血の契りより、あなたを選ぶ

 再会は、予定していなかった。

 だからこそ、避けようもなかった。

 夜の路地は静かだった。
 人通りも少なく、灯りも最低限。
 裏の人間が好む、余計なもののない場所。

 私は足を止めた。

 前に立っていた男を、
 見間違えるはずがなかった。

 ——あの喫煙所の声。

 黒いコート。
 雨に濡れた記憶と同じ、低い体温の気配。

「……探してたのは、これか」

 男は、そう言って手を差し出した。

 掌の上にあったのは、
 一本の煙草と、使い古されたライター。

 鷹宮修司のもの。

 胸が動いたが、顔には出さない。

「……ありがとう」

 私は一歩も近づかずに言った。

 距離は、詰めない。
 詰めたら、越える。

 男の視線が、わずかに細くなる。

「礼を言われる筋でもない」

「それでも、言う」

 私は、彼の手からそれを取った。
 指先が触れそうになって、触れない。

 その一瞬に、
 お互いが“触れたら終わる”ことを理解していた。

「鷹宮修司は……」

 男が、そこで言葉を切る。

 私が視線を上げたのを、見逃さなかった。

「……筋の通った男だった」

 それだけ。

 それ以上は、
 誰も語らない方がいい。

「知ってる」

 私は、短く返す。

 沈黙が落ちる。

 夜風が、煙草の匂いを運んだ。

 恒一は、私をまっすぐ見た。

 探る目じゃない。
 値踏みでもない。

 ——知っている目だ。

「鷹宮義一の娘だな」

 確認じゃない。
 断定だった。

 否定しない。
 する意味がない。

「……ええ」

 それだけで、空気が変わった。

 名前が出た瞬間、
 ここは“個人”の場所じゃなくなる。

 恒一は、わずかに息を吐いた。

「修司さんに、世話になった」

 それが、彼の自己紹介だった。

 余計な過去は語らない。
 借りの重さだけ、置いていく言い方。

「だから、返した」

「それだけ?」

 私が聞くと、
 男は一瞬だけ、黙った。

「……それだけにしておく」

 正しい判断だ。

 私は煙草とライターをポケットに収める。

「…名前は?」

 彼の眉が、ほんの少し動いた。

「久瀬恒一」

「…次はない」

 忠告でも、脅しでもない。
 事実を告げただけ。

「分かってる」

 即答だった。

 分かっていて、
 それでもここに立っている男だ。

 私は一歩、後ろに下がる。

「それでも——」

 恒一が、言いかけて止めた。

 続きを聞かなくても、分かる。

 それ以上は、
 言葉にしたら、戻れなくなる。

「じゃあ」

 私は、背を向けた。

 振り返らない。

 それが、
 鷹宮義一の娘としての礼儀で、
 鷹宮修司に育てられた人間の距離感だ。

 数歩進んだところで、
 背中に、静かな声が届く。

「……修司さんは、
 あんたが生きてることを、
 一番の成果だと思ってたはずだ」

 足を止めなかった。

 返事もしなかった。

 でも、その言葉だけは、
 胸の奥に、確かに落とした。

 路地を抜ける。

 夜は、まだ深い。

 そして、
 この再会は、
 “終わり”じゃない。

 ただの、始まりだった。