それでは、ひとつだけ頂戴いたします

「ラフィーユ伯爵にお詫びの品は、もうお届けしてくれたかしら? グレゴリー」

「はい。おおせの通りに、既に手配を済ませております」

 老練な執事グレゴリーは、微かに頭を垂れてそう答えた。



 アルフレッド様の失態を聞き、急いで準備に取り掛かった。あの失態の後始末は、早ければ早いほど良い。 



「……ごめんね、ルシアン。無理を言って作ってもらっちゃって。本当にありがとう」


 ふと顔を向けると、ルシアンは相変わらず穏やかな微笑を浮かべていた。


「気にしないでくれ。いつも、好きなものを自由に作らせてもらってる。このくらい、何でもないさ」

 その声は優しくて、どこか照れくさそうだった。



「それでも“好きなもの”って言いながら、商会の商品になりそうなものをいつも作ってくれるじゃない」

「はは、まあ、そうかな?」

 と、ルシアンは笑いながら肩をすくめた。


「クロエの役に立つなら、それだけで作る価値のある物だよ」

 そんな彼の言葉に、胸の奥が温かくなるのを感じた。




 ――少し前、マリーの手の者たちが、屋敷の周りをうろついていた。

 訪問する貴族に声をかけ、どうやら招待状を盗み取ろうとしていたらしい。

 元使用人であったなら、顔見知りの使いを見つけて言葉巧みに迫ることもできる。けれど、貴族の使いが、顔見知りであろうとそんな簡単に渡すはずがない。ましてや邸の中ではなく外で、だ。


 アルベルト様が貴族の繋がりを欲している――。そうに違いない。


 その疑念が胸をよぎったとき、即座に動いた。ラフィーユ伯爵の招待状が彼の手に渡るように。

 慈善活動を生きがいとしている誇り高き伯爵の前で、アルベルト様がうっかり失言することを狙って。



「うっかりどころか……堂々と、真正面から失言するなんて、想定外だわ」

 参加した人からその話を聞き、思わず青ざめてしまった。


「まさか、そこまで分かっていなかったとは……アルベルト様の信用も、名誉も、すべて地に落ちましたな。見事に」


 グレゴリーも呆れたように言う。


 けれど、同じ男爵家の名を持つ者として、礼を欠くことはできない。

 巻き込んでしまった罪悪感もある。不快な思いをさせたのだから、せめて、詫びの品を贈るべきだ――そう考えて、ルシアンに頼んだのだった。


 ルシアンが作ってくれたのは、ふわふわと柔らかい動物型のぬいぐるみ。その名も「おしゃべりぬいぐるみ・パフル」。

 魔力で言葉を覚え、話しかけると返事をしたり、簡単な歌を歌ったりすることができる。夜になると優しい光を放ち、眠りを誘う子守唄モードも搭載された、夢のような魔道具だ。

 孫を溺愛していると噂のラフィーユ伯爵にとって、これほど心をくすぐる贈り物はないだろう。



「きっと、喜んでくださるはずよ」

 そう呟いた私に、ルシアンは誇らしげな笑みを向けた。



 ルシアンの作る品々は、どれも素晴らしかった。

 高額のため店先にはおかず、お得意様だけにこっそり紹介するという形をとっている。希少な品を好む彼らにとっては大きな付加価値となっているはずだ。


 その希少性が貴族たちの興味をそそり、商会とのつながりを持とうとあの手この手を使って近づいてこようとする貴族も多い。


 ルシアン、そして画家のマティアス。この二人は今や、商会の屋台骨ともいえる存在だ。




「マティアスと一緒に何か作れないかって話してたんだ」

 ルシアンがふと話題を変えた。



「彼の絵を入れる額縁なんだけど、絵が飛び出して見えるような仕掛けを……って提案したら、『それはちょっと……』って苦笑いしながら却下されちゃったよ。はは」

「ふふっ、ルシアンったら。でも、絵が飛び出る。面白そうね」

 口元を手で押さえて笑った。二人の才能が生み出す未来には、とても興味がある。



「だろ? 芸術と魔道具、興味は尽きないわね。でも……安心して。今回は却下されたけど、マティアスもすごく乗り気だったから、きっとあっと驚くような商品が出来上がるよ。売り上げも期待して」

「ふふ、ええ、期待しているわ」




 ルシアンはその言葉に、そっと目を細めた。春の日差しのように柔らかな光が、目に満ちていた。



「そういえば――」

 カップを置く音も静かに、ぽつりと呟いた。

「絵と聞いて、思い出したのだけれど…………アルベルト様が、絵を描いているそうよ」


 傍らにいたグレゴリーの手がぴたりと止まる。彼は紅茶の香りを確かめるようにそっとカップを傾けていたが、その動きのまま静止している。


「アルベルト様が不興を買って以来、屋敷に引きこもっている……という噂は聞いておりました。でも、まさか、絵を描き始めただなんて」

 グレゴリーが何とも言えない笑みを漏らす。


「マティアスの真似でもしてるんじゃないか? 絵が、“金になる”とでも思ったのだろう」

 ルシアンは、そう言いながら、手にしていたカップを再び持ち上げる。



「それで、どうなの? 絵は上手いのかしら。グレゴリー?」

 紅茶をサーブしようとしていたグレゴリーに視線を向ける。

 グレゴリーは、しばし考えるように眉間にしわを寄せ、それから静かに口を開いた。



「……昔、アルベルト様が絵画に夢中になられた時期がございました。将来は画家になるのだと、急に言い出されたこともあります。エレオノーラ様をずいぶん困らせておられましたな。たしか、家庭教師が少し褒めたのがきっかけだったかと」

「そんなこと、知らなかったわ」



 眉をひそめる。過去のことに驚いたというより、その程度の動機で再び描き始めた彼に、改めて呆れたのだ。



「で、肝心の腕前は?」

「……そうですね。良く言えば奔放な感性の持ち主。悪く言えば、感性に任せすぎて、理解不能――そんなところでしょうか。正直、売れるようなものではないと思われます」

 やっぱり……ふっと笑ってしまった。



「そうだと思ったわ。マティアスが“貴族の子息だった”という噂でも耳にしたのね、きっと。ルシアンの言う通り、ならば自分も、と。……浅はかだわ」

 紅茶の香りが、冷たい言葉に反してやわらかく部屋に満ちている。



「クロエ様……万が一ですが、男爵家の名を使って作品を“売り出す”などという暴挙に出たら、いかがいたしますか?」

 グレゴリーが慎重に問いかける。



「――どうしましょうね。でも、……ちょっとだけ、その奔放な感性とやらを、見てみたい気もするけれど」

「まさか、買いに行くとおっしゃるのですか?」

「はは、私も、興味があるな。クロエ、私が買ってこようか?」


 ルシアンが笑いながら言う。喉の奥で笑いが漏れる。



「……すごい値段をつけていそうね。芸術とは名ばかりの“自己評価”で、盛大に」

「確かに……ただ、その前に、止めると思います。あの方が」


 マリーね。


「ええ。あまりにひどい作品なら表に出ないように、マリーが手早く処理するでしょう。厄介者を抱え込んだとようやく気付いたころかしら。私たちは、しばらくは、静観しておきましょう」

 窓の外、春まだ浅い風が通り抜ける。



「アルベルト様は、見つけた“可能性”に、すがっているのかもしれないわね。自分には絵がある、絵なら向いているかもしれない……そんな淡い期待。でも、期待って、時に残酷よ。時間も気力も注ぎ込んで、それが無駄だったと気づいた瞬間……大抵の人は、とてつもない虚無感に飲まれる」



 カップを口に運びながら、低く静かに言葉を結ぶ。




「――可能性と虚無感。お義母様も彼に対してそれを感じていたと思うわ。たくさん期待して、その分だけ裏切られて」


 アルベルト様、自分の行いの報いは自分で受けるべきですわ。