夜の蝶は甘く囁き、深く眠る…



片翼を広げ、彼女は何度も瞳を瞬かせながら、高層ビルの屋上の柵を越え、そのギリギリの場所に座り込んでいた。

「さぁ…今夜はどんな相手"獲物"に出逢えるだろうか」

キラリと輝いた瞳は、普段仮の姿ではけして見ることの出来ない、紅蓮の色だった。


この瞳は、彼女がヴァンパイアである証。
そして、途切れることのない生涯が孤独との闘いだという証。


「んー…いい加減、あの人どうにかなんないかなぁー?」


既に彼に関しては、溜息さえも出てこない。

一体、このおかしな関係は何処まで続くのか。

そして、近付けは近付くほど感じられる彼を取り巻く二重のオーラ。

謎は深まるばかり、だ。

それは、一度だけ見掛けたあの瞳の色…。

紺碧に輝くその瞳は、自分とは真逆の立場にいる種族の…けれど同じ孤独という烙印を押された者の証だった。

ヴァンパイアハンター…。
今まで生きてきた中で…遠い記憶を辿ってみても、その姿を見たことはなかった。


だから、かもしれない。
どうやっても治められない、滾りを感じるのは。
冷たく固まってしまっている胸の内を、温かくとんとん…と叩かれるような気がしてならないのは。

「ま、もしもジュンイチがそれだとしても、私のことには気付かないでしょ」


彼女はうーん、と長く伸びをした。
普段地味な格好をしているせいか、全身黒ずくめでありながらも、彼女の格好は露出度が多く派手めだった。

ハロウィン仮装を思わせるような、短いフレアスカートに紫色のリボンのついたガーター付きニーハイソックス。

胸元はシースルーになっており、いつも1つに纏められている漆黒の髪は、今は風になびいている。


「よし。行こうかな」

不安定な飛び方だけれど、この世界では片翼でも十分移動出来る。

彼女は、とんっとコンクリートを蹴ると、今いる高層ビルの屋上から飛び立ち、夜の街へとふわふわと降りていく。

今夜はとびきり派手に、暴れたい気分だった。
だから、出来る限り神経を集中させて、頃合いのいい生気を持った人間との時間を過ごそう。


そう思って、次の瞬間ぱぁっと霧に姿を変えた。 
新月の夜は長いようで短い。

だから、彼女は急ぎ気味で闇に溶け込み相手を探す手段に出たのだ。


それが彼女の狩りの始まりだった。



サァァ…


彼女がその姿を変えた霧は、闇から闇へと溶け込み、とある歪んだホテル街へと辿り着いた。

彼女の本能が、今夜はココに上等な獲物がいると反応した。

「ふぅん…」


スッと霧の状態から元の姿に戻ると、彼女はくん、と鼻孔からその周りの空気を吸った。

どうやら、既に今夜の獲物はお楽しみ中らしい。


さて、安っぽい香水を振りかざし、派手な口紅を塗った女は楽しげにその男にしなだれ掛かっているが、肝心の男の方は気乗りしていないらしく、冷たい態度を取っていた。


コレならすぐに落ちるか。

彼女はくすりと微笑むと、まるで猫のような身のこなしでその男の元へと歩みを進めた。


「ねぇ、お兄サン」

けして媚びない…けれど独特の甘さを含んだ声で、その男に声を掛けた。

「…なに?」

素っ気ない態度。
けれど、その瞳は素直で、目の前に現れた彼女に対して興味を覚えたようだった。

「私と遊びましょ?」

にっこり

一度笑顔を向ければ、たちまち男の様子が変わる。
目は虚ろになり、最早彼女の事しか見えていない。
さっきまでしなだれ掛かっていた女が何かを喚き立てたが、そんなことはもうどうでもいいことだった。


手を繋ぎ、肩を抱かれ、彼女はくすくすと笑い声を堪えることができない。

何故ならば、…人の物から自分の物へと切り替わる、男の気持ちの変化…その瞬間が何よりも彼女の心に火をつけるのだった。


「なぁ、どこ行くの?」

「くすくす。教えて欲しい?」

歩いて向かうは、ほんの少し埃っぽさを感じさせる古い一軒のホテルだった。

「なぁ…」

「だぁめ。まだ…ね?」

たしなめるように、男の口唇に人差し指を押し付け、また一つにっこりと微笑みを与える。

男はそれだけで恍惚とした表情を見せる。
こうして、誘うところまではいつものこと。

でも、今夜は新月。
十分に楽しみたかった。
だから、彼女はうっとりとして自分を見つめる男の顔を見ながら、早めの"覚醒"をさせて、極みの契りを交わすべく男から本音の同意を得ようと思った。


ギィ

彼女の耳には心地良い、暗い部屋の扉。
男はその音でハッと我に返ったようだ。


「…此処は?つーか、あんた…」

そんな男の戸惑いを拭うようにして、彼女は妖艶に微笑む。
それは覚醒した男に対して、脅威を与えないようにする彼女の誠意。
そして、彼女は少し間を置いてから、甘い甘い声を掛ける。

「ねぇ…今夜の相手は私でどう?」

「……あんた…が、望むなら」

熱い吐息。
その言葉をきっかけに、彼女は男を天蓋の付いたベッドへと誘った。

別に肌を交えなくても、彼女の力を持ってすれば生気を譲り受けることは出来る。

ただ、今夜のこの闇の中で、彼女はゆらりゆらりと男と汗をしたたらせた。

キスは深く。
何度も角度を変えて…。
男から吸う甘く香り立つ生気は、彼女の中でうねりを上げて、そのまま彼女の一部となっていく。

けして、彼女は人を殺めない。
そして、人を傷付けない。

自分に必要な分だけ吸い取り、記憶を消してその場を去るのた。

誰も味方に付けない。
彼女は今夜も一人のままだった…。