結莉と羽矢斗の熱情は周りの景色を溶かしそうなほどだ。
二人はホテルを出たあとも、もつれそうになりつつくっついて歩いた。
時々結莉は隣を見上げて羽矢斗の視線を求める。すぐに応える羽矢斗。絡み合うラブリーな瞳と瞳。
心の片隅で結莉は(皐月にどう話そう……? 大丈夫かな、皐月)と気がかりではあるが。
羽矢斗から受けたプロポーズのことだ。
「結莉? 結婚のお話、ね、慌てなくて良いんだよ。そりゃあオレは……今すぐ三人で暮らしたいと思っているけどね。皐月ちゃんの気持ちを第一に考えようね」
まるで結莉の心が見えているかのような羽矢斗。
結莉は「うん」と、羽矢斗の肩に頭をちょこんと載せた。
絵に描いたようにファンタスティックな恋人同士が電車に乗ったのは午後3時半。少しだけ混んでいたが二人は座席に並んで座れた。
ずっと手を繋いで離さない羽矢斗と結莉。結莉は心地良くモジモジしている。羽矢斗と一緒に居ると少女に戻れるのだ。
羽矢斗は電車の中でクールな表情だが、時々結莉と目が合うと匂い立つような艶っぽい視線を結莉に浴びせる。
(羽矢斗と結婚できるなんて……夢みたい!)
結莉の中にあった『ジャンくんへの戸惑い』はどんどん消えて行く。
お別れの駅に着いた。結莉が電車をおりるため立ち上がると、羽矢斗も立ち、扉まで行く。しっとり濡れていた二人の掌が離れた。切なくなる瞬間。また逢えるのに。
ゆっくりと電車が動き出す。笑顔を絶やさず、電車に乗っている羽矢斗を見送る結莉。羽矢斗は一瞬真剣なまなざしを見せた。
(愛されている)
結莉は強くそう想った。
改札を出ると雨はすっかりやんでいた。赤い傘を左手に持ち、右手の人差し指を顎に当てている結莉。考えているのだ。
(皐月に、どう切り出そう?)
結莉は思い悩むが、幸せな心地に溢れている。
(この安心感を、可愛いあたしの皐月にも味わわせてあげたい)
結果、そのまんまを自然にありのまま羽矢斗とのこと話そう、と考えは辿り着いた。
結莉がスーパーに寄り帰宅したのは17時過ぎ。皐月はまだ帰って居なかった。
すぐに部屋着に着替えエプロンを着け、夕飯の支度に取りかかる結莉。食べたくて、今日は簡易的な素を使った寿司ごはんにする。
錦糸玉子を焼き、スーパーで買って来た青じそと、カニカマ・お造りを切って行く。
ごはんはセットしていたので炊き上がっている。
サーモンとマグロを切っていると「ただいま~」と元気に皐月が帰宅した。
「おかえり、皐月。バスが混んでたんじゃない。お疲れさま!」
「うん、いつも通りよ。やっぱ雨だと混むよね。フ~、疲れたー……。あ!」
キッチンのお刺身を見て嬉しそうにする皐月。
「ママ、今日のごはんはなぁに?」
「うん、なんだか食べたくってさ、寿司ごはんにするよ!」
「やったー! 寿司ごはん久々じゃない?」
「うん。そういえばそうね!」
機嫌よく皐月は洗面所へ向かって行き、そのあと自分の部屋へ入って行った。
結莉は、羽矢斗とのことを、美味しく食事を済ませた後に落ち着いて皐月に話そうと決めた。
――――「ハ~、おなかいっぱい! ママのお料理はいつも美味しいよ!」
皐月はおかわりをしよく食べた。結莉も山盛りの寿司ごはんを戴いた。
(うん、今日はわれながら美味しさ増し増しだったな!)
ウキウキする心地の結莉。
羽矢斗からプロポーズを受けたんだもの! 歓びを抑えるなんて難しい。
「ごちそうさまでした」
手を合わせ、声を揃える仲良し親子。
早速結莉は切り出した。
「ねえ、皐月?」
「うん? ママ、な~に?」
「うん。洗い物が済んだら話したいことがあるの」
「え? なに、なに~? 超気になるー。良いこと? だよね? ママの表情がそう言っているよ? あたし、お皿を洗うの、手伝うよ! 早くお話を聞きたいもの」と皐月はテーブルの食器をシンクへ運び始めた。
「うん。ありがとう、皐月」
結莉は洗剤をしみ込ませたスポンジを泡立てキュッキュとお皿を洗う係。皐月はそれらの泡をお湯で綺麗に洗い流して行く係。母子が炊事場に並んで立っている。とっくに皐月は、小柄な母親の身長を追い越している。実は小学6年生の時に!
なんとなく隣の皐月を見「皐月また背が伸びたんじゃない?」と微笑む母・結莉。
「そーお? 体重も一緒に増えちゃうとやだな~」と言って皐月は笑った。
「良いのよ、皐月は別嬪さんなんだから、ね!」
あと皐月が洗い流すのはしゃもじ1つだけ。
さあ、洗い物は終わった。
二人はソファーのあるリビングへアイスミルクティーのグラスを持ち移動した。
そして向かい合う母子。
「ママね、皐月、好きな人が出来たんだ~」
自然と結莉の口をついて出た。
皐月は「あ! そうなの? 素敵! ママ、良かったじゃない。で、誰? もしかして……」
「うん、そう。皐月の予想通りよ、たぶん」
「あ! あのラジオの人ね? ジャンくんっていう」
「うん、それが……」
と、結莉は、痴漢から自分を守ってくれたヒーローとジャン・ロイドンくんが同一人物で驚いた経緯なども話した。
「そう。ママのことを守ってくださったのね」
皐月は、結莉の話を真剣に話を聴いている。
「それにしてもママ、驚いてね、最初……ジャンくんとその、羽矢斗さんという男性を同じ人だと受け入れるまでちょっと時間がかかったわ」
「うんうん。あ! あの時ね、ママ? 『ローザ』……」
「そう『ローザ・フェルグ』」
「うん、ママ。『ハートのたまご』のリスナーさんの集まりが『ローザ・フェルグ』であった、あたしのお誕生日祝いの時」
「そうなの。そこで『羽矢斗さん』のことを他の人が『ジャンくん』って呼んだからね、ママ、口から心臓が飛び出しそうになったよ」
「うん、うん」
ミルクティーをストローで飲みつつ皐月が返事をする。
「羽矢斗さんは、とっても優しい人よ。皐月?」
「うん?」
結莉はちょっと緊張した。
でも娘に打ち明けた。
「ママ……羽矢斗さんにプロポーズされているの」
その瞬間から、皐月の表情がこわばった。
「皐月……。皐月?」
娘が心配になり名前を呼ぶ結莉。
「あたしはどうしたら良いの? ママ」
「あ、あの、羽矢斗さんは『皐月ちゃんに会って話をしたい。結婚は慌てない』と言っているわ。『いつか三人で暮らしたい』と……」
皐月がミルクティーを飲み干しグラスをそっと置いた。
「あたし、ヤダ」
「……」
結莉はなにも言えない。
少し自分は浮かれていたかもしれない、とその時思った。
それと、皐月の繊細な性格を思うと、今の皐月の気持ちに対し察しはつく。
「知らない男性と暮らすなんて嫌よ。たとえママが愛する人でもね。あたしは『父親』って酷い生き物だと思って居るし」
胸を抉られるようだ、結莉は。
(この子の心を守ってやれなかった、あたしは。DVに遭いながらずっと離婚をしなかった自分が呪わしい。皐月の感覚はとっても自然なものだわ)
「ごめんなさい」
母・結莉は、皐月に頭を下げた。
「なにを謝ってるの?! ママ? パパといつまでも離婚しなかったこと? それとも、その羽矢斗さんとかいう男性と恋に堕ちたこと? わけわかんないよ!」
皐月はそこにあるクッションを床に叩きつけた。投げつけた。
「謝っているのは『パパと離婚しなかったこと』よ、皐月」
でも、今の皐月は嫉妬もしているんだな、と感じた。母を取られるような寂しさ。母の愛を失うような寂しさ。娘である自分が蚊帳の外であるかのような。きっとそうだ。
結莉は「皐月!」と叫び、皐月を抱きしめた。
が、皐月は凄い力でそれを振りほどき、結莉の肩を押した。
「皐月!」
結莉の口から怒号が響いた。
「暴力はいけない! あなたが悲しくても!」
結莉自身が今、胸が潰れそうなほど悲しい。
皐月は黙って、怒った顔をして自室にこもってしまった。
(あたしが羽矢斗と付き合い出したことを喜んだ顔をして聴いていた皐月。あれは演技だったの? いいえ、違うわ。あの子は正直すぎるぐらい正直な子。でも、羽矢斗との交際自体にも半分ヤキモチがあるのよね……)
痛いほどわかる。
なぜなら、結莉自身が経験して来たことだったから。結莉の母親は結莉をシングルで生んだ。
そして彼女にはいつでも恋人がおり、半ば同棲して居たようなものだった。
結莉は独り占めしたい母親を独り占めできぬまま育ったのだった。
(あたしは……情ないわ。母さんと同じことをしているというの?)
――――次の日も、そのまた次の日も、皐月は結莉が朝の挨拶をしようとも「おかえり」と言おうとも一切しゃべらない。
羽矢斗には、ありのままを事の翌日、結莉は電話で話した。
羽矢斗は胸を痛めた。
そして「無理はない。年頃だし、ママと皐月ちゃん二人でがんばって来たんだ。そこへ知らない男性がいきなり入って来るなんて……皐月ちゃんは今孤独だと思う」と言った。
結莉は頼りない思いだ。自分の命よりも大事だと言える皐月、その皐月が寂しい気持ちになっていることが辛い。
「見守ってあげよう。もちろんオレの話は皐月ちゃんに出さないでね、結莉」
「はい……」
――――大喧嘩から3日経った夕方。
2日間連続で皐月は自室にごはんを持ち込み食べていたのだが、今日はキッチンの椅子に黙って座った。
結莉はたったそれだけが嬉しくてたまらない。
なにも言わず2人分のごはんとおかずをよそい、席に着き「いただきます」と穏やかに言って食べ始めた。
皐月がなかなか料理に箸を付けない。
「皐月、食べよう?」と優しく言う結莉。
「ママ?」
「うん」
「肩を押して悪かったわ。謝ります。ごめんなさい」
結莉は、泣けて来てしまう。娘への愛おしさと申し訳なさと、嬉しいような感情がないまぜになっている。
「うん。皐月、ママも謝ります。怒鳴ったりしてごめんね!」
「ううん、良いの! あたしが暴力を振るったんだもの。ママ赦してね。ママ?」
結莉は鼻汁をティッシュで拭いつつ返事をする。
「うん?」
「あたしさ、羽矢斗さんの話、聴いてあげても良いわよ。ただし聴くだけ。なにもママと羽矢斗さんの結婚を認めようとは思っていない」
「うん、うん。わかった。じゃあ、お家に呼んでも良い? それともどこかのお店が良いかしら?」
「家で良いよ」
少々ぶっきらぼうに皐月は答えた。
「うん。じゃあ羽矢斗さんに明日伝えるね」
「うん」
結莉は今、羽矢斗と結婚できなくても良いと感じている。結婚がすべてではないと。目の前にある宝石のような輝きを、鈍らせたくないのだ。キラキラとした皐月の命の輝き。躍動。
――――羽矢斗が家に来るのは今週の土曜日、と決まった。
親子喧嘩の一件から、結莉と羽矢斗は逢っていない。それは羽矢斗と結莉、共通の意向であった。皐月の気持ちを一番に守ってやろうと。
皐月が学校へ行っている間の電話は毎日していた。
「ありがとうね、結莉。オレの話を皐月ちゃんにしてくれて。でも、辛い思いをしているね。大丈夫かい?」
「ううん。皐月は思いやりのある良い子よ。喧嘩はしたけど、素直に謝る子なんだから。もしもあたしが……結婚出来なくても、愛し続けてくれますか? 羽矢斗」
羽矢斗は即答した。
「当たり前じゃないか、結莉。形なんかじゃないさ。オレにとって結莉以外のパートナーは考えられない。永遠に愛するよ……。指輪に刻んだ言葉を忘れないで」
Eternal.
「うん、羽矢斗、愛してる……」
「オレもいつも結莉を愛しているよ」
皐月はなにを思っているのかな、と羽矢斗を初めて家に招く土曜日まで、考え続ける結莉。
皐月は結莉に対し攻撃的になったり、卑屈な態度を取ったりはしないが、以前より結莉との会話が減っている。当然であろう。皐月だって来たる土曜日をあれこれ感じているに違いない。



