『氷の聖女は推しボイスに溶かされたい〜完璧な私が深夜にスパチャしている相手は、冷徹な鬼部長でした〜』

1. 迫る包囲網と、冷徹な仮面
 月曜日、午前九時。
 サンスターツ本社ビルの空気は、いつになく殺伐としていた。
 一ノ瀬と凛が手掛けた『アロマスピーカー』のプロモーションが大成功を収める一方で、ライバル会社『デジ・ヴォイス』による卑劣な妨害工作は最終局面を迎えていた。
「氷室さん、今朝のニュース見ましたか? 我が社の企画が『他社の特許侵害』として提訴されるという誤報が流れています」
 後輩社員が青い顔で駆け寄ってくる。凛は、デスクの上で組んだ指先にわずかに力を込めたが、その表情は依然として「氷壁の聖女」のままだ。
(……想定内。敵が焦って尻尾を出した証拠。……でも、部長にまで火の粉が飛ぶのは許さない。私の「神」のキャリアに傷をつける不届き者は、私がこの手で社会的に爆死させる)
 凛の瞳の奥で、オタク特有の「推しを守るための攻撃性」が静かに燃え上がる。
「大丈夫です。全ての反証データは既に揃っています。……部長、定例会議を前倒ししましょう」
 凛が視線を向けると、一ノ瀬はゆったりとした動作で立ち上がった。彼はこの窮地にあっても、一分一厘の動揺も見せていない。
「ああ。ゴミ掃除の時間だな。……凛、準備はいいか」
「はい、部長。完璧に(・・・)」
2. 取締役会、絶体絶命のプレゼン
 取締役会議室。そこには、一ノ瀬の失脚を狙う保守派の重役たちと、デジ・ヴォイス社と裏で通じているとされる九条エリカの姿があった。
「一ノ瀬部長。この騒動、どう責任を取るつもりかね? 我が社の株価も影響を受けている。氷室くんとの『不適切な関係』が企画の私物化を招いたのではないかという声も上がっているんだよ」
 重役の一人が、嫌らしい笑みを浮かべて机を叩く。
 エリカも勝ち誇ったように凛を睨みつけた。
「駿くん、今からでも遅くないわ。その子を解雇して、私と手を組みましょう? そうすればデジ・ヴォイスとの訴訟も取り下げさせてあげる」
 凛は、一歩前へ出た。
「九条様。そのお言葉……『訴訟を取り下げさせることができる』という発言こそが、今回の提訴が不当な共謀によるものである何よりの証拠です」
「な、何を……!」
「皆様、モニターをご覧ください」
 凛がタブレットを操作すると、画面にはデジ・ヴォイス社の未公開サーバーから抽出された、メールのやり取りが表示された。そこには、エリカが一ノ瀬を脅迫するために訴訟を仕組んだ経緯が赤裸々に記されている。
「……どうして、こんな内部情報を!?」
「私の特技は『リサーチ』です。……推しの過去配信アーカイブを秒単位で特定し、アンチの投稿元を秒で突き止める。その執念を舐めないでいただきたい」
 凛の心の声が漏れそうになるのを必死で抑える。
(……聖女を怒らせたらどうなるか、その身に刻んであげましょう。部長の『声』という聖域を汚した罪は重いわよ!)
3. 一ノ瀬の「公私混同」宣言
 騒然とする会議室。エリカは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「こんなの、プライバシー侵害よ! それに、あなたが駿くんに色目を使ってプロジェクトを動かしたのは事実じゃない!」
 その時、一ノ瀬が凛の肩を、抱きすくめるように引き寄せた。
「色目を使ったのは、俺の方だ」
 一ノ瀬の、低く、甘く、そして氷のように冷たい声が響く。それは、配信で数万人の耳を溶かしてきた「ナイト」の真骨頂。
「俺は、彼女の才能を独占したくて、三年前からこの場所を用意してきた。……不適切な関係? 笑わせるな。俺と彼女の絆は、お前たちが想像できるような浅いものではない」
 一ノ瀬は凛の指に絡めたダイヤモンドを重役たちに見せつけた。
「彼女は俺のパートナーであり、俺の魂の理解者だ。……彼女に牙を剥く者は、この一ノ瀬駿が、全力で叩き潰す」
「…………っ!」
 凛の心臓が爆発した。
(あ、あああ……部長! 取締役の前で何てことを! でも、その声の響き……昨夜ベッドで囁かれた『愛してる』の周波数と完全に一致してる……! 尊死……ここで死んでも悔いはない……!)
 凛の顔は赤らみ、鉄の仮面がついに崩れ去る。だが、その姿は「守られるだけの女」ではなく、覇者の隣に立つ「最高の伴侶」として輝いていた。
4. 勝利の余韻と、深夜の報酬
 会議は一ノ瀬派の圧勝に終わった。エリカは追放され、裏切り者の重役たちは粛清された。
 その夜。静まり返った部長室で、二人はシャンパングラスを傾けていた。
「……凛。今日は見事だったぞ。……まさか、サーバーまで潜入するとはな」
「……部長の聖域を汚されるのは、耐えられませんでしたから」
 凛は少し酔った目で一ノ瀬を見上げた。仕事モードが解け、一ノ瀬のシャツのボタンが二つ外されている。そこからのぞく鎖骨のラインに、凛の視線が吸い寄せられる。
「……凛。お前、さっきから俺の鎖骨ばかり見てるな。……そんなに、噛みつきたいのか?」
 一ノ瀬が凛をデスクの上に座らせ、逃げ場を塞ぐように両手を突いた。
「っ、部長……! またそういう……!」
「……仕事は終わった。ここからは、俺の時間だ」
 一ノ瀬は、凛の首筋に鼻先を寄せ、深く、深く香りを吸い込んだ。
「お前のあの『聖女』の仮面が、俺の言葉で剥がれ落ちる瞬間……それを見たくて、俺は今日、わざとあんな宣言をしたんだぞ」
「……卑怯です」
「卑怯で結構。……凛、耳を貸せ。……今日の報酬は、特別だ」
 一ノ瀬は、凛の耳朶を軽く噛み、熱を帯びた「ナイト」ボイスで囁いた。
「『……愛してる。……もう、誰もお前のことを汚させない。一生、俺の檻の中で、俺の「声」だけに溺れていろ。……いいな?』」
「………………(再起不能の爆死)」
 凛の理性が、甘く、熱く、溶けて消えた。
 完璧なヒロイン・氷室凛。
 彼女は、仕事で敵を壊滅させ、プライベートでは最愛の男に、魂の奥まで独占される悦びに浸るのだった。

つづく