これは恋か、妄想か。




披露宴の中盤。



天井から幾重にも垂れ下がるシャンデリアが、祝福の光を惜しげもなく降り注いでいる。


グラスの中で揺れるシャンパンの泡が、誰かの笑顔とともに弾け、重なり合う談笑のざわめきが、会場を柔らかく満たしていた。




――その音が、ふっと止んだ。




司会者の穏やかな声が、先ほどまで賑やかだった空気を、丁寧に撫でるように響き渡る。




「ここで新婦の無二の親友、小野 結菜様より――お祝いの余興がございます」




ざわ、と空気が揺れた。



椅子がわずかに軋み、ナイフとフォークが皿に触れる音が止まる。
出席者たちの視線が、示し合わせたように一点へと集束していく。




スポットライトが動く。
ゆっくりと、しかし逃げ場を与えない速度で。



そしてそれは、まるで裁判の被告席を照らすかのような厳粛さで、一点の曇りもない真剣な表情をした結菜を捉えた。

彼女はそこに立っていた。


背筋を伸ばし、顎をわずかに引き、
ドレスの裾が床を擦る音すら、儀式の一部であるかのように響くほどの、深い一礼。



そして重厚な辞書か、あるいは人類の歴史書でも持ち上げるかのような覚悟でマイクを握る。



「皆様」


その一言だけで、会場の空気が引き締まる。



「本日は新婦の門出という宇宙の誕生から現在に至るまでの歴史においても、極めて尊い日にお集まりいただき、誠にありがとうございます」



……重い。
感謝のスケールが、やけに重い。



会場は、その言葉の重力に押されるように、水を打ったように静まり返る。



「……が」



結菜は、一拍置いた。

その沈黙の間、誰も呼吸の仕方を思い出せない。


「友情とは、言葉という不確かな記号だけでは、決して伝えきれるものではありません」


数名が、無意識に頷く。


「形のない絆を――今この瞬間、この場所で、目に見える形として具現化する必要があります」



不穏な空気が、わずかに混じる。


結菜は、胸を張った。
もう後戻りはしない、と言わんばかりに。



「名付けて――」


マイクを握る指に、ぐっと力がこもる。



「**『エビの求愛ダンス』**です!!」

「……え?」


誰かの困惑の声。

しかしその疑問は、突如鳴り響いた爆音のトランスミュージックにかき消された。

ドゥン、ドゥン、と低音が床を揺らす。

結菜は迷いなく腰を深く落とした。
ドレスのラインなど、もはや完全に無視。

両腕を前に突き出し、
カマキリ……いや、完全にエビのハサミの構え。


「ポイントは、この第一腹脚の超高速振動です!!」


誰にも求められていない解説を、
誰よりも切実な声で叫ぶ。


「震えろ、私の細胞!!目覚めろ、甲殻類の記憶!!」


身体が、左右に、小刻みに、激しく揺れる。

「オスのエビはですね!!意中の相手の前で!!全身全霊をかけて!!こう!!」

「ビチビチビチッ!!」


もはやドレスという概念を裏切った、生物学的な躍動。

親族たちはフォークを宙で止めたまま、石像のように固まり、新郎側の友人は、理解の範疇を完全に超えた事態に、口を半開きにしている。



だが――。
  


「……すごい」


誰かが、呟いた。


「なんてキレだ……」

「なんか……エビの魂が、見える気がする……」

空気が、変わる。


結菜の額から飛び散る汗が、スポットライトを浴びて真珠のように輝いた。


「そう!!これが!!」

結菜は叫ぶ。

「深海から這い上がった!!命を懸けた愛の表現!!!これこそがクラステーション・ラヴ!!!」

背筋を限界まで反らせ、
人体構造ギリギリのポーズで、ピタリと止まる。


「新婦!!あなたは!!このエビに!!永久に選ばれた、唯一の存在なのです!!」



――静寂。



一瞬。
次の瞬間。
 


「ブラボーーーッ!!」

拍手が爆発する。
全席スタンディングオベーション。

結菜は激しく息を切らしながら、再びマイクを握った。

「……ありがとうございます。では、続きまして友人代表として、お手紙を……」

便箋を取り出す。

「思えば、すべてはあの日の教室。
床に落ちた、一本のペンから始まりました――」


その言葉を最後まで聞く前に。



ぴぴぴ、ぴぴぴ、ぴぴぴ――。

無機質な電子音が、拍手と嗚咽を、容赦なく切り裂いたのであった。