それでは、ひとつだけ頂戴いたします

 幼い頃の、ひとひらの記憶。あの日もこんな風によく晴れた日だった。



 ルシアンは、風に舞う花びらを両手いっぱいに集めると、空へ向かってふわりと放った。
 ひらひらと宙を踊る、即席の花吹雪。春の陽に透けて、きらめいて見えた。

「わあ……」

 思わず、息をのんだ。あまりの美しさに、私はその場に立ち尽くしてしまった。

 けれど――

「綺麗……でも、ダメよルシアン。お花が可哀想じゃない」

 無意識に、眉をひそめていた。

 ルシアンの表情が曇る。思い描いていた反応と違っていたのだろう。私はしゃがみこみながら、そっと微笑んだ。

「……だから、全部拾ってポプリにするの。ちゃんと最後まで大事にするのよ」

 ルシアンは頷き、私の隣で花びらを拾い始めた。

 やわらかな春の光が、二人の影をそっと包み込んでいた。





 

「ふふっ」

「……思い出し笑いかい?」

「ええ、マティアス。子どもの頃のことを思い出していたの。今日と同じくらい、あたたかな日だったわ」

 春の陽射しの下で、舞い上がる花びら。優しい記憶が胸にふわりと広がる。

「今日は、結婚式に招待してくれてありがとう、クロエ様。僕だけじゃなくて、家族まで」

「当然よ。ご家族とも――長いお付き合いになるのですもの」

 優しく笑って返す私に、マティアスはそっと頷いた。マティアスは、貴族に戻っても私に”様”を付けて呼ぶ。話し方はフランクなのに。つけなくてもいいと言っても『恩人だからね』と、微笑んで流してしまう。



 コンコンコン



「……どなたかしら?」

 扉が勢いよく開いた。

 

「まあ! なんて美しい花嫁なのかしら! あ、失礼。私、マティアスの姉のエリスですわ。ああ、ようやくお会いできて嬉しい。そうだわ、ちょっと相談があって。マティアスの第2回展示会、ぜひ我が家で開かせていただけないかしら――」

 怒涛のような言葉の嵐。これがマティアスのお姉様……。

 

「お、お姉様! ちょっと勘弁してくれよ! 今日は、クロエ様が主役なんだから。いま展示会の話を持ち出さなくても!」

「だって、予定は、早めに押さえておきたいんですもの!」

「ふふ。いいですわね、展示会。楽しみにしていますわ」

「本当? まぁ、嬉しい! じゃあ、詳しい話は後日ということで!」



 嵐のように現れて、嵐のように去っていった。マティアスが、困ったように頭をかいている。

 

「クロエ様……姉が本当にごめん」

「いえ、素敵なお姉様ね。たくさん、あなたの絵を集めていらっしゃるとか」

「うん。父は展示会のときは本当にしつこいくらい、“熱心に褒めてくれる人”にしか絵を売らなかっただろ? 姉は……たぶん、それ以上かもしれない……。なにしろ、額縁まで自分で選びたがるからね。……正直、ちょっと気が重いよ」

「それだけ、あなたの絵が大切にされている証ですわ」

「はは、ありがたいことだと思わないとね。おっと、ついおしゃべりがすぎてしまった。そろそろ、僕は、招待客の席へ戻るよ」

 

 そう言って、マティアスは優しい笑みを残して去っていった。そっと扉を見つめながら胸に静かな温かさを抱いた。
 

 今日この日は、きっと素敵な思い出になる――そんな気がした。







 式の会場となった礼拝堂は、長い時を刻んだ石造りの壁と、新たに整えられたステンドグラスが美しく調和し、“過去”と“未来”がそっと寄り添っているような、やわらかな空気に包まれていた。


 装飾はあくまで控えめに、それでいて隅々まで行き届いた心配り。
 銀を基調とし、ところどころに飾られた淡いブルーの花々は、私の瞳の色に合わせたもの。



 ――それは、ルシアンが静かに提案したものだった。

 静かな音楽が流れる中、席には、もうすでに泣いている弟、商会の仲間たち、支配人のグレゴリー。孤児院の子どもたちに、マティアスと絵を支援する画家たちなど。私の今を作る方たちが見守っている。


 私が歩みを進めると、会場のざわめきがすっと静まり、その一歩ごとに、皆の想いがそっと重なっていくのを感じた。


 祭壇の前で、ルシアンが待っている。
 いつもと変わらぬ穏やかな笑み――けれどその目元は、ほんの少し赤かった。



「これまで、待たせてごめんなさい」


 私の囁きに、ルシアンは微笑む。



「やっと、君が私の元へ来てくれた」



 神官の静かな声が空気に溶けるように式を導き、その間も、私たちは何度も目を合わせた。

 ――言葉にならなくても、心はもう繋がっている。

 それでも、たったひとつの誓いを交わしたかった。



「病める時も、健やかなる時も、貴方の隣に在りたい」



 私の声は、確かに礼拝堂に響いた。



「たとえすべてを失っても、君を守りたい。生涯、君と共にあると誓う」



 ルシアンの声は、深く、あたたかく胸を打つ。指輪が交わされ、静かに満ちてゆく幸福の余韻。



「では――二人を夫婦と認めましょう」



 神官の言葉と同時に、参列者たちの拍手が柔らかに起こり、やがて、礼拝堂いっぱいにあたたかな波となって広がっていった。

 その瞬間――

 空中に、ふわりと淡い光が舞い上がる。




「え? ルシアン、これ……?」

「魔道具だよ。《華雨の祝福》っていうんだ。――まあ、見てて」


 花模様の彫刻が施された円盤型の魔道具。
 その表面が静かに輝きを放ち、刻まれた花々が命を得たように浮かび上がる。



 一瞬の静寂――



 そして次の瞬間、色とりどりの花びらが天へと舞い、空から、優しい花の雨となって降り注いだ。


 風に乗って舞い落ちる花びらたちは、まるで祝福の舞を踊るように軽やかで幻想的。ただ美しいだけではない。場の空気そのものが、花々の力で清められてゆく。淡く甘い香気が礼拝堂に満ち、柔らかな光と温もりに包まれた。


 グレゴリーがそっと目元を拭い、子どもたちが

「わぁすごい!!」
「きれいー!」


 と無邪気に騒ぎ出す。

 その中で、ルシアンが静かに囁いた。




「君を愛してる。今日だけじゃない、明日からも、ずっと」

 私は笑って、彼の頬に手を添える。


「じゃあ、これから毎日、言ってもらおうかしら」



 そして――花々が舞う中、私たちは静かに唇を重ねた。



 時間が止まったようだった。



 淡く香るラベンダー、桃色の桜、ひらひらと揺れる紫陽花の薄青――その花びらが、祝福の言葉を囁いているようだった。


 静寂を破ったのは、子どもたちの歓声だった。


「お姫様と王子様みたい!」
「おめでとう!」

 無邪気な声が礼拝堂いっぱいに響き、笑い声が広がる。


 幸福感と祝福に満ちたその空間は、まるで夢の中にいるようで――
 けれど確かに、現実に起きた小さな奇跡だった。



「まあ、この花、消えるのね」

「もう怒られたくないからな。『お花が可哀想だわ』って」


 ふふ、覚えていたのね。


「綺麗ね……ねえ、ルシアン……この魔道具、絶対売れるわ!」

「ははっ。君ならそう言うと思ったよ」



 花々の香りと温かい光が、私たちの周りに満ちていた。
 私はそのまま静かに目を閉じ、二人の未来を思い描いた。



 END