腹黒王子の愛は、激甘でした。

朝の廊下で、優に声をかけたとき。

「優」

いつも通り、名前を呼んだだけだった。

それなのに──

「お、おはようございますっ!」

目も合わせずに、逃げるみたいに通り過ぎていった。

「……え?」

思わず声が漏れる。

一瞬、何が起きたのか分からなかった。

(今の……何?)

足を止めたまま、優の後ろ姿を目で追う。

どんどん遠ざかっていく背中。

振り返る気配もない。

まるで──

避けられているみたいだった。

(……いや、そんなはずないよな)

昨日まで、普通に話していた。

むしろ最近は、前より距離も縮まってきていたはずだ。

体育祭だって楽しそうに笑っていたし、

障害物競走では、俺の手を引いてくれた。

あのときの優の顔を思い出す。

無邪気で、まっすぐで。

俺のことを“信頼してる人”だって、迷いなく選んでくれた。

(あれは……勘違いじゃなかったよな)

小さく息を吐く。

でも現実は、さっきの態度だ。

(……何かした?)

昨日の自分の言動を頭の中で振り返る。

思い当たることなんて、特にない。

むしろ、あの後はほとんど話していないはずだ。

(じゃあなんで……)

理由が分からないまま、

胸の奥にじわじわと嫌な感覚が広がっていく。

ざわつくような、不安みたいなもの。

こんな感覚、久しぶりだった。

「会長ー!今日の資料なんですけど」

後ろから声をかけられて、ハッと我に返る。

「ああ、ごめん。今行く」

いつもの調子で返事をして、歩き出す。

でも頭の中はさっきのことでいっぱいで、

正直、仕事どころじゃなかった。

* * *

昼休み。

いつもなら優と顔を合わせることもある時間。

無意識にその姿を探してしまう自分に気づいて、

小さく苦笑する。

(……何やってるんだろうな、俺)

生徒会室で書類を整理しながらも、

ふとした瞬間に優のことを考えてしまう。

朝のあの態度。

目も合わせてくれなかったこと。

あんな優、初めて見た。

(やっぱり……避けられてるよな)

そう認めた瞬間、

胸の奥がチクリと痛んだ。

理由が分からないのが、一番きつい。

何かしたなら謝れるのに。

何が原因か分からないまま距離を取られるのは、

正直、かなりしんどい。

「会長、珍しく手止まってますけど大丈夫ですか?」

横からクスッと笑う声。

顔を上げると、そこには廉がいた。

「……そんな顔してた?」

「してたしてた。分かりやすいよ」

軽くからかうような口調。

でも、その目はどこか探るようだった。

「で?何があったの」

「別に、大したことじゃないよ」

そう言って視線を逸らす。

……本当は、大したことあるくせに。

「ふーん」

廉はそれ以上深くは聞いてこなかったけど、

何かに気づいてるような顔をしていた。

(……やりにくいな)

小さくため息をつく。

そのとき、

ふと廊下の方に視線を向けた瞬間──

見つけた。

優だ。

友達と話しながら歩いている。

楽しそうに笑っていて、

いつも通りの優に見える。

(……なんだ、普通に笑えてるじゃん)

安心したような、

でも少し引っかかるような気持ちになる。

だったら、なんで俺にはあんな態度なんだ。

無意識に立ち上がっていた。

「ちょっと行ってくる」

「……どこに?」

廉の声を背に、

俺はそのまま廊下に出た。

優の名前を呼ぼうとして──

「優」

その瞬間、

優がピタッと動きを止めた。

でも次の瞬間、

こっちを振り返ることなく、

「ごめんなさい、ちょっと急いでるので!」

そう言って、そのまま去っていった。

「……っ」

今度は、はっきり分かった。

避けられてる。

完全に。

(……は?)

思わず思考が止まる。

さすがにここまで露骨だと、

ショックとかいうレベルじゃない。

じわじわと、

別の感情が湧き上がってくる。

(なんで?)

理解できない。

昨日まであんなに普通だったのに。

急にこんな態度になる理由が分からない。

そして同時に──

(……誰か他にいるのか?)

ふと、そんな考えが頭をよぎる。

胸の奥がざわっとする。

もし、優が誰かを意識してるなら。

もしそれが、俺じゃないなら。

(……それは嫌だ)

自分でも驚くくらい、

はっきりとした感情だった。

苛立ちとも違う、

でも確実に“嫌だ”と思う感覚。

優が誰かに取られるなんて、

考えたくもない。

(……いや、待て)

そこで自分にブレーキをかける。

まだ何も分かってない。

勝手に決めつけるのは違う。

でも──

あんな風に避けられて、

何も気にしないでいられるほど、

余裕はなかった。

「……優」

小さく名前を呟く。

さっきの、目も合わせてくれなかった顔。

逃げるように去っていった背中。

全部が頭から離れない。

(このまま放っておくのは、無理だな)

ゆっくりと目を細める。

逃げるなら、捕まえる。

理由があるなら、ちゃんと聞く。

優がどんなつもりであんな態度を取ったのか、

ちゃんと知るまで──

絶対に、引く気はなかった。