春街花 -haru・machi・bana -


 その日のクリニックはまあまあ早く終わった。
 そして(あ! そうだ、時間があるから)と結莉は駅ナカの雑貨店を目指した。

 もうすぐ娘・皐月の16才の誕生日がやって来る。皐月は早生まれで3月30日が誕生日。4月になったら高校2年生だ。

(皐月へのバースデープレゼントをちょっと見てみようかな~)

 皐月は幼い女の子のようにテディーベアーやキャラクターグッズが大好き。おめかしする時は、いわゆるロリータファッションで決める。

『ハートポップ』という、とってもメルヘンチックなお店がある。そこにはレースの靴下やおしゃれなウィッグも売っているし、ネイルにぬいぐるみと多岐にわたる魅惑の品々が取り揃えられている。
 実は結莉もガーリーな装いが好きなので、このお店でシュシュやリボンをよく買う。結莉は大振りでキラキラなムードや、フワモコのシュシュがお好みだ。

(キャー、いつ来ても可愛いな! ここ)

 煌びやかな雑貨に囲まれお姫様気分の結莉。

(皐月になにを贈ったら喜んでくれるかな……?)
 結莉は心地良い空間の中でゆっくりと見て回った。

「あ!」

 ピンク色のテディーベアーがある。前面にチャーミングに向けられた足の裏は小花模様だ。

「これだわ」

 結莉は迷わずテディをプレゼント用に包装してもらった。

 大きな袋を抱えての帰り道だ。でもそんなに苦にならないのは、皐月の喜ぶ顔が浮かぶから。

 帰るとすぐに結莉は、自室のクローゼットにテディちゃんを隠した。
 通院と『ハートポップ』ではしゃいだせいか、夕方になるとどっと疲れが出た結莉。
(今日は簡単に)とクリームシチューを作った。

「ただいまー」
 皐月が学校から帰宅した。

「おかえり、皐月。ごはん出来てるよ。まだ良い? 食べちゃう?」

「あ、ハラペコ~。食べる! 今日はなに?」

「うん、クリームシチューだよ」

「わーい、食べる、食べる~。ママの作るのってあたしが作る時より甘みがあって美味しいのよね」

「そうぉ?」

 鍋に火をかける。ちなみにこの親子はクリームシチューの時は白米を食さない。好みは人それぞれだろう。

「あたし着替えて来るね、ママ」

「うん」


 そして母子で揃って「いただきま~す」

「キャー、やっぱママが作るシチューって最高-!」
 皐月のふっくらとしたほっぺが喜んでいる。

「ねーねー、皐月、今度の皐月のお誕生日さ、外食しない? ママ、良さそうなレストランをクリニックの近くに見つけたのよ!」

 先日羽矢斗と訪れた『ローザ・フェルグ』のことだ。結莉は、皐月にもあの味を味わわせてやりたい! と強く感じたのだった。ちょっとお高いが、バースデイぐらいは良いじゃない。

「わ! 嬉しい。ママ、ありがとー」

「うん、うん」

 結莉と羽矢斗はなにも結莉のクリニック通院の時だけ行動を共にする訳ではない。
 羽矢斗が有休をとり、結莉の街までやって来て、お茶を楽しむ時間も持った。

 そんなデートの最中のこと。
「結莉ちゃん、オレ、再来週も有給が取れそうなんだ。前にお話ししていたドライブデート、行きませんか?」

 喫茶店の4人掛けテーブル、わざと隣同士に座っていた二人。結莉は胸がキュンッとして、右隣にいる羽矢斗の指をキュッと握った。
 ちなみにもちろん、羽矢斗に逢う時、結莉は羽矢斗と同じくお揃いの指輪をはめている。

「はい。嬉しい……」

「じゃあ、湘南を走ろう」

「うん、連れて行ってね! 羽矢斗さん」

 その時二人には艶やかなムードが流れた。車で……どこに行く? どこまで行ける?

 ホットコーヒーがテーブルにやって来た。カップとソーサーの微細なお花の模様が美しい。

「皐月ちゃん、娘さんはお元気にしてる?」

「あ、ええ、羽矢斗さん。相変わらず元気いっぱいですよ! 今月の30日で16になります」

「あ、早生まれなんだね。そういえば、結莉ちゃんとオレ、お互いの誕生日の話ってしたことが無かったね」

「ああ、本当!」

 まるでわんぱくな男の子のように嬉しそうに自分の誕生日を教える羽矢斗。
「オレはね、7月2日生まれのかに座なの。結莉ちゃんのお誕生日はいつかな?」

「あたしのお誕生日、実は少し前だったんです。2月20日よ。うお座」

「え――――、教えて欲しかったな~、結莉ちゃん」

「ンフ。良いんです」

「誕生日のお祝いをしようよ? 結莉ちゃん」

「あ、じゃあ、あたしはやっぱり気に入ったので、ローザ・フェルグへ連れて行ってほしいわ! 羽矢斗さん」

「うん、わかった。じゃあ、ローザ・フェルグでお誕生日会だ、楽しみだよ。結莉ちゃん、お酒は飲めるの?」

「いいえ。随分前に辞めました……。前は仕事柄、飲まざるを得ませんでしたけど……」
 結莉は自分のことを、大好きな羽矢斗にもっと話してみたくなった。

「うん、結莉ちゃんは夜のお仕事をされていたんだものね」

「はい、そうなです。前に元夫のことを話しましたが、DVのみならず、元夫は働かなくなってしまって……それがきっかけだったの」

 ギュ!

 その時羽矢斗が、優しく、でも包み込むように力強く、結莉の右手を両手で握った。

「大変な思いをしたんだね、結莉ちゃん」

 結莉は……泣けてきた。愛する人に受け止めてもらえる喜び。安心感。涙をこぼしながら続けた。
「結婚生活の間に続いていたDVで、誰よりも可哀相だったのは皐月です……!」

 羽矢斗は、シクシク泣く結莉の言葉を一切遮らず、ずっと結莉の心に寄り添い話を聴いていた。

「羽矢斗さん、優しいね」
 そう言うと結莉の瞳からボロボロッとさらに涙が溢れた。

「オレは……話を聴いているだけだよ。本当ならタイムマシーンにでも乗って、今すぐ結莉ちゃんを助けに行きたいよ。胸が痛い」

「大丈夫です。今、こんなに大切にされているから、あたし、羽矢斗さんが居るから……凄く幸せなの」

「悲しませないからね! オレを信じて、結莉ちゃん」

「うん、信じてるよ」

 その日のデートは、喫茶店のあと映画を観に行った。結莉はどちらかと言うと古い映画や、マイナー路線を好む。羽矢斗は流行り物が好きらしい。
 そんなことを楽しく話しながら「今、映画館、なにをやってるだろうね」と行き当たりばったりで訪れた。

 すると、羽矢斗好みの流行り物が始まるまでにはかなり待たなければならない時間帯であることが判明。

「ネーネー、羽矢斗さん、こういう映画もたまには観てみて! おもしろいよ?」と10分後に始まる自分好みの作品へといざなう結莉。

「うん、じゃあオレが見たかった作品にはまた結莉ちゃん、付き合ってね! 今日はこの映画にしよう」とチケットを2枚購入する羽矢斗。

「あ、チケット代……」

「良いんだよ、結莉ちゃん。行こ」

「はい、ありがとう」

 二人はシアターの中に入って行った。

 平日のお昼間。お客さんは少ない。

「結莉ちゃん、このシアターなら真ん中辺りが一番よく見えるよ」

「うん」

 羽矢斗に手を引かれ少しだけ後方中ほどの席に腰かける二人。

 映画は邦画で、題名は『さなぎの花』いかにもマイナーな映画と言う雰囲気の題名。
 二人はどんな映画かまったく情報を頭に入れないまま作品を楽しむこととした。
 結莉はワクワクしていた。羽矢斗のひと言を聴くまでは……。

 羽矢斗が言ったのだ。
「『さなぎの花』ホラーじゃないよね」なんて言って少し顔をしかめた。

「ン、ああっ、そうね! どうしよう、ホラーだったら……あたし、苦手なの」

「結莉ちゃん、なんだか情けないけど、オレもそうなんだよ」

 しかしすでに映画は始まった。
 二人はかたずを飲んでスクリーンを見つめている。

 りんごをムシャムシャ齧る、若く麗しい女性のアップから始まる。
 次に女性が振り向き、タバコを吸っている男性のもとへ駆け寄る。

(サスペンスも嫌よ~。ホラーやサスペンスだったら途中で観るの、やめる!)
 唾をゴクリと飲み込み、胸に誓う結莉であった。

 ――――話は中盤に差し掛かっていた。どうやらそんな怖い雰囲気ではなく、ホッとしている結莉。
 チラリと隣を見ると、羽矢斗はスクリーンにくぎ付けだ。

(羽矢斗さん、楽しめているみたいで良かった)

 映画の内容は、主人公であるりんごが大好物の女性が不治の病で余命半年。恋人と精一杯人生を謳歌するというものだろうか。

 途中で主人公が言う。
「貴方が居るからなんにも怖くないわ。貴方を遺すのが辛いだけ……。ねえ貴方、わたしが死んだら素敵なお嫁さんと幸せになってね」

 そこで主人公の恋人が言う。
「バカ! おまえが死ぬわけないだろう」

 結莉の頬をツーと涙が伝った。
 その瞬間だ。

 羽矢斗が「結莉ちゃん」と小さな声で呼ぶ。

「はい」
 涙声で横を向くと……結莉はキスされた。

 結莉は夢中になり、恍惚の表情で羽矢斗の舌を欲した。二人の舌は飴玉を欲しがる生き物のように絡んだ。

 映画館でのファーストキッス。結莉はうっとりし気絶しそうになった。
 ゴツゴツとした羽矢斗の手をキュッ! と握り、そっと唇を離し「羽矢斗さん、映画……観よ」と耳元に囁いた。

「うん、とても愛してるんだ。結莉ちゃん」

「ええ、あたしもよ。羽矢斗さんが大好き」

 そこから再びスクリーンに向き直し、エンドロールが流れ照明がつくまで、二人は席に座っていた。
 素敵な作品だったので、結莉と羽矢斗は余韻に浸っていた。

 シアターを出る頃には、夕方4時近くになっていた。

「今日はもう帰らなきゃ」と結莉。

「うん、そうだね、結莉ちゃん。行こう」

 羽矢斗に唇を奪われた恥ずかしさを楽しみたい気もして、結莉は黙っていた。
 羽矢斗も、同じ気持ちがしているようだ。繋いだ指先から伝わって来る。

(なんて素敵な沈黙……。こんなセクシーな感情があるんだな)
 結莉は羽矢斗の恋人になったことに運命を感じている。

 帰りの電車は少し混んでいる。二人は乗車口近くのバーを持ち立っている。
 一緒に車窓を流れる夕暮れ時を眺めたり、時々見つめ合う。

 大きな川の陸橋を渡る時「あたしね、ここの景色好きなの。あたしの田舎にも大きな川があるから、ここを通る時、いつも故郷を思い出すよ」

「そうなんだね、結莉ちゃん。水辺は良いよね」
 そう言って羽矢斗が結莉の腰を引き寄せた。

 西日がほんのり窓から差し込んだ。春めいている。
 なんだか電車の揺れがくすぐったい。羽矢斗に支えられている腰がくすぐったいのかな。

 もうすぐ結莉のおりる駅に到着する。
 
「今日は本当にありがとう、羽矢斗さん」と言った刹那、結莉は羽矢斗にキスされた。ほっぺた。

「こちらこそありがと、結莉ちゃん。帰り道、気を付けるんだよ」

「はい」

 電車のドアが開き、閉まった。
 恋しくて、切ない瞬間だ。

 電車に乗った羽矢斗を、思いっきりの笑顔で見送る結莉。だってそうしないと余計に淋しい。

(ずっと一緒に居たい)
 結莉の胸にひときわ咲いた、狂おしい想い。

 けれど自分には娘がいる。大事な娘だ。

 改札を出、スーパーへ猛ダッシュする結莉。時刻は17時前。

(もしかしたら皐月、もう帰って来てるかも。早くご飯はん、作ってやんなきゃ)

 皐月は先に述べたよう、しっかり者であるし、料理も出来る高校1年生だ。
 それでもやっぱり母は世話を焼きたいもの。

「ただいま~!」

 声がしない。皐月はまだ帰宅していなかった。胸を撫で下ろすような心地のする結莉。急いで部屋着に着替えエプロンを着け、買ってきた塩サバを焼きながら具沢山のお味噌汁を作る。ごはんは出かける前にセットしてあった。

 結莉がお味噌汁の味を見ていると「ただいま」と皐月が帰宅した。

 なにやら元気がない。

「あったま来ちゃう、望ったら!」
 リュックをソファーに置き、座るや否や皐月がひと言言った。

 皐月が、大の仲良しの希のことをそんな風に言うなど、これはただごとではないな! と母・結莉は思った。

「なにかあったの?」

「うん、大ありよ! ママ。望ね、いつの間に洋平(ようへい)と付き合い始めていたの。あれほど惚気ていた元彼とはいつの間に別れてた!」

「どういうこと……? ン、皐月……その洋平君っていう男の子のことが好きなの?」

 皐月は口をとがらせながら「うん。望は知ってたのよ、あたしの恋心を。あたしと望と洋平は3人グループだったんだ。友達としてね! でも、前にあたしの洋平への気持ちを望に相談したことがあったの」

 結莉は静かに娘の話を聴いている。今は皐月の隣に座っている。

「もー、なにがなんだかわかんない! ほんとムカつく。望には彼氏がいたんだよ?」

「ええ、そう言っていたわね」

「ママ、どう思う? 二股なんてさ、サイテーじゃない?」

 結莉の中で、忘れかけていたジャンくんの存在が急に思い起こされた。

『皐月、人は綺麗なものではない。人って複雑なの。それにしても皐月が傷ついていることがママは辛い』と本当は言いたい。

 しかし『人間に汚れた面があること』や『人間が実はシンプルでもないこと』は、誰かに言われて知るのではなく、皐月自身がこれから大人への道を歩んで行く中でしか感じ得ない事柄。

「そうね。ママは皐月が悲しんでいるのが辛いよ」と答えた……。本心以外の何物でもない。

「もうさ、なんかさ、泣く気にもなんないよ!」と言いながら「ワ――――ッ!」とボロボロ涙をこぼし始め、皐月は泣きわめいた。
 結莉が抱きしめると、小さな女の子のように母にしがみつき泣いた。

(皐月は洋平君という子のことが本当に好きなのね)
 痛いほど感じられた。

 結莉は黙って艶のある皐月の髪をずっと撫でてやっていた。皐月が泣き止むまで。

「ママ……」

「うん、なぁに」

「おなかすいた」

 ガクーッとズッコケそうな結莉だったが、少しだけ安心した。

 そう、心と体は繋がっているからね。どちらにも栄養が必要!

 皐月は「わぁー、塩サバ食べたかったの、ママ!」と、ごはんを食べ始めると笑顔を取り戻した。