08 ーHACHIー ~俺の彼女と私の彼~

 少女は噴水そばの芝生を指さす。
 そよ風が芝生を撫でるように吹いている。
 噴水の吹き上がる水が光を受けて輝く。

「もしかしたら噴水の左側、太陽の光がよく当たる辺りで見つかるかもしれませんわ」
「わかった、ありがとう」

 トミオは杖を使ってベンチからゆっくりと立ち上がる。
 同時にこれまで感じたことのない重く鈍い痛みを感じる。

(なんだ……? 急に体が痛み出したな)

 トミオが一歩踏み出す度に身体に重くのしかかる圧。
 突然のこの痛みに黙って耐えることを選ぶ。
 今の状態を少しでも疑問に思えば、身体が崩れてしまいそうだ。
 背後から突き刺さるような鋭い視線を感じる。少女だろうか?
 今は振り返るべきではないと確信めいた予感がある。それにこの体の重さ。そんな余裕もない。

 トミオは噴水そばの芝生までたどり着く。
 体に陽光が降り注ぐと、体の圧が少しだけ和らぐ。
 少し寂しそうな表情で、少女はまっすぐにトミオを見つめていた。
 トミオの視力では、三つ葉も四葉もそう変わらない。目を凝らし探せる範囲で四葉を探す。

「む……これか?」

 少し先の場所で、花のような四葉のクローバーを見つけた気がした。
 しかしその目標をすぐに見失う。
 目の前にある。間違いない。しかし、届かない。求めても掴み取れない。
 ――そんな状況に10年前の、3月15日の記憶が蘇る。

 あの日、リエはユイと共に“推し”のコンサートに出かけた。
 どれだけ年月が経とうとも、どうして忘れられるのだろう。……この日を。
 この日リエとユイは朝から“推し”の話題で盛り上がっていた。
 ”RARUTO”という若手の男性アイドルグループにふたりは夢中だった。
 苦労してチケットを取り、推しと会える今日を指折り数えて心待ちにしていた。
 トミオはどうしても”行くな”とは言えなかった。
 本当はそんな男性アイドルなど、夢中になって欲しくはなかったのに。
 
 リエはもう届かなくなってしまった。
 どんなに想っても、どれほど後悔してももう遅い。
 
(俺は、どうしてこんなに必死になっているんだ……?)
 
 思考が混じる。
 しかし、トミオは首を振って四葉のクローバーを探す。
 四葉のクローバーは確かにあった。まちがいない。右斜めの方角だ。
 が、思ったより遠い……。
 体を包む陽光が遠のいていくと、先ほどの鋭い視線が背中にまた突き刺さる。
 同時に圧力も増大し、トミオの体を押しつぶしにかかる。

(手にすれば、見つかるだろうか。……答えが。)

 トミオは右手の震えを強く押し殺し、伸ばす。
 あと少しで届きそうな距離なのに、トミオの手は四葉のクローバーには届かない。
 それはトミオの中に眠る、目を背け続けたものを思い出させる。

 職場から急いで駆けつけた時はすでに手遅れだった。
 ユイを庇って倒れたリエは白い布をかぶせられ、目を閉じて寝台に横たわっていた。
 もうどうやっても戻せない現実。
 あまりにも早く、突然訪れた別れの記憶。
 
 カイドウ家の当主の話によると、リエは過激派組織が扱う”機械”の襲撃事件に巻き込まれたという。
 それは無差別に行われた。
 リエは、トミオが信じて愛し続けた”機械”によって殺されたのだ。
 おそらくその”機械”のなかにはトミオが修理したモノもあっただろう。
 トミオの無意識は、この記憶を心の奥底に閉じ込めた。

(今ここで四つ葉のクローバーを掴んでも、リエが戻ってくるわけではない)

 体の角度を調節しながら必死に手を伸ばす。
 いよいよ体に激痛が走る。
 トミオはそれでも手を伸ばし続け、四葉のクローバーの茎に触れる。

「トミオさん。いまのあなたにユイは守れないわ。だからカイドウ家が保護することにしたの」
「葬儀の出席も控えて欲しい。埋葬場所も今は教えられない。それが君のためなんだ、受け入れてくれ」

 カイドウ家の当主夫妻の言葉に、トミオはただ従うしかなかった。
 この時のトミオは自身でさえ心の置き所を見失っていたから。
 やがてサツキが来たことでトミオの精神状態は安定を取り戻す。
 それでもカイドウ家当主夫妻からユイと暮らす許可が下りるまで数年もかかった。

(ユイと暮らせるようになったのは、サツキのおかげだ)

 トミオは足を庇い、体に極力負担を掛けないように角度を調節して手を伸ばす。
 震える右手は四葉のクローバーの場所を少し外し、目標を見失って何度か宙を彷徨う。

(別に、四葉のクローバーに拘る必要はない)

 身体を締め付ける強い痛み。
 若い頃のトミオであれば、一度やろうと決めたことをそう簡単に諦めようとは思わなかっただろう。
 しかし今は無理が出来ない。
 
(もう諦めたっていいはずだ)
 
 それなのに、手を伸ばすことだけはやめられそうもない。
 届かないと分かっているのに、まだトミオの心は“希望”を捨てられないのだ。