「ミラ。オリン公爵家の長男、エリオットくんと婚約してくれないか」
ある日、父上の書斎に呼び出され、仕事の話だと思って伺ったら、まったく違っていた。
いえ、ある意味では仕事の話なのかもしれない。
父上は、仕事の話のほうがまだましだと言いたげな渋い顔で、私を見ていた。
「あの、父上、お加減が悪いのでしょうか……?」
「いや、体調に問題はない。……ただ、ミラとエリオットくんの婚約の話を、公にしたくないだけだ」
「どういうことでしょう?」
「エース殿下がな……いや、今はそれはいい。オリン公爵家から正式な申し込みがあった。以前から話は出ていて、その都度かわしていたが、正式となると……格下の我が家では断れない……」
父上の声が小さくなり、しまいに聞こえなくなった。
オリン公爵家は、王家の政治的補佐役として仕えている一族だ。公爵家の長女、ルーシー様が王太子殿下と婚約されていて、妃教育と殿下の補佐のために王城に住まわれている。
我が家、ブレイズ侯爵家は、経済面の補佐役として代々王家に仕えている。
兄上は父の跡目を継ぐ予定で、母上と共に我が家の財政管理を担っている。私もその補佐となるべく父と登城し、王家の財産管理や国家の経済管理を手伝っていた。
その関係で、以前から第二王子より、将来的な補佐を内々に依頼されていた。
第二王子が成人した際には公爵位を叙爵するから、私の兄が家を継いだあとで構わないので、王家の財産管理は兄に任せて、第二王子個人の補佐を頼みたいという話だった。
それって遠回しなプロポーズでは、と思いつつ、「まだ修行中の身ですので」とやんわりお断りしていた。
だって第二王子であらせられるエース・ニーズヘッグ殿下は、私より年下の、とてもお美しい少年なのだから。
格下で、しかも年上の私が婚約などしたら、お茶会で毒を盛られかねない。
「私は構いませんわ、お父様」
微笑んで見せたら、父上は観念したように息を吐いた。
「すまない。近日中に顔合わせが行われる。日程が確定したら伝えるから、そのつもりでいるように」
「承知いたしました」
頭を下げて書斎を出た。
結婚したら、オリン公爵家の財政管理にも携わるのかしら。規模の大きいお家だから、それはそれで楽しみかもしれない。
数日後、登城中の馬車の中で、父上から「例の話だが」と声をかけられた。
「婚約の話でしょうか」
「ああ。それだがね、来週末にオリン公爵家にお邪魔することになったから」
「承知いたしました。正式な婚約のご挨拶でしょうか?」
「いや、顔合わせ程度だ。ミラはエリオットくんと親しくないだろう?」
そう、私は婚約するらしいエリオット・オリン様とさほど親しくない。
エリオット様の姉君であるルーシー様には王城でよくお目にかかり、お茶会などでもお話をさせていただくことが多いけれど、エリオット様とはパーティでお目にかかった際に挨拶を交わす程度だ。
「はい、ではそのつもりでお伺いします」
「あと……」
父上が渋い顔で口を閉じた。
それは、母上のお気に入りの香水瓶を落として割ったときと同じ顔だった。
「父上、なにかやらかしたのでしたら、わたくしも一緒に母上に謝りますから、早めに楽になりましょう?」
「お前は父をなんだと思ってるんだ。……エース殿下のことだ」
「エース殿下がなにか?」
「ミラの婚約を聞いたら……しかし、直接言われたわけではないが……しかし」
父上は先日も、エース殿下のことで悩まれていた。
私が婚約したら、殿下の個人的な補佐は難しくなる。だから今度こそ、きっぱりお断りしなくてはならない。
第二王子殿下の妻になるのは大変そうだけれど、彼が公爵を叙爵し、地方財政や緊張気味の他国とのやり取りに金銭面で携われたなら、とても楽しいと思う。
……もう、無理なのだけど。
父上が渋面のまま、「怖いなあ」「でもお伝えしないわけにはいかないし」「怖いものは怖いよなあ」とぼそぼそつぶやき続けるのを聞き流しながら、私は窓の外を眺めた。
翌週の週末、私は両親と共にオリン公爵家を訪れていた。
「よくぞお越し下さいました」
客間に通されると、オリン公爵と公爵夫人が、笑顔で迎え入れてくださった。
「今回は改まった場ではありませんから、どうぞくつろいでください。ミラさんのお話は、ルーシーからも聞いていますよ」
「ありがとうございます。わたくしもルーシー様には大変お世話になっております」
登城の際にはよく声をかけてくださり、お茶にお誘いいただくことも多い。
まあ、第一王子とののろけや愚痴を聞く会ではあるけど、それはそれで楽しいし、城内の情勢や噂話も聞かせてくださるので、ありがたいことこの上ない。
「エリオット。あなたも挨拶なさいな」
「はい、母上」
オリン公爵夫妻の後ろから現れたのは、ほっそりとした男性だった。年の頃は十代後半で、たしか私と同世代だったはずだ。
いつも勝ち気な表情のルーシー様とは違って、少し気弱そうな、緊張の面持ちだった。
「ミラ・ブライズ嬢、本日はよくぞお越しくださいました」
「ご丁寧にありがとうございます、エリオット様。どうぞ、よろしくお願いいたします」
頭を下げると、オリン公爵が私に笑顔を向けた。
「ミラ嬢の手腕は常々お伺いしております。その若さでお父君と共に、王家と国家、両方の財務管理を担っていらっしゃる。ブライズ卿がうらやましい限りですな」
「とんでもない」
父上が笑って肩を竦めた。
「まだまだふつつかな娘でございます。先日も些細な計算ミスで、大騒ぎをしておりまして」
「嫌ですわ、お父様。そんな恥ずかしいこと、将来のお義父様には内緒にしてくださいまし」
「ご謙遜が上手でいらっしゃる」
オリン公爵は穏やかに微笑んだ。
彼は国王陛下の右腕として名高い人物であり、同時に人徳の高さでも有名だ。清廉潔白、高名篤実――そんな傑物でありながら、驕ることなく私にも親切だ。
その隣で、エリオット様は困ったように微笑んでいた。
「エリオット様は、どのようなお仕事をなさっているのですか?」
「ぼ、僕は父や姉の手伝いをしたり、母に教わったりしながら、家督を継ぐための修行中の身でして」
「まあ、励んでいらっしゃいますのね。頼もしいですわ」
頼もしいかどうかで言えば、頼もしくはない。
あと数年で成人しようかという年頃なのに、いまだ実務を任せられないというのは、いささか頼りなく見える。
エリオット様は、私に向かって嬉しそうに微笑んだ。
「そう言っていただけると、やる気が出ます。常日頃は母と姉にどやされてばかりですので……あなたのように、優しく立ててくださる方がいらして、嬉しく思います。ミラ嬢は……」
その後は、私とエリオット様、父母と公爵夫妻とでそれぞれ歓談し、解散となった。
「ミラ嬢は王城でもお仕事をなさっていて、とても努力家でいらっしゃるんですね。ですが、オリン公爵家にいらした暁には、そのような無理はなさらず、どうか気楽にお過ごしください」
「お気遣いありがとうございます。なにとぞよろしくお願い申し上げます」
軽く頭を下げ、両親と共にオリン公爵家を後にした。
馬車に乗って、自宅へと向かう。
窓の外はすっかり夕方で、がたがたと揺れる車内からも、陽が暮れなずむ様子が見えた。
……別に、無理してるつもりはないのだけれど。
国政という大きな帳簿に、父の手伝いとはいえ携わらせていただくのは、光栄と言うほかない。けれど、それを口にしても仕方がないので、口を噤んだ。
たぶん、親切のつもりなのだろう。
オリン公爵家では、のびのびと職務に努めてほしいとか、そういう……。
最大限好意的に受け取ることにして、父と母がオリン公爵を褒めそやす言葉に、耳を傾けた。
ある日、父上の書斎に呼び出され、仕事の話だと思って伺ったら、まったく違っていた。
いえ、ある意味では仕事の話なのかもしれない。
父上は、仕事の話のほうがまだましだと言いたげな渋い顔で、私を見ていた。
「あの、父上、お加減が悪いのでしょうか……?」
「いや、体調に問題はない。……ただ、ミラとエリオットくんの婚約の話を、公にしたくないだけだ」
「どういうことでしょう?」
「エース殿下がな……いや、今はそれはいい。オリン公爵家から正式な申し込みがあった。以前から話は出ていて、その都度かわしていたが、正式となると……格下の我が家では断れない……」
父上の声が小さくなり、しまいに聞こえなくなった。
オリン公爵家は、王家の政治的補佐役として仕えている一族だ。公爵家の長女、ルーシー様が王太子殿下と婚約されていて、妃教育と殿下の補佐のために王城に住まわれている。
我が家、ブレイズ侯爵家は、経済面の補佐役として代々王家に仕えている。
兄上は父の跡目を継ぐ予定で、母上と共に我が家の財政管理を担っている。私もその補佐となるべく父と登城し、王家の財産管理や国家の経済管理を手伝っていた。
その関係で、以前から第二王子より、将来的な補佐を内々に依頼されていた。
第二王子が成人した際には公爵位を叙爵するから、私の兄が家を継いだあとで構わないので、王家の財産管理は兄に任せて、第二王子個人の補佐を頼みたいという話だった。
それって遠回しなプロポーズでは、と思いつつ、「まだ修行中の身ですので」とやんわりお断りしていた。
だって第二王子であらせられるエース・ニーズヘッグ殿下は、私より年下の、とてもお美しい少年なのだから。
格下で、しかも年上の私が婚約などしたら、お茶会で毒を盛られかねない。
「私は構いませんわ、お父様」
微笑んで見せたら、父上は観念したように息を吐いた。
「すまない。近日中に顔合わせが行われる。日程が確定したら伝えるから、そのつもりでいるように」
「承知いたしました」
頭を下げて書斎を出た。
結婚したら、オリン公爵家の財政管理にも携わるのかしら。規模の大きいお家だから、それはそれで楽しみかもしれない。
数日後、登城中の馬車の中で、父上から「例の話だが」と声をかけられた。
「婚約の話でしょうか」
「ああ。それだがね、来週末にオリン公爵家にお邪魔することになったから」
「承知いたしました。正式な婚約のご挨拶でしょうか?」
「いや、顔合わせ程度だ。ミラはエリオットくんと親しくないだろう?」
そう、私は婚約するらしいエリオット・オリン様とさほど親しくない。
エリオット様の姉君であるルーシー様には王城でよくお目にかかり、お茶会などでもお話をさせていただくことが多いけれど、エリオット様とはパーティでお目にかかった際に挨拶を交わす程度だ。
「はい、ではそのつもりでお伺いします」
「あと……」
父上が渋い顔で口を閉じた。
それは、母上のお気に入りの香水瓶を落として割ったときと同じ顔だった。
「父上、なにかやらかしたのでしたら、わたくしも一緒に母上に謝りますから、早めに楽になりましょう?」
「お前は父をなんだと思ってるんだ。……エース殿下のことだ」
「エース殿下がなにか?」
「ミラの婚約を聞いたら……しかし、直接言われたわけではないが……しかし」
父上は先日も、エース殿下のことで悩まれていた。
私が婚約したら、殿下の個人的な補佐は難しくなる。だから今度こそ、きっぱりお断りしなくてはならない。
第二王子殿下の妻になるのは大変そうだけれど、彼が公爵を叙爵し、地方財政や緊張気味の他国とのやり取りに金銭面で携われたなら、とても楽しいと思う。
……もう、無理なのだけど。
父上が渋面のまま、「怖いなあ」「でもお伝えしないわけにはいかないし」「怖いものは怖いよなあ」とぼそぼそつぶやき続けるのを聞き流しながら、私は窓の外を眺めた。
翌週の週末、私は両親と共にオリン公爵家を訪れていた。
「よくぞお越し下さいました」
客間に通されると、オリン公爵と公爵夫人が、笑顔で迎え入れてくださった。
「今回は改まった場ではありませんから、どうぞくつろいでください。ミラさんのお話は、ルーシーからも聞いていますよ」
「ありがとうございます。わたくしもルーシー様には大変お世話になっております」
登城の際にはよく声をかけてくださり、お茶にお誘いいただくことも多い。
まあ、第一王子とののろけや愚痴を聞く会ではあるけど、それはそれで楽しいし、城内の情勢や噂話も聞かせてくださるので、ありがたいことこの上ない。
「エリオット。あなたも挨拶なさいな」
「はい、母上」
オリン公爵夫妻の後ろから現れたのは、ほっそりとした男性だった。年の頃は十代後半で、たしか私と同世代だったはずだ。
いつも勝ち気な表情のルーシー様とは違って、少し気弱そうな、緊張の面持ちだった。
「ミラ・ブライズ嬢、本日はよくぞお越しくださいました」
「ご丁寧にありがとうございます、エリオット様。どうぞ、よろしくお願いいたします」
頭を下げると、オリン公爵が私に笑顔を向けた。
「ミラ嬢の手腕は常々お伺いしております。その若さでお父君と共に、王家と国家、両方の財務管理を担っていらっしゃる。ブライズ卿がうらやましい限りですな」
「とんでもない」
父上が笑って肩を竦めた。
「まだまだふつつかな娘でございます。先日も些細な計算ミスで、大騒ぎをしておりまして」
「嫌ですわ、お父様。そんな恥ずかしいこと、将来のお義父様には内緒にしてくださいまし」
「ご謙遜が上手でいらっしゃる」
オリン公爵は穏やかに微笑んだ。
彼は国王陛下の右腕として名高い人物であり、同時に人徳の高さでも有名だ。清廉潔白、高名篤実――そんな傑物でありながら、驕ることなく私にも親切だ。
その隣で、エリオット様は困ったように微笑んでいた。
「エリオット様は、どのようなお仕事をなさっているのですか?」
「ぼ、僕は父や姉の手伝いをしたり、母に教わったりしながら、家督を継ぐための修行中の身でして」
「まあ、励んでいらっしゃいますのね。頼もしいですわ」
頼もしいかどうかで言えば、頼もしくはない。
あと数年で成人しようかという年頃なのに、いまだ実務を任せられないというのは、いささか頼りなく見える。
エリオット様は、私に向かって嬉しそうに微笑んだ。
「そう言っていただけると、やる気が出ます。常日頃は母と姉にどやされてばかりですので……あなたのように、優しく立ててくださる方がいらして、嬉しく思います。ミラ嬢は……」
その後は、私とエリオット様、父母と公爵夫妻とでそれぞれ歓談し、解散となった。
「ミラ嬢は王城でもお仕事をなさっていて、とても努力家でいらっしゃるんですね。ですが、オリン公爵家にいらした暁には、そのような無理はなさらず、どうか気楽にお過ごしください」
「お気遣いありがとうございます。なにとぞよろしくお願い申し上げます」
軽く頭を下げ、両親と共にオリン公爵家を後にした。
馬車に乗って、自宅へと向かう。
窓の外はすっかり夕方で、がたがたと揺れる車内からも、陽が暮れなずむ様子が見えた。
……別に、無理してるつもりはないのだけれど。
国政という大きな帳簿に、父の手伝いとはいえ携わらせていただくのは、光栄と言うほかない。けれど、それを口にしても仕方がないので、口を噤んだ。
たぶん、親切のつもりなのだろう。
オリン公爵家では、のびのびと職務に努めてほしいとか、そういう……。
最大限好意的に受け取ることにして、父と母がオリン公爵を褒めそやす言葉に、耳を傾けた。



