【応募版】夫に穢された純愛が兄に止めを刺されるまで


◇◇◇ 5 表と裏 ◇◇◇


「この世界は、ある人の願いで創られたお試しの……言わば、仮の世界なんだ。ここで過ごして願いを叶えれば……そのまま君らを、この世界へ定着させようと思っている」

 『声』の話を聞いて、首を傾げる。

「元の世界から、ここへ来たのは……私だけじゃないって事ですよね?」

 質問しながら……以前、学校の屋上へ呼び出された際の事を思い返していた。タクマ君も、その一人なのだろう。

 『声』からの返答がある。

「そうだね。ここに呼ばれたのは、君だけじゃない」

 また『彼』が笑っているような、空間の揺らぎを感じる。

 『声』は、独り言の体で紡ぐ。

「無理を言われたけど、願いを叶えてよかった……」

 日溜まりにいるような、温かい雰囲気の声音だった。

「大事な件を伝えておく。『条件をクリアした時、この世界は現実になる』」

「条件?」

 よく分からない部分を確認したい。尋ねると説明してくれた。

「『名前』だよ。君らの元の世界での名前は、記憶を呼び起こす『鍵』に設定されている。それぞれの人間が願いを持つ。成就させたい者が願いに関係する者の『真実の名』へ辿り着いた時、夢は覚める。君たちが願いによって変容させた世界に生きるだろう。ただ……」

 『声』が途切れた。

「あの……」

 話し掛けると、再び『声』が聞こえた。

「まぁ、ここら辺は……言わない方がいいか。とにかく、要約するとゲームのマルチエンディングみたいなものだな。好きな奴と本当の名前を共有すると、そいつのルートに入る的な……? 例のゲーム、した事ないけど」

「マルチエンディング!」

 復唱して、こぶしを握る。手が汗ばんでいる。

「ああ、それから」

 応答のなくなる直前に、言い残される。

「誕生日おめでとう。――」

 最後に、名前を呼ばれた気がする。風が窓を打つ音と重なっていたので、聞き間違いだったかもしれない。



 『声』の気配が消え、暫く経ってから階段を下った。洗面所から出て来た兄と、廊下で擦れ違う。ふと、疑問に思う。

「あれ……? そう言えば、お兄ちゃんの名前……何だっけ?」

 兄が振り向く。恐らく、呆れているんだろうな。細めた目付きの視線を送ってくる。

「教えない」

 言い置いて先へ行く兄の背を見ていた。



 休日中は色々あって、忘れていたけど……。

 休み明けの放課後。タイチ君と、るりちゃんに声を掛けられる。再び三人で下校するシチュエーションに陥る。休みの前の日に、タイチ君にされた事を思い出して……変に意識してしまう。

 校門を過ぎた辺りで。前を歩いていたるりちゃんが、更に前を行くタイチ君に近付いて行く。
 るりちゃんは。見ているだけで幸せな気持ちになりそうな程に、整った容姿の持ち主だと思う。

「えへへ」

 無邪気に笑っている声も可愛い。

 しかし。ボーッと眺めていた私の眼前で展開される光景に、少なくない不快感が湧く。

 有ろう事か彼女は……タイチ君の腕にしがみ付いた。

「ちょ……っ! くっつくな!」

 タイチ君は嫌そうな物言いをしている。「本当に嫌なら、振り解ける筈だ」と、考えてしまうのは。きっと…………私の心が未熟だからだよね……?

 楽しげに笑うるりちゃんと、焦っている様子のタイチ君。二人がベタベタしている今の方が……前の人生でされた仕打ちよりも、遥かにマシな気がする。

 隠されていないから。

 奥歯を強く噛み締める。純愛を信じていた自分を、密かに笑う。哀れだなぁ。


「私、結構……タイチ君の事、好きかもっ!」

 るりちゃんの発言に、ハッとして顔を上げる。

「えっ」

 タイチ君も驚いたようで、るりちゃんの方へ顔を向けている。
 直後。るりちゃんが小声で、タイチ君に内緒話をし始めた。

 ああ。間に入る余地が見当たらない。完全に二人の世界が成立していて、私のここでの立場は恐らく……彼らの恋を引き立てる添え物なのかも。

 フフッ。

 知らず知らずの内に笑みが零れる。少し晴れ晴れした気持ちになって歩む。二人を追い越して、先へ進む。

 同じ土俵にも立てなかった前時間軸の私よりも、進歩したんじゃない?
 ここからだよ。私、頑張るから。振り向かせるから。


「ねぇ、玻璃ちゃんっ!」

 るりちゃんに呼ばれ、振り向く。

「タイチ君って、格好いいよねぇ?」

 聞かれたので答える。

「うん。とても格好いいと思う」

 微笑んだままに言えた。

「とても素敵で、優しくて、可愛くて、ちょっと……おっちょこちょいで。私には計り知れない、つらい過去を抱えていて。それなのに、私とも向き合ってくれて」

 胸に溜まっていた想いを、初めて外へ出せた。
 二人へ……特にるりちゃんへ、眼差しを据える。

「だから、タイチ君がつらい時に傍にいて支えてくれた人に凄く……感謝しているの。私には勇気がなくて、何もできなかった。手を伸ばす事もできなかった……から。今度こそ変わりたい。胸を張って、好きって言えるように。るりちゃんみたいに可愛くて、優しくて、明るくて、性格もいい素敵な女性になって……ハーレムの一員としての役割を、しっかりと担えるようになりたい」

 言えた……!
 決意を直接、伝える事ができた。一息ついて、ドキドキと鳴る胸を押さえる。

 るりちゃんは、僅かに口を開いて私を見ている。彼女が動く。タイチ君へと、耳打ちしている声が聞こえる。

「何この子。ツッコミたいところは色々あるけど。ちょーいい子じゃん」

 るりちゃんの表情が、ニマニマと崩れる。彼女はこっちを見つつ、横にいるタイチ君を肘でつついている。

 更に聞こえる。

「何か狙いがあって好きなフリしてるのかと思ったけど、タイチ君にベタ惚れじゃん?」

「えっ? 狙い……?」

 るりちゃんの話が鋭くて、思わず反応してしまった。
 気まずい感覚が、少なからずある。

「ごめんごめん。玻璃ちゃんが純粋に、タイチ君を好きなのは十分に分かったよ。二人……末永くお幸せにねっ!」

 るりちゃんが走り出す。遠くから、こちらへ……大きく手を振ってくれた。私も手を振り返す。スキップしながら先に帰る彼女を、呆然としたまま見送る。


 タイチ君と二人になった。帰途につく。
 細い坂道を上っている途中で話し掛けられた。

「なぁ。本当に、ほかに何も狙いないの?」

 後ろめたい気がして、すぐに答えられなかった。立ち止まる。タイチ君が確認してくる。

「あるんだな?」

「……」

「言って」

「……言いたくない」

「何で?」

 言葉に詰まって俯く。

「……やっぱり。オレに好意があるって言うのも、その狙いの為?」

「そうだよ」

 言い切る。
 大丈夫。考えていた深くを、最後まで明かすつもりはないから。

 タイチ君は一瞬、怯んだように顔を強張らせた。「やっぱり、そうだよな」と、笑っている彼に告げる。

「私は……自分の欲望を叶える為に動いている。タイチ君の事なんて、一ミリも考えていない」

 返された眼差しに、責められている心地がする。私も視線を逸らさず返す。

 先に、相手が折れてくれた。タイチ君は瞳を伏せ、溜め息をついた後で……渋々した感じの滲む声音を出す。

「玻璃の叶えたい事って何? オレにできる事があれば、協力するよ」

 かつて夫だった人が、優しい。込み上げるものがある。目頭が熱くなる。恐る恐る口にした。

「分不相応だって分かってる。でも」

 まっすぐに見据える。

「タイチ君との、赤ちゃんが欲しい。今の私じゃまだ全然、あなた好みの女性になれていないから……到底、無理なのは分かってる。るりちゃんや、ほかの子たちを見習って……私の事も好きになってもらえるように励むから……これから……その……誘惑してもいいかな?」

 恥ずかしさを押し殺して聞いてみる。相手は、戸惑っているように視線を彷徨わせている。暫くして返事をもらえた。

「えっと……うん。いいよ……?」

 きょ……許可が出た。

 タイチ君の気が変わってしまう前に、こっちからアクションを起こそうと決めた。幸い、今は私たちのほかに通行人がいない。

 自分からしたいのに、何か間違ってしまったらどうしようとか……色々と考えてしまう。

「えっと……その……」

 彼へ向けた手を、どうすべきか憂慮して口走る。もたもたと右往左往させている手を掴まれた。問い詰められる。

「待って。未来で、オレたちは夫婦だったんだろ? なら……もちろんキスや、それ以上の事も……したんだよな? 何で、そんなに挙動不審なの?」

 思い出して、少し気分が沈む。俯き、視線から逃げた。重い口を動かす。

「した事ないよ」

「……え?」

「結婚式に一度、キスした事があるだけで。ほかは、何もないよ」

 自分が痛くて、誤魔化す為に微笑む。
 僅かに間があった後、言われた。

「結婚式のキス以外は、初めてって事だよな? よかった。オレも、その…………上手くできなくても、大目に見てな」

 ゆっくりと、距離が縮む。

 かつて「もう二度とないだろうな」と諦めていた出来事が起こって、思考が乱れた。瞳を伏せると、思いが溢れて頬を伝う。

「ごめんね。こんな、泣くつもりじゃなかったのに。望みが叶ったみたいで凄く……感動してしまって。ごめん」

 止まらなくなって言い訳を口にする。腕を引かれる。抱きしめられて一時、息を止めた。

「こっちこそ……ごめんな」

 すぐ近くから、聞こえてくる。もっと、視界が滲む。
 タイチ君が悪い訳じゃない。分かっているんだ、本当は。

 決意を伝える。

「私、あなたのハーレムに馴染めるよう頑張る。だから……傍にいさせてほしい」


 勘違いしちゃダメだよ。傷が深くなるから。

『分かっているのに。凄くつらいよ』

 心の奥で「彼女」の言葉が響いた。


 小学校に通っていた頃の……隣の席で笑っていたタイチ君が胸に浮かぶ。同じ物語が好きだったよね。ずっと好きだった。ずっと…………好きだったんだよ。


 タイチ君と結婚できた。ハーレムの愛人たちを差し置いて、ただ一人。それは私の唯一の希望であり、呪いだった。

 結婚していなかったら。彼の事は忘れて、次の恋へ進めたかもしれない。

 ――タイチ君は。結婚相手に私を選んだ。

 何故なのか分からない。るりちゃんでも、ほかの誰でもない「私」を選んでくれた。

 奈落へ堕ちていく始まりだったのだとしても、嬉しかった。