レイモンドの口から呻きが漏れた。
彼女の脳内では、フェリクスによる拉致が「冷酷な夫から娘を救い出した、勇敢な兄の物語」に書き換えられている。
だが、レイモンドは知っていた。フェリクスがかつてソフィアを襲ったことを。そして、ヴィクトリアだけがその事実を知らないことを。
(知らないから、こんなことが言えるんだ……。フェリクスに連れ去られたソフィアが、今どれほど恐ろしい思いをしているのか。そもそも、フェリクスを追い込んだのはお前じゃないか!)
ソフィアのトラウマの根源が、他ならぬ目の前の母親にある。その憤りで胸が張り裂けそうになるが、ソフィアがフェリクスを庇おうとした心を知っているからこそ、それを口に出すことはできない。
どうしたら、この女に話が通じるのか。彼女の世界では、彼女の解釈こそが絶対の法なのだ。
「……だとしても、私には彼女と話す権利があります。彼女の無事を、確かめさせてください。……私は、彼女を愛しているのです」
レイモンドは苦し紛れに、けれど真実を訴えた。
だが、ヴィクトリアは瞬き一つせず、ただ憐れむような笑みを深めるだけだった。
「最初にお伝えしたわ。あの子はここにはいないって」
「――なっ」
「でも、もしかしたら、二人で仲良く過ごしているかもしれないわね。フェリクスは、妹思いのいい子だったから」
「……!」
その微笑みは、冷酷なまでに強固な城壁だった。
自分が正しいことをしていると確信している彼女に、何を言っても無駄に思えた。
(駄目だ。話が通じない。こいつは――まともじゃない)
レイモンドは戦慄した。ソフィアも、兄たちも、こんな女に支配されてきたのか。
自分がいくら「愛している」と伝えても、ソフィアが最後まで心を許さなかった理由。それも無理からぬことだったのだと、彼はようやく理解した。
だが、レイモンドが絶望に沈みかけた、その時だった。
廊下から、一点の迷いもない足音が近づいてくる。
そうして、扉が開き現れたのは――フェリクスに伴われ、毅然とした面持ちでこちらを見据える、ソフィアの姿だった。



