が、それらを導く。

 すべてこの瞬間のために用意された”推し”による祝福の演出。
 その“奇跡”に胸が高鳴る。

 やがてタクマが離れる。
 ユイはミカゲに託された。

 当然のように微笑むユイとミカゲ。
 しかし、その目は赤紫色ではなく……。

(青紫色――。どうして、今……?)

 ミカゲの瞳の変化。
 それは、あの夜同様『裏』のマガミ家当主が“同調していることを示す。
 同時に右手に僅かな疼きを感じた。

(ミシルシが……)

 ユイはゆっくりと小さく息を吐いた。
 歩調をそろえて歩き進む。
 カザム教の神・シュゼルトを象徴する像と司祭が待つ祭壇へと。

 ユイとミカゲが祭壇に到着したタイミング。
 ラウルが歌い始めたその瞬間。
 ユイは思わず息をのんだ。

 壇上の演台。
 白布の上の金のロウソク立て。
 水晶の花瓶に彩られた白と青の花束。
 インクの小瓶に施された細かいレリーフにいたるまで、全ての彩度がぐっと引き上げられて目に届く。まさに、祭壇が光に包まれたかのような感覚。

 ラウルの声が響いた瞬間、それは人の喉から生まれた音とは思えなかった。
 ずっと聴いてきた推し(ラウル)の声であるはずなのに、これまでとは全然違う。
 その違和感よりも、ユイの心を捕らえたのは。
 ――目の前にラウルがいるという事実だった。


(さすが推し……)
 
 式に集中しようと思えば思うほど、ラウルの声が、その歌詞が心を掴んで離さない。

 前にもこんなことがあった。
 音楽フェスのステージで歌うヒロトの声を、全身全霊で受けていたあの日――。
 あの時もレミはデュエットを歌っていた。
 そのレミの声が美しく花ひらく。
 
 今、寄り添うのはラウルの声だ。
 決してレミより前に出ることがなく、それでいて、自然にレミを高みへ連れていく。
 二つの声はまるで”糸”のように紡がれ、のぼる。
 その様子は未来、ミカゲとユイがそうなることを祝福するかのようだった。

 ユイの足が祭壇に届くというとき。
 指揮を行うルークはその手の動きを緩やかにし、そして閉じる。
 入場曲を担っていたレミの旋律もトミーのピアノも静寂にとける。

 司祭の祝詞が響き始めた後。
 ラウルの声が静かに空気を伝う。
 伴奏はない。支える声もない。
 その調べはただ、会場の隅々に染み渡る。

 ユイは司祭の祝詞を受ける中、ラウルが紡ぐ甘く囁くその響きだけを追いかけていた。
 注がれるラウルの視線。
 かつての推しが自身だけを視界に収めているという事実。
 しかしその眼差しにあるのは、澄み切った「敬意」だ。

 新郎と向かい合う。

 紡がれる歌詞は、まさに新郎の想い。
 なんて純粋で……誠実なのだろう。
 幾重にもなった想いの束がユイを包み、そして流れ込む。
 想いと重なるもう一つの誓いが。

 ワンフレーズ終わった時。
 ユイは、フッと正面の人物に吸い寄せられる。

 今、ユイの目に映るのは。
 『当主』(ミカゲ)『裏の当主』(守護者)
 ふたりはひとりの”新郎”としてユイの正面にいた。 
 
 ―*― 
「ミカゲ・カイ・マガミ。汝はユイ・リア・カイドウを妻とし、神シュゼルトの御名において彼女に永遠の愛を誓いますか?」

 数秒置いて、ミカゲは答える。

「はい」 

 その声は、本来のミカゲの声とは違っていた。
 次の瞬間、ユイは確信する。
 これは、世界の守護者の声だ。

 ミカゲは“同調”を使っている。
 ではたった今、永遠の愛を誓ったのは――?

 疑念を抱いた瞬間、ユイは信じられない幻視を見る。
 目の前にいるミカゲにヒロトがゆっくりと重なった。
 青を含んだ、紫色の目。それはヒロトの目。

 司祭はユイに同じ問いを投げかけた。

 求められる誓いの言葉が、逃れられない現実として迫る。
 向けられる紫の眼差しの奥から、もっと大きく、もっと古い何かが。
 ミカゲの想いを借りて語り掛けて来る。
 永遠の愛を誓うこのタイミングに。

 そしてユイは先ほどの違和感の正体にようやく気が付く。
 ラウルは“世界の守護者”(シュゼルト)の声で歌っていた。
 何もかも投げ捨てて、自分の元に来い、と誘うように。

(この婚姻式は、最初からミカゲとのものではなかった……)

 ミカゲを”器”としただけの、世界の守護者との婚姻式だ。
 巧妙に仕掛けられた舞台。ミカゲが紡ぎ出す嘘の愛。
 それらはすべて、ユイがこれから放つ「はい」という答えのためにある。
 いや、ユイに「はい」と言わせるためのものだ。
 
 実際この場面での正解は、「はい」だ。
 そう。何も考えずただ一言、新郎の言葉を繰り返せばいい。
 しかし、喉の奥から漏れるのは、細く苦しい空気だけ。

 この場で、ユイはわかってしまった。
 いま「はい」とその言葉を発してしまえば、自身を構成している決定的な何かが崩壊してしまう、と。
 ユイの頬を涙がつたう。
 宙を泳いだ視線をMathewが捉えた。
 その目は激しい激情に揺れていた。
 Mathewがそんな“怒り”を見せたのは初めてのことだ。

『女王、ユイ・リア・カイドウ!』

 正面の大扉の向こうから、若い女性の声が聞こえた。
 次の瞬間、鈍く重たい爆音。
 扉の隙間から、爆風が聖堂へ流れ込んだ。

 扉の向こうにはカイドウ家の護衛達がいる。
 低い轟音が聞こえる。
 なんらかの異常を感じ取った参列客がざわめく。
 不安、疑念、焦燥。そして不信感。
 それらが不協和音のように、誓いを行わないユイに突き刺さる。

 司祭は落ち着いた声でもう一度ユイに向けて問いを繰り返す。

 震える唇で、ユイが答えようとしたとき。
 背後で激しい爆音が聞こえた――。
 
 ミカゲの冷たい手が、ユイを抱きかかえた。
 その心臓の音だけは本物だった。