「もうすぐ花が咲くねだね」
たくさんのつぼみを付けたマーガレットに水をやりながら、話しかけた。
「ねえマーガレット。今度数学の小テストがあるんだ。でもなんだか勉強に集中できなくて……困ったなぁ」
マーガレットは、当然何も言わない。でもそれがいい。
今年の1月、雪が積もって枯れそうだったマーガレットをわたし、向日葵が見つけて、一生懸命お世話したんだ。そしたら3月になった今、大きくなってたくさんのつぼみを付けてくれたの!
本当は、園芸係がお世話をするらしいんだけど……サボっているみたい。ひどいよね。だから、私がお世話しているの!
校舎裏のフラワーガーデンの花壇のひとつには、いくつもマーガレットが植えてある。ピンクがかったレモンクリーム色の花が満開になったら、豪華な花束みたいになる予定なの。
ほかの花壇では、チューリップやネモフィラも咲く予定! きっとすてきなフラワーガーデンになるんだろうな。
「楽しみ~!」
はやく満開のマーガレットに出会いたいよ。
週末は暖かくなると天気予報で言っていた。だから、来週の月曜になれば、きっと……!
すてきな場所なのに、ここにいるのは私ひとり。でも……お花には悪いけど、それでいいんだ。
ここは、私だけのヒミツのフラワーガーデン。
誰にも知られたくない。
わたしの居場所は、このフラワーガーデンだけだから……。
けど、このあと。私だけのフラワーガーデンに異変が!
「僕はね、日葵ちゃんを助けにきたんだ」
なんてイケメンに言われて成績アップしちゃったり。
「日葵だって目立っていいんだって! みんなの人気者になれるって!」
地味子の私が、人気者に!?
「マーガレットより、俺のほうがいいと思うけど?」
イケメンが、私を取り合ったり!?
思いもかけないことが、たくさん巻き起こって、どんどんとわたしが成長していくんだ。
でもそれは、花が満開の間だけの、期間限定の――夢みたいな日々。
*
月曜の朝は特にユウウツだった。また1週間が始まってしまうから。
教室に居場所がない。別に、いじめられているわけじゃないよ。でも、中学に入ってから親しい友だちができなかった。1年生ももうすぐ終わり2年生に進級するというのに……。
しょうがないよ、だってわたし、勉強できないし、運動も苦手だし、楽しい話もできないし、なにより地味。友だちになる理由がない。
でも! フラワーガーデンに行くようになって、月曜日に学校に行くのはイヤじゃなくなったんだ。お花たちはわたしを待ってくれているから。
それにね、今日は満開のマーガレットに出会えるかもしれないからもっとわくわくしているよ!
通学路を、いつにも増して軽やかな足取りで進んでいく。くせ毛をふたつに結んだ髪がぴょこぴょこと揺れる。
普段はどんよりして見える通学路も、なんだか今日はキラキラして見えるよ。空気はヒンヤリしているけど、心の中はぽっかぽか!
周りの子たちは、わたしがこんなに楽しい気持ちで歩いているって知らないだろうな。ちょっとした優越感で、さらに気分が良くなる。いつもより早く起きたけど、まったく眠くないよ!
……まあ、勉強をしないで早寝したからなんだけどね。最近、勉強に集中できなくて。
まいっか! 今は忘れよう!
校門をくぐり、教室には行かずに花壇へ向かう。
はやる気持ちをおさえてマーガレットが植えてある花壇に近づくと……。
「え……」
マーガレットが植えてある花壇には……なにも、ない!
「どうして!?」
咲いてないとか、踏み荒らされているとか、株が抜かれているとかじゃない。なにもないの。他の花壇の植物は無事なのに……。
わけがわからなくて、花壇の土に触れてみる。ふかふかした土は、マーガレットがいた記憶を持っていないみたい……。
わたしが、ヘンなの? わたしが夢でも見ていたの?
さっきまでのわくわく感は、なんだったんだろう……。
チャイムが鳴る。もうすぐ朝のホームルームが始まる時間だ。
聞きなれた音にうながされて、わたしはとぼとぼと教室に向かった。
さっきまでのキラキラな世界から、どんよりした世界に。はぁ、いったいどういうことなんだろう?
教室に入っても、「日葵ちゃん、おはよう」って言ってくれる子はいない。無視されているわけじゃなくて、単純に存在感がないし、親しい子もいないだけ。自分のうわばきのつま先を見ながら、教室の真ん中の自分の席へ。真ん中だけど、まるで存在していないみたいな……。ドーナツみたいにここだけぽっかり穴が開いている気がするよ。
カバンを机に置いて力なく椅子に座ると……なんだか、いつもと教室の雰囲気が違う気がした。
顔をあげて教室をながめてみると……。窓際の一番後ろの席に、見慣れぬ男の子がいた。
(えっ、誰!?)
クラスの男の子に囲まれて楽しそうにしゃべっている、とても目立つ男の子がいた。
中学1年生にしてはとっても背が高いみたい。顔も小さくて、目が大きい。長めの前髪が目にかかっていて、大人っぽい雰囲気でもある。
なんといっても、髪色が目立つ。レモンクリーム色で、日に当たるとピンク色にも見える気がした。
こんな目立つ人を知らないわけない!
髪の毛がレモンクリーム色だよ?
転校生かな……?
でもクラスの男の子たちと、慣れた様子でなんてことない会話をしている。
その男の子の笑い声が教室に響く。
明るい声で、笑うだけで周囲が明るくなる……そんな声だった。
誰なんだろう。気になるよー!
(しょうがない、誰かに聞いてみよう……)
クラスの子に話しかけるのはいつも緊張する。普段、あんまりしゃべらないから……。
きょろきょろと教室を見渡すと……原くんと目が合った。
わ、やば。
わたしはあわてて顔をそらす。
原くんはわたしにたいして「ヒマワリ! 寝ぐせついてるぞ~あ、くせっ毛か!」ってからかったり「元気ないぞ~!」って言いながら背中をばしんと叩いたりしてくる男の子。
わたしのフルネームが「向日葵」、ヒマワリは、漢字で書くと「向日葵」だからそう呼んでくるんだけど……はずかしいからやめてほしい。だってわたしとヒマワリってイメージが違いすぎるから。
向日葵って名前が似合う、人気者になりたかったな……。
「おい、ヒマワリ!」
背後から、原くんの大きな声! わたしは思わず「ひぃっ」って声が出てしまった。
振りかえると……目鼻立ちがハッキリしていて、制服も着崩していて、ちょっと不良な雰囲気の原くんがすぐ後ろまで来ていた。
「な、なに……?」
「なに? じゃないよ。俺のこと見ただろ~? なんか用? かっこいい~って思ってた?」
なぜか目を輝かせて聞いてくる。眼力が強い。イケメンなのは事実だけど、自分から言われるとね……。
「見てたというか……」
そうだ、せっかくなら原くんに聞いてみよう。このクラスで一番わたしと会話しているのは原くんだから。からかわれていることを会話と言うのかは、アヤシイけど……。
「あの男の子、知ってる?」
ちらりと、さっきのレモンクリーム色の男の子に目をやる。原くんはつまらなそうな顔をしつつ首をかしげた。
「何言ってんだよ、真賀レイトじゃん」
「まが……れいと……?」
原くんは知ってるんだ。原くんだけじゃなくて、クラスのみんなも。
「ドーナツの穴すぎて、人気者の真賀レイトのことも忘れた?」
怪しむような言い方をされてしまう。ま、まずい! ごまかさないと!
「わ、忘れるわけないじゃ~ん! ワ・ザ・ト・だよっ」
人差し指をチッチッチと左右に振ってみたけど……。
サム~いふざけ方をしたと同時に、チャイムが鳴った。
原くんは顔をしかめつつ「キャラ変? 似合わないからやめとけば?」と言って廊下側の一番後ろの自分の席に戻っていった。
やらかしたかもしれない……。クラスの子も、ちらちら見ている気がする。
恥ずかしい……!
ドーナツの穴のくせに、ヘンなことしちゃった。
思わず、肩をすぼめて顔をさげて体をちいさくする。悪目立ちしたら、嫌われちゃうよ。
それにしても……振り返って、授業の準備を始めるレイトくんを見る。
マーガレットが消えたこと、謎のクラスメイトの真賀レイトくんをみんなが知っていること。変な世界に迷い込んだみたい。夢でも見ているのかな?
ほっぺをつまんでみるけれど、普通に痛い。やっぱり現実ってこと?
もう、わけがわからない!
先生が「そろそろ学年末のテストがあります。その前に、数学の小テストもありますので、しっかり勉強してくださいね」なんて話をしているけど、ぜーんぜん、頭に入らないよ。
*
ようやく昼休み。給食のあと、花壇に行くために足早に歩く。
フラワーガーデンに行けるって思うと、ゆっくり息が吸える気がする!
でも、もうマーガレットはいない。土だけになった花壇を見るかと思うと、悲しくて気持ちが落ち込みそうだよ。けど、ネモフィラやチューリップといった花たちの様子も見ないとね!
体育館脇を通ってフラワーガーデンに入ると……。
(あれ、レイトくん?)
後ろ姿だけど、見間違えるはずもない。少しピンクがかったレモンクリーム色の髪が風に揺れている。ここに、わたし以外の子がいることなんてないのに。どうして?
どうしたらいいか戸惑ってただ立ち尽くしていると、レイトくんがゆっくりと振り返った。
太陽の日差しのもとで、レモンクリーム色の髪も、緑がかった瞳も、白い肌も、キラキラと輝いている。
みんなと同じ制服のはずなのに、全然違うように見えるよ。
まるで……そこに花が咲いたみたいな――。
教室で見るよりも、ずっとずっとかっこよかった。
圧倒されて、何も言えない。話しかけられない。
動けないわたしを見て、レイトくんが柔らかくほほえむ。
「日葵ちゃん! やっと、話せるね」
白い歯を見せてすこし恥ずかしそうに笑って、わたしを見ている。
(――――!?!?!?!?)
や、やっと話せる? って何? どういうこと?
おかしなことを言うし、わたしのことを知っているみたい……。な、なんで?
頭がパニックで、言葉が出てこないよ~!
わたしがかたまっている様子を見て、レイトくんは口元に手をあてて笑っている。
「驚くよね、そうだよね」
レイトくんが、ずんずん歩いて近づいてくる。レイトくんの周りだけキラキラしていてまぶしい。
わたしは思わず、まばたきを繰り返してしまう。でも、目の前のレイトくんの輝きは変わらなかった。
ううん。どんどん近づいてきて、眩しさが増していくよ。
「日葵ちゃん、俺はね!」
ぴたりとわたしの目の前で止まり、わたしの肩をがしっと掴んだ。
え、え、え、何? 距離近いんだけど!?
レイトくんの顔が、わたしの鼻先まで近づく。
「俺は、日葵ちゃんを助けにきたんだ」
そう言って、ニカっと笑う。ふわりと、花の香りがした気がした。
きれいな顔にみとれちゃうけど……えっと、わたしはどうしたらいいのだろう?
レイトくんの顔を見る。冗談でもふざけているわけでもなく、ただすてきな笑顔でわたしを見つめている。
近すぎる!
わたしは肩に置かれた手を振りほどくように後ずさった。
「あの、どうしてわたしを助けてくれるの……?」
「理由は聞かないで」
レイトくんは人差し指を自身の唇にあてた。
ヒミツだよ、って。
なんだか、クラスでしゃべっていたときに比べて、さらに大人っぽいな……ドキドキする!
「お、教えてよ……!」
食い下がるわたしを見ても、レイトくんは首を振るだけ。どうやら、絶対に言うつもりはないみたい。
じゃあ、別の質問をしよう。
「助けるって、何から?」
わたしは悪の組織に追われているわけでもないし、いじめられているわけでもない。助けられることって、特にないと思うんだけど……。
レイトくんは、少し考えるように空を見上げた。そしてまた、わたしに視線を戻す。
「あさっての水曜日、数学の小テストだよね。集中して勉強できている?」
うぐ。痛いところをつかれた。
「集中できていないです……」
勉強はぜんぜんできていない。もともと得意ってわけでもないのに、最近は集中できなくて……。
あれ、でもなんでレイトくんはそのことを知っているんだろう? わたしの記憶にないだけで、以前会話したことがあったのかな?
「テスト勉強に集中できる方法、知りたい?」
「知りたい!」
つい大きな声が出てしまった。わたしは自分の声にびっくりして、手で口をふさいだ。
だって、今の悩みの種なんだもん!
するとレイトくんはうれしそうに笑い、一歩わたしに近づいて……なんとわたしの手をとった!
「え、え、え!」
「こっちに来て」
男の子と手をつなぐのははじめて。思わず顔が熱くなる。
先を歩くレイトくんの後ろ姿を見ながら、わたしは大混乱!
ど、どこに連れていかれるの――と思ったら、レイトくんは数歩歩いて花壇の前で足を止めた。
その花壇には、ネモフィラが植えられているんだよ。花が咲くのは、来月4月になってからかな。今はどんどんと葉を大きくしている最中なの。
「このネモフィラ、同じ花壇に植えられているけど、成長速度が違うよね」
レイトくんは花壇の右と左を指さした。
手、離さないんだ。別に離してほしいわけじゃないけど……。
わたしは繋いだ手を意識しないよう、平静を装ってネモフィラの花壇の右と左を見比べる。
たしかに、右のほうはまだ葉があまり大きくないみたい。
「どうして?」
土も肥料も水やりも、ぜんぶ同じようにやっているのに。
わたしの疑問について、レイトくんは得意げに教えてくれる。
「右側は、朝から昼すぎまで体育館の影になるから、太陽の光が足りないんだ」
振り返って体育館を見上げる。たしかに今の時間もまだ、花壇の右側だけ体育館の影に入っているみたい。
「ネモフィラは、太陽の光が好きだからね。日影のネモフィラもきれいに咲くけれど、日なたのほうがもっとたくさん花を咲かせるよ」
「ひなた……」
レイトくんの口から出てきた「ひなた」という単語につい反応してしまう。わたしの名前と同じ。けれど、わたしはそんなに明るい子じゃない。ヒマワリでもない。もう、どうして親はこんな名前をつけたんだろう……。
つい、レイトくんの手をぎゅっとにぎってしまう。すると、レイトくんはぎゅっと握り返してくれた。
驚いて、レイトくんの顔を見る。わたしの気持ちを知ってか知らずか、レイトくんはどこかはげますように明るい声で言った。
「花だって、適した環境にいないと力を発揮できないんだ。人間もきっとそう。だから、いつもと違うところで勉強して、自分に合った場所を見つけてみたらどうかな?」
「違うところ……?」
「たとえば、リビングとか図書館とか、人がいるところのほうが集中できるかもしれないよ」
「なるほど……。ありがとう、レイトくん。やってみるよ!」
「うん、その調子!」
レイトくんはぐっと親指をたててくれた。
そのとき、5時間目の授業がはじまる予鈴が鳴りひびく。
レイトくんは、ぱっとわたしの手を離した。
ずっと、あったかいレイトくんの手に握られていたから、急にさみしくなってしまう。
手のひらを冷たい春の風が通り抜ける。
「先に戻ってるね」
レイトくんは、ばいばいと手を振って、歩いて行って……途中、振り返った。
「ここで会ったこと、話したことはヒミツね」
レイトくんはまた、人差し指を自分の唇にあてた。
「どうして……?」
わたしなんかと仲良しって知られたくないのかな……。
不安になるわたしの顔を見て、レイトくんは首を振る。
「僕といっしょにいるって知られると、日葵ちゃんが悪目立ちしてしまうから」
レイトくんは自分の髪に触る。目立つ理由は、レモンクリーム色の髪だけじゃないけどね。
なぜ、レイトくんはわたしの「目立つのが怖い」って思いも知っているんだろう。記憶にないだけで、話したことがあるのかな?
そんなことある?
ふしぎな思いで頭がこんがらがってしまって、うまく言葉が出てこない。
レイトくんはやさしくほほえむと、癖のあるわたしの髪の毛にそっと触れた。ふたつ結びになっている髪の毛が、しっぽみたいにゆれる。
「僕は、日葵ちゃんのことをよく知っているよ。この癖のある髪の毛が好きじゃないってことも。僕は、日葵ちゃんのかわいらしさを演出してくれるすてきな髪の毛だと思うけどね」
かかかかかかわいらしさを演出~!?
「きっとみんな、日葵ちゃんのことを知れば、好きになると思うよ」
「そ、そうかな……」
かろうじてひねり出した言葉は、震えていた。
私のことを、好きになってくれるって……。そんなこと、ある?
ドーナツの穴の、私が?
びっくりして固まっていると、レイトくんは「じゃあまたね」といって、足早に校舎に戻っていった。
遠くにいってしまうレイトくん。
なんだかすごーい時間だった……
わたしたちのことは、みんなにはヒミツ。だから、教室ではひとことも話さなかったんだね。
じゃあ……ここに来れば、また、お話できるのかな。
レイトくんは、うれしい言葉をたくさんくれた。なんだか、力がみなぎってくるような……!
わたしはドキドキをおさえるように、手を胸に置いた。
*
帰宅すると、わたしはすぐに数学のワークを広げた。
「リビングで勉強するの?」
ママが夕飯の用意をしながら、めずらしいものを見る目でリビングのローテーブルについているわたしを見ていた。
「自分の部屋だと、集中できなくて。環境を変えてみようかなって。学期末テストの前に、数学の小テストがあるんだ」
「へぇ。やる気になってくれたのはなにより!」
ママはうれしそう。そうだよね。普段はあまり口うるさく言わないけれど……お姉ちゃんとくらべて、わたしのテストの点は良いとは言えないもん。
「うん、がんばるよ!」
環境を変えて勉強する。わたしが一番よいと思える場所を探す。
ここでダメなら、また別の場所で勉強すればいいよね。
キッチンで、ママが慌ただしく料理をしている。食器の音、野菜を切る音、お湯が沸いた音……いろんな音が耳に届く。
静かすぎないっていいかもと思いながら、ラグの上に座って目の前の数学のワークにとりくむ。
ママが料理の合間にわたしを見ているかも、と思うと、背筋が伸びる気がする。
学校で勉強しているみたいな気持ちになってきた!
いつも、問題文を読んでもすぐに公式も浮かばないし、計算ミスも多い。でも今日はなぜだか、ぱっと公式が頭に浮かぶし、計算もすらすらできる。
いつもなら頭がこんがらがって、数字も言葉もどこか遠くにあるようで、ほしい答えを見つけるまですっごく時間がかかっていたんだ。答えを見つけて目の前に持ってきても、ハッキリとは見えなくて、あっているかどうか自信がもてない……。
でも今日は、答えが近くに感じるし、ハッキリ見える!
頭の回転が速くなったみたい!
ワークをといていくのが楽しくて、夢中になってしまったよ。
区切りのいいところまでワークを解き終えて「ふぅ」と息をはく。そしてようやくカレーのにおいに気付く。
「ママ、今日はカレー?」
キッチンにいるママを見る。ママはスマホをいじっていた。わたしの声に反応して顔をあげる。
「そうだよ~。日葵、すっごく集中してたね。とっくに作り終わっていたけど声をかけられなかった」
エプロンのポケットにスマホを入れながら、ママがわたしのほうへやってきた。
「どれどれ~?」
ワークに付属されている解答と見比べながら、ママはわたしの答えを見ていく。
ママはどんどんと、笑顔になっていく。
「すごいじゃない、全問正解!」
いつにも増して明るい声で、ママが言う。
「ほんと! やったぁ!」
簡単な問題が多かったけれど、それでもわたしが全問正解できるなんて!
「リビングでのお勉強作戦、成功だね」
ママは上機嫌で「お風呂掃除してくる」とリビングをあとにした。
もしかしたらわたしは、人の目があるところのほうが勉強しやすいのかも!
(うれしい……これならテストも良い点とれる!)
勉強する場所を変えるだけで、こんなに集中できるなんて。
レイトくん、ありがとう!
*
水曜日、数学の小テストがある朝。
あの日以降、フラワーガーデンに行ってもレイトくんは来なかった。もしかして、やっぱり夢だったのかな……なんて思っちゃう。
教室に入ると、レイトくんはいつものようにみんなに囲まれて楽しそうに話している。
やっぱり、夢だったんだ。
だって、こんなにすてきな男の子が、わたしを助けるためにやってきたって……そんなわけないもんね。
まして手をつないだり髪に触ったりするわけない。
……ドーナツの穴のわたしなんかに。
ちょっとさみしい気持ちはある。けど、今日のテストに集中しないと!
1時間目の数学の授業がはじまり、さっそくテスト用紙が配られる。
数学の小テスト、スタート!
わたしは、リビングでがんばった勉強を思い出しながら、一生懸命テストを解いていった。緊張しているからか、家で勉強したみたいにすらすら解けない。でも、家でできたんだから大丈夫って思える。
きっと、満点を取れる!
シャーペンを必死に走らせて、問題を解いていった。
授業が終わって休み時間になり、教室にほっとした空気が流れる。開放感でみんな、表情が明るい。
レイトくんは……わたしのことは見もしない。やっぱり、あのフラワーガーデンでのできごとは、夢――。
寂しいけど、でもその夢のおかげで、勉強に集中できたからいいよね。
帰りのホームルームになり、テストが返却される。
「向さん」
先生に名前を呼ばれて取りに行く。いつもは「どうせ点数が低いから」っていうイヤなドキドキだったけど、今日は期待のドキドキ! ぎこちない足取りでテストを取りに行くと……。
「向さん、よくがんばりました」
先生が、笑顔で言ってくれる。おそるおそる点数を見てみると……なんと100点満点!
「や、やった……!」
思わず、手にしていたテスト用紙をぎゅっと握ってしまう。だって、小テストとはいえ100点なんて見たことない!
うれしい……! うれしい気持ちがはじけて、心の底から飛び出しそうだよ!
自分の席に戻る途中、レイトくんをちらっと見る。どうせ、わたしなんて見てないだろうけど……と思ったら、思いっきり目が合った!
(え、見てる!)
レイトくんは目を細めて笑うと、親指をぐっと立てた。
わたしは思わず立ち尽くす。
やっぱり、夢じゃなかった――!
レイトくんは、わたしを助けるために来てくれたんだ……。
うれしくて、涙が出そうになる。わたし、レイトくんのおかげで100点とれたよ!
スキップして自分の席に戻りたい気持ちをおさえて歩いていると……。
わたしはふと視線に気付いて、廊下側に目をやる。一番後ろの席に座る原くんが、するどいまなざしでわたしと、そしてレイトくんを交互に見ていた。
なんだか、嫌な予感……。
クラスの人気者のレイトくんとわたしが親しいことが原くんにバレてしまったら。……きっと、変に思われる。からかわれる。みんなに言いふらされる。
それは、すっごくこわい。変な目立ち方をして、いじめられたくない。
わたしは原くんの視線から逃げるようにうつむいて、ぎこちなく自分の席につく。
せっかくのうれしい気持ちが、不安に押しつぶされそうだよ。
わたしとレイトくんのヒミツ、ぜったいに知られちゃいけない。
たくさんのつぼみを付けたマーガレットに水をやりながら、話しかけた。
「ねえマーガレット。今度数学の小テストがあるんだ。でもなんだか勉強に集中できなくて……困ったなぁ」
マーガレットは、当然何も言わない。でもそれがいい。
今年の1月、雪が積もって枯れそうだったマーガレットをわたし、向日葵が見つけて、一生懸命お世話したんだ。そしたら3月になった今、大きくなってたくさんのつぼみを付けてくれたの!
本当は、園芸係がお世話をするらしいんだけど……サボっているみたい。ひどいよね。だから、私がお世話しているの!
校舎裏のフラワーガーデンの花壇のひとつには、いくつもマーガレットが植えてある。ピンクがかったレモンクリーム色の花が満開になったら、豪華な花束みたいになる予定なの。
ほかの花壇では、チューリップやネモフィラも咲く予定! きっとすてきなフラワーガーデンになるんだろうな。
「楽しみ~!」
はやく満開のマーガレットに出会いたいよ。
週末は暖かくなると天気予報で言っていた。だから、来週の月曜になれば、きっと……!
すてきな場所なのに、ここにいるのは私ひとり。でも……お花には悪いけど、それでいいんだ。
ここは、私だけのヒミツのフラワーガーデン。
誰にも知られたくない。
わたしの居場所は、このフラワーガーデンだけだから……。
けど、このあと。私だけのフラワーガーデンに異変が!
「僕はね、日葵ちゃんを助けにきたんだ」
なんてイケメンに言われて成績アップしちゃったり。
「日葵だって目立っていいんだって! みんなの人気者になれるって!」
地味子の私が、人気者に!?
「マーガレットより、俺のほうがいいと思うけど?」
イケメンが、私を取り合ったり!?
思いもかけないことが、たくさん巻き起こって、どんどんとわたしが成長していくんだ。
でもそれは、花が満開の間だけの、期間限定の――夢みたいな日々。
*
月曜の朝は特にユウウツだった。また1週間が始まってしまうから。
教室に居場所がない。別に、いじめられているわけじゃないよ。でも、中学に入ってから親しい友だちができなかった。1年生ももうすぐ終わり2年生に進級するというのに……。
しょうがないよ、だってわたし、勉強できないし、運動も苦手だし、楽しい話もできないし、なにより地味。友だちになる理由がない。
でも! フラワーガーデンに行くようになって、月曜日に学校に行くのはイヤじゃなくなったんだ。お花たちはわたしを待ってくれているから。
それにね、今日は満開のマーガレットに出会えるかもしれないからもっとわくわくしているよ!
通学路を、いつにも増して軽やかな足取りで進んでいく。くせ毛をふたつに結んだ髪がぴょこぴょこと揺れる。
普段はどんよりして見える通学路も、なんだか今日はキラキラして見えるよ。空気はヒンヤリしているけど、心の中はぽっかぽか!
周りの子たちは、わたしがこんなに楽しい気持ちで歩いているって知らないだろうな。ちょっとした優越感で、さらに気分が良くなる。いつもより早く起きたけど、まったく眠くないよ!
……まあ、勉強をしないで早寝したからなんだけどね。最近、勉強に集中できなくて。
まいっか! 今は忘れよう!
校門をくぐり、教室には行かずに花壇へ向かう。
はやる気持ちをおさえてマーガレットが植えてある花壇に近づくと……。
「え……」
マーガレットが植えてある花壇には……なにも、ない!
「どうして!?」
咲いてないとか、踏み荒らされているとか、株が抜かれているとかじゃない。なにもないの。他の花壇の植物は無事なのに……。
わけがわからなくて、花壇の土に触れてみる。ふかふかした土は、マーガレットがいた記憶を持っていないみたい……。
わたしが、ヘンなの? わたしが夢でも見ていたの?
さっきまでのわくわく感は、なんだったんだろう……。
チャイムが鳴る。もうすぐ朝のホームルームが始まる時間だ。
聞きなれた音にうながされて、わたしはとぼとぼと教室に向かった。
さっきまでのキラキラな世界から、どんよりした世界に。はぁ、いったいどういうことなんだろう?
教室に入っても、「日葵ちゃん、おはよう」って言ってくれる子はいない。無視されているわけじゃなくて、単純に存在感がないし、親しい子もいないだけ。自分のうわばきのつま先を見ながら、教室の真ん中の自分の席へ。真ん中だけど、まるで存在していないみたいな……。ドーナツみたいにここだけぽっかり穴が開いている気がするよ。
カバンを机に置いて力なく椅子に座ると……なんだか、いつもと教室の雰囲気が違う気がした。
顔をあげて教室をながめてみると……。窓際の一番後ろの席に、見慣れぬ男の子がいた。
(えっ、誰!?)
クラスの男の子に囲まれて楽しそうにしゃべっている、とても目立つ男の子がいた。
中学1年生にしてはとっても背が高いみたい。顔も小さくて、目が大きい。長めの前髪が目にかかっていて、大人っぽい雰囲気でもある。
なんといっても、髪色が目立つ。レモンクリーム色で、日に当たるとピンク色にも見える気がした。
こんな目立つ人を知らないわけない!
髪の毛がレモンクリーム色だよ?
転校生かな……?
でもクラスの男の子たちと、慣れた様子でなんてことない会話をしている。
その男の子の笑い声が教室に響く。
明るい声で、笑うだけで周囲が明るくなる……そんな声だった。
誰なんだろう。気になるよー!
(しょうがない、誰かに聞いてみよう……)
クラスの子に話しかけるのはいつも緊張する。普段、あんまりしゃべらないから……。
きょろきょろと教室を見渡すと……原くんと目が合った。
わ、やば。
わたしはあわてて顔をそらす。
原くんはわたしにたいして「ヒマワリ! 寝ぐせついてるぞ~あ、くせっ毛か!」ってからかったり「元気ないぞ~!」って言いながら背中をばしんと叩いたりしてくる男の子。
わたしのフルネームが「向日葵」、ヒマワリは、漢字で書くと「向日葵」だからそう呼んでくるんだけど……はずかしいからやめてほしい。だってわたしとヒマワリってイメージが違いすぎるから。
向日葵って名前が似合う、人気者になりたかったな……。
「おい、ヒマワリ!」
背後から、原くんの大きな声! わたしは思わず「ひぃっ」って声が出てしまった。
振りかえると……目鼻立ちがハッキリしていて、制服も着崩していて、ちょっと不良な雰囲気の原くんがすぐ後ろまで来ていた。
「な、なに……?」
「なに? じゃないよ。俺のこと見ただろ~? なんか用? かっこいい~って思ってた?」
なぜか目を輝かせて聞いてくる。眼力が強い。イケメンなのは事実だけど、自分から言われるとね……。
「見てたというか……」
そうだ、せっかくなら原くんに聞いてみよう。このクラスで一番わたしと会話しているのは原くんだから。からかわれていることを会話と言うのかは、アヤシイけど……。
「あの男の子、知ってる?」
ちらりと、さっきのレモンクリーム色の男の子に目をやる。原くんはつまらなそうな顔をしつつ首をかしげた。
「何言ってんだよ、真賀レイトじゃん」
「まが……れいと……?」
原くんは知ってるんだ。原くんだけじゃなくて、クラスのみんなも。
「ドーナツの穴すぎて、人気者の真賀レイトのことも忘れた?」
怪しむような言い方をされてしまう。ま、まずい! ごまかさないと!
「わ、忘れるわけないじゃ~ん! ワ・ザ・ト・だよっ」
人差し指をチッチッチと左右に振ってみたけど……。
サム~いふざけ方をしたと同時に、チャイムが鳴った。
原くんは顔をしかめつつ「キャラ変? 似合わないからやめとけば?」と言って廊下側の一番後ろの自分の席に戻っていった。
やらかしたかもしれない……。クラスの子も、ちらちら見ている気がする。
恥ずかしい……!
ドーナツの穴のくせに、ヘンなことしちゃった。
思わず、肩をすぼめて顔をさげて体をちいさくする。悪目立ちしたら、嫌われちゃうよ。
それにしても……振り返って、授業の準備を始めるレイトくんを見る。
マーガレットが消えたこと、謎のクラスメイトの真賀レイトくんをみんなが知っていること。変な世界に迷い込んだみたい。夢でも見ているのかな?
ほっぺをつまんでみるけれど、普通に痛い。やっぱり現実ってこと?
もう、わけがわからない!
先生が「そろそろ学年末のテストがあります。その前に、数学の小テストもありますので、しっかり勉強してくださいね」なんて話をしているけど、ぜーんぜん、頭に入らないよ。
*
ようやく昼休み。給食のあと、花壇に行くために足早に歩く。
フラワーガーデンに行けるって思うと、ゆっくり息が吸える気がする!
でも、もうマーガレットはいない。土だけになった花壇を見るかと思うと、悲しくて気持ちが落ち込みそうだよ。けど、ネモフィラやチューリップといった花たちの様子も見ないとね!
体育館脇を通ってフラワーガーデンに入ると……。
(あれ、レイトくん?)
後ろ姿だけど、見間違えるはずもない。少しピンクがかったレモンクリーム色の髪が風に揺れている。ここに、わたし以外の子がいることなんてないのに。どうして?
どうしたらいいか戸惑ってただ立ち尽くしていると、レイトくんがゆっくりと振り返った。
太陽の日差しのもとで、レモンクリーム色の髪も、緑がかった瞳も、白い肌も、キラキラと輝いている。
みんなと同じ制服のはずなのに、全然違うように見えるよ。
まるで……そこに花が咲いたみたいな――。
教室で見るよりも、ずっとずっとかっこよかった。
圧倒されて、何も言えない。話しかけられない。
動けないわたしを見て、レイトくんが柔らかくほほえむ。
「日葵ちゃん! やっと、話せるね」
白い歯を見せてすこし恥ずかしそうに笑って、わたしを見ている。
(――――!?!?!?!?)
や、やっと話せる? って何? どういうこと?
おかしなことを言うし、わたしのことを知っているみたい……。な、なんで?
頭がパニックで、言葉が出てこないよ~!
わたしがかたまっている様子を見て、レイトくんは口元に手をあてて笑っている。
「驚くよね、そうだよね」
レイトくんが、ずんずん歩いて近づいてくる。レイトくんの周りだけキラキラしていてまぶしい。
わたしは思わず、まばたきを繰り返してしまう。でも、目の前のレイトくんの輝きは変わらなかった。
ううん。どんどん近づいてきて、眩しさが増していくよ。
「日葵ちゃん、俺はね!」
ぴたりとわたしの目の前で止まり、わたしの肩をがしっと掴んだ。
え、え、え、何? 距離近いんだけど!?
レイトくんの顔が、わたしの鼻先まで近づく。
「俺は、日葵ちゃんを助けにきたんだ」
そう言って、ニカっと笑う。ふわりと、花の香りがした気がした。
きれいな顔にみとれちゃうけど……えっと、わたしはどうしたらいいのだろう?
レイトくんの顔を見る。冗談でもふざけているわけでもなく、ただすてきな笑顔でわたしを見つめている。
近すぎる!
わたしは肩に置かれた手を振りほどくように後ずさった。
「あの、どうしてわたしを助けてくれるの……?」
「理由は聞かないで」
レイトくんは人差し指を自身の唇にあてた。
ヒミツだよ、って。
なんだか、クラスでしゃべっていたときに比べて、さらに大人っぽいな……ドキドキする!
「お、教えてよ……!」
食い下がるわたしを見ても、レイトくんは首を振るだけ。どうやら、絶対に言うつもりはないみたい。
じゃあ、別の質問をしよう。
「助けるって、何から?」
わたしは悪の組織に追われているわけでもないし、いじめられているわけでもない。助けられることって、特にないと思うんだけど……。
レイトくんは、少し考えるように空を見上げた。そしてまた、わたしに視線を戻す。
「あさっての水曜日、数学の小テストだよね。集中して勉強できている?」
うぐ。痛いところをつかれた。
「集中できていないです……」
勉強はぜんぜんできていない。もともと得意ってわけでもないのに、最近は集中できなくて……。
あれ、でもなんでレイトくんはそのことを知っているんだろう? わたしの記憶にないだけで、以前会話したことがあったのかな?
「テスト勉強に集中できる方法、知りたい?」
「知りたい!」
つい大きな声が出てしまった。わたしは自分の声にびっくりして、手で口をふさいだ。
だって、今の悩みの種なんだもん!
するとレイトくんはうれしそうに笑い、一歩わたしに近づいて……なんとわたしの手をとった!
「え、え、え!」
「こっちに来て」
男の子と手をつなぐのははじめて。思わず顔が熱くなる。
先を歩くレイトくんの後ろ姿を見ながら、わたしは大混乱!
ど、どこに連れていかれるの――と思ったら、レイトくんは数歩歩いて花壇の前で足を止めた。
その花壇には、ネモフィラが植えられているんだよ。花が咲くのは、来月4月になってからかな。今はどんどんと葉を大きくしている最中なの。
「このネモフィラ、同じ花壇に植えられているけど、成長速度が違うよね」
レイトくんは花壇の右と左を指さした。
手、離さないんだ。別に離してほしいわけじゃないけど……。
わたしは繋いだ手を意識しないよう、平静を装ってネモフィラの花壇の右と左を見比べる。
たしかに、右のほうはまだ葉があまり大きくないみたい。
「どうして?」
土も肥料も水やりも、ぜんぶ同じようにやっているのに。
わたしの疑問について、レイトくんは得意げに教えてくれる。
「右側は、朝から昼すぎまで体育館の影になるから、太陽の光が足りないんだ」
振り返って体育館を見上げる。たしかに今の時間もまだ、花壇の右側だけ体育館の影に入っているみたい。
「ネモフィラは、太陽の光が好きだからね。日影のネモフィラもきれいに咲くけれど、日なたのほうがもっとたくさん花を咲かせるよ」
「ひなた……」
レイトくんの口から出てきた「ひなた」という単語につい反応してしまう。わたしの名前と同じ。けれど、わたしはそんなに明るい子じゃない。ヒマワリでもない。もう、どうして親はこんな名前をつけたんだろう……。
つい、レイトくんの手をぎゅっとにぎってしまう。すると、レイトくんはぎゅっと握り返してくれた。
驚いて、レイトくんの顔を見る。わたしの気持ちを知ってか知らずか、レイトくんはどこかはげますように明るい声で言った。
「花だって、適した環境にいないと力を発揮できないんだ。人間もきっとそう。だから、いつもと違うところで勉強して、自分に合った場所を見つけてみたらどうかな?」
「違うところ……?」
「たとえば、リビングとか図書館とか、人がいるところのほうが集中できるかもしれないよ」
「なるほど……。ありがとう、レイトくん。やってみるよ!」
「うん、その調子!」
レイトくんはぐっと親指をたててくれた。
そのとき、5時間目の授業がはじまる予鈴が鳴りひびく。
レイトくんは、ぱっとわたしの手を離した。
ずっと、あったかいレイトくんの手に握られていたから、急にさみしくなってしまう。
手のひらを冷たい春の風が通り抜ける。
「先に戻ってるね」
レイトくんは、ばいばいと手を振って、歩いて行って……途中、振り返った。
「ここで会ったこと、話したことはヒミツね」
レイトくんはまた、人差し指を自分の唇にあてた。
「どうして……?」
わたしなんかと仲良しって知られたくないのかな……。
不安になるわたしの顔を見て、レイトくんは首を振る。
「僕といっしょにいるって知られると、日葵ちゃんが悪目立ちしてしまうから」
レイトくんは自分の髪に触る。目立つ理由は、レモンクリーム色の髪だけじゃないけどね。
なぜ、レイトくんはわたしの「目立つのが怖い」って思いも知っているんだろう。記憶にないだけで、話したことがあるのかな?
そんなことある?
ふしぎな思いで頭がこんがらがってしまって、うまく言葉が出てこない。
レイトくんはやさしくほほえむと、癖のあるわたしの髪の毛にそっと触れた。ふたつ結びになっている髪の毛が、しっぽみたいにゆれる。
「僕は、日葵ちゃんのことをよく知っているよ。この癖のある髪の毛が好きじゃないってことも。僕は、日葵ちゃんのかわいらしさを演出してくれるすてきな髪の毛だと思うけどね」
かかかかかかわいらしさを演出~!?
「きっとみんな、日葵ちゃんのことを知れば、好きになると思うよ」
「そ、そうかな……」
かろうじてひねり出した言葉は、震えていた。
私のことを、好きになってくれるって……。そんなこと、ある?
ドーナツの穴の、私が?
びっくりして固まっていると、レイトくんは「じゃあまたね」といって、足早に校舎に戻っていった。
遠くにいってしまうレイトくん。
なんだかすごーい時間だった……
わたしたちのことは、みんなにはヒミツ。だから、教室ではひとことも話さなかったんだね。
じゃあ……ここに来れば、また、お話できるのかな。
レイトくんは、うれしい言葉をたくさんくれた。なんだか、力がみなぎってくるような……!
わたしはドキドキをおさえるように、手を胸に置いた。
*
帰宅すると、わたしはすぐに数学のワークを広げた。
「リビングで勉強するの?」
ママが夕飯の用意をしながら、めずらしいものを見る目でリビングのローテーブルについているわたしを見ていた。
「自分の部屋だと、集中できなくて。環境を変えてみようかなって。学期末テストの前に、数学の小テストがあるんだ」
「へぇ。やる気になってくれたのはなにより!」
ママはうれしそう。そうだよね。普段はあまり口うるさく言わないけれど……お姉ちゃんとくらべて、わたしのテストの点は良いとは言えないもん。
「うん、がんばるよ!」
環境を変えて勉強する。わたしが一番よいと思える場所を探す。
ここでダメなら、また別の場所で勉強すればいいよね。
キッチンで、ママが慌ただしく料理をしている。食器の音、野菜を切る音、お湯が沸いた音……いろんな音が耳に届く。
静かすぎないっていいかもと思いながら、ラグの上に座って目の前の数学のワークにとりくむ。
ママが料理の合間にわたしを見ているかも、と思うと、背筋が伸びる気がする。
学校で勉強しているみたいな気持ちになってきた!
いつも、問題文を読んでもすぐに公式も浮かばないし、計算ミスも多い。でも今日はなぜだか、ぱっと公式が頭に浮かぶし、計算もすらすらできる。
いつもなら頭がこんがらがって、数字も言葉もどこか遠くにあるようで、ほしい答えを見つけるまですっごく時間がかかっていたんだ。答えを見つけて目の前に持ってきても、ハッキリとは見えなくて、あっているかどうか自信がもてない……。
でも今日は、答えが近くに感じるし、ハッキリ見える!
頭の回転が速くなったみたい!
ワークをといていくのが楽しくて、夢中になってしまったよ。
区切りのいいところまでワークを解き終えて「ふぅ」と息をはく。そしてようやくカレーのにおいに気付く。
「ママ、今日はカレー?」
キッチンにいるママを見る。ママはスマホをいじっていた。わたしの声に反応して顔をあげる。
「そうだよ~。日葵、すっごく集中してたね。とっくに作り終わっていたけど声をかけられなかった」
エプロンのポケットにスマホを入れながら、ママがわたしのほうへやってきた。
「どれどれ~?」
ワークに付属されている解答と見比べながら、ママはわたしの答えを見ていく。
ママはどんどんと、笑顔になっていく。
「すごいじゃない、全問正解!」
いつにも増して明るい声で、ママが言う。
「ほんと! やったぁ!」
簡単な問題が多かったけれど、それでもわたしが全問正解できるなんて!
「リビングでのお勉強作戦、成功だね」
ママは上機嫌で「お風呂掃除してくる」とリビングをあとにした。
もしかしたらわたしは、人の目があるところのほうが勉強しやすいのかも!
(うれしい……これならテストも良い点とれる!)
勉強する場所を変えるだけで、こんなに集中できるなんて。
レイトくん、ありがとう!
*
水曜日、数学の小テストがある朝。
あの日以降、フラワーガーデンに行ってもレイトくんは来なかった。もしかして、やっぱり夢だったのかな……なんて思っちゃう。
教室に入ると、レイトくんはいつものようにみんなに囲まれて楽しそうに話している。
やっぱり、夢だったんだ。
だって、こんなにすてきな男の子が、わたしを助けるためにやってきたって……そんなわけないもんね。
まして手をつないだり髪に触ったりするわけない。
……ドーナツの穴のわたしなんかに。
ちょっとさみしい気持ちはある。けど、今日のテストに集中しないと!
1時間目の数学の授業がはじまり、さっそくテスト用紙が配られる。
数学の小テスト、スタート!
わたしは、リビングでがんばった勉強を思い出しながら、一生懸命テストを解いていった。緊張しているからか、家で勉強したみたいにすらすら解けない。でも、家でできたんだから大丈夫って思える。
きっと、満点を取れる!
シャーペンを必死に走らせて、問題を解いていった。
授業が終わって休み時間になり、教室にほっとした空気が流れる。開放感でみんな、表情が明るい。
レイトくんは……わたしのことは見もしない。やっぱり、あのフラワーガーデンでのできごとは、夢――。
寂しいけど、でもその夢のおかげで、勉強に集中できたからいいよね。
帰りのホームルームになり、テストが返却される。
「向さん」
先生に名前を呼ばれて取りに行く。いつもは「どうせ点数が低いから」っていうイヤなドキドキだったけど、今日は期待のドキドキ! ぎこちない足取りでテストを取りに行くと……。
「向さん、よくがんばりました」
先生が、笑顔で言ってくれる。おそるおそる点数を見てみると……なんと100点満点!
「や、やった……!」
思わず、手にしていたテスト用紙をぎゅっと握ってしまう。だって、小テストとはいえ100点なんて見たことない!
うれしい……! うれしい気持ちがはじけて、心の底から飛び出しそうだよ!
自分の席に戻る途中、レイトくんをちらっと見る。どうせ、わたしなんて見てないだろうけど……と思ったら、思いっきり目が合った!
(え、見てる!)
レイトくんは目を細めて笑うと、親指をぐっと立てた。
わたしは思わず立ち尽くす。
やっぱり、夢じゃなかった――!
レイトくんは、わたしを助けるために来てくれたんだ……。
うれしくて、涙が出そうになる。わたし、レイトくんのおかげで100点とれたよ!
スキップして自分の席に戻りたい気持ちをおさえて歩いていると……。
わたしはふと視線に気付いて、廊下側に目をやる。一番後ろの席に座る原くんが、するどいまなざしでわたしと、そしてレイトくんを交互に見ていた。
なんだか、嫌な予感……。
クラスの人気者のレイトくんとわたしが親しいことが原くんにバレてしまったら。……きっと、変に思われる。からかわれる。みんなに言いふらされる。
それは、すっごくこわい。変な目立ち方をして、いじめられたくない。
わたしは原くんの視線から逃げるようにうつむいて、ぎこちなく自分の席につく。
せっかくのうれしい気持ちが、不安に押しつぶされそうだよ。
わたしとレイトくんのヒミツ、ぜったいに知られちゃいけない。

