キッチンで洗い物をしている玲奈は、修の言葉を思い出し、手を止める。
『これから彼女モードで接していくから、覚悟してね』
あれから何度このセリフを思い出したことだろう。
今日は久しぶりにおでんを作ろうと午前中から仕込みに取り掛かっているのだが、こうやって手を止める回数が多いので、思いのほか時間がかかってしまった。
土鍋の蓋を取り、出汁をすくって一口味見する。
時間はかかったが、いつも通りのおでんの味に胸をなでおろした。
スマホの画面に目をやると、富田からメッセージが来ていた。
『俳優のマリエって知ってますか?SNSを再開したようで、その内容が、また修との匂わせを意識してるっぽいです』
メッセージの後に貼り付けてあったURLをタップすると、三年前のネット記事が開いた。
飼っているネコを「S」と名付けたり、修のカラーであるブルーの持ち物をSNSにアップしたことが「匂わせ」として、Grand-Blueのファンからたたかれ、マリエのSNSは炎上した。
また、修とマリエは同じ高校の同級生ということもあり、匂わせ騒動の前から噂はあったようだ。
マリエが「修のせいで日本の芸能界に居られなくなった」と言っていたのは、この騒動があったからだろう。
玲奈はパーティーで会った時のマリエの表情を思い出す。
(マリエさんは何がしたいんだろう?SNSの炎上はもう懲りただろうに…)
一度「匂わせ」で炎上してしまったマリエは、SNSの内容に相当気を付けなければならないはずだ。
現にこうして富田のような熱心なファンは、常にチェックの目を光らせている。
(もしかして…わざと…?)
その時、スマホの着信音が鳴った。
(瑠加ちゃん)
あのパーティー以来瑠加とは会っていない。
話したいことが山のようにあった。
出ると、瑠加の慌てた声が耳に入ってきた。
「玲奈さん、今から渋谷まで来れる?」
瑠加が指定してきたのは、渋谷にある芸能事務所だった。
渋谷に向かいながら瑠加とメッセージのやり取りをする。
要件は、富田が教えてくれたマリエのSNS投稿のこと。
現在マリエは、瑠加のお父さんが役員を務める芸能事務所に所属していること。
マリエのマネージャーがまだ決まっていない段階で、マリエ自身が判断してSNSをアップしてしまったこと。
だいたいの状況は分かったが、マリエの事務所とは関係のない自分が行ってどうするんだろう、という疑問が沸いた。
だが、修やGrand-Blueの今後の活動に影響を及ぼすかもしれないと考えると、居ても立ってもいられなかった。
事務所が入っているビルの前で、スマホを手にした瑠加が待っていてくれた。
「玲奈さん、突然ごめんね」
いつも落ち着いている瑠加が珍しく慌てた様子だ。
「だいたいの事情は分かったけど、私は何すればいいの?」
「それが…」
瑠加の声のトーンが急に低くなる。
「マリエさん本人に会ったもんだから、つい呼び止めちゃって…。話したいことがあるって、いま会議室で待っててもらってる…」
「え?まさか、その話し合いに私も入れって?」
瑠加はかわいい声で小さく「はい」と答えた。
「呼び止めたものの、私どうもマリエさん苦手で…。社会人経験の長い玲奈さんだったら、色んな修羅場乗り越えてきただろうし、大丈夫かなって」
「いや、さすがにこんな修羅場は無いって」
そう言いながら天を仰ぐ玲奈は、頭の中で会話の切り出しを考えていた。
六人掛けのテーブルの奥に座っているマリエは、前回会った時と同じく艶やかな笑みを浮かべていた。
「梅田さんまでわざわざ来てもらって、そんなに大ごとかしら?」
マリエは席に着いた瑠加に向かってほほ笑んだ。
だが、目は笑っていない。
「すみません。でも、どうしてもマリエさんに言っておきたいことがあって…」
瑠加は以前のパーティーの時と同じように、余裕な感じは無い。
「SNSのことでしょ?」
マリエからいきなり核心ワードが出て来て、玲奈も瑠加も思わず身構えた。
「回りくどいことは嫌いだから、はっきり言うけど……あれ、ワザとだから」
マリエの目には強い意志のようなものがが滲んでいるように見えた。
「ワザとって…」
瑠加はマリエのはっきりした口調に少し狼狽えている。
「私はこの三年、苦労の連続だった。だから修も少し困ればいいと思って」
「三年前はマリエさんも修も大変だったでしょ?ようやくマリエさんは再スタートするのに、わざわざ蒸し返すようなことしなくても…」
「三年前は修を困らそうなんて全く思ってなかった」
マリエは何かを思い出すように続ける。
「確かに、私が迂闊に投稿してしまったのは認める。無知もあった。…でも、心から修のことが好きだったの」
「本当に恋人同士だったんですか?」
瑠加は思わず身を乗り出した。
「そうよ。私が一人で勝手に匂わせ投稿したって報道されたけど、あの時投稿した写真は修と一緒に居る時に撮ったものもあったの」
玲奈は一瞬目の前が暗くなる感覚に陥った。
(マリエさんと修は付き合ってたんだ…)
そんな気はしていた。
でも、修の口から聞くのは嫌だと思った。
「修もまだデビュー間もなかったし、私も俳優として駆け出しのころだったから、まさか炎上するとは思ってなかったの…アイドルのファンのこと、なめてたよね…」
三人の間に沈黙が流れる。
三年前はマリエも修もまだ十代だ。
二人に関係するもの、思い出に残る物の写真を何かに残しておきたい、という気持ちがあるのは分かる。
玲奈は小さく深呼吸して口を開いた。
「マリエさんは今でも修のこと…」
玲奈の言葉を遮るように、マリエの冷ややかな視線が刺さってくる。
「この前三年ぶりに修に会ったんだけど、なんか、複雑な気持ちだった…」
「どういうことですか?」
マリエは少し視線を落とす。
「あの頃はなんで自分ばかりこんな目にって、修を恨んでばかりいたけど…私にすがることも弁解することもなく、去っていくのを黙って見てる修の気持ちはそんな程度だったんだって、諦めの気持ちもあったわ…」
また沈黙が流れた。
玲奈は「いや、違う」と思った。
デビュー間もなかった修は動きたくても動けなかったに違いない。
下手に動いたら更に炎上するし、何より大切にしているメンバーにも迷惑がかかる。
きっと何もできない自分を責めたはずだ。
「今回のマリエさんの投稿、Grand-Blueの古参ファンはしっかりチェックしてましたよ」
「ホントにアイドルのファンって頭が固すぎるのよ。彼女や奥さんが居たっていいじゃない。アイドル活動とプライベートは関係ないって思わないのかしら」
「そういうことではないです」
玲奈のはっきとした口調に、マリエからは余裕の表情がすっかり消えた。
「彼女や奥さんがいることにショックを受けてファンを辞める人も居ることは事実なんですが、大抵のファンは彼らの誠実さを見てるんだと思います」
「誠実さ?」
「はい、ファンに対する誠実さ、です」
「彼女が居てもいい、でもやっぱりアイドルとしてファンに夢を与えてる以上、それは隠し通してほしい。そして、隠し通すことを理解できる彼女であってほしい。そういう人だったら推しを任せられる。そんな気持ちなんだと思います」
玲奈は一気にまくし立てた。自分でもこんなに言葉がスラスラ出てきたことに驚いている。
マリエもそんな玲奈を驚いたような顔で見ている。
「梅田さんって、Grand-Blueの関係者なわけ?なんか、いちファンって感じじゃなさそうなんだけど…」
そう言ってマリエは玲奈の頭からつま先まで見回した。
慌てて瑠加が口を割る。
「玲奈さんは、生粋のGrand-Blueファンなんだよね?そう、古くからの、むかーしからの大ファンなんです」
瑠加の慌てようを見て、玲奈も何度も頷く。
「ふーん…昔からの、ファンねえ…」
マリエは玲奈から視線を外そうとしない。
玲奈はそんな視線を受けながら少し考え、口を開いた。
「そう言えば、マリエさん。私、マリエさんの台湾での活躍、拝見しました」
いきなり話題が変わったので、マリエも瑠加も戸惑っている。
「マリエさんは日本でのデビュー当時は可愛い系の役をされてたんですが、台湾では主人公のライバルとか、ぶっ飛んだお嬢様とか、色々な役を演じておられましたよね?」
瑠加は玲奈の顔を見た後、椅子に深く腰掛けた。
玲奈は生き生きとした表情で続ける。
「私、マリエさんの出演したドラマ、一通り見たんですが、台湾ドラマでの役がどれもすごくはまってて、特にお嬢様の高飛車な感じがすごく良くて、ドラマも一気に見ちゃいました」
「わざわざ見たの?…あのドラマ、台湾でもそこまで視聴率取れなくて、日本で見た人なんてほぼいないと思ってたのに…」
「私、気になったことはとことん調べたり、情報を仕入れたりしないと気が済まないタイプで」
唖然としているマリエを見て、瑠加は笑みを浮かべた。
(マリエさん、玲奈さんの情報収集力を甘く見てはいけないですよ)
玲奈は前職からの癖なのか、気になったことはとことん調べ、とにかく情報をかき集めるのだ。
修のプロ彼女としてスカウトされた時はGrand-Blueメンバーの顔を知っている程度だったのが、メンバーの出演したドラマ、映画、バラエティ、ミュージックビデオ、SNSなど、ありとあらゆる情報を頭に入れていた。
瑠加もプロ彼女になる前からマナティのファンだったし、プロ彼女になってからは内々の状況も耳に入ってくるため把握しているほうだと思っていたが、玲奈はそれ以上にマニアックな情報までキャッチしていた。
マリエに出会ってから、彼女に関するあらゆる情報を調べたに違いない。
玲奈がマリエが台湾で出演したバラエティ番組の話まで出してきたので、瑠加は「あのぉ」と割って入った。
「ごめんなさい。私、一人で語っちゃって…」
玲奈が少し縮こまったところで、部屋のドアがノックされた。
「はい」と言って瑠加がドアを開けると、グレーのスーツを着こなした背の高い男性が入って来た。
「君たちの話は終わったかな?」
そう言って穏やかな笑みを三人に向けてくれる。
玲奈はこの笑みを見たことがある、と思った。
「タイミングバッチリだよ、パパ」
瑠加の父親、つまりマリエが所属する芸能事務所の上層部だ。
彼は玲奈に「初めまして」と言って名刺を渡した。
玲奈も立ち上がり、名刺を受け取って頭を下げた。
「マリエさんのお時間を頂いてすみません。どうしてもマリエさんに直接お話したいことがあったので」
突然この事務所に呼び出したのは瑠加だったが、どうしてもマリエに話したいことがあるというのは、玲奈の本音だった。
瑠加の父は大きく頷いてからマリエを見た。
マリエは諦めたような顔をしている。
「Grand-Blueの事務所と話したよ。直接的な投稿じゃないし、削除してくれればそれでいいって。もちろん、今後も何も言わない、何も投稿しない、というのが条件だけど」
瑠加の父の穏やかな口調は変わらない。
「マリエ、いっそのことSNSは一旦辞めてみてはどうかな?」
マリエは脅えた表情で彼を見る。
「あの…処分があるなら、はっきり言ってください」
「はは、処分なんて無いよ」
そう言って笑った顔は瑠加に似ている。
「マリエには俳優業に集中してもらいたいんだ。君のその演技力を買ってうちの事務所に来てもらったんだから」
「そうですよね!」
玲奈は思わず身を乗り出した。
瑠加の父は少し驚いた表情をしている。
「私も、マリエさんはSNSに頼らなくても演技のお仕事で十分やっていけると思います。これからいろんな役をやってほしい。私は今からマリエさんの出演作を見るのが本当に楽しみなんです」
「玲奈さんはマリエのファンになってくれたんだね」
瑠加の父は笑顔で頷き、マリエを見た。
マリエは少し顔を赤らめている。
「はい、マリエさんの出演作を見れば見る程その演技にはまってしまうというか、また次も見たいと思うんです」
「私も玲奈さんと同じ意見だよ。SNSの件はここで終わらせて、君の仕事を進めて行こう」
マリエの目には涙が浮かんでいた。
「…分かりました…」
マリエの言葉に、三人は安堵したように顔を見合わせた。
『これから彼女モードで接していくから、覚悟してね』
あれから何度このセリフを思い出したことだろう。
今日は久しぶりにおでんを作ろうと午前中から仕込みに取り掛かっているのだが、こうやって手を止める回数が多いので、思いのほか時間がかかってしまった。
土鍋の蓋を取り、出汁をすくって一口味見する。
時間はかかったが、いつも通りのおでんの味に胸をなでおろした。
スマホの画面に目をやると、富田からメッセージが来ていた。
『俳優のマリエって知ってますか?SNSを再開したようで、その内容が、また修との匂わせを意識してるっぽいです』
メッセージの後に貼り付けてあったURLをタップすると、三年前のネット記事が開いた。
飼っているネコを「S」と名付けたり、修のカラーであるブルーの持ち物をSNSにアップしたことが「匂わせ」として、Grand-Blueのファンからたたかれ、マリエのSNSは炎上した。
また、修とマリエは同じ高校の同級生ということもあり、匂わせ騒動の前から噂はあったようだ。
マリエが「修のせいで日本の芸能界に居られなくなった」と言っていたのは、この騒動があったからだろう。
玲奈はパーティーで会った時のマリエの表情を思い出す。
(マリエさんは何がしたいんだろう?SNSの炎上はもう懲りただろうに…)
一度「匂わせ」で炎上してしまったマリエは、SNSの内容に相当気を付けなければならないはずだ。
現にこうして富田のような熱心なファンは、常にチェックの目を光らせている。
(もしかして…わざと…?)
その時、スマホの着信音が鳴った。
(瑠加ちゃん)
あのパーティー以来瑠加とは会っていない。
話したいことが山のようにあった。
出ると、瑠加の慌てた声が耳に入ってきた。
「玲奈さん、今から渋谷まで来れる?」
瑠加が指定してきたのは、渋谷にある芸能事務所だった。
渋谷に向かいながら瑠加とメッセージのやり取りをする。
要件は、富田が教えてくれたマリエのSNS投稿のこと。
現在マリエは、瑠加のお父さんが役員を務める芸能事務所に所属していること。
マリエのマネージャーがまだ決まっていない段階で、マリエ自身が判断してSNSをアップしてしまったこと。
だいたいの状況は分かったが、マリエの事務所とは関係のない自分が行ってどうするんだろう、という疑問が沸いた。
だが、修やGrand-Blueの今後の活動に影響を及ぼすかもしれないと考えると、居ても立ってもいられなかった。
事務所が入っているビルの前で、スマホを手にした瑠加が待っていてくれた。
「玲奈さん、突然ごめんね」
いつも落ち着いている瑠加が珍しく慌てた様子だ。
「だいたいの事情は分かったけど、私は何すればいいの?」
「それが…」
瑠加の声のトーンが急に低くなる。
「マリエさん本人に会ったもんだから、つい呼び止めちゃって…。話したいことがあるって、いま会議室で待っててもらってる…」
「え?まさか、その話し合いに私も入れって?」
瑠加はかわいい声で小さく「はい」と答えた。
「呼び止めたものの、私どうもマリエさん苦手で…。社会人経験の長い玲奈さんだったら、色んな修羅場乗り越えてきただろうし、大丈夫かなって」
「いや、さすがにこんな修羅場は無いって」
そう言いながら天を仰ぐ玲奈は、頭の中で会話の切り出しを考えていた。
六人掛けのテーブルの奥に座っているマリエは、前回会った時と同じく艶やかな笑みを浮かべていた。
「梅田さんまでわざわざ来てもらって、そんなに大ごとかしら?」
マリエは席に着いた瑠加に向かってほほ笑んだ。
だが、目は笑っていない。
「すみません。でも、どうしてもマリエさんに言っておきたいことがあって…」
瑠加は以前のパーティーの時と同じように、余裕な感じは無い。
「SNSのことでしょ?」
マリエからいきなり核心ワードが出て来て、玲奈も瑠加も思わず身構えた。
「回りくどいことは嫌いだから、はっきり言うけど……あれ、ワザとだから」
マリエの目には強い意志のようなものがが滲んでいるように見えた。
「ワザとって…」
瑠加はマリエのはっきりした口調に少し狼狽えている。
「私はこの三年、苦労の連続だった。だから修も少し困ればいいと思って」
「三年前はマリエさんも修も大変だったでしょ?ようやくマリエさんは再スタートするのに、わざわざ蒸し返すようなことしなくても…」
「三年前は修を困らそうなんて全く思ってなかった」
マリエは何かを思い出すように続ける。
「確かに、私が迂闊に投稿してしまったのは認める。無知もあった。…でも、心から修のことが好きだったの」
「本当に恋人同士だったんですか?」
瑠加は思わず身を乗り出した。
「そうよ。私が一人で勝手に匂わせ投稿したって報道されたけど、あの時投稿した写真は修と一緒に居る時に撮ったものもあったの」
玲奈は一瞬目の前が暗くなる感覚に陥った。
(マリエさんと修は付き合ってたんだ…)
そんな気はしていた。
でも、修の口から聞くのは嫌だと思った。
「修もまだデビュー間もなかったし、私も俳優として駆け出しのころだったから、まさか炎上するとは思ってなかったの…アイドルのファンのこと、なめてたよね…」
三人の間に沈黙が流れる。
三年前はマリエも修もまだ十代だ。
二人に関係するもの、思い出に残る物の写真を何かに残しておきたい、という気持ちがあるのは分かる。
玲奈は小さく深呼吸して口を開いた。
「マリエさんは今でも修のこと…」
玲奈の言葉を遮るように、マリエの冷ややかな視線が刺さってくる。
「この前三年ぶりに修に会ったんだけど、なんか、複雑な気持ちだった…」
「どういうことですか?」
マリエは少し視線を落とす。
「あの頃はなんで自分ばかりこんな目にって、修を恨んでばかりいたけど…私にすがることも弁解することもなく、去っていくのを黙って見てる修の気持ちはそんな程度だったんだって、諦めの気持ちもあったわ…」
また沈黙が流れた。
玲奈は「いや、違う」と思った。
デビュー間もなかった修は動きたくても動けなかったに違いない。
下手に動いたら更に炎上するし、何より大切にしているメンバーにも迷惑がかかる。
きっと何もできない自分を責めたはずだ。
「今回のマリエさんの投稿、Grand-Blueの古参ファンはしっかりチェックしてましたよ」
「ホントにアイドルのファンって頭が固すぎるのよ。彼女や奥さんが居たっていいじゃない。アイドル活動とプライベートは関係ないって思わないのかしら」
「そういうことではないです」
玲奈のはっきとした口調に、マリエからは余裕の表情がすっかり消えた。
「彼女や奥さんがいることにショックを受けてファンを辞める人も居ることは事実なんですが、大抵のファンは彼らの誠実さを見てるんだと思います」
「誠実さ?」
「はい、ファンに対する誠実さ、です」
「彼女が居てもいい、でもやっぱりアイドルとしてファンに夢を与えてる以上、それは隠し通してほしい。そして、隠し通すことを理解できる彼女であってほしい。そういう人だったら推しを任せられる。そんな気持ちなんだと思います」
玲奈は一気にまくし立てた。自分でもこんなに言葉がスラスラ出てきたことに驚いている。
マリエもそんな玲奈を驚いたような顔で見ている。
「梅田さんって、Grand-Blueの関係者なわけ?なんか、いちファンって感じじゃなさそうなんだけど…」
そう言ってマリエは玲奈の頭からつま先まで見回した。
慌てて瑠加が口を割る。
「玲奈さんは、生粋のGrand-Blueファンなんだよね?そう、古くからの、むかーしからの大ファンなんです」
瑠加の慌てようを見て、玲奈も何度も頷く。
「ふーん…昔からの、ファンねえ…」
マリエは玲奈から視線を外そうとしない。
玲奈はそんな視線を受けながら少し考え、口を開いた。
「そう言えば、マリエさん。私、マリエさんの台湾での活躍、拝見しました」
いきなり話題が変わったので、マリエも瑠加も戸惑っている。
「マリエさんは日本でのデビュー当時は可愛い系の役をされてたんですが、台湾では主人公のライバルとか、ぶっ飛んだお嬢様とか、色々な役を演じておられましたよね?」
瑠加は玲奈の顔を見た後、椅子に深く腰掛けた。
玲奈は生き生きとした表情で続ける。
「私、マリエさんの出演したドラマ、一通り見たんですが、台湾ドラマでの役がどれもすごくはまってて、特にお嬢様の高飛車な感じがすごく良くて、ドラマも一気に見ちゃいました」
「わざわざ見たの?…あのドラマ、台湾でもそこまで視聴率取れなくて、日本で見た人なんてほぼいないと思ってたのに…」
「私、気になったことはとことん調べたり、情報を仕入れたりしないと気が済まないタイプで」
唖然としているマリエを見て、瑠加は笑みを浮かべた。
(マリエさん、玲奈さんの情報収集力を甘く見てはいけないですよ)
玲奈は前職からの癖なのか、気になったことはとことん調べ、とにかく情報をかき集めるのだ。
修のプロ彼女としてスカウトされた時はGrand-Blueメンバーの顔を知っている程度だったのが、メンバーの出演したドラマ、映画、バラエティ、ミュージックビデオ、SNSなど、ありとあらゆる情報を頭に入れていた。
瑠加もプロ彼女になる前からマナティのファンだったし、プロ彼女になってからは内々の状況も耳に入ってくるため把握しているほうだと思っていたが、玲奈はそれ以上にマニアックな情報までキャッチしていた。
マリエに出会ってから、彼女に関するあらゆる情報を調べたに違いない。
玲奈がマリエが台湾で出演したバラエティ番組の話まで出してきたので、瑠加は「あのぉ」と割って入った。
「ごめんなさい。私、一人で語っちゃって…」
玲奈が少し縮こまったところで、部屋のドアがノックされた。
「はい」と言って瑠加がドアを開けると、グレーのスーツを着こなした背の高い男性が入って来た。
「君たちの話は終わったかな?」
そう言って穏やかな笑みを三人に向けてくれる。
玲奈はこの笑みを見たことがある、と思った。
「タイミングバッチリだよ、パパ」
瑠加の父親、つまりマリエが所属する芸能事務所の上層部だ。
彼は玲奈に「初めまして」と言って名刺を渡した。
玲奈も立ち上がり、名刺を受け取って頭を下げた。
「マリエさんのお時間を頂いてすみません。どうしてもマリエさんに直接お話したいことがあったので」
突然この事務所に呼び出したのは瑠加だったが、どうしてもマリエに話したいことがあるというのは、玲奈の本音だった。
瑠加の父は大きく頷いてからマリエを見た。
マリエは諦めたような顔をしている。
「Grand-Blueの事務所と話したよ。直接的な投稿じゃないし、削除してくれればそれでいいって。もちろん、今後も何も言わない、何も投稿しない、というのが条件だけど」
瑠加の父の穏やかな口調は変わらない。
「マリエ、いっそのことSNSは一旦辞めてみてはどうかな?」
マリエは脅えた表情で彼を見る。
「あの…処分があるなら、はっきり言ってください」
「はは、処分なんて無いよ」
そう言って笑った顔は瑠加に似ている。
「マリエには俳優業に集中してもらいたいんだ。君のその演技力を買ってうちの事務所に来てもらったんだから」
「そうですよね!」
玲奈は思わず身を乗り出した。
瑠加の父は少し驚いた表情をしている。
「私も、マリエさんはSNSに頼らなくても演技のお仕事で十分やっていけると思います。これからいろんな役をやってほしい。私は今からマリエさんの出演作を見るのが本当に楽しみなんです」
「玲奈さんはマリエのファンになってくれたんだね」
瑠加の父は笑顔で頷き、マリエを見た。
マリエは少し顔を赤らめている。
「はい、マリエさんの出演作を見れば見る程その演技にはまってしまうというか、また次も見たいと思うんです」
「私も玲奈さんと同じ意見だよ。SNSの件はここで終わらせて、君の仕事を進めて行こう」
マリエの目には涙が浮かんでいた。
「…分かりました…」
マリエの言葉に、三人は安堵したように顔を見合わせた。

