08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 4歳の誕生日まで――
 僕は、ライトと呼ばれていた。
 名前が”光”だなんて、両親の溺愛ぶりに半分呆れていた。
 兄より自分の方が愛されていると思っていた。
 しかしその両親は、体の弱い“兄”のために、僕をマガミ家に養子に出す。

『君は次期ミカゲとして選ばれた。また真の”器”が決まるまで、真のマガミ家当主となる』
  
 そう告げて僕を迎えに来た先代のミカゲ。
 僕はその事実を受け入れる選択肢しかなかった。
 そして“ライト”という名前を告げることも、告げられることも禁じられる日々が続いた。
 『裏』のマガミ家当主として過ごす日々の中、僕は7歳になった。
 息抜きにこっそり抜け出した海岸で、僕は同年代ぐらいの少女と出会った。
 黒い髪、黒い眼。清楚な青いワンピースを着た、幼い顔立ちの少女。
 彼女は白い砂浜に座り、星形の砂に珍しそうに触れながら、青い波を見つめる。
 
「……誰?」

 僕を見て彼女はそう言った。
 すると強い耳鳴りがした。
 思えばそれが初めての”同調”だったと思う。
 僕の中に何かが降りてくる。

 ”ミツケタ。ワタシノ……”

 それは彼女を見て”ウレシイ”と“イトシイ”という二つの感情だった。
 わけが分からなかった。
 頭を抱えてその場に座りこんだ僕に駆け寄り、少女は心配そうに声を掛ける。

「ねぇ、どこか痛いの? ……大丈夫?」
「わから……ない……」

 僕であって僕ではない声がそう答える。
 締め付けられるように激しい頭痛がする。眩暈もする。ただただ苦しかった。
 すると少女は何を思ったのか、僕の頭を、背中を優しくただ撫でた。
 人間らしいあたたかい手だった。
  
「こうすると痛いのは飛んでいくよ」

 そう言いながら、彼女は僕を少し怖がっている。その手は震えていた。
 不思議と嫌じゃなかった。その逆で、もっと触れて欲しかった。
 口から出たのはそうではなく。

「僕を子ども扱いするな」
「そんなんじゃないもん、心配して損した!」

 少女は意外と短気だった。
 頬を膨らませて怒って見せる。
 なんでこんなにストレートに感情を出すんだ?
 僕は理解ができなかった。

「……なんでついて来るの?」

 僕は、怒りながら歩き出す少女の後を追っていた。
 本当はもっと話したかった。
 彼女の名前が知りたかった。
 一緒にいたかった。
 笑った顔が見たかった。

「行く方向が同じなだけだ」
「あっそう」

 少女は付いて来るなとは言わなかった。
 そのことが嬉しかった。
 そばにいてもいいのだと思った。
 
「ねえ……名前なんていうの?」

 少女は時々歩くのをやめ、小さな貝殻を拾っていた。
 そしてその貝殻を太陽に透かして見つめながら、僕に問いかける。

「なんだっていいだろ」

 名乗れる名前なんかない。かといってミカゲと名乗ることも出来ない。
 それが辛いと思う日がくるなんて思いもよらなかった。

「ふうん……私は、ユイだよ。ナナシさん」
「ナナシってなんだよ……」

 少女いわく名前がないからだという。
 
「だって名前がわからないと友達になれないもん」
「別に友達にならなくてもいい」
 
 そう言うと、またユイは頬を膨らませて怒り出す。
 でも少しだけ悲しそうな目をしていた。それがなんだか妙に引っかかる。

「ライト……」
「それが名前? ライトっていうの?」

 返事の代わりに首を縦に振る。
 思わず言ってしまったことに、僕は震えた。周囲を素早く確認する。
 誰もいない。ユイと僕だけだ。

「……ヘンな名前」
「あのさ、無理やり聞き出しておいて、酷くない?」

 今度は僕も感情を出してしまった。 
 理不尽で遠慮のない回答に心底腹が立ったのだ。

「……ごめん、なさい」

 彼女は素直に謝る。
 悪かったと本気で思ったようだ。
 
「でもちゃんと生きてる人だってわかった」

 マガミ家の人間は感情を隠す。
 それがユイには冷たく、死んでいる人のように見えるのだという。
 だから怖くなって逃げてきた、そう話す。

「僕は生きてる。死んでなんかいない。でも言いたいことはわかるよ」
「うん」
 
 ユイは少しだけ笑った。
 すこしだけ安心したように。
 もっと笑って欲しかった。
 もしかしたらもっときれいな場所に連れていけば、笑ってくれるかと思う。
 だから言ってしまった。

「ここじゃない何処かに行こう」
「なにそれ。……変なところだったら怒るよ?」

 ユイは僕の手を勝手に取って、さあ連れていけと催促する。
 その素直な強引さが新鮮だった。
 驚いたのは自分の気持ちだった。
 自然に笑っているのがわかった。

「期待してていいよ」

 僕とユイは浜辺を歩く。
 向かう先はお気に入りの海岸だ。ここからそう遠くはない。
 歩きながら僕はユイに触れて、ただ喜んでいた。
 このままずっと手を繋いでいたかった。
 同時に僕の中で何かがその想いを否定する。どうしてなのか次の瞬間直ぐにわかった。
 ユイの左手にあったのは、”ミシルシ”だったから。守護者の花嫁である女王の。
 僕はこの”ミシルシ”を見ないことにした。
 これからを生きるために、僕は想い出が欲しかったからだ。
 それから1時間くらい、僕とユイは青い海と白い砂浜で遊んだ。
 心から笑ったのは久しぶりだった。
 しかし僕に接続した”神”が告げる。

 “いつか彼女を迎えに行く日まで、二度と彼女に会ってはならない”
  
 どうして、と僕が問うことは許されなかった。
 僕はただ最初にそう誓ったように、たったひとつの返事しか出来なかった。
 あの時からずっと僕はたった一つの未来に向かって歩いてきた。
 今更それを覆すことはできない。

 ―*―
 あの日から彼女が好きだという気持ちは変わらない。
 “嘘”に塗り固めた、この歪んだ深い想いは絶対に知られてはならない。
 彼女が永遠に気が付きませんように。
 ミカゲは己が信じる“神”にただ祈った。