――――いよいよ羽矢斗が結莉宅を訪れる土曜日がやって来た。
結莉はいつもの部屋着ではなく、ちょっとだけドレスアップしている。ピンク色のミニのタイトスカートに白い柄タイツ。黒いブイネックのニットを着ている。
(皐月、どんな様子かな~)と結莉が気にして見ると、皐月はいつも通りの紺のスウェットの上下だ。
皐月らしくない。本来とってもおしゃれな子。お客さんが来るとわかっていれば、おめかしするのが皐月だ。
母・結莉は直感でわかる。すねているんだなと。だから恐らくわざといつも通りなのだ。
なにを着ようと皐月の自由だ。そんなことをあれこれと結莉は言わない。
約束の時刻は10時。
ソワソワが止まらない結莉。羽矢斗にやっと逢える嬉しさよりも、皐月の心だ。大丈夫かな、と思う。
親を独占したいゆえの嫉妬というものは非常に物悲しいものだ。まるで自分が間違っているかのような錯覚すら起こす。(ママの幸せを喜べない自分はダメだ)と罪悪を感じたり、逆に(あたしのママを奪って!)と母の恋人を憎たらしく感じる場合もあるのだ。
それらの感情を全部結莉は経験済み。
皐月はソファーに寝そべりスマホをずっといじっている。その指はゴールドとピンクのネイルに彩られているが、なにもそれはお客さんである羽矢斗のためではなく、いつもの癖。土日はネイルを塗るのが皐月の楽しみだから。
まだかまだかと、10時を過ぎ、結莉はキッチンをウロウロする。
10時10分に玄関チャイムが鳴った。
大慌てで玄関へ駈けて行く結莉。皐月はまだソファーに寝そべっている。
「来たよ、結莉。こんにちは」
「はい、羽矢斗、上がってください」
結莉にリビングへと案内され、短い廊下を歩いて行く羽矢斗。
「あっ」と一瞬羽矢斗がちょっぴり驚いた。
……。だって皐月は、羽矢斗が来たというのに、まだソファーを陣取りゴロゴロしているのだから。
「皐月、起きてちょうだい。羽矢斗さんがいらしたのよ」
皐月は口を尖らせ起き上がり座った。
「初めまして、皐月ちゃん。こんにちは。僕は戸川羽矢斗と言います」
「こんにちは」
挨拶をした皐月は上目遣いに、ジーっと羽矢斗を見ている。人間性を見極めてやろうとでもしたそうに。
「あ、あたし、お茶を淹れるね!」と、結莉はキッチンへ急いだ。
折角の玉露茶が苦くなりそうだ。余りにも緊張している結莉。
お盆に3人分の湯吞み茶碗と急須を載せ、リビングへ結莉が戻った。
羽矢斗と皐月はなにもしゃべっていない。皐月はまたスマホをいじっている。羽矢斗は穏やかな雰囲気でソファーに腰かけている。結莉と違い彼はまるで全然緊張していないようだ。
結莉は皐月の隣に座った。向かいに羽矢斗が居る。
「皐月、これからお話をするのだからスマホは置きなさい?」
「はーい」
皐月はちょっぴり不服そうにスマホをスウェットのポケットにしまった。
「皐月ちゃん、お母さんから聴かれていると思いますが、僕はお母さんと交際しています」
「ジャンくんだよね? 『ハートのたまご』の」と皐月は、あんまり表情のない顔で言った。
「はい」と羽矢斗が答えた。
「ママさ、最近ずっと聴いてないよね、『ハートのたまご』」と結莉のほうを向く皐月。
「ああ、うん、そうね」
「なんでなの? 好きな人……羽矢斗さんが誰かとコミュニケーションしてないかな~とかさ、気になんないの? 他の女の人とか」
結莉は皐月から意外な質問を投げかけられ驚いた。でも答えた。
「ンー、そうね……ママはヤキモチ焼きだから、そう言われるとちょっと気になっちゃうけど、羽矢斗さんはママを大切にしてくださって居るから、そこまで気にならないよ」
そこで羽矢斗が言った。
「皐月ちゃん、僕ね、皐月ちゃんのことも大事に思っています」
皐月は「なんで?」と言った。
「お母さんを愛しているから、お母さんが一番大事にしている人のことを大事だと思うのは自然なことだよ」
そう羽矢斗は言い切った。
束の間黙り、皐月は「ふ~ん」とだけ返した。
「あたし、なんだか疲れて来ちゃった」と皐月。
羽矢斗が結莉宅にやって来てまだ15分といったところだ。
「皐月ちゃん、ゆっくり休んでください。僕は帰るね」
実に優しいトーンで皐月に声をかける羽矢斗。
「結莉、美味しいお茶をごちそうさまでした。またね」
そう言って羽矢斗はソファーを立ち上がった。
「皐月ちゃん、お休みのところありがとう。失礼します」
もう一度皐月に声をかける羽矢斗。
結莉はなにも言わずに黙っていた。
皐月はそそくさと自室に入り扉を閉めた。
玄関まで羽矢斗を送る結莉。
「すみません、羽矢斗」
「ン、なにがだい? 結莉」
「あの子、皐月、あんなにぶっきらぼうな態度をとって、羽矢斗さんに対し失礼だわ」
「結莉? オレにいろいろ子どもの時の話もしてくれたよね? その結莉ちゃんなら今の皐月ちゃんの気持ちを知っているでしょう。オレたちの間でそんな変な気遣いは無しにしようよ?」
確かに……結莉はこれまで羽矢斗に逢う度、自分の過去も沢山語って来た。子ども時代に孤独だった話も。
「ありがとう、羽矢斗!」
結莉の瞳が潤む。
「また電話するからね、結莉」
小さめの声で羽矢斗は結莉にそう言った。
「うん」
「じゃあ、行くよ」
「はい。気を付けてね。本当にありがとう」
とても優しく微笑み羽矢斗は去った。
リビングへ戻ると、皐月が部屋から出て来ていた。
「ママ、羽矢斗さんと結婚して良いとは言わないけど、付き合うのは良いんじゃない? 悪い人じゃなさそうだし」
皐月はボブヘアーのパッツン前髪を抑えながら言った。そして、それだけ言うとまた自分の部屋へと入って行った。
結莉は複雑な心境であろう皐月を思うと切なくもあるが、羽矢斗の人間性を認めてくれたことがとても嬉しいと思った。
その上皐月は『母と母の彼氏の交際』を認めてくれたのだ。
サッと居なくなってしまった皐月だが、嘘なんか言わない子だとわかっている結莉。
嫌なものは嫌だとはっきり言う皐月だと知っている母親の結莉。
それは素直に嬉しい。
これからはコソコソせずにお付き合いしようと心に決めた。しかし結莉は絶対に忘れない。自分の母親がしたようなことはしない。
結莉の母は、恋人にベッタリでほぼ結莉はネグレクトされていた。
なにも『母親業だけ』にこだわろうとは考えないが、皐月を寂しがらせてなるものかと胸に誓った。その上で、女性としての幸せも追いかける決心をした。
(皐月、ありがとう)
心から今そう感じる。
結莉は子どもの頃、母の女性としての幸せなど考えられなかった。許せなかったと言っても良いほどだ。
しかし皐月は皐月なりに精いっぱい結莉に心を配っている。
翌日の日曜日、いつもは親子でスーパーへ行くが「今日は行かな~い」と皐月が言う。購入した食料品を持つ人が減る分、若干ユウウツになった結莉だが、皐月の今の葛藤をわかってやりたい。
――――月曜日。
今日は10時半に羽矢斗が結莉に電話を掛けて来た。
「もしもし、羽矢斗。きのうはありがとう。今日は早いのね、休憩?」
「ああ、結莉が落ち込んでいないかなってさ、気になってね」
「ううん。羽矢斗、皐月ね『結婚して良いとは言わないけど、付き合っても良いんじゃない? 悪い人じゃなさそうだし』って羽矢斗のことを言ってくれたのよ!」
「そうか。優しい良い子だね、皐月ちゃん」
「うん。羽矢斗、あたしね、明日通院です。送ってください」
「そか、うん。わかった」
デートではないけれど、久しぶりに羽矢斗と一緒に電車に乗り、手を繋げる。それだけで飛び上がるほど幸せな気分の結莉。
皐月に「交際しても良いんじゃない」と言われても、お夕飯までには必ず帰ってやりたい。皐月はそう考えている。結莉はこれまでみたいに皐月に嘘はつきたくないと考えた。「パンプスを見て来るから遅くなるかも」なんてもう言わない。
となると必然的に、羽矢斗と男女の関係を深めるために愛し合うロマンチックな時間は減るだろう。
(今はまだ、長時間のデートはお預けにしよう、先ずは皐月の心の安定を考えてやろう)と思う結莉だ。
羽矢斗に電話で思いを話した結莉。
「結莉、オレ、結莉のことが本当に好きだ。皐月ちゃんを大切にする結莉がとても素敵だよ。オレ、ますます結莉を好きになった」
「わかってくれてありがとう、羽矢斗。凄く好きよ。心から愛しています」
――――翌日の火曜日。結莉のクリニック通院日だ。
いつもの電車をホームで待ち焦がれる結莉。右手薬指のペアリングをおひさまにかざす。キラリ。
結莉は指輪を皐月に隠すことなく、肌身離さずはめるようになった。
ビュン! と電車の風が結里の黒髪を乱した。手櫛で整える結莉。
電車が停まった。羽矢斗がおりて来た。
「結莉」
愛する人の顔だ。
結莉の手を引く。
「この電車で行っちゃう? 結莉?」
「うん」
すぐに二人は今来た電車に乗り込んだ。朝はやはり満員。羽矢斗は向かい合わせでしっかりと結莉を抱いた。結莉を守るように。
体と体が……とても密着している。恥ずかしいくらい。けれど結莉は幸せの極み。羽矢斗を見上げ瞳を見つめた。羽矢斗の顔が赤らんだ。
(あたし達もう、深い仲なのに……羽矢斗も恥ずかしいのね。可愛い)
そうして駅に到着し、残念ながらギュギュー詰めから解放されてしまった結莉と羽矢斗。
でも、今日だってもちろんオフィス『うちわ金魚』まで、指と指を交差させる恋人繋ぎで歩くのだ。
「ねー、結莉? 皐月ちゃんはさ、なにが好きかな? あとどこかドライブへ行くとしたらどんな所へ行きたいかな?」
羽矢斗が『結莉と結婚したくて』という思惑からではなく『皐月を純粋に喜ばせたい』という気持ちが結莉に伝わって来た。
「ンー、皐月はね、少女趣味なのよ。乙女チックなものを好むわ!」
「あ、ママに似ているんだね」と笑顔の羽矢斗。
「だって、結莉、いつも可愛いもん!」ですって。
「ありがと」
外だけど、結莉は歩きながら上を向き、羽矢斗のほっぺたにキスした。
「結莉、可愛いよ」
恋人繋ぎはほどかれ、羽矢斗の手は結莉の細い腰を抱いている。
「あ、あとね、遊園地が好きよ! 皐月は」
「そうかー。遊園地、三人で行けたら楽しいだろうな~。って、皐月ちゃんの気持ち、考えずにしゃべっちゃってるけど」
「あ、羽矢斗? あたしから『三人で行こうと羽矢斗からお誘いを受けているよ』って、皐月に話してみても良いかな?」と結莉。
「うんうん、ぜひ皐月ちゃんを誘ってみてくれる?」
遊園地なんて長らく親子で行っていない。結莉の心の病ゆえ、人混みが辛いのでそんな所に出掛けられないのだ。娘の皐月は結莉を良くわかっているから「遊園地へ行こう」などとはねだらない。
結莉は母親として本当は、もっと皐月を楽しい場所に連れ出してやりたい思いがある。
羽矢斗の会社『うちわ金魚』の入ったビルが見えて来た。
「結莉、それと……また都合がついたら有給とるからね。二人きりになれる場所でゆっくりしよう」
そう言った直後、なんと! 羽矢斗は通勤路だというのに結莉の唇を奪った。
ポーっとしちゃう結莉。
「じゃ、いってきます! 結莉」
「はい。いってらっしゃい……」
羽矢斗の唇の感触が消えない。
*
帰宅し結莉は、ドキドキしつつ皐月の帰りを待っていた。
「ただいま~」
羽矢斗の訪問があった日から日にちが経つにつれ、母子はだんだん元の仲良しに戻りつつあった。
「ママ、おなか空いたよー!」
今日はオムレツと、皐月の好物ミカン入りポテトサラダをたっぷり作ってある。
「うん、皐月、手洗い・うがいしておいで。ごはん食べようね!」
「うん。ママ、嬉しそう。あ、そか。今日は通院だったから羽矢斗さんに逢ったのね」
「うん、そうだよ」
「いただきまーす!」
親子で声を揃え食事タイムだ。
「皐月『三人で遊園地に行かない?』ってね、羽矢斗さんに誘われたよ? どう思う? 皐月の正直な気持ちを聴かせて欲しいな」
「遊園地!? ママ、あたし連れて行ってもらいたいよ! だって、遊園地って……えっと、5年ぐらい行ってないよね、ママ?」
「うん、そうね。ママがああいう所が苦手なばかりに、ごめんね」
「ううん。謝らなくて良いよ。それで、ママは今、平気なの? 遊園地」
心配そうに母を気遣う娘の皐月。
「ママね、ン~……正直に言うね。羽矢斗さんが居るとすっごく心強くて、いろんな場面で平気になっちゃうの」
皐月は真面目な顔をして「そうなのね」と言い、結莉の言葉を聴いている。
「人って不思議ね。例の事件……痴漢に遭った後ね、ママは皐月に嘘をついたわ。ごめんなさい。細かく言えば半分は本当だけど。ヒーロー・羽矢斗さんとなんとか二人きりで偶然にでも逢いたくて……確かにママは、皐月のクリニック付き添いを断った。でも、皐月が『高校に来た性暴力に対する対処の仕方をレクチャーするグループの人達の話をしてくれたこと』『「ママ! 大きな声を出すのよ!」と、皐月が励ましてくれたこと』それらで勇気が湧いてき来たのも事実よ。人は人にパワーを与えるのね!」
皐月は、なにか考えているようだった。



