春街花 -haru・machi・bana -


 電車に乗ると1人分あいていた席を、皐月は結莉に譲った。自宅の最寄り駅に到着し、歩き始めてからも親子はなにをしゃべることもなく、家まで静かだった。

 結莉は、羽矢斗が明日のお昼休憩に電話をくれるだろうと考えた。
(待って居よう)

 過呼吸は落ち着いたが、帰宅してもブルーな結莉。でも今日は皐月の16才のお誕生日だ。

「あ!」
 結莉が突然大声を上げたので、皐月は母・結莉のそばで飲んでいたコーラをこぼしそうになった。

「どうしたの! ママ、ビックリする~」

「ごめん、ごめん、皐月。ちょっと待っていてね!」
 結莉の表情がフッと明るくなった。

「ン、うん……」

 パタパタッと自室へ行き、ドアを閉めた結莉。クローゼットまでやって来た。そう! 皐月へのバースデープレゼントを隠して居たのだった。

 真っ赤な大きな紙袋をガサゴソッと取り出す。
「おまえ、ごめんね。こんな暗い所に隠したまんまだったね! さ、行こ」
 大きなプレゼントに話しかける結莉。

 そうして結莉はいそいそと部屋を出て行った。

 皐月の元へと戻り、結莉は歌い始めた。
「♪ハァピ~バースデーイ、トゥーユー……ハッピーバァスデイ……ディーアさぁつき~……ハ~ピーバースデイさーつきー」

 普段真ん丸な皐月の瞳が細くなっている。喜び笑んでいるのだ。

「はい! 皐月、ママからのプレゼントを受け取ってね」
 結莉は皐月がテディを見たらどんな顔をするかな、とドキドキして居る。

 結莉が歌い終わると拍手をした皐月は、プレゼントを受け取った。
 すぐに大きな袋をのぞき込む皐月。
 そして「キャ!」とはしゃぎつつ、ピンク色の大きなテディーベアーをそっと袋から取り出し、抱きしめた。

「ママ、ありがと~! めちゃ可愛いー、この子!」

「気に入ってもらえて良かったわ、皐月」

「うん! ママのバースデーソングも素敵だったよ! 本当にありがとう」

「うん、うん」

 ピンクのテディーちゃんは首におリボンをつけている。白地に赤い水玉模様のリボンだ。

「あたし、毎晩この子と寝るわ、アハ」
 そう言って幼げに笑う皐月。

(可愛いあたしの皐月……。16才か。ことあるごとに感じるわ。いつかは皐月もあたしから巣立って行くんだよね。でも、もうちょっとあれこれと世話を焼きたいよ)


 ――――翌日の月曜日。今日は雨。皐月はバス通学だ。

「いってらっしゃい、皐月。気を付けてね」

「はーい、ママ。いってきま~す」

 きっと羽矢斗は電話を掛けて来る、と結莉は早朝から家事を済ませ、ラジオを聴きながらベッドでボーっと過ごしていた。

 お昼時だ。いつもは羽矢斗がお昼を食べた後、30分以上はおしゃべりをする。

 しかし……13時になろうかというのに、電話が掛かって来ない。

(あたしがすねた顔を見せたから、嫌になっちゃったのかな……)
 淋しい気持ちに襲われた結莉。その瞬間だ。電話が鳴った。

 スマホを見ると羽矢斗からだ。

 結莉は深呼吸をし、電話に出た。

「羽矢斗……」

『もしもし、結莉? 休憩の時間がずれ込んじゃって、遅くなり、ごめんね、結莉』

「はい……」
 結莉はきのうのこと、羽矢斗とジャンくんが、自分の中で1人の人間として溶け込んでくれなくて、なんだか苦しい。

『結莉……きのう、驚いた。“ローザ・フェルグ”で、さ』

「うん」

『結莉?』

「うん」

『心配することはないよ。オレね、ラジオが趣味で同じ番組を聴いている仲間達とのオフ会だったんだ』

「そう。『つむじちゃん』は居なかったね」

「えっ……!?」

 かなり羽矢斗が驚いている。そしてすぐに続けた。
「結莉も聴いているの? 『ハートのたまご』」

「うん、聴いているよ。つむじちゃんのことも知っています」

「そ、そうなの」

「だってあたしがつむじちゃんだもん」

「え――――っ!?」

「うん、そうだよ」

「……結莉、ゆっくり逢って話がしたい。次の通院はいつなの?」

「明日です」

「オレさ、明日早く上がる。良かったら、クリニックのあと、時間をもらえないかな。どうしても結莉に話したいことがあるの」

「ええ……わかったわ」

「うん、じゃあROULで連絡を取り合おう。結莉、クリニックが終わったら連絡をくれる? オレも仕事を上がったらすぐに結莉にROULするからさ」

「はい、わかりました……」

 結莉は、やっぱり愛おしくてたまらないのだ、羽矢斗が。引っかかっているのは『ジャンくん(=羽矢斗)が、自分と他の女性に同時に心惹かれていたという話』


 ――――そうしてモヤモヤ、ソワソワとする一日が過ぎ、今日は結莉の通院日。
 つまり、羽矢斗イコールジャンくんと話をする日だ。

 ウキウキとしたデートの気分にどうしてもなれない結莉の今日のファッションはシックなブルーのワンピースだ。せめて足元だけでも、と、パンプスは濃いめの赤にした。

 今日のクリニックは普段よりかなり空いていた。

 結莉は主治医の松田ドクターに、つい最近起こった出来事を話し、とても複雑な気持ちなのだと語った。

 松田ドクターは、パソコンのほうを向き、耳をしっかりと結莉に傾け真摯に話を聴いて居る。時々結莉のほうを見てしっかりと相槌を打つ。

「それは気が動転して不思議はない話ですね」

「はい、先生。わたしはいったいどうすれば……」

「ンー、そうですね。僕なら、そのまんま話しますね、恋人に。今の気持ちをね」

 結莉は松田先生の言うことは懸命だと思った。というか、自分は先生に背中を押して欲しかったのだ。松田先生が話すことは初めからどこかでわかって居た結莉だ。

「先生、わたし、がんばります!」

「ああ、園河さん、なにもがんばらなくて良いですよ」と、ドクターが微笑んだ。

「はい……」

「園河さんのまま、正直な想いを羽矢斗さんに伝えられたらどうですか? 難しいかもしれないけど、頭を空っぽに、彼を想う心を満たして」

 結莉は松田ドクターの言わんとしていることがなんとなく理解できた。

「はい、先生。わたし、大丈夫だと思います」

「はい。ご無理なさらないようにね。ああ、眠れていますか? 園河さん」

「あ、はい。毎日グーグー眠れています」

「それはなにより。ではお薬はこれまで通りのものを出しますね」

「はい。先生ありがとうございました」

 診察室の扉を閉める時に、結莉の気分は少しだけ晴れていた。

(あたしは今日、羽矢斗に怒ったり、泣いたりしたって良いんだ)
 そう思えた。

 病院のすぐそばにある院外薬局で薬を受け取り、再び外へ出た。

 病院の軒下で、小雨になった空を見つつ「う~ん!」
 両手をグーにして上に向け背中を伸ばした結莉。深呼吸をした。
 雨と花の匂いがした。

 忘れないよう傘を手首に引っ掛けてから、結莉は震えそうになる指でスマホに文字を打った。

『今、病院が終わりました 結莉より』

 今日はすぐに診察の順番が来てスムーズだったので10時にもなっていない。

 すぐにROULメッセージ着信のマークがスマホ画面に映った。

『結莉、雨だね。大丈夫? “ローザ・フェルグ”で待っていてもらって良いかい? 15分ぐらいでお店に行けると思う 羽矢斗より』

『うん、わかりました 結莉』

 薬局からもすぐの『ローザ・フェルグ』に着いた。
 この間皐月と来た時は、花壇にクリスマスローズがいっぱい咲いていた。今はそこへ向け
 ピンク色のヒヤシンスが寄り添うように咲いている。華やかな花壇にほっこりする結莉。雫を受けた花びらが美しい。

 羽矢斗にわかりやすいように、窓際の席を指定し、スタッフに案内してもらった。
 結莉は「連れが来るので注文は後にします」と、そのスタッフに伝えた。

 丁度お花がよく見える席。クリスマスローズが、ヒヤシンスが、緊張を和らげてくれる。

 結莉が席に着き5分ぐらい経った頃、スーツ姿の羽矢斗が店にやって来た。

 ドキリ!

 いつもの羽矢斗だ。そのはずだ。だのに結莉にはジャンくんと羽矢斗が別の人物に見えたりして、困る。

 羽矢斗はすぐに結莉に気づきテーブルに着きながら「待たせてごめんね、結莉」と言った。

「ううん、大丈夫」

「結莉、おなか空いてないかい? ごちそうするよ、良かったら」

「いいえ、おなかは空いてないよ。お話、しましょう」

「うん」

 二人はアイスコーヒーを注文した。

――――こんな時……『えー! マジ~!? 羽矢斗ってジャンくんだったのー』と、このミラクルに笑って喜ぶ女性も居るかもしれない。でも結莉の今の心境は真逆だ。混乱状態。
 そしてなによりも気がかりな『ジャンくん(羽矢斗)が惹かれていたという、もう1人の女性の存在』
 しかし結莉だって、ジャンくんと羽矢斗でハートが揺れた時期があったのが事実ではないか。自分でもわかっている結莉。

 やって来たアイスコーヒーを一口飲み、ストローで氷を回す結莉。

「結莉? オレが……、えと、『ジャンくん』がSNSのDMで言っていた『好きな女性が出来た』という言葉を気にして居るんでしょう?」

「うん」
 俯いたままの結莉。

「あれは、電車で助けた結莉のことだったんだ」

「え?!」

 羽矢斗は続けて話し出した。
「それと、もちろんDJロリポップさんが読んでくれたお便りに出て来た『街で見かけた綺麗なお姉さん』も結莉のことだよ。その人がまさかつむじちゃんだったなんて……オレ、わからないまま結莉にDMしていたよ」

「そう」
 結莉はアイスコーヒーを一気にグラス半分まで飲んだ。

「でもさ、たまたま『つむじちゃん』と『結莉』が同一人物だっただけ。結莉にオレは浮気者と取られてもしょうがないよね。ごめんなさい」

 そう言って羽矢斗は頭を下げた。

 その言葉を聴いた時結莉は、改めて自身のことを思った。
(あたしだって一緒じゃない)

「あのね、羽矢斗。あたしも謝るわ。あたし……『羽矢斗』にひと目惚れだった。でもその後も『ジャンくん』にちょっぴりときめいていたんだ。あなたと一緒よ? ごめんなさい……」

「そうだったんだね」

 少しだけ二人の間に沈黙が流れた。

「結莉? オレは、今日『つむじちゃん』と『結莉』が同一人物だったことを嬉しい奇蹟として捉えている部分もある。でもオレは、結莉の心の病気のことや性格を、これでもよく知っているつもりだよ。結莉は今、『ジャンくん』と『オレ(羽矢斗)』をこう……一人の人物として受け入れるのが難しいんじゃないかな?」

 結莉は涙ぐんで来た。その通りだから。
 別にジャンくんを嫌っていたわけではない。だのになぜか知らぬが、ジャンくんを自分の中から追い払いたい。それは男性二人に自分の心が動いてしまっていたという自己嫌悪からかもしれない。

「結莉、オレのすべてを愛さなくたって良いよ。そんなのおこがましいと思っている、オレなんかが……。ただ、オレは、目の前にいる結莉の全部が好きだ。『つむじちゃん』であっても、『ジャンくん』を嫌っていたとしても、オレは結莉の全部が愛おしい」

 結莉の瞳からボロボロと涙の粒がこぼれ落ちる。
 心の底から羽矢斗を求めた。体が疼く感覚がする。

 小さな声で結莉は「今すぐ、抱いて欲しい」と言い、テーブルの上のペアリングをはめている羽矢斗の大きな手を懸命に握った。

「結莉……。うん、わかった」

 結莉の右手薬指にはめられている揃いの指輪が光った。

 二人は『ローザ・フェルグ』を跡にし、少し歩いた所にあるラブホテルへ入った。

 ――――部屋に入るや否やふたりは無我夢中で抱き合った。

(好き! 好き! あたしは羽矢斗がこんなにも好きだったんだ)

 羽矢斗に愛撫されながら、結莉は情熱を放出させた。

 羽矢斗と結莉は一つになり、互いがどんなに必要かをいうことを思い知った。

 結莉の中で『ジャンくんへの変なこだわり』が溶けて無くなった。

 ホテルのサービスであるスポーツドリンクを、小さな冷蔵庫から結莉が取り出していると、羽矢斗が「結莉、話したいことがあるんだ」と言った。

 バスローブを纏った結莉は、手にしたスポーツドリンクをテーブルに置いたあと、長い髪の毛をかき上げつつ「うん」と羽矢斗の座っているソファーに座った。

 バスローブ姿の羽矢斗はドリンクに手もつけずに早速言う。

「結莉、結婚しよう」

 結莉の瞳をじっと見つめる羽矢斗の目は、熱を帯び真剣だ。

「あ……。羽矢斗、嬉しいわ! ただ、あたしには皐月が居るの。あの子の気持ちを尊重したいです」

「うん。もちろんさ。オレは、出来ることなら皐月ちゃんに会って話がしたいよ。オレが、結莉だけじゃなく皐月ちゃんのことも大切に思っていることをわかって欲しいです」

 羽矢斗に崩れながら泣き、結莉は「ありがとう」と言った。