【完結】【応募版】夫に穢された純愛が兄に止めを刺されるまで


◇◇◇ 4 この世界について ◇◇◇


 思いがけない件を確認される。体が軋む。恐る恐る振り向く。

 家々の建ち並ぶ細い坂道の途中で。暖かな黄金色の光を背景に、タイチ君が真剣な目を向けてくる。

「は……い」

 彼の眼差しの強さに圧倒されて、返事を口にする。
 昨日、告白してしまったけど……お兄ちゃんも話に入ってきたし、タイチ君の答えをハッキリ聞いていなかった。

 タイチ君は、私と付き合っている認識だったの?
 思い至って、顔が熱くなるのを感じる。

「どういう事か、分かってる?」

 問われて小首を傾げる。手招きされたので近くへ寄る。何だろう。付き合うと、私の知らない何かがあるのかな? 耳打ちされる。

 違った。耳にキスされた。びっくりして左耳を押さえる。タイチ君を見る。
 彼の口元は笑っているのに……瞳が昏い。確認してくる。

「つまり……玻璃の『手伝い』とかじゃなく正式に、こういう事をしてもいいって事だよな?」

「え……?」

 動揺していた。耳を押さえたまま一歩、後退する。
 タイチ君を見る。彼もこちらを見ている。私とは違い、目の前の相手は凄く落ち着いているような気がする。

 胸の鼓動が騒がしい。

 これはいけない。完全に負けてる。経験の差が激しい。
 やはり逆ハーレムくらいの経験がないと、彼には太刀打ちできない……!



 …………逃げ帰ってしまった。

 玄関の戸を、後ろ手に閉める。
 何も言わず走り去ったから、タイチ君も呆れているかもしれない。メッセージで謝っておこう。

 まだ顔が熱い。自分が弱過ぎて悔しくて。両手で鞄を握り締めた。



 翌日は休日で、遅い時間に目覚めた。ベッドの中で昨日の夕方に起きた出来事を、ぐるぐると考え続けていた。

 部屋を出る。階段を下っている途中で再び、昨日キスされた場面のイメージが過り耳を押さえる。頬に熱が上るのを感じる。

 この人生では、前の人生よりタイチ君に近付ける……?

 希望が胸に灯る。しかし。

「きっとタイチ君は、ほかの子とも……ああいう事してるよね」

 つい思い至ってしまい、何とも言えない虚しさに似た気持ちに苛まれる。独り言ちて苦笑する。ひと時、瞼を閉じる。

 胸の底に抑えた本音に触れるのをやめて階段を下る。


「っあああああ……!」

 居間の方から声が聞こえる。障子を開けて居間に入ると、兄が四つん這いの格好で畳を叩いている場面に出くわした。

「お、お兄ちゃん。どうしたのっ?」

「畜生! また外したっ!」

 兄の視線の先へ目を向けると……。

 居間の一角にはテレビがあって、画面に馬のキャラクターが映っている。丸っこくて可愛らしい体型の二足歩行する馬で、三角形の赤い旗を手……蹄かもしれない……に持ち、喜びのリアクションをしている。

「これ、私もやってた!」

 思わず声にしてしまい、慌てて口を塞ぐ。横目に兄を窺う。睨まれた。

「やってた?」

「あっ……えーと。ゲームでね」

 何とか言い訳を紡ぎ出せた。苦笑いで兄の視線を受け流す。

 あー。やっぱり。ここは、ただの過去じゃない。

 兄がやっているのはタイムリープ後の私の名前にもなっている悪役令嬢の登場する、例のゲーム内で遊べるミニゲームの一種で。簡単に説明すると……馬のキャラクターたちがレースして、ゴール時の一着から三着までのキャラクターを当てる。当たると所持金が増えるイベントだった。

 ……ただ。兄は今、例のゲームをしている訳ではない。

 一瞬で理解してしまった。やはり、ここは元いた世界じゃないのかも。あのミニゲームは現実世界で言うところの「競馬」に相当するんだと思う。

 前時間軸の過去で、兄がしているのをたまーに見掛けた。意外だった。節約や貯金を「生き甲斐」と語っていた兄が、せっかく貯めたお金を失うかもしれない遊びに手を出すのを……不思議な気持ちで眺めていた。「当たった」と聞いた事は一度もない。

「あと少しで、当たるとこだったのに!」

 兄がとても悔しそうに顔を歪め、拳で畳を叩いた。
 前の人生でも同じ事を言ってたよ、お兄ちゃん。

 苦笑しながら気付く。『あっ、このパターン知ってる!』と。この着順が来たという事は、次は……。しかもこのミニゲームは、これでもかと言うくらいにやり込んでいたし。

 少しの間、無言で考えた。

「答えを教えてあげる」

 口に出した。顔を上げて微笑み掛ける。

「『二、十一、八』だよ」

 怪訝な目付きで見られた。



 悪戯を咎められそうな気配を感じ、台所へ逃げた。パンとコーヒーを準備している時、居間の方から雄叫びが木霊した。

 暫くして兄が台所へ来た。静かな口調で聞いてくる。

「こづかい、いる?」

「いらない」

 コーヒーを淹れながら答える。兄は猶も言ってくる。

「じゃあ、何か奢ってやる」

「いらない」

 コーヒーを淹れ終わった。

「……何だったら、受け取る?」

 その言葉を待っていたよ。口の端が自然と綻ぶ。

「教えてほしい事があるの。やっぱり、お兄ちゃんに協力してほしい」

 真剣に相手の目を見た。

「これから話す事は、絶対に他言無用だからね! じゃないと私……頭のおかしい子だと思われて、社会的に詰むから!」

「じゃあ、話すなよ。オレも聞かないから」

 拗ねた様子の兄が「折角、お祝いしようとしてんのに」とブツブツ呟いている。居間へ戻るつもりなのだろう。踵を返す兄へ、はっきりした声で伝える。

「私、未来の記憶を持ってる。これからも『当たり』を、教えてあげられるけど?」

 兄の動きが軋んで止まる。

「何だって?」

「教えるけど、これは口止め料なの。これから、お兄ちゃんには共犯になってもらう」

「お前、何かしでかしたの? もしかして」

「これから、するんだよ」

 兄の喉仏が、ゴクリと唾を呑んだように上下する。


 掻い摘んで説明した。タイムリープした事と、名前が変わっている事と、未来で夫になった人の事。私の目標についても。

「振り向いてもらう為には、私も逆ハーレムを作るくらいじゃないと……」

 強く、兄を見つめた。

「タイチ君に対抗できるレベルの指導をしてくれそうな人って、身近にお兄ちゃんしかいなくて」

「オレに聞くんかいっ! よりによって、一番聞いたらダメな奴だろ」

「?」

「首を傾げんなっ!」

「え? お兄ちゃんって、何人も彼女いるって言ってたよね? 未来で」

「うっ? オレ……そんな事言ってたの? それはナイ!」

「何故?」

 じとっとした目で睨まれる。

「オレは、純愛しか受け付けん」

「えっ?」

「多分、彼女いるとか言ったのは……見栄を張ったんだと思う」

 兄の実態が、思っていたものと違っている?
 半ば呆然と視線を返す。

「な……何で?」

 やっとの事で、疑問を絞り出す。

「うっ。心当たりは……あるが……」

 ちらりと窺う如く、一瞥が送られてくる。

「とにかく、お前のプランはダメだ! それに。お前の予想した通りに当たっても、全然嬉しくねーよ。意味がねーんだよ」

「じゃあ、いらない」

 ピシャリと言い放ち、瞳を逸らす。断られるのは予定の内だよ。

「お兄ちゃん抜きでやる。バイバイ」

 パンを置いた皿とコーヒーの入ったマグカップを持って、居間へ移動しようとした。

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっ! 待て」

 行く手を阻んでくる。居間への障子の前に立つ兄へ、わざと冷たく微笑む。

「バイバイ」

「落ち着け。協力する。だから、一旦落ち着け」


 何だかんだ言っても、兄は私に甘い。
 俯きがちに、やや瞼を伏せる。考えていた。

 昔にあった出来事を思い出して、胸の奥が……ちくりと痛む。もう一度、苦笑した。



 その日の夜。お風呂から上がって、パジャマを着る。薄桃色で、小さくクマさんの模様が入っている。髪をタオルで拭きながら、洗面所を出る。兄が、台所で食器を洗ってくれている。

「お兄ちゃん、お風呂空いたよ」

 声を掛けて階段を上った。


 自室へ入りドアを閉める。試したい事がある。

 今日の昼頃に「やはり、この世界は元いた世界とは違うのだ」という認識を深めた。どこかちょっと、何と言うか。ファンタジーめいている気がする。

「もしかして……魔法を使えたりする?」

 中学生の時に遊んだ例のゲームには、「魔法」らしき能力を操るキャラクターもいたような……?

 記憶を手繰り寄せようとするけど。何故か、うまく見付けられない。思考の先に靄が掛かったように霞んでいる気配を感じる。

「記憶力は、いいと思っていたのに。悔しいなぁ」

 独り言ちて肩を落とす。
 でもそっか。よく考えたら。あのゲームも遊んでいたのは、大分昔だもんね。仕方ないか。

 気を取り直して実際に試してみる。

「まずは……システムウィンドウを開けるのか、やってみよう」

 目を閉じ、心音を落ち着ける。腕を伸ばし、眼前の空間へ掌を向ける。瞼を上げ、心のままに唱える。

「いでよ、画面!」


 傍から見たら、物凄く中二病だった。間違いない。
 羞恥心で顔が熱い。お兄ちゃんのいない場所で試してよかった。そう安堵していたのに。

「フフフッ」

 背後から笑い声が聞こえ、振り返る。ドアを開けて、確かめる。

「あ、あれっ?」

 再び部屋へ入り、周囲を見回す。

「お、お兄ちゃん?」

 呼び掛けてみるけど、返事がない。耳を澄ます。階下から、薄らとシャワーの音が届く。

 思い出そうとした。さっきの笑い声は……。兄のものじゃない気もする。心臓の音が大きく鳴る。

 じゃあ、誰……?


「フハッ」

 またも唐突に声が聞こえ、ビクッと震える。

「ごめんごめん。驚かせたね。君が好きなあのゲームは、ホラーなジャンルじゃないのに。あんまり面白いから、つい……っくくく」

「えっ? えっ?」

 呆然とする。部屋には……どう見ても私以外、誰もいない。声だけ響いている異常な現象に、大いに戸惑う。

「あー。いつ声を掛けようか、思案していたんだ。僕の、ここへのアクセスは厳しく制限されているから」

 『声』の主は、男性かもしれない。どのくらいの年齢なのかは分からないが、少年ではないトーンだった。

「君を転生させる前に、横やりが入った」

 はっきりと言われ……頭を殴られたぐらいの衝撃が、意識に去来する。やはり、私はあのクリスマスの日に死んだの?

「君がこの世界へ連れて来られたのは、ちょっとした……まぁコネで……んんんっ」

 『声』が咳払いをした。『何か言いにくい事があったのかも?』と考えつつ、ぼーっと宙を眺めている。

「大丈夫?」

 『声』に心配された。

「あ……はい。多分、大丈夫です。いよいよ私、ヤバい状況なのかなって……ビビっていますけど」

「そうだね」

 フフッと笑う気配がする。

「システムウィンドウは出ないけど。説明くらいは、しておいた方がいいだろうと思ってさ。許可は出てる」

 言われて、さっきの事案を思い出す。

「うぐっ」

 目を閉じ、奥歯を噛み締める。黒歴史ができてしまった。