底辺乗り物オタクの私、推しに見つかりました―推しの推し活が、溺愛すぎる

 高崎駅のホームに降り立つと、まだ少し冷たい早朝の空気に、食欲をそそる濃厚な出汁の香りが混じっていた。
 私たちは吸い寄せられるように、在来線改札内と新幹線改札内の両方から入店できる不思議な蕎麦屋へと向かった。中央を仕切られたその店内で、私はいつものように「境界線」の向こう側を眺める。
 鈍行を選んだ私は、区切られた向こう側で、新幹線に乗って効率よく移動していく「今日の流れ」の住人たちを妄想するのが好きだ。
(向こう側の人から見たら、私たちはどう映っているんだろう。
 まさか夫婦で、普通列車を乗り継いで新潟まで行くなんて、想像もしないだろうな)
 この店の個人的な特等席は、改札が見えるカウンターだ。
 蕎麦を啜っている間だけ、「合法」で改札の前に居座れる。しかも真正面ではなく、斜め横。人の流れを観察するには完璧な角度。
 そんな特等席へ、迷いなく向かう男がいた。
 壮大だ。
 私のYouTubeを、生活の一部のように把握している夫は、一瞬の迷いもなく改札が見えるカウンターの前を陣取った。
 鉄オタでも好みが分かれるこの席を、何の説明もなく共有できる関係。
 それだけで、胸の奥が静かに温まる。
 蕎麦を食べ終え、店を出ると、壮大が少しいたずらっぽく言った。
「ブラックコーヒー、いるでしょ?」
(ああ、はいはい)
 からかわれていると分かっているのに、腹は立たない。
 むしろ、私の“ルーティン”が彼の中に組み込まれていることが嬉しい。
「分かってて言ってますよね」
「もちろん」
 即答だった。
 数時間の揺れの果て、私たちは新潟駅に降り立った。
 ここは、壮大にとっては何度も画面越しに見てきた“聖地”だ。
 マスクと帽子の奥でも分かるほど、彼ははしゃいでいる。
 結婚してから何年も経つのに、こういう顔を見るたび、私は初心に返る。
 かつての新潟駅の話をしながら、私たちは今回の目的地、「新新潟駅」へ向かった。
 移動手段は、連接バス。もちろん、彼のチョイスだ。
 そして現れた、スイッチバック式バスターミナル。
 私はシャッターを切りながら、壮大の横顔を見る。
 言葉を失っている。
 それだけで、連れてきてよかったと思える。
 夕暮れが迫る頃、壮大が言った。
「そろそろ、チェックインしよっか」
「……あ、宿の手配ありがとう」
「それなんだけどさ。部屋、ツインにした」
「え?」
 思わず足が止まる。
「シングルでいいって言ったでしょ?」
「言った。でもさ、バスターミナルに面した部屋、ツインしかなかった」
 必死に説明する姿が、少し可笑しい。
(……結婚しても、こういうところは変わらない)
 ホテルの扉を開けると、整然と並んだ二つのベッド。
 違和感はない。ただ、少しだけ照れる。
「落ち着かない?」
「……少し」
「じゃあ、コーヒー淹れる」
 差し出されたマグカップを手に、窓の外を見る。
 夕闇の中、連接バスが静かにバックしていく。
(やっぱり、特等席だ)
 出前を頼み、露天風呂に入り、部屋に戻ると、壮大はすでに少し酔っていた。
 私の肩に、自然に頭を預けてくる。
「なあ……やっぱ、ここ最高だな」
「そうだね」
 しばらくして、彼は眠ってしまった。
 肩に伝わる重みは、もう特別な事件じゃない。
 ただの、私たちの日常の一部。
 窓の外で、最後のバスが入庫する。
 その光を見つめながら、私は思う。
 境界線は、越えたから消えるんじゃない。
 越えたあとも、こうして並んで眺め続けるものなんだ。