祝福のあとで

 建物の前で、
 直が立ち止まる。

 ポケットから鍵を出そうとして、
 ふと、手を止めた。

 ひかりは、
 その横顔を見て、
 少しだけ迷ってから口を開いた。

「……こういう時」

 声は低い。

「正直、
 どうしていいか、
 まだ分からなくて」

 直が、
 ひかりを見る。

「経験、少ないというか」



「付き合った人、
 一人しかいなくて」

 言ってから、
 自分で少しだけ苦笑した。

「だから、
 今もたぶん」

 言葉を探す。

「直に、
 教えてもらってる感じなんだと思います」

 距離の取り方も。
 話し方も。
 気持ちの向け方も。

 直は、
 すぐには何も言わなかった。

 ただ、
 鍵を持った手を下ろして、
 ひかりの方へ向き直る。

「……教えてるつもりは、ないよ」

 低い声。

「一緒に、
 覚えてるだけ」

 ひかりの目が、
 わずかに揺れる。

 直は、
 ひかりの手を取った。

 今度は、
 さっきよりも少しだけ強く。

「それに」

 間を置いて。

「俺は、
 ひかりが他と比べてるとは、
 一回も思ったことない」

 視線が合う。

「今、
 俺の前にいるってことだけで、
 十分」

 ひかりは、
 その言葉を受け取って、
 小さく息を吐いた。

「……ありがとう」

 直は、
 ほんの少しだけ笑って、
 鍵を回す。

「入ろう」

 ドアが開く。

 外の夜と、
 さっきまでのざわめきが、
 静かに切り離される。

 ここから先は、
 二人だけの時間だった。