桜木学園、歴史研究科百人一首部 〜桜の下、託された記憶〜

今日は、桜木学園、歴史研究科百人一首部の歌合模擬会実施日。
 この日を心待ちにしていた。
「歌合の有名エピソードをお聞かせしましょう」
 私、光間志津音は、十二単に似せた着物を身に纏い、大きく深呼吸をする。
 歌合模擬会では、東グループと西グループに分かれた、この部の部員五十名が、お題の『桜』をテーマに歌を作るところまで準備する。そこから当日はその歌を各自発表する。
 始まる前にはちょっとした茶会があって、わたしたちの専門研究の対象である百人一首について語り合う。
 今回は、同学級生の男の子、初蜜考斗くんが話すのだ。
 彼は平安貴族のような衣装を軽やかな所作で翻し、改めて正座して、深く頭を下げた。
「百人一首、及び金葉和歌集に選ばれた、ある歌があります。その作者は小式部内侍。和泉式部の娘です。大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立。この歌が詠まれたのも、本日と同様、歌合の会場でした」
 すらすらと語りだす初蜜くん。
 ただし。
 ひとつだけ、気になることがある。
 小式部内侍が例の歌を詠んだのは、歌合の会場ではなかった気がする。
「初蜜くん」
 ピシッと手を挙げた私に、本日進行役兼判者の野宮美恵さんが「どうぞ」と目で示してくる。
「小式部内侍が例の歌を詠んだのは、歌合の日ではない、と聞いたことがあるのですが。本当のところ、どうなのでしょう」
 私が座ると、彼は首を傾げ、何か呟いた。なんと言ったのか、何も聞こえない。
「すみません。もう一度、言ってもらえないでしょうか」
 彼はフッと笑い、しっかりと聞こえる声で、私に言った。
「なら・・・・・・一緒に、探ってみる?」
 探る? 何を?
「大江山の歌、どこで詠まれたのか」
 初蜜くんは、袍によく似た衣装をまたもや優雅に翻し、私に近づいてきた。
 そして。
「え」
 私は彼に、ガシッと着物の裾をつかまれた。
「僕も答えは知らない。でも、興味はある。協力してほしい」
 ぼうっとしていると、目の前に畳紙が差し出された。初蜜くんは、それを強引に私の指にはさんでくる。
 いつの間に書いたのだろう。平安貴族が書くようなこの歌を。
「ひさかたの すぎしひのなつ あおければ さくらいのちは てふよりはかなし」
 意味はよくわからない。「夏の空のような青春は、春に咲く桜のよう。桜は、ちょうよりも儚い命。私の青春はそれほど短く、儚い」とでも言いたいのだろうか。
「この歌のようにはならないように」
 彼はそう付け加えた。
 さて、返歌はどうしようか。
 約束する、という内容でいいだろう。
 畳紙を広げて、近くの筆をとり、空いている端に返歌を書きつける。
「ちぎりおきし させもがつゆの あおければ あわれことしの なつのきらめき」
 約束してくれたよね。儚い望みでも、確かな青春の色を思えば、趣深く今年の夏は煌めき、すぎてゆくと。
 そんな思いを込めた歌にした。
 優しく差し出すと、初蜜くんは目を潤ませてから、
「ありがとう」
 と静かな声でつぶやいた。

 歌合模擬会は、かなり遅れてのスタートだった。
 東グループの私は、あらかじめ用意しておいた歌を詠む。
「あかねさす きみのさくらば さきにけり しづごころなく ちりゆくときかな」
 この会では、歌に込めた想いや、本歌取りの場合はもとの歌を説明する。
「光間志津音さん、説明を」
「はい」
 少し前へ出ると同時に、唐衣や単が音をたてる。
「この歌は、百人一首第七十三、三十三から本歌取りをしました。また、『あかねさす』を枕詞に使用しました。桜の花びらが散るように速く過ぎるときを表しました」
「本歌取りの際、もとにした歌の詠み人は?」
「第七十三番は大江匡房、第三十三番は紀友則です」
 途中、参加者の質問にも答える。ここは教養の見せどころ。すらすらと答えられるよう、もとの歌は常に暗記している。
 私は出番が終わると、檜扇を広げて仲の良い女の子とひそひそ話をする。
「志津音、考斗との約束、どうなるの?」
 詩波が話しかけてくる。彼女とは小学四年生の初めに仲良くなって、もうその学年も末だ。それほど仲が良い。
「和歌は上手みたいだし、小式部内侍の歌については一緒に調査しようと思うよ」
「あ、見て。初蜜くんの」
 歌波も私の袖をひっぱる。彼女は詩波の双子の姉で、百人一首部自慢の物知り。
 その視線を追えば。
 西グループの初蜜くんが短冊を手に、自身の和歌を披露していた。

 歌合模擬会では、本来の歌合と同様、優劣をつけられる。判者が発表するのだ。
 今回の判者は野宮さん。
 みんなは息をつめてドキドキしながら結果を待つ。
「今回の歌合模擬会の勝敗は・・・・・・西グループの優勝です」

「志津音!」
 廊下を早足で歩いていると、男の子の声がした。
 軽々しく呼び捨てにされるほどの間柄の子なんて、いたっけな。
「聞いてる?」
 振り返ると、初蜜くんがいた。
「あ、西グループの圧勝、すごかったじゃないですか」
 あのあと、西グループ内でも初蜜くんの歌がよかったことも言われていたんだ。
「あの歌は・・・・・・」
 彼は私の耳元に顔を寄せて、
「志津音宛てだったんだよ」
 静かに、そう言った。
 私、宛て?
 和歌って、手紙みたいなもの?
「受けとってほしい」
 またもや強引に、指に短冊をはさまれる。

 なんで。
 なんで彼は、私にこの歌を預けたの?
 帰り道、花が咲き始めた桜の木が並ぶ道を歩きながら考える。
「花びらは しづ心なく ちりゆけば けふを限りの 青いはるかな」
 桜の花は心なく次々と散りゆく。今日限りの青春のように。
 そんな歌。表向きは。
 でも、「青いはるかな」の「はるかな」は、ふた通りの意味でとれる。
 ひとつは、「春かな」。直前の「青」と合わせて「青春」になる。
 もうひとつは、「遥かな」。すでに何かが過ぎ去っているのかな。
 すでに、初蜜くんの「青春」が、過ぎ去っている?
「志津音」
 名前を呼ばれて、振り向くと。
 桜の下、初蜜くんがこっちを見つめてる。
 さっきの彼とは別人。平安貴族の袍姿から、白と黒の制服姿になっている。
 私も着替えたけれど。
 この学園、小学生は、女子はブラウス、男子もスーツみたいな制服で決まっている。なのに、歴史研究科のイベントは着物。
「志津音。歌、どうだった?」
「・・・・・・初蜜くん。失恋とか、したことあるの?」
 いきなり聞いてしまった。
 だって、気になるから。
 私たち、まだ小四なのに、「青春は過ぎた」なんて。
「いや。恋とかじゃなくて、あれは・・・・・・。歌合模擬会の前の、さっきの茶会で、藤原基俊の歌、本歌取りしてたじゃん。僕の前世、あの人の知り合いだったんだ」
 いきなり言われて、驚く。
 前世?
「・・・・・・そっか」
 短く言って、彼と目を合わせる。
「でも、その人の望みを叶えてあげられなかった。恋愛なんかしない。変なことで悩みたくない」
 恋愛以上に、悩んだ?
「じゃあ、色めかしい感じじゃないんだ。でも。もう、前世のことで悩むのはやめたほうがいいよ。そんなの、苦しいだけじゃん」
 彼は目を潤ませる。
「小式部内侍の歌の調査、がんばろうね」
 片手を差し出す。
 彼は私の目を見て、うなずく。
 そして。
 しっかりと手を握り返してくれた。