静かなる、恋の包囲網

がっしりと手首をつかまれ、どこかに引っ張られる感覚。
周囲に助けを求めようにも、近くに通行人の姿は見えない。
なんとかしてこの場から逃げなくてはいけないと理解しているものの、塔子は反応できなかった。

―――なぜ?どうして?

この状況で頭に浮かぶのはそんな言葉。
正直に真面目に生きてきたつもりなのに、なぜ自分がこんな目に遭うのか。
塔子は世の中はなんて理不尽なのだろうと悲しくなった。
そして、なぜかこの時、塔子は父を思い出していた。
明らかに男性と思われる大きな手で強く握られた手首の痛みが、子供の時母に手を上げる父に抵抗してもみ合いになった時の記憶をよみがえらせたのだ。

「お願い、やめて……お父さん」

それは無意識のうちに出た声。
次の瞬間、男性の動きが止まる。

―――今だ、逃げなくちゃ。

少しだけ腕をつかむ力が弱くなったタイミングで、塔子は男性を振り払い、前に向かって走り出した。