それでは、ひとつだけ頂戴いたします

 sideマリー



「……アルが捕まった?」

 その報せは、待ち望んでいたものではなかった。


「そんな……あそこまで準備を整えたのに、なぜ……!」

 唇を噛む。手のひらがじっとりと汗ばむのを感じながら、報告を待った。



「どうやら、魔道具の製作者がその場にいたそうです。証拠が偽造であると、即座に見抜かれたとか」

 ――ちっ、ついてない。


 あの魔道具は、セリウス商会のエリックから借りたものだった。彼は以前から私に夢中で、甘い言葉をひとつ囁いただけで、あっさりと差し出してくれた。

 映像を記録し、特定の魔力を注げば再生されるその仕組みについても、聞かされていた。製作者は王立魔導技術院にいたというが、もう行方不明だと……そう聞いていた。
 ならば、バレるはずがない。私はそう高をくくっていたのだ。


 ――なのに、なぜ今になって現れるのよ。


 面倒なことになったわ。あの魔道具がどこから来たかなんて、調べられれば一発だ。私に貸し出されたとなれば、エリックもろともすぐに足がつく。協力者の二人も、時間の問題。まずい。



「アルベルト様の釈放には、保釈金が必要だそうです」

「保釈金……勾留期間は?」

「調査が長引けば、最低でも三週間はかかるかと」

「なら、そのまま牢に入っていてもらうしかないわね。今、騒がれるのは迷惑。こっちはまだ考えをまとめきれていないの」


 私は深く息を吐いた。



 とりあえず、あの使用人には多額の金を持たせて、他国へ逃がすしかない。
 エリックにも会わなければ――私ではなく、使用人に貸したことにさせないと。巧く、もっともらしい言い訳を考えなくちゃ。

 私も、“使用人に騙されていた”という前提で動くわ。
 それから、あの“声が似ている二人”……彼女らも国外へ逃がすしかない。放っておいても、どうせ金を持ってさっさと姿を消すだろうけど。



「……すぐに手配して」

「かしこまりました」



 アルは――切り捨てる。


 彼に費やした年月を思えば惜しいし、得られたものは想定よりもずっと少ない。でも、見込みのない者に資金や手間を注ぎ続けるより、損失が膨らむ前に見切りをつけた方がずっといい。




 *****



 一週間後

 ――金を作り、使用人と協力者の二人に握らせた。すべては国外逃亡のため。確実に――手を打つ。



「今日は、アルに会いに行くわ」



 面会室。アルはやつれ果てた姿で、鉄格子の向こうに座っていた。


「マリー、来てくれたか! 一体何が起きてるんだ……早く助けてくれ……!」

「ごめんなさい、アル。ーーもう、あなたに力を貸すことはできないの」

 その目はまだ、私に縋るように潤んでいた。信じたくない、現実から逃げたい。まるで子供のように。



「な……なんでだよ……! お前は、俺を愛してたんじゃなかったのか……!」

「ええ、愛していたわ。でも――もうあなたは、貴族ですらないでしょう?」



 爵位を失い、商会も潰された男に、私はもう何も感じない。
 冷たく響くよう、わざと優しく微笑んでみせる。


「……謝らなきゃいけないことがあるの」

 私はそっと目を伏せる。


「父が、あなたの商会を買収したの。損失回避のための、当然の判断。私、反対はしたわ。でも……父には逆らえなかったの」

 その瞬間、アルの顔が引きつった。



「せめてあなたが、貴族のままだったら。せめて、有益な存在であったなら。父は手を出さなかったわ。……私との関係だって、認められたかもしれないのに」

「俺は……俺は絵で、必ず這い上がってみせる! いつか、必ず!」

「何年かかるの? 私は、貴方が結婚してから何年も待ったじゃない。……もう、限界なの」



 言い切る私の声に、情はない。ただ、終わりを告げる静けさがある。



「さようなら、アル」

 崩れていく表情を、私はもう見ない。
 そのまま背を向け、扉を開けた。


 さて――次は、エリックに会いに行かなくちゃ。


 *****



 セリウス商会の屋敷に足を踏み入れると、相変わらずの豪奢な内装が目を引いた。細いヒールの音が淡々と響く。

 応接室で待っていたのは、甘い顔立ちをした青年――エリックだった。



「久しぶりだね、マリー。連絡もなしに来るなんて、珍しいじゃないか」


 彼は穏やかに微笑む。けれど、その視線の奥にかすかな緊張があった。
 そう、彼も薄々感づいているのだろう。自分が関わった“貸し物”が、問題を引き起こしたことに。


「ええ、久しぶり。少し、話がしたくて」

 私は、微笑み返した。
 この場は、駆け引きだ。うまくやらないと自分の首を締めることになる。



「例の魔道具、覚えているわよね」

 エリックの表情が一瞬だけ揺れた。すぐに取り繕って、紅茶に口をつける。



「もちろん。君が興味を持ってくれて嬉しかったよ。あれ、どうだった?」

「――ええ、面白かったわ。けれど、あれは“私”ではなく、うちの使用人に貸したものでしょう?」



 そう、念を押すように。

 エリックの手がわずかに止まり、次の瞬間、彼はやや戸惑った表情を浮かべた。



「……そうだったかな? 君が直接――」

「困るの、そういう記憶違い。あれは明らかに、うちの使用人に貸したのよ。私が借りたと勘違いされると、ちょっと問題が出てくるの」



 目を逸らさずに、静かに、けれど有無を言わせぬ声で。
 彼のような坊ちゃまには、笑顔の裏の棘が最も効く。

 エリックは観念したように苦笑いを浮かべた。



「……なるほど、了解。僕の勘違いだったかもしれないな。記録には、そのようにしておくよ」

「助かるわ。今後も、あなたには“味方”でいてほしいの」



 私はさりげなく立ち上がり、近づいていく。彼の肩にそっと手を置いて、甘く囁いた。



「ねえ、エリック。あなたは、私が頼れる唯一の人よ」

「……そう思ってもらえるなら、光栄だよ」



 声は軽くても、喉仏が動いたのは見逃さなかった。まだ、操れる。



「じゃあ、協力してくれるわよね?」

「もちろん。僕はいつだって、君の味方さ」



 ああ、単純で助かる。


「ありがとう。じゃあ――この話、誰にも言わないでね? 特に“お父上”には」

「……言うはずないさ。君のことが心配だからね」



 背中にその声を受けながら、私は静かに扉を閉めた。