シンデレラは嘘をつく〜悪評を流された義姉の反撃〜

誰もが知っている――はずの物語がある。

灰にまみれた娘は、継母とその連れ子である姉たちにこき使われ、笑われ、踏みにじられながらも、いつか救いが訪れる日を信じて耐えていた。
やがて城で舞踏会が開かれ、姉たちは宝石のように着飾って出ていく。けれど娘には、着ていくドレスすら与えられない。

泣き濡れる彼女の前に現れたのは、不可思議な力――魔法だった。かぼちゃは馬車に、ぼろ布は絹に変わり、ガラスの靴が白い足に輝く。ただし条件がある。午前零時、日付が変わる瞬間に魔法は解ける。だからそれまでに帰りなさい、と。

城で娘は王子に見初められる。
けれど零時の鐘が鳴り響いた途端、彼女は焦って階段を駆け下り、ガラスの靴を片方落としてしまう。王子はその靴を手がかりに娘を捜し、あらゆる家の娘に履かせて回る。姉たちも、もちろん試した。だが靴は、誰の足にも合わなかった。

――ただひとり、灰被りの娘を除いて。

そして娘は見出され、妃として迎えられる。
めでたし、めでたし。

……でも、本当にそうだったのか?



王都の大聖堂は、今日だけは祈りの場であると同時に――巨大な劇場だった。

天井を支える白い柱には金糸の旗が幾重にも掛けられ、ステンドグラスは朝日を受けて宝石のように輝いている。参列者の衣擦れと香油の甘い匂いが混じり合い、空気そのものが浮き足立っていた。

その華やぎの輪から、ひとりだけ取り残された場所に、セシリアは座っていた。正確には「座らされていた」。

貴族席の最奥。誰もが視界の端に入るのに、誰も目を合わせたがらない位置。

――悪女。意地悪な義姉。シンデレラ(灰被り)を虐げた女。

そんな物語が、すでに王都の隅々まで流布している。

セシリアは唇を結び、指先でスカートの皺を整えた。宝飾は外され、紋章も外され、身につけているのは黒に近い深藍のドレスだけ。だが、恥をかかされるために着せられた色が、彼女にはむしろ都合が良かった。

「……来たわね」

さざ波のようなざわめきが、いっせいに鎮まる。中央の通路を、白いベールがゆっくり進んできた。

シンデレラ。

その名は、もはや称号だ。美徳と哀れみを一身にまとう、王都が望んだ物語の主人公。淡雪のようなドレスに、髪は柔らかく結い上げられ、頬には薄い桃色が差している。

彼女が通路を進むたび、参列者の視線が熱を帯びた。誰もが自分の人生よりも、他人の幸福を見たい日がある。今日は、まさにその日だ。

続いて、赤い緞帳のようなマントを纏った王子、レオンが現れた。凛々しい横顔。自信に満ちた歩幅。王都の未来そのもののように見える。

セシリアは目を伏せない。彼らの姿を、彼らの目を、逃さず見た。そこに、未来の国王夫妻としての重みより先に「勝ち」の愉悦が浮かぶのを、彼女は見逃さなかった。

大聖堂に鐘が鳴り渡る。

司祭が祭壇の上に立ち、祈りの言葉を唱えた。老いた声が石壁に反響し、儀式は厳粛さをまとい直す。参列者たちもそれに合わせて息を整える――彼らを祝福するために。

「指輪は――用意されておりませぬ」

司祭の宣言に、一瞬だけ、空気が戸惑った。

王家の婚礼で指輪がない?

ささやきが波紋のように広がりかける。

だが司祭は、ゆっくりと両手を上げた。白い布に包まれた何かを掲げる。その仕草だけで、参列者の喉が鳴った。

布がほどかれる。

現れたのは、一足の――ガラスの靴。

「運命の女性が舞踏会で落とした、ガラスの靴」

司祭の声は朗々としていた。

「これを『選ばれし花嫁』の証とし、花嫁の足に履かせます」

セシリアは、その靴を見つめた。透明なはずのガラスが、内部に淡い光を溜めている。まるで呼吸しているように。

司祭が靴を捧げ持ち、シンデレラが祭壇の前にひざまずく。
そして、司祭がシンデレラの前にガラスの靴を置くと、彼女はおもむろに立ち上がり、白い足首をのぞかせた。

その瞬間、大聖堂が息を呑んだ。

ガラスの靴に、シンデレラの足がすべり込む。

ぴたり、と。

あまりにも滑らかに、あまりにも完璧に。

靴が足に収まった瞬間、どこからともなく聖歌隊の歌声が立ち上がり、香油の匂いがふわりと濃くなる。
そして、白い鳩が舞い、花びらが降った。

まるで――神が祝福している、というような演出。

観衆は嵐のような拍手を送った。
熱狂が大聖堂を満たす。誰かが泣き、誰かが祈り、誰かが歓声を上げた。

シンデレラはベールの下で微笑んだ。涙を浮かべる角度まで、完璧だった。

そして王子レオンが、祭壇の上から視線を巡らせた。満足げに、誇らしげに――最後に、セシリアの位置を正確に捉える。

勝ち誇った笑みが、その口元に浮かんだ。

「……皆に知らせよう」

彼の声はよく通った。大聖堂の隅にまで、針のように刺さる。

「今日、この場で祝福されるべきは、私とシンデレラだけではない。王都は――正義をも祝福する」

ざわめきが、期待へ変わる。甘い祝福は、刺激を求める。祝宴には、悪役が必要だ。

レオンはゆっくり手を伸ばし、セシリアを指し示した。

「今こそ、お前を断罪してやる」

空気が、冷えた。

司祭が沈黙し、楽が止み、参列者の視線が一斉にセシリアへ突き刺さる。熱狂が、獲物を見つけた群れの目になる。

「セシリア・ルクセンハイム。お前は長年にわたり、我が花嫁シンデレラを虐げた」

王子の背後で、王家の記録官が羊皮紙を開く。

「第一。灰をかぶせ、暖炉の前に縛りつけた」

「第二。衣装を裂き、みすぼらしい服しか与えなかった」

「第三。食事を奪い、働かせ、眠る場所すら奪った」

「第四。宝飾を盗み、罪を彼女に着せた」

「第五。舞踏会への参加を毎回妨げ、社交界で嘲笑の的にした――」

一つ読み上げられるたび、参列者が「なんてこと」「許せない」と息を洩らす。
あまりにも出来すぎた罪の列挙。聞けば聞くほど、絵本の頁がめくられていくようだった。

セシリアは、ただ黙って聞いていた。

暖炉に縛った?

衣装を裂いた?

宝飾を盗んだ?

舞踏会に参加させなかった?

心の中で、彼女は一つずつ問いを立てる。怒りでではない。確認のために。反撃のために。

読み上げは、最後の一文へ向かう。ここからが本番だと、セシリアにはわかった。

「そして――第六」

記録官の声がわずかに強くなる。参列者の背筋が伸びた。

「王家に逆らい、花嫁シンデレラを害そうとした」

ざわり。

誰かが息を呑み、誰かが「殺そうとしたのか」と囁いた。罪の重さが一段変わる。これは家庭内のいじめではなく、国家への反逆だ、と。

レオンが一歩前に出た。

「お前は、私の婚礼を汚そうとした。王家の名誉を傷つけ、民を欺き、神殿の祝福に唾したのだ。――この場で、罰を受けよ」

合図が出る前に、衛兵が動いた。鉄靴の音が床に響き、セシリアへ近づく。

参列者の拍手は、いつの間にか嘲笑へ変わっていた。

「悪女め」

「今さら何を言っても遅い」

「シンデレラ様がかわいそう」

言葉は刃になり、軽々と投げつけられる。誰も自分が血を流さない距離でだけ、正義は饒舌になる。

シンデレラは、悲しげに首を振った。可哀想な私、という表情で。けれどセシリアは見逃さない。ベールの端から覗いた唇が、一瞬だけ上がったことを。

(……ああ、そういう顔もできるのね)

衛兵がセシリアの腕に手を伸ばす。

その直前、彼女はゆっくり立ち上がった。

背筋はまっすぐ。顔色も変えない。泣き崩れない。叫ばない。――その態度が、かえって参列者の苛立ちを煽る。悪女は取り乱してこそ、物語が完成するのに。

セシリアは一歩、中央通路へ踏み出した。ざわめきが引く。誰もが彼女の口元を見つめる。最後の悪あがきか、呪詛か、醜い言い訳か。

彼女は、ただ静かに息を吸い――祭壇の正面を見据えた。

シンデレラが履いているガラスの靴が、わずかに震えたように見えた。光のせいか、視線のせいか。それとも。

セシリアは、淡々と告げる。

「異議あり」