※本作は 文芸社より2026年3月に書籍化 されます。
応援してくださる皆さまのおかげです。ありがとうございます。
30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。
それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。
この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。
読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。
また、筐体設計と機構設計においては、当然にして駆動部が含まれる機構設計の難易度がはるかに高く、機構設計においては、すべての設計者ができる訳ではなく、一部の優秀な設計者が担っていることが世の中の実情だ。コーヒーマシンの扉の設計でいうと、扉本体はもとより、コーヒーとミルクを同時に出すための機構、メニュー選択するためのタブレット、透明体検知用のカップ検知、コーヒーカップを置くためのカップステージ、取出口シャッター、抽出中は手を触れさせないように取出口シャッターをロックするためのシャッターロック機構など、一般の方では知りえないレベルのものを要求される。再転職してから、1年半もの間、扉の設計だけを行っていた位、一筋縄にはいかないものであった。
精度はコンマ一単位のレベルで求められるのは当たり前。それに加えて、扉は、製品の顔ともいえる機構部であるため、顧客のデザイン変更で、いとも簡単に変更される。その度に、設計変更を余儀なくされ、その設計変更に優に1か月はかかってしまうものであった。最終的に、扉のパネル部を板金でいくかアルミ材で行くか、上層部で意見が異なり、それに幸助は振り回された。結局はアルミ材で行くことになるのだが、決まったのが、最終試作出図直前であった。正直、この小説では語りつくせないくらい、苦難・苦痛の連続であった。当然のように、残業時間や休日出勤も当たり前のように増えていき、当時は夜10時まで残業をしているのが当たり前であったし、最終試作前となると、さらに1か月間連続で休日出勤が続き、血便は出るし、精神状態はとても不安定となっていた。
俺は過労死してしまうのではないかと思った位、肉体と精神共に追い詰められた。その上、週末の介護である。この頃は、休日なんてものは存在しなかった。なんとか復職できたこと自体はありがたかったが、気づけばまた、かつてのような残業漬けの生活に戻ってしまっていた。
仕事自体はぎりぎりのレベルでこなせてはいたものの、このままでは心と体がもたないと思い始めていた。
それでも、仕事自体は以前よりも好きだと思えるようになっていた。やりがいも感じていたし、成長の実感もあった。皆からの信頼も厚くなっていた。ただ、心に余裕を持って働くことができない現実とのギャップに、もどかしさを感じていたのは間違いなかった。
そして、漠然と、「結局、自分はこのままサラリーマンとしては終われない」と思い始めた。
広告なしで全文無料公開中! 続きは2026年3月文芸社書籍で加筆修正版を!
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30歳のとき、僕の人生は音を立てて崩れた。
母のくも膜下出血による介護、うつ、解雇、転職失敗。
どれかひとつでも重いのに、一度に全部が襲ってきた。
それでも――
毎日「1日20分だけ」書くことを続けた。
この作品は、
人生のどん底に落ちた男が、
どうやってもう一度立ち上がったのかという、
“再生の記録” です。
読んでくださるあなたの人生が、
少しでも軽くなるなら、それ以上の幸せはありません。
また、筐体設計と機構設計においては、当然にして駆動部が含まれる機構設計の難易度がはるかに高く、機構設計においては、すべての設計者ができる訳ではなく、一部の優秀な設計者が担っていることが世の中の実情だ。コーヒーマシンの扉の設計でいうと、扉本体はもとより、コーヒーとミルクを同時に出すための機構、メニュー選択するためのタブレット、透明体検知用のカップ検知、コーヒーカップを置くためのカップステージ、取出口シャッター、抽出中は手を触れさせないように取出口シャッターをロックするためのシャッターロック機構など、一般の方では知りえないレベルのものを要求される。再転職してから、1年半もの間、扉の設計だけを行っていた位、一筋縄にはいかないものであった。
精度はコンマ一単位のレベルで求められるのは当たり前。それに加えて、扉は、製品の顔ともいえる機構部であるため、顧客のデザイン変更で、いとも簡単に変更される。その度に、設計変更を余儀なくされ、その設計変更に優に1か月はかかってしまうものであった。最終的に、扉のパネル部を板金でいくかアルミ材で行くか、上層部で意見が異なり、それに幸助は振り回された。結局はアルミ材で行くことになるのだが、決まったのが、最終試作出図直前であった。正直、この小説では語りつくせないくらい、苦難・苦痛の連続であった。当然のように、残業時間や休日出勤も当たり前のように増えていき、当時は夜10時まで残業をしているのが当たり前であったし、最終試作前となると、さらに1か月間連続で休日出勤が続き、血便は出るし、精神状態はとても不安定となっていた。
俺は過労死してしまうのではないかと思った位、肉体と精神共に追い詰められた。その上、週末の介護である。この頃は、休日なんてものは存在しなかった。なんとか復職できたこと自体はありがたかったが、気づけばまた、かつてのような残業漬けの生活に戻ってしまっていた。
仕事自体はぎりぎりのレベルでこなせてはいたものの、このままでは心と体がもたないと思い始めていた。
それでも、仕事自体は以前よりも好きだと思えるようになっていた。やりがいも感じていたし、成長の実感もあった。皆からの信頼も厚くなっていた。ただ、心に余裕を持って働くことができない現実とのギャップに、もどかしさを感じていたのは間違いなかった。
そして、漠然と、「結局、自分はこのままサラリーマンとしては終われない」と思い始めた。
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