アイドルのプロ彼女に転職しました

「かんぱーい」
 シャンパンの入った細いグラスを目の上で少し傾け、一口飲んだ。
 今日はGrand-Blueメンバー全員が泊まりの仕事なので、瑠加と食事の約束をしていたのだ。
 先日、修は「別に問題ない」と言ったが、試用期間の一か月が目前に迫っており、玲奈はどうにも落ち着かなかった。
 とにかく情報。
 プロ彼女の情報が知りたい。
 先輩プロ彼女である瑠加には聞きたいことが山ほどあった。
 瑠加が予約してくれたこのお店は、見るからに高級店で完全個室となっている。
 アイドルのプロ彼女の話は絶対漏れてはいけないので、お店の選定を瑠加に任せたのは正解だった。
「瑠加ちゃんは普段何してるの?学生?」
「うん、二十歳の大学生だよ」
 瑠加はアスパラとトマトのマリネを綺麗に皿に盛ってくれた。
 今日はミリタリー風のアウターに黒のミニスカート姿で、ロングブーツが長い足によく似合っている。
「もしかして、モデルの仕事とかしてる?」
 瑠加の容姿からは一般の大学生ではないオーラが漂っており、個室付き高級バルでシャンパンを飲んでいても全く違和感が無かった。
 一方の玲奈は、久しぶりにかっちりめのスカートのセットアップ姿で、いかにも高級バルに合わせました、という感じがしてならない。
「うん、高校生の頃、雑誌の読者モデルやってたんだ」
「そうなんだ。今はやってないの?」
「ちょっと、色々と思うことがあってね。モデルはやめちゃった。今は大学生とプロ彼女のかけもちってところ」
 瑠加はシャンパンを飲みながら、素直に答えてくれる。
 玲奈は、修とのこれまでの生活のこと、自分がプロ彼女としての振る舞いができていないことを話した。
「玲奈さん、固く考えすぎ。修も言ってる通り、問題あれば何か言ってくるんだろうし。何も言ってこないってことは、今の感じで大丈夫なんだって」
「やっぱり瑠加ちゃんもそう思うんだね」
 玲奈は小さくため息をついてから、シャンパンを一口飲んだ。
「まあ、でも、玲奈さんみたいに普通の会社員してた人が、いきなりアイドルのプロ彼女だなんて、戸惑うのが当たり前だよね」
「瑠加ちゃんは、マナティとの生活、すんなり入っていけたっぽいよね」
「私の場合は、Grand-Blueのマネージャーが叔父さんだし、アイドルの裏側的なこともある程度知ってたからね」
 玲奈は食べる手を止めて瑠加を見る。
「え?マネージャーの土居さんが叔父さんなの?」
「そう。ちなみにママは元アイドルで、パパはそのマネージャーやってたの。今は某芸能事務所のお偉いさんだけどね」
 玲奈は目を丸くした。
 瑠加のこのオーラと落ち着きは、芸能一家で育ってきた環境によるもののようだ。
「一年半くらい前、Grand-Blueにプロ彼女をつけることが決まった時、まずは身近なところから選ぼうってことになったみたい。こんなあやしい職業、いきなり一般人を採用しづらいしね」
「確かに…あやしい職業だよね…」
 瑠加は「ははは」と大きめの声で笑う。
 アルコールが効いてきたのか、顔が少し赤い。
「私は元々Grand-Blueの、特にマナティのファンだったし、叔父さんから話が来たとき、すぐにオーケーしたの」
「でも、恋愛面のサポートって、抵抗はなかった?」
 瑠加がプロ彼女の話を受けたのは十九歳だ。
 二十八歳の玲奈がこんなに色々考えているのに…やっぱり芸能一家はその辺の考えも違うのだろうか。
 瑠加は「実はね…」と小声になる。
 完全個室なので周りに客は居ないが、どうしても聞かれたくない事柄なのが分かる。
「マナティ、女性経験が無かったんだ」
 瑠加が小声になった時点である程度覚悟していたが、いきなり核心的なワードが出てきて、玲奈は食べ物を喉に詰めそうになる。
「これからマナティには恋愛ドラマとかの仕事も入ってくるだろうから、お願いできないかって言われてね」
「それって、叔父さんから頼まれたわけ?」
 玲奈は芸能一家がますます分からなくなってきた。
「そのこと直接言ってきたのはマナティ本人だったけど、叔父さんも知ったうえ、だったと思う」
 玲奈はシャンパンの次に頼んだワインを一口飲み、少し自分を落ち着かせる。
「で、マナティとそういう関係、というか…そう、なったわけ?」
 瑠加はあっさりと「そうだよ」と答えた。
 その時、個室の外から「失礼します」と声がし、店員が料理を運んできた。
「熟成肉きたよー。美味しそう」
 瑠加はまた皿に取り分けてくれる。
「私はそういう関係になること承知でプロ彼女を引き受けたわけだし。実際、マナティの演技に役立てばいいって、本気で思ったんだ」
 そう言って熟成肉を美味しそうに頬張る。
 玲奈は、修の部屋で会った時のマナティと瑠加を思い出す。
 二人は同い年ということもあるが、本当に自然に、今どきの若い恋人同士に見えた。
 マナティは、ライブでファンに向ける笑顔とは明らかに違う、優しい笑顔を瑠加に向けていた。
「でもね。マナティはそういう関係になるまで、ちゃんと時間を作ってくれたんだ。彼氏として段階をふんでくれて。なんかね、自然な流れで関係が持てたなって思ってる」
 瑠加は、まさに愛しい彼氏のことを想っている彼女の顔をしていた。
「マナティと一緒に住んで…まあ忙しいから寂しい時もあるんだけど、二人で過ごすのがホントに楽しいの」
(すごい…)
 バルに来るまでは、だいぶ年下の女の子と話が続くかどうか不安もあったが、今は尊敬の気持ちすら芽生えてきている。
「修もさ、今はプロ彼女受け入れたのは犬の世話のためって言ってるけど、二人で生活していったら何かしら変化はあると思うんだけどな」
 そして、好奇心いっぱいの目で
「男女の間って、何があるか分かんないしね」
 と言ってニヤリとした。
 玲奈はようやく熟成肉を口に運ぶ。
 柔らかくてジューシーで「美味しい」と思わず声が高くなる。
「玲奈さんって、もっととっつきにくい人かと思ったんだけど、可愛い人だよね」
 年下のモデルのような女子大生に「可愛い」と言われて、少し照れくさくなる。
「私は、瑠加ちゃんが二十歳なのに私よりよっぽどしっかりしてて、かなり驚いてる」
 瑠加が注文した炭酸水が運ばれてきた。
 お酒はまだそこまで飲めないらしい。
 まだまだ二十歳だな、と思いながらも、ちゃんと自分の酔い方を分かっていることに、また感心してしまった。
「今日、話してて思ったんだけど、玲奈さんって、もしかして恋愛下手くそだったりする?」
 瑠加の核心を突く質問に、思わずワイングラスを落としそうになる。
「実は、一年半付き合った彼氏を職場の後輩に取られて、働きづらくなったからこの仕事に転職したの」
 瑠加はまた大きめの声で笑った。
「玲奈さん、最高。私、玲奈さんのこと、めちゃくちゃ好きだわ」
 瑠加の笑顔につられ、玲奈も笑った。
 それからスイーツを食べ、今日の楽しい時間が終わろうとした時、瑠加は真顔でこう告げた。
「仮に修と恋人関係になったとしても、浮かれすぎは良くないからね。タクミくんのプロ彼女は半年で契約解除になったから…」

 秋が深まり、肌寒い日になることが増えてきたが、今日は朝から快晴だった。
 「ちょっと遠い所に散歩に行こうか」
 修は犬用のキャリーバッグにリンを入れる。
 映画の撮影が終わり、今日は久しぶりのオフの日だ。
 一時間程前に起き、朝食のプロテイン、野菜スムージー、スクランブルエッグを食べた後、自室に戻ったので、また二度寝するものと思っていた。
 睡眠の邪魔をしてはいけないと、玲奈はリンを散歩に連れ出そうとしたのだったが。
 修は、マンションの地下駐車場に停めてあるSUV車にリンの入ったキャリーバッグを乗せる。
「乗って」
(え?乗っていいんだ)
 修はキャップを被りサングラスをかけた。
 助手席から見る修は、家での脱力感は無く少し大人っぽく見える。
 気づくと修の運転姿をじっと見つめている自分がいて、慌てて目を逸らした。
 三十分ほど走って着いたのは、観覧車のある海沿いの大きな公園だった。
 キャリーバッグから出してもらったリンは、興奮して二人の周りを走り回っている。
「大丈夫?バレないかな?」
 玲奈も持ってきたキャップを被る。
「観覧車やカフェのある所は人が居るけど、こっち側に人が少ない場所があるんだ」
 修はリードを持って歩き出した。
 心地よい海からの風が吹き、絶好の散歩日和だ。
 玲奈は歩きながら腕を上げて伸びをする。
 こうして外でゆっくり日光に当たるのは、かなり久しぶりだった。
 しばらく歩いた後、ベンチに座った。
 確かにこの付近はかなり人が少ない。
「そう言えば、本採用の合格してもらって、ありがとう」
 先日、玲奈は無事に試用期間を終え、プロ彼女として本採用してもらえたのだ。
 つまり、修も玲奈もお互いにNGを出さなかった。
「いや、別に俺だけが決めたことでもないし。玲奈さんも続けてもいいって思ってくれた訳だし…」
 修は、サングラスで目の表情は分からないが、少し照れくさそうに言った。
 ランニングしている人がリンを見ながら微笑み、通り過ぎて行く。
 修もベンチに座ったまま伸びをした。
「これから年末の歌番組の収録と、年越しライブのリハーサルが始まるな」
「年末までまた忙しくなるね」
 寒くなると風邪も流行ってくるので、歌に影響が出ないよう、喉のケアにも良いメニューを考えないと、と玲奈は思った。
「修は歌やダンスがしたくてアイドルになったの?それとも演技がしたかったから?」
 一瞬固まり、リンを抱っこする修を見て、玲奈は余計なことを聞いてしまったかもしれないとハッとした。
「最初は先輩たちのダンスに憧れてた。あと、ソロで歌ってる人見て自分も歌いたいって思ったんだ。演技が楽しいと思えたのはわりと最近」
 特に嫌そうでもなく、素直に答えてくれた。
 そして、こう続ける。
「俺、一番最初に出たドラマでぜんぜん思い通りにいかなくて…辛口批評も結構あったんだ。でも、Grand-Blueのファンは、次は頑張れって見捨てないでいてくれて。本当に感謝してる」
 玲奈は修の本音が聞けたような気がして、心が温かくなるのを感じた。
 当たり前だが、トップアイドルでも人知らず苦労があるのだ。
 現にGrand-Blueは、ショータイム社の他のグループよりデビューが遅かった。
「でも、その後の修の演技が良かったから、こうして映画やドラマの仕事がつながってるんだよね」
「俺、コミュ力無いほうだから、メンバーがいない現場でどうコミュニケーション取ったらいいのか分からなかったんだ。でも、だんだん自分の立ち振る舞いみたいなのが分かってきて、Grand-Blueじゃない場所でも、みんなで一つの作品を作ることが楽しいって思えてきた」
 玲奈は目の奥がツンとなってきた。
 なんだろう、この気持ちは。
 出会った時はほとんど喋ってくれなかった修が、一緒に車に乗り、散歩し、自分のことをこんなにも話してくれる。
(私も、修のサポート、精一杯がんばろう)
 玲奈は久しぶりに仕事に前向きな自分を味わっていた。