春街花 -haru・machi・bana -



――――2月、バレンタインデーも過ぎた寒い夜。都内でも雪がちらつきそう。しかしここにホットな女が居る。

「わっほ~い! 今夜も始まる。『ハートのたまご』っ。皐月(さつき)~、ママ、これからラジオモードね」

 実に嬉しそうなラジオマニアがここに居るのだ。
 園河結莉(そのかわゆいり)35才。黒髪ロングでグラマー、キュートなシンママだ。切れ長で黒目がちの瞳が印象的だ。
 背が高く、ちょっぴり太目で大きな瞳がチャームポイントの一人娘・皐月とは大の仲良し。

 毎週土曜日の夜9時がやって来ると結莉はソワソワ、ドキドキ。大好きなラジオ番組『ハートのたまご』が始まるから。
 テンポの良い女性DJは、ロックマニアのロリポップさん。

「はいはい、ママ! 言われなくてもわかっていますよ」
 ちょっぴり悪戯な笑みを浮かべつつ答える高校1年生の皐月。

 皐月は今の母親が幸せそうで喜んでいる。
 
 離婚するまで母・結莉は夫からDVを受け続けていた。
 皐月は母が殴られる間中、自室で布団をかぶって泣いていた。幼い自分にはどうすることも出来なかった。

 その頃母である結莉は、ラウンジレディとして夜のお店に出ていた。父親は居酒屋の経営者だ。
 両親がいない夜、皐月は民間のお手伝いさんに面倒を見てもらっていた。とても穏やかな中年女性だった。
 結莉が夜の仕事へ行くのは無論家計のためだった。マイホームを買ったので、夫婦は懸命に働きローンを返して行っていたのだ。
 しかし、深夜仕事を終えると自宅で、父親は事あるごとに結莉の客への嫉妬心を露わにし、結莉を殴り、蹴った。

 結莉は夫から暴力を振るわれていることを誰にも相談出来ないまま耐えていた。しかしずっとずっと(娘の皐月のために何とか離婚しなければ)と思い悩んでいた。方法を知らなかったし、大人しい性格の結莉には相談できる友も居なかった。

 ある夜、遂に結莉は夫からの暴力によりあばらを骨折した。
(息が出来ないほど痛い!)
 娘の皐月はその時10才。小学4年生だ。
(ママの様子がなんか変!)と思い、子ども用携帯で警察と救急車をがんばって呼んだ。

 結莉はすぐに病院へ搬送され、父親は逮捕された。

 夫のDVが外部に知れるところとなったその時から、結莉は民生委員や役所の相談員などにヘルプしてもらい、離婚へとこぎつけた。

 離婚し、夫はマイホームから居なくなった。その際には家を購入したローンは既に終わっていた。乱暴者の店主だというのに、不思議にも夫の居酒屋は繁盛していたのだ。頑張り屋の結莉もラウンジの人気者でお給料は悪くなかった。
 だが、福祉のお世話になるにはマイホームを手放すしかなかった。なにゆえ結莉に生活力がないか? それはこの通りだ。

 母と娘に平安が訪れたことは真実だった。しかし、長年DVを受け続けたことにより、結莉の心はすっかり壊れてしまっていた。鬱状態が酷くふさぎ込んでいたかと思うと……翌日には、うんざりしている皐月の様子も無視するほどにお喋りが止まらなかったりする。病名は双極性障害だ。不眠もあり、睡眠薬が無いと全然眠れない。そして被害妄想にも取りつかれやすく、なにかと物事や他者へ疑念を抱きやすい。
 とても今働ける状態ではない。

 現在母子は、賃貸の鉄筋コンクリート造のマンションに暮らしている。

 皐月は、というと……一見明るい性格に見受けられるが人見知りだ。しかし人当たりはやわらかく朗らか。唯一心を許せる友達は同級生の牧村望(まきむらのぞみ)だ。彼女はサバサバとした雰囲気だが、とても細やかな心遣いのできる少女だ。
 望が遊びに来ると、母・結莉は緊張する。可愛い娘の大切な友人だとわかっていても、人に疲れてしまうのだ。
 皐月はそのことを知っている。賢い望もそれを感じ取っている。だから彼女らが遊ぶのはだいたい望の家だ。
 望の父も母も皐月に優しい。

                      *

『えー、続いてのお便りは、ラジオネーム“つむじ”ちゃん! いつも楽しいお便りありがとーね! ン。今日もロックなナンバーのリクエスト付きだね、サンキュ。……お便りの内容は? なになに? うん。そか……。“こんばんは、ロリポップさん、スタッフさん、リスナーのみなさん。あたしね、[ハートのたまご]でも冗談ばっか言ってるし、明るい性格と思われてるかも知んないけど、実は……初めて告白します。心の病気を持っていてクリニックへ通っているの。今日のテーマ[告白]に合わせ、打ち明けてみたよ。でもね、ロリポップさんの楽しいおしゃべりを聴いているとすっごく元気出てくるんだー。これからも楽しい番組に期待しています!”ありがとう! つむじちゃん。そうだったんだ~。大切な告白をしてくれてありがとうね! これからもロリポップについておいで! みんなハッピーに行こうよね』

 自分のリクエスト曲がラジオから流れる中“つむじ”こと結莉は大はしゃぎだ!

「ママのお手紙が読まれたよ~、皐月!」と大声で叫んでいる。
 皐月は向こうの部屋でネイルを塗っている最中だった。

「うん、ママのラジオネームだけは聴こえた! おめでと」

 ネイルを塗り終えた皐月がラジオのあるリビングへやって来た。
 真っ赤にゴールドのラメを散らした華やかな爪は、大きな瞳を持つミステリアスなボブカットの皐月によく似合う。明日は日曜日で学校が休みだ。

「しっかし、ママの好きな音楽は多岐にわたるね~、ジャンル。こないだは動画サイトで演歌を聴いてたでしょう? 今日のリクエストはハードコア?」

「そうだよ~、ウフフ」

「あ、し! 静かに、皐月。次のお便りは“ジャン・ロイドン”くんだわ。彼の音楽の好みから行って同世代かなーって思うんだよね」

 少しニヤニヤしつつ皐月が訊く。
「なに、ママ。その男の人が気になってるの?」

「ううん、男性としてどうとかそういうことじゃなく、リクエスト曲のセンスが良いの」

「ふーん」

 DJロリポップがジャン・ロイドンのお便りを読む。
『こんにちは、みなさん、ロリポップさん。今日のテーマ[告白]ですね。僕はこれまで“ハートのたまご”で年齢を言ったことが無かったけど33才です。でね、ロリポップさん。確かに今時の人って結婚が遅かったり、しない、なんて人も居るでしょう? が……僕は強烈に家庭を持ちたいのですよ。アハ、なんか照れること書いちゃいました! リクエストは、今日はいつもの僕とは真逆なところを行きます』

『ありがとう! ジャンくん。ほんとだー、今日の曲、80年代女性アイドルの曲じゃん! びっくり。……うん、そうね~、こればっかりはご縁だもんね。ちなみにあたしは1回結婚、失敗してるからさー。アドバイス的なことは出来ないかもしれない、しょぼーん。でもね、ジャンくんのおたよりを読んでいていつも感じることは細やかさだよ。優しさ。きっと素敵な出会いがあるとロリポップは信じています』

 結莉は(へ~)とジャンくんの意外なところを想いつつ、結莉も大好きな彼のリクエスト曲を口ずさみながら聴いていた。
 結莉は昭和歌謡も大好きなのだ。時々『ハートのたまご』にリクエストすることも。
 今日、ジャンくんがリクエストしたアーティスト! まさにこの女性アイドルの動画を見聞きし、結莉は昭和歌謡を聴くようになったのだ。

「ママと同世代なんだ」
 一緒にラジオに耳を傾けていた皐月が言った。

「うん、やっぱりそうだった! たぶんジャンくんも、後追いで知ったんだわ、昭和歌謡を。音楽マニアだもの」

 ちなみに、ラジオ番組『ハートのたまご』は生放送で、SNSの書き込みも、リスナー同士ライブでメチャクチャ盛り上がる。DJロリポップがそれらを拾い、放送中に読んでくれることもある。

 ある男性リスナーがジャンくんに向かってこう書き込んだ。
『PUNKのジャンが、今日のリク曲! 意外過ぎ~』

それに対しジャン・ロイドンくんは『へへへ! 驚いたでしょー。オレ、こういうのも聴くんすよ』と返している。

 結莉も『良い曲だよね。あたし、この曲、大好きなんだ』とジャンくんへ宛て書き込んだ。

 するとジャンくん『そんな気はしてた。つむじちゃん、好きなんじゃないかなーって』と返信。
 その言葉をパソコンで見た時、結莉はなんだか気持ちが宙に浮く感覚がした。

 ジャンくんのお便り以外の部分でも、SNSの書き込みは凄く盛り上がっている。ロリポップさんが発言した『結婚を1回失敗してるから~』に対し、リスナーみんなが賑やかに突っ込みまくりだ。

『もう~、あたしの離婚話から離れてください!』笑いながら楽しそうにロリポップさん。
 それからいつも通り、夜10時まで『ハートのたまご』はワイワイと盛り上がり、ごきげんな曲も沢山流れた。

「ふわ~、眠くなってきた。ベッド行くね、あたし」と皐月。

「うん、皐月、風邪ひかないように暖かくするのよ! 毛布もかけて」と言ったところで皐月に言葉をさえぎられる結莉。

「マーマ。あたし、赤ちゃんじゃないのよ~。自己管理しますから」
 まるで皐月のほうが母親であるかのような包容力ある物言いだ。

「うん。ママにとってはね、皐月はずっとママの大事な子どもなんだよ?」

「わかってるよ、ママ。大好きだよ!」

「うん」

 母子は互いに光のように微笑み「おやすみ」を交わした。

 結莉は自分の部屋にこもり、来週ぶんの『ハートのたまご』へのメールを書き始めた。

「ンーと、来週のテーマは『恋バナ』だったな~」

 DJロリポップが決めたテーマだが、余りにもリスナーがロリポップの『結婚失敗談』で盛り上がっていたので、シンプルにそんなテーマとなったのだ。

「そうね~。あたしはこれまで夫からのDVに遭って来たし……さかのぼって独身時代の恋愛ったって、なんかぁ、思い出したくもないな」

 そこで結莉は、今感じる理想の恋なんぞしたためてみるか、と思いついた。

『こんばんは、ロリポップさん、スタッフさん、リスナーのみなさん。今日のテーマ、悩んだよ~。だってあたしの過去の恋はさ、黒歴史に覆われているから。そこで現在シングル・あたくしつむじちゃんは……理想のタイプを書いてみようかな。ンー、あたしがおしゃべりだから、静かな雰囲気の人が良いな。ルックスは……綺麗な感じじゃなく、セクシーで男臭いほうがいい! キャ。なんか恥ずかしくなって来たからこの辺で!』

 楽しくてニッコニコでメールを作成するつむじこと結莉。

「うふふ、来週もお手紙読まれたら嬉しいなー」
 ラジオネームつむじのお便りは八割方紹介される。感受性豊かなつむじ、つまり結莉はちょっと変わっていて、文章がみんなにウケるらしい。

(それにしても……今夜のジャンくんの選曲、ラブソングだったし、なんでだろ、あたし、ドキドキしてる)


 翌日日曜日の結莉は、家事もそこそこに、娘の皐月と近所の大きな公園を少し散歩し、帰りにスーパーに買い物へ行くなどし、のんびりと過ごした。

「あ、ママ、シャンプーがそろそろなくなるよ?」

「そうだったの。ママ、気づかなかった。教えてくれてありがと、皐月」

「うん」

 皐月はしっかり者。ママである結莉は、というと……どちらかというとどんくさい。それは心の病にかかる前からの性格だ。だが、愛嬌があるので周りがなにかとフォローをしてくれる。昔からそうだった。
 だのに、受け続けたDVについては誰にも相談出来なかった。
 周囲の人間は結莉のことを『友』と思っていたかもしれないが、結莉は『自分には友達が居ない』と感じていた。殻にこもっていた。

 今でもそう。インターネット上でのやり取りは気楽で良い。結莉は彼らを友と呼んで良いかどうかわからないが、毎週土曜日のラジオの時間には仲間の気分を味わう。

「ママ~! 久しぶりにカレーにしない? 一緒に作るよ、あたし」と皐月。

「あ、良いね! 食べたい、食べたい。賛成~!」

 その日の夕方、親子は和気あいあいとカレーをこしらえた。
 出来栄えは120点満点。それ以上! 母も子も甘口派だ。
 この家にはテレビがある。しかし出番はほとんどない。母・結莉はラジオばかり聴いている。お便りを送るのは『ハートのたまご』だけだが、けっこうなボリュームで家中にラジオが流れている家庭だ。選局するはもちろん結莉で、音楽メインの番組だ。
 一方娘の皐月は、ラジオが爆音なのでイヤホンをして、自分用PCに向かいネットゲームに夢中。そのゲームはネットでリアルの人と対戦できたりしちゃうので、「悪い人に気を付けて!」と口を酸っぱくして諭す結莉なのである。
(可愛い娘・皐月が下心のある野郎に利用されでもしたら!)
 母は気が気じゃないのだ。

「マーマ? あたしがネッ友とリアルで会う訳ないじゃん」

「う、うん」
 それを聴き安堵する結莉。

 お食事の時は、否が応でも皐月はラジオを聴かされる。皐月も母親・結莉同様テレビに興味がないらしいし、物心ついた時からずっとラジオなのでそんなに気にしていない。

「ン、ン! 美味しくできたね~、ママ!」

「うぅ~、ほっぺがとろけるよー。ネ! ママの言った通りでしょう? 皐月。玉ねぎは千切りするほうがカレーに旨味・甘みが出るの」

「ほんとね、ママ。あたし、おかわりしよっかな」

「うん、いっぱい食べたら良いわよ」

「でもさー。ちょっ……とここのとこ、ダイエットが必要になって来た」

「ええ? 皐月、そう? 太ってないよー!」

「ンー、体重がさ1カ月で3キロ増とかヤバくない?」

「そうなんだー。でも、皐月は美人さんだから、痩せすぎより、少しふっくらしているほうが素敵よ?」

「そぅお!? じゃ、食べちゃう!」
 皐月は既に鍋の蓋を開け、お玉を嬉しそうに持っていた。そう、ライスはとっくによそっていた訳だ。

「あ、皐月、明日さ、ママ精神科の日だから、混んでたら皐月のほうが帰宅が早いと思うよ。今、期末テスト期間でしょ」

「うん、わかった。お昼もこの極上カレーがあるから安泰よ、ママ」

「うん、よろしく」