レイモンドは絶句した。目の前の女は、本気で言っている。ソフィアとの離縁を、決められた事実であるように語っている。
(飲まれてはいけない……!)
レイモンドは、馬車でのイシュの言葉を思い出した。
『夫人はとても狡猾だ。会話を巧みに操り、自分の望む方向に誘導する力に長けている。感情的になったら彼女の思う壺だ。隙を見せないように、気をつけるんだ』
イシュは商売人として夫人と長らく接してきた経験から、そう語っていた。彼女の資質こそが、ハリントン家の名声を支えているのだと。
レイモンドが背後に立つイシュに視線を送ると、イシュも同じことを考えていたのか、静かに目配せを返してきた。
レイモンドは、話を逸らされないようにと、肺の息をすべて吐き出した。
「確かに、夫人のおっしゃることは理解できます。けれど、彼女はまだ私の妻だ。このような形で連れて行かれては困ります」
レイモンドは極めて冷静に言葉を紡いだ。今話すべきなのは将来の離縁のことではない。確かめなければならないのは、ソフィアがどこにいるのか、無事でいるのかどうか。ヴィクトリアが話を逸らそうとする罠に、乗るわけにはいかない。
すると、ヴィクトリアは僅かに瞼を震わせ、気分を害した様子を見せた。彼女は椅子から立ち上がり、滑らかな足取りでレイモンドに近づく。
彼女の手がレイモンドの腕にそっと触れた。その指先は、驚くほど冷たかった。
向けられた瞳は、心の内側まで凍りつかせるような無機質な拒絶を湛えている。
「あの子はね、わたくしの大切な宝物なの。ずっと、この腕の中で守り育ててきた。……貴方との結婚も、あの子の将来を思えばこそ。なのに、貴方はあの子を愛さず、商人風情と親しくさせて……」
ヴィクトリアの視線が、初めてイシュに向けられた。そこには激しい嫌悪と、歪んだ被害妄想が渦巻いている。
「貴方があの子をないがしろにするから、あの子は迷ってしまったのよ。母親であるわたくしには分かります。今、あの子に必要なのは静養ですわ。……当然、そこにあなたはいない」
「……、……静養、だと?」



