酒好きがバレて追放された元聖女ですが、不眠症の辺境伯様と【秘密の晩酌】はじめました 〜昼は冷徹、夜は甘々。ほろ酔い旦那様の執着愛が止まりません〜

 執務室の中は、冷蔵庫……いや、冷凍庫だった。

 床も壁も霜で覆われ、吐く息が瞬時に凍りつく。
 部屋の中央、執務机に突っ伏すようにして、その男はいた。

「……来るな……と言ったはずだ……」

 フロスティ様が顔を上げる。
 酷い顔だ。
 肌は透けるように白く、唇は紫色。
 瞳からは光が消えかけ、まさに限界寸前。

 それでも彼の右手は、空中に浮かんだ魔法陣を握りしめている。

「出て……行け……。巻き込まれるぞ……」

 氷の棘が、威嚇するように私の足元に生え出した。

 けれど、私は止まらない。
 ドカッ。
 書類の山を押しのけ、煮えたぎる小鍋を彼の目の前に置いた。

「……あ?」

 ジュウウウウウウッ!

 静寂な氷の世界に、油の弾ける音が響き渡る。
 そして、湯気と共に立ち昇る、強烈なニンニクと唐辛子の香り。

「なんだ……これは……」

 フロスティ様の鼻がヒクついた。
 生命維持活動すら忘れかけていた脳が、強制的に「食」を認識させられる。

「アヒージョです。四の五の言わずに食べなさい」

 私は焼きたてのバゲットをフォークに突き刺し、たっぷりとオイルを染み込ませた。
 海老のエキスとニンニクの旨味が溶け出した、黄金色のオイル。

「はい、あーん」

「……あーん、など……」

 拒否しようとした彼の口に、私はバゲットをねじ込んだ。
 火傷したらごめん、と思いながら……。

 パリッ。
 ジュワッ。

「……んぐッ!?」

 熱々のオイルが口の中で暴れ回る。
 カリカリのパンの食感、濃厚な海老の風味、そして遅れてやってくる唐辛子のピリリとした辛味。

 彼の見開かれた瞳に、生気が戻る。

「熱っ……! 辛……っ、う……ま……い」

「でしょうね。さあ、次は海老!」

 有無を言わさず次の一手。
 プリプリの海老を口へ放り込む。

 咀嚼するたびに、彼の体内で熱が生まれるのがわかる。
 カプサイシンの発汗作用と、聖女パワーの相乗効果。
 凍りついていた血流がドクンドクンと脈打ち始め、枯渇していた魔力が、泉のように湧き上がってくる……はず。

「……体が……熱い……」

 彼はガツガツとバゲットをちぎり、自らオイルに浸して食べ始めた。
 止まらないのだ。

 最後の一口を飲み込んだ瞬間、フロスティ様の瞳がカッ! と見開かれた。

 全身から立ち昇るオーラが違う。
 さっきまでの死にかけ寸前の灯火ではない。
 ニンニクと海老の滋養、そしてカプサイシンの起爆剤によって、枯渇していた魔力炉に火が入ったのだ。

「我が領土を冒す『白き咆哮』よ――鎮まれッ!!」

 彼は立ち上がると、虚空に浮かぶ魔法陣へとバッ! と手を翳した。

 ドォォォォォォン!!

 指先から、青白い極光のような魔力が迸る。
 それはアヒージョの熱量を燃料にした、極太レーザーとなって魔法陣へ注がれた。

 キィィィィン!!

 悲鳴を上げていた結界石が、再び力強く輝き出す。
 歪んでいた空間が修正され、城を包む結界が再構築されていく。

 その瞬間――ピタリ、と。
 嘘のように、窓の外の轟音が消え失せた。

「……すごい」

 あれだけ暴れ狂っていた大自然の猛威を、たった一人の魔力でねじ伏せてしまうなんて。
 これが、北の守護者たる辺境伯の実力か。

「……ふぅ」

 フロスティ様は深く息を吐き出し、ゆっくりと腕を下ろした。
 頬には健康的な赤みが差し、瞳には力強い光が宿っている。

「……助かった。これで結界は安定した。……いや、美味かった」

「お粗末さまでした。さすがですね、辺境伯様」

 私が空になった鍋を片付けようとした、その時だった。

 ガタンッ。

 私の方へ振り返ろうとした彼が、バランスを崩してよろめいた。
 全魔力を放出しきって危機を脱し、一気に緊張の糸が切れたらしい。

「っと、危ない!」

 私はとっさに彼を支え――きれずに、そのまま近くのソファーへと雪崩れ込んだ。

 ドサッ。
 私がソファーに座り、その膝の上に彼の上半身が乗る形になる。
 いわゆる、膝枕だ。

「あー……辺境伯様?」

 重い。
 成人男性の重みだ。
 退かそうとして、私は動きを止めた。

 彼の腕が、私の腰にしっかりと回されていたからだ。

「……行くな」

 私の腹部に顔を埋めたまま、彼が呻くように言った。
 その声は震えていて、先ほど吹雪を消し飛ばした威厳ある当主とは思えない。

「どこにも行きませんよ。まだ片付けがありますし」

「違う。そうじゃない。……私のそばから、離れるな」

 彼は顔を上げないまま、私の服をぎゅっと握りしめる。
 その力は強くて、痛いくらいだ。

「君がいないと……寒いんだ。……死にそうなんだ」

「大げさですねぇ。アヒージョ食べて完全復活したくせに」

「本当だ……。君は、私の命だ……」

 熱っぽい吐息が、お腹越しに伝わってくる。

 ……参ったな。
 クールな「氷の辺境伯」はどこへ行った。
 これじゃあ、ただの甘えん坊な大型犬じゃないか。

 でも。
 必死に領地を守りきって、ボロボロになって。
 それでいて、最後には私の温もりに縋り付いてくるこの男を、無碍にはできない私がいた。

「……はいはい。仕方ない旦那様ですね」

 私はため息をつきつつ、彼のアイスシルバーの髪を優しく撫でた。
 さらさらとして、ひんやりと冷たい。
 けれど、繋がった体温は確かに温かい。

「眠るまで、ここにいますから」

「……ん」

 彼は安心したように力を抜き、私の膝に深く頬を擦り付けた。

 数秒後。
 スゥ、スゥ……と規則正しい寝息が聞こえ始める。

 窓の外は、静寂な闇に戻っていた。
 あれほどの吹雪が止んだのだ。
 明日の朝は、きっと綺麗な雪景色が見られるだろう。

「さてと」

 私はサイドテーブルに置いてあったワインボトルに手を伸ばした。
 膝の上の重みを感じながら、ワインを注ぐ。

 静寂な夜。
 国を守りきって眠る、美形な旦那様。
 そして美味しいワイン。

(……ま、悪くない夜かな)

 私はグラスを傾け、小さく笑った。


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