会場を出る直前、
ひかりは一度だけ足を止めた。
背中越しに、彼がいる気配がする。
「……あの」
声をかけると、
直が振り返った。
「もし、このあと」
「お時間があれば、
今日のお礼を、ちゃんとさせてください」
言い切ってから、
少しだけ呼吸が浅くなる。
直は、すぐには答えなかった。
考えるというより、
状況を整理しているような間。
「一杯だけなら」
低い声。
それだけで、
十分だった。
「ありがとうございます」
そう言いかけたところで、
直が続ける。
「……お腹、空いてませんか」
予想していなかった問いに、
ひかりは一瞬、言葉を探す。
「正直に言うと、少し」
「ですよね」
どこか納得したように、頷く。
「軽く食べられる店があります」
「バー、ですか」
「はい。知り合いの店で」
“自分の店じゃない”言い方。
「遅い時間でも、
軽食を出してくれるので」
押しつけがましくない説明。
ひかりは、少しだけ迷ってから、頷いた。
「……お願いします」
直は、それ以上何も言わず、
会場の出口へ向かって歩き出す。
並んで歩く距離が、
さっきより、ほんの少し近い。
仕事は、終わった。
でも、
今日が終わるには、
まだ少し早い気がしていた。
