春街花 -haru・machi・bana -


 結莉のおりる駅に着いた。

「羽矢斗さん、ありがとうございました。失礼します」
 心を込め微笑を送った結莉。

「うん、お家まで気を付けてね。また連絡しますね!」と羽矢斗。

(キャ――――! やったね、やったね!)
 羽矢斗のほうから『連絡をする』と言ってくれた! 幸せで天にも昇る心地の結莉。

 電車が動き出すと、羽矢斗は振り返って結莉を見ていた。結莉ももちろんずっと彼を見ている。そうして電車がミニチュアみたいに小さくなるまで見送った。

 帰宅し上機嫌でお夕飯の支度をする結莉。

(フフフ、羽矢斗さんは今日、カレーを作るかな?)

 道々会話したことを思い出し、頬は緩みっぱなし。

「ただいま、ママー」

 皐月が帰って来た。

「あれ? ママ、超嬉しそうじゃん! なんか良いことあったんでしょー。教えて、教えて!」

「ン? べぇつに~♪」

「あ! またそんなこと言っちゃって。なになに『ヒーロー』にでも会えた?」

 ドキリ! でもなんとなーく、羽矢斗のことはハッピーな内緒ごとにしておきたい結莉なのだ。
 それと……もう高校生ではあるが、娘として皐月が母親の恋をどう感じるか……羽矢斗と仲良くなりつつあることは、センシティブな事柄として大切に扱いたいと考えているのだ、母として。

 ――――その夜。

 結莉は寝室のベッドの上でゴロゴロしていた。ラジオからはムードのある女性シンガーのジャズが流れていた。

(ン~、良い感じ)

 羽矢斗との間で今日起きた、素敵なミラクルを思い返している。

 ベッドサイドのスマホが着信音を鳴らした。

(もしかして!?)

(羽矢斗さんからのROUL?!)
 結莉は1度大きく深呼吸してスマホを手にした。

 見ると……SNSのダイレクトメッセージだった。相手は、そう、ジャン・ロイドンくん。

 ジャンくんには申し訳ないが肩を落とす結莉。
(あたし、すっかり羽矢斗さんの虜ね。ジャンくんからメッセージが来てももう心が動かないもの……)

 DMに目を通す結莉。

(あれ?)

なんだかいつもと様子が違うジャンくん。

『つむじちゃんへ こんばんは、つむじちゃん。オレね……なんだかさ、つむじちゃんを惑わすような言動をメッセージでしていたと思うんだ。「つむじちゃんと友達になりたい」とか、ね』

 つむじこと結莉はどうしたのかな? と思いつつすぐにジャンくんへ返信を返した。

『ン? どうしたの? ジャンくん。あたしはジャンくんと音楽の趣味が合うし、すでにお友達だなと感じているよ』

 当たり障りのない返信だ……。

『え……と、オレ、オレね、実はつむじちゃんを女性として意識していた。だからつむじちゃんを惑わせてしまったかと……。なんでわざわざこんなことを言うかというと、オレ、好きな女性が出来たんだ』

 結莉は……なぜだか、羽矢斗さんに浮かれている筈なのに……なぜか嫉妬心を抱いてしまった。

(ジャンくんの気持ち、あたしから離れたんだ)

 羽矢斗を想いつつもジャンくんにも好きでいて欲しいと願う自分に罪の意識を感じる。

 ラジオからはブルージーなインストゥルメンタルが流れている。結莉は枕の端っこをギュッと掴んだ。

 自分のことをずるい、と思いつつも結莉は『羽矢斗さんを好きになった話』を一切出さずに居た。

『そうなのね。ジャンくんの気持ち……あたし、気づいていなかったわけじゃないんだ。なんとなく感じてた』

『つむじちゃん?』

『なぁに?』

『つむじちゃんには恋人が居るの?』

『ううん、居ないわ』
 本当のことだ。いや、嘘とも言える。
 羽矢斗さんからデートに誘われたじゃない。

『オレ、自分でもつむじちゃんになにが言いたいのかよくわかんない、ごめん』

 結莉は、ジャンくんの正直さが良いなと思った。
 ジャンくんとメッセージ上とはいえ接していると……やはり、羽矢斗との間でハートが揺れる。

「ママー、明日の夕方スーパー行くの~?」

 皐月が結莉の寝室に入って来た。

 結莉はスマホをおもむろにベッドに置き、起き上がった。
 そして「ンー、どうしよう。食材は結構あるから、明日はあるもので作るわ。行かない」と答えた。

「そう。あたしね、望のお母さんに御呼ばれしているんだよね、明日のお夕飯。行っても良い?」

「うん、もちろん良いわよ。また望ちゃんも家に呼ぼうね!」と結莉。

「そうね、ママ。あたし、お風呂入って来るね!」

「うん」

 皐月が寝室を出て行ったあと結莉はまたベッドに寝そべり、スマホを手にした。

『……謝ることないよ、ジャンくん。気にしてない』と返した。

 結莉からの返信まで間があったせいで、席を外したのかジャンくんの既読はなかなかつかない。

 ジーッとスマホ画面を見つめる結莉。でもそのうちウトウトして来て、うたた寝した。

 気づくと22時。

(あ! ジャンくんから返信が来てる)
 20分前だ。

『そう言ってくれてありがとう、つむじちゃん。オレ……「好きな人が出来た」とか言いながらこうしてつむじちゃんとDMしているのって駄目な奴かなぁ? つむじちゃん、優しいからさ。マジで嫌だったら返信しなくて良いからね!』

 結莉はなぜかジャンくんとこうしてやり取りしていると心が和む。
(友としてなら別に良いよね?)と自身に言い聞かせ、答えた。

『ううん、ジャンくん。駄目な奴なんかじゃないと思うよ。そんなこと言って居たら“ハートのたまご”のSNSだって誰も書き込みできなくなっちゃうじゃん? あそこでもみんなでコミュニケーションして居るよ?』

『うん、そだね』

『うん』

『あー、オレ、急におでん食べたくなってきた! 独りだとさ、作らないんだよね』

(あ、[好きな女性]へは片想いなのかな? ジャンくん)

『そうね、おでんをどうせ作るならたくさん作りたくなっちゃうから一人だとなかなかだよね! うちは娘が居るからさ』

『え、つむじちゃん、お母さんだったの? お便りやSNSの文面からそういう雰囲気が一切しなかった』

『うん。“ハートのたまご”で家族のことを言ったこと無かったものね! あたしはシングルのママだよ』

『そっか~、偉いなー。つむじちゃん』

『ううん。しっかり者の娘に助けられてばっかりよ』

『オレはずっと未婚です。結婚生活は憧れだよ。あ! もう10時過ぎてる?』

『うん、過ぎてるよ。ジャンくん、明日早いの?』

『オレ、まだ風呂入ってなかった。ううん、そんなに早くないけどね!』

『じゃあ、お風呂に入って、あったまってくださいな』

『ありがとう、つむじちゃん』

『うん、おやすみー』

 そこでジャンくんとのチャットのようなDMは終了した。
 スマホを持ったまんま、瞳を閉じる結莉。

(ジャンくんってどんな人なのかな……たぶん……前髪長めの黒髪で、きりっとしたお顔。細身で背が高い……)

 妄想の世界で遊ぶ結莉。

(……って、あたしって、やっぱ気が多い女なの? やーね)

 そして、羽矢斗が今日連絡をくれなかったことをちょっぴり残念に思う。

([今日連絡するよ]と約束していたわけじゃないしな)

 結莉のドキドキ感はそよ風に撫でられる風船のように羽矢斗とジャンくんを行ったり来たり。

 ――――翌日。

「いってらっしゃい、皐月。気を付けてね!」

「うん、ママ。学校からそのまんま望の家に行くよ?」

「そう。わかった。帰り、気を付けて帰っておいでよ。帰りはスマホの防犯ブザー、セットしてからね」

 皐月の親友・望ちゃん宅は自転車で10分もかからない。それでも、目に入れても痛くない年頃の娘は心配な結莉だ。心の病があるゆえ、余計になにかと気がかりでならない母親なのだ。

 洗濯をしながら掃除機掛けをし、お天気も良いのでついでに雑巾がけも。
 家事に精を出す結莉。今日は体調がなかなか良い。

 結莉は「ンー、お布団も干したし、今日のあたしは花マル!」と声に出してみた。

(今頃、皐月、望ちゃんのお家で楽しんでいるかな)

 夕方6時半だ。

 電話が鳴った。
 急いで電話を取る結莉。

「はい」

『もしもし、結莉さん? オレ、羽矢斗です』

「あ!」

 確かに羽矢斗の声だ。「デートしましょう」と言ってくれたあの時の、羽矢斗のセクシーな声。

『突然、電話しちゃったけど良かったですか?』

「ええ、もちろんよ。羽矢斗さんのお電話をずっと待っていたの」
 素直に伝える結莉。

『嬉しいな。本当はきのう出来れば良かったんだけど、なんだか緊張してしまって……』

(すごくクールな感じがするのに、なんて可愛いの! 羽矢斗さん、ギャップに萌えちゃうわぁ)

「そうなんですか。あたしも……ドキドキしています……。あ、羽矢斗さん、カレー、きのう作れましたか?」

『はい。頑張って作ってみました。せっかく結莉さんがお話しくださったから、牛乳を入れてみました。いつもより甘くなり食べやすかった。アハハ』

「そう! それは良かった」

『結莉さん……』

「はい」

 なにか言いたげな羽矢斗の声に身体中の脈が速く打つのを感じる結莉。

『沈丁花のお花の香りを、早く一緒に嗅ぎたいです』

 キュン! キュンが止まらぬ結莉。
(まるで[月が綺麗ですね]の愛情表現のようだわ、なんてロマンチック……)

「はい、羽矢斗さん。あそこ、ね。あたしが中腰にしていた場所。株式会社うちわ金魚の近く」

『うん。あの……あそこの近くに素敵なレストランがあるんですよ。“ローザ・フェルグ”という名前だよ。スウェーデン語で“薔薇色”という意味なんだって』

「わ~、素敵! じゃあ、スウェーデンのお料理なんですか?」

『ううん、残念ながらそうではなく普通の洋食屋さんなんだけどね! ナポリタンがとっても美味しいの。広々とした落ち着いた雰囲気の店だよ』

「そうなんですね」

『その……そこへ結莉さんを、お誘いしたいな』

「嬉しいです……! あたしはお仕事をしていないのでいつでも……あ、でも娘が居るから日中じゃないと……となると、羽矢斗さんはお仕事ですよね」

 喜びを隠し切れない結莉だ。

『うん。でも、実はオレ、有給が超余っているんですよ。あさってとか……いかがですか?』

「はい! OKです」

『良かった。あ……結莉さんのお家の最寄り駅で待ち合わせましょうか。電車……そのほうが安心でしょう?』

 結莉は羽矢斗の気遣いに感激した。

「ええ、本当にありがとう。心強いわ、羽矢斗さん。ホームで待ち合わせましょうか?」

『あ、そうしようか。わかりました……。「心強い」なんて結莉さんに言って戴けて光栄だよ。レディーを守るのは当然の行動ですよ』

 天にも昇る心地で言葉を失う結莉。

「では、あさって」

『うん、楽しみにしています』

 電話を切って、結莉は部屋の中をちょっと踊ってみたりした。ダンスなんて習ったことないけど。ラブが溢れている!

 娘の皐月が夜8時前に帰って来た。

「ただいま、ママ」

「おかえり! 皐月!」

「なに、ママ、めちゃハイテンション。またまたなにやら良いことがあったの?」

「ウフフ」

「ママは最近ごきげんね」

「うん。皐月、望ちゃんのお家ではなにをごちそうになったの?」

「うん! すっごくコクのある美味しいカレーライスだよ。うちのカレーとはまた違う美味しさがあった。スパイシーな感じ!」

「へ~。良いね! 望ちゃん、元気にしているの?」

「もちろんだよ。元気すぎるぐらい! キャハ。彼氏のお惚気が止まらないんだから、」あの子は」

(そうだよな、もう高校生だもんな……恋人も出来るよね)
 皐月がダメンズに引っかかりませんように! と祈る母であった。

 ――――そして、いよいよデート当日。

 早起きしてバスルームで念入りに良い匂いのするボディーソープやシャンプーで髪もお肌も磨き上げる結莉。
 ついつい鼻歌が出ちゃう。

 10時に結莉宅の最寄り駅のホームで待ち合わせた。隣駅から羽矢斗はやって来るので、羽矢斗が1度電車を降りる形だ。

 メイクにも気合いが入る。でも厚化粧なんかにならないように、可愛らしく。
 グロスをポンポンと載せ、ルビーのように煌めく唇にした。

 ロングヘアーは下ろし、ペパーミントグリーンのニットのミニのワンピースにロングブーツ。上着はベージュのノーカラーコートを着た。来たる春色先取りのコーデだ。

「あ! ママ、今日お出かけ?」
 おしゃれをしている母親を発見し尋ねる娘。

「うん。ウィンドウショッピングして来るだけよ。新しいパンプスを見て来るわ」
(皐月、でまかせ言って御免)と心の中で頭を下げた。これも実は結莉なりの親心。

 皐月は表向き、明るい子だし、大らかな面もあるが、繊細なところを持っている。
 それは……先に述べたよう、夫から結莉へのDVがある環境に育ったということが大いに影響しているかもしれない。そのことを思い度々結莉は胸がギュッとする。
 おいそれと「デートなの~」とは……皐月を寂しがらせそうな気がして言えない。

「そうなんだ。素敵な靴が見つかると良いわね、ママ! じゃああたし、いってきまーす」

「は~い、いってらっしゃい、皐月。気を付けてね!」

「はーい」

 家の中で一人になると結莉は、羽矢斗の香りや照れ隠しする表情などが想われ……胸の高鳴りが抑えきれなくなってきた。