雨は、しばらくやまなかった。
傘は一本。
先生はそれを開くと、無言で私の方へ少し傾けた。
「私は駅まで走れます」
「腕を打った人間が走るな」
「それくらいで」
「また計算に入っていない」
言い返せなかった。
私は黙って、先生の傘に入った。
狭い傘の下で、肩が一度だけ触れた。
先生は何も言わない。
私も何も言えない。
雨音だけが近かった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
表示された名前は、夏目由香。
三件目の被害者、夏目莉子さんの妹だった。
私はすぐに電話に出る。
「今井です」
『すみません、今大丈夫ですか』
声が震えていた。
「大丈夫です。どうしました」
『姉のことで、思い出したことがあって……』
私は先生に視線を向けた。
先生は傘を持つ手を少しだけ動かし、私がメモを取りやすいように雨を遮った。
その自然さに、また胸が揺れる。
「ゆっくりで大丈夫です。何を思い出しましたか」
電話の向こうで、夏目さんの妹が息を吸う音がした。
『姉、亡くなる前に、白峰メディカルケアを怖がっていました』
背筋が冷たくなった。
「怖がっていた?」
『はい。最初は、眠れるようになったって喜んでいたんです。でも、そのあと急に、あそこにはもう行きたくない、電話も出たくないって。理由を聞いたら、変なことに巻き込まれたかもしれないって』
「変なこと、とは?」
『そこまでは……ただ、姉がメモを残していたんです。今朝、店の帳簿の間から見つけました』
私はペンを握る手に力を込めた。
「内容を教えてください」
『白峰に、知られたらまずい。薬のこと、警察に言うか迷っている。……そう書いてありました』
雨音が、急に遠くなった。
薬のこと。
警察に言うか迷っている。
夏目莉子さんは、何かを知っていた。
知って、怖がっていた。
そして、眠るように死んだ。
「そのメモ、保管してください。誰にも渡さないでください。これから正式に確認に伺います」
『はい……あの、姉は、殺されたんですか』
私は答えられなかった。
軽い言葉で支えたくなる。
大丈夫です。
必ず突き止めます。
でも、さっき先生に言われたばかりだ。
必ず、は軽く言うな。
私は唇を噛み、言葉を選んだ。
「今、事実を一つずつ確認しています。お姉さんが残したものは、とても重要です。必ず確認します」
必ず。
結局、その言葉を使ってしまった。
傘は一本。
先生はそれを開くと、無言で私の方へ少し傾けた。
「私は駅まで走れます」
「腕を打った人間が走るな」
「それくらいで」
「また計算に入っていない」
言い返せなかった。
私は黙って、先生の傘に入った。
狭い傘の下で、肩が一度だけ触れた。
先生は何も言わない。
私も何も言えない。
雨音だけが近かった。
そのとき、スマートフォンが震えた。
表示された名前は、夏目由香。
三件目の被害者、夏目莉子さんの妹だった。
私はすぐに電話に出る。
「今井です」
『すみません、今大丈夫ですか』
声が震えていた。
「大丈夫です。どうしました」
『姉のことで、思い出したことがあって……』
私は先生に視線を向けた。
先生は傘を持つ手を少しだけ動かし、私がメモを取りやすいように雨を遮った。
その自然さに、また胸が揺れる。
「ゆっくりで大丈夫です。何を思い出しましたか」
電話の向こうで、夏目さんの妹が息を吸う音がした。
『姉、亡くなる前に、白峰メディカルケアを怖がっていました』
背筋が冷たくなった。
「怖がっていた?」
『はい。最初は、眠れるようになったって喜んでいたんです。でも、そのあと急に、あそこにはもう行きたくない、電話も出たくないって。理由を聞いたら、変なことに巻き込まれたかもしれないって』
「変なこと、とは?」
『そこまでは……ただ、姉がメモを残していたんです。今朝、店の帳簿の間から見つけました』
私はペンを握る手に力を込めた。
「内容を教えてください」
『白峰に、知られたらまずい。薬のこと、警察に言うか迷っている。……そう書いてありました』
雨音が、急に遠くなった。
薬のこと。
警察に言うか迷っている。
夏目莉子さんは、何かを知っていた。
知って、怖がっていた。
そして、眠るように死んだ。
「そのメモ、保管してください。誰にも渡さないでください。これから正式に確認に伺います」
『はい……あの、姉は、殺されたんですか』
私は答えられなかった。
軽い言葉で支えたくなる。
大丈夫です。
必ず突き止めます。
でも、さっき先生に言われたばかりだ。
必ず、は軽く言うな。
私は唇を噛み、言葉を選んだ。
「今、事実を一つずつ確認しています。お姉さんが残したものは、とても重要です。必ず確認します」
必ず。
結局、その言葉を使ってしまった。



