校舎に入ると、冷房の乾いた空気が、ずぶ濡れの肌をなでた。
私はハルの大きな上着を握りしめながら、隣を歩く白鳥さんを盗み見る。
……待って。
私、クラスメイトだけど白鳥さんとまともに喋ったこと、今までほとんどなかったよね?
遠くから眺めるだけの存在だったはずなのに、さっきから当たり前のように下の名前で呼んでくるし、私のわけのわからないボケにも、呼吸をするみたいに乗ってきてくれる。
「結菜ちゃん、さっきからずっと上着の裾をぎゅってしてるでしょ。それ、すごく可愛いね」
ふいに、白鳥さんが覗き込むように微笑んだ。
「あ、いや、これは……落ち着かなくて」
「分かるよ。慣れない陸に上がって、殻の中に閉じこもりたい気分なんだよね」
白鳥さんは、私の様子を見透かしたみたいに続ける。
「でも大丈夫。ボクが隣で『派手な擬態』になってるから。結菜ちゃんは安心して、その中で丸まってていいよ。遥くんっていう、丈夫な岩も前を歩いてるしね」
……この人、コミュ力が高すぎて怖い。私の内面のドタバタを、全部やさしい言葉に翻訳してくるタイプだ。
一方、前を歩くハルはというと、上着を貸してワイシャツ一枚になったところで、これっぽっちも動じていない。
夏ならごく普通の格好なはずなのに、彼がやると「あえて上着を脱いでエスコート中」みたいな、妙な気だるさと余裕が漂っている。
彼は相変わらずのマイペースさで、私たちの会話には一言も入ってこない。ただ無心に、教室へと足を進めている。
……この自由人コンビ、強すぎる。
白鳥さんの超絶共感力と、ハルの鋼のマイペース。そこに、ずぶ濡れのエビが挟まってる今の図。
廊下ですれ違う生徒たちが、二度見、三度見していく。情報の密度が高すぎて、普通のクラスメイトなら処理落ちするレベルだ。
やがて、二年一組の扉の前に着き、ハルが何の溜めもなく扉を開けようとした、その刹那。
「あ、待って。遥くん、ストップ!」
白鳥さんが、ハルの腕をシュパッと制止した。
ハルは「……何?」という顔で動きを止める。
「結菜ちゃん、ちょっとこっち向いて。……うん、やっぱりね」
白鳥さんの、細くて綺麗な指先が私の額に触れる。
「雨に濡れた髪が、ちょっと『リアルな遭難者』に寄りすぎてるかな。ここはもう少し、『儚げなヒロイン』のニュアンスが欲しいところだよね」
迷いのない手つきで、濡れて張り付いた前髪を払い、絶妙な束感を作っていく。
ハルの上着の襟元を整え、鎖骨が一番きれいに見える角度に調整する。
仕上げに、小さなコームでサイドを撫でた。
たったそれだけで、私に強烈な「美少女補正」がかかる。
「……よし、完璧。これで遥くんの上着の『ぶかぶか感』が、守られ属性の極致に昇華されたよ。今の結菜ちゃん、すごく可愛い」
「……ありがとう。白鳥さんがプロすぎて、私、自分がエビだってこと忘れそう」
「あはは! それでいいんだよ」
白鳥さんは満足そうに笑って、ハルの方を見る。
「さあ、遥くん。最高に『映える』瞬間の準備ができたよ。開けて!」
ハルは私たちのやり取りを半目で見守っていたけれど、ゴーサインが出ると、何も言わずに扉へ手を伸ばした。
そして今度こそ、迷いなく二年一組の扉をガラガラと押し開ける。
私は心の中で、これから起こるであろう教室の騒ぎを想像してほんの少しだけ、「エビ」としての背筋を伸ばした。
