推しと清く正しい逢瀬(デート)生活 ーこっそり、隣人推しちゃいますー

 それでも食い下がる私に、成瀬さんは困ったように微笑んだ。
 このまま押し問答を続ければ、成瀬さんに不快な思いをさせてしまうかもしれないし、店にも迷惑がかかる。
 そう思いながらも素直に頷けない私は、きっと往生際が悪いのだろう。
 そんな私に、成瀬さんが少し身を屈めて視線を合わせてきた。
「それじゃあ、これなら納得してくれますか? ここの店長、俺の兄貴なんです。弟が兄にわがまま言って、それを聞いてくれただけ。だから、石川さんが気にすることは何もありません」
 にっこりと笑うその顔に、これ以上の押し問答は無意味だと悟る。
 私は口をつぐみ、差し出された手を恐る恐る取って立ち上がった。
 成瀬さんは嬉しそうに笑い、私の手を引いて歩き出す。
 え? なにこれ……どういう展開?
 状況が飲み込めないまま、成瀬さんは店の奥に一声かけて外へ出ると、そのまま駅へ向かって歩き始めた。
「あ、あの……お、お金……コーヒー代がまだ……」
 動揺しながらようやく口にすると、成瀬さんは前を向いたまま答えた。
 「大丈夫です。先に払っておきましたから」
 それでも納得できず、私は立ち止まって言い返す。
「だったら、成瀬さんにお支払いを」
 成瀬さんはようやく振り向き、少し困ったように笑った。
「いいですよ。コーヒー代くらい」
 私はじっと彼を見つめる。譲る気はないと目で訴えると、彼は小さくため息をついて「分かりました」と折れてくれた。
 私はホッとして財布を取り出し、コーヒー代を渡す。
 そして、小さな紙袋を差し出した。
「それから、これも」
 成瀬さんは袋を受け取り、中を覗く。そして、驚いた顔で私を見た。
「これ、あの時の」
 中には、洗ってアイロンをかけた水色のハンカチ。
 私はこくりと頷き、口を開いた。
「おかげさまで、無事に帰れました。新品のようでしたので、お返しした方がいいかと。あ、ちゃんと洗ってありますので」
 成瀬さんはしばらく手元を見つめていたが、やがてぷっと吹き出した。
「こんなの、返さなくてよかったのに」
 そう言って笑う彼の目は、とても優しかった。