【第七話】温泉出張、混線の夜
1. 聖女、禁断の「聖地巡礼」へ
プロジェクト『Nightfall Breath』は、SNSの騒動を逆手に取った一ノ瀬の鮮やかな広報戦略により、爆発的な予約数を記録した。その全国展開の足掛かりとして、二人は箱根にある老舗高級旅館『翠明閣』へと出張することになった。
ここは、政財界の重鎮も愛用する、一泊数十万円は下らない「本物の贅沢」を極めた宿だ。
(……仕事。これは仕事。全国の老舗旅館に我が社のアロマスピーカーを導入してもらうための、大事な営業……)
凛は、一ノ瀬の運転する漆黒のベントレーの助手席で、念仏のように心の中で唱えていた。だが、横目で見る一ノ瀬の横顔があまりにも「完璧」すぎて、視線をやるたびに心拍数が跳ね上がる。
今日の彼は、リラックスしたリネンシャツの袖を捲り、ハンドルを握る腕の血管が男らしく浮き出ている。
「凛。さっきから資料を上下逆さまに持っているぞ。……そんなに俺との『お泊まり』が楽しみか?」
「なっ、違います! 設定温度の確認をしていただけです!」
凛は慌てて資料を正したが、顔の火照りは隠せない。一ノ瀬はフッと喉を鳴らして笑うと、信号待ちの合間に凛の左手をとり、その甲に深く、熱いキスを落とした。
「安心しろ。仕事半分、お前の慰安が半分だ。……今夜は誰にも邪魔させない」
2. 露天風呂付き離れ、逃げ場のない密室
旅館に到着した二人が案内されたのは、敷地の最も奥に位置する離れ『月影』。
広大な日本庭園の中に、ひっそりと佇む数寄屋造りの建物。そのテラスには、源泉掛け流しの巨大な露天風呂が、湯気を立てて二人を待ち構えていた。
「……あの、部長。仲居さんが『お部屋は一つでよろしいですね』と仰っていましたが、予備の部屋は……」
「ない。ここは一日一組限定の離れだ。……それとも何か? お前は俺と同じ空気を吸うのが嫌なのか?」
一ノ瀬は凛を背後から抱き寄せ、耳元に「ナイト」の極上ボイスを滑り込ませた。
「……それとも、俺に何かされるのが、怖くてたまらないのか?」
「…………っ、ひ、卑怯です……!」
凛の膝が笑う。この声は、彼女の理性を奪うために調律された楽器だ。
一ノ瀬は凛を解放すると、用意されていた浴衣を手に取った。
「先に風呂に入ってこい。……それとも、一緒に入るか?」
「一人で入ります!!」
凛は脱兎のごとく、タオルを掴んで脱衣所へと駆け込んだ。
3. 浴衣の魔力と、オタクの限界
露天風呂の湯は、凛の傷ついた心と体を優しく解きほぐしてくれた。
月明かりの下、竹林のざわめきを聴きながら、彼女は改めて一ノ瀬への想いを反芻する。
(……ただのファンだったはずなのに。画面の向こうの『ナイト様』だったはずなのに。……今、私はこの人の腕の中にいて、この人の声だけを聴いている)
風呂から上がり、用意された薄手の浴衣に身を包む。鏡に映る自分は、湯気に当てられて上気し、どこか見慣れない色気を纏っていた。
意を決して居間へ戻ると、そこにはすでに風呂を済ませた一ノ瀬が、寝椅子に寝そべってシャンパンを傾けていた。
(……待って、爆死。無理。尊すぎて視界がホワイトアウトする……!)
一ノ瀬の浴衣の合わせは、わざとかと思うほどに深く開いており、逞しい胸板が露わになっている。濡れた前髪が無造作に額に張り付き、冷徹な部長の仮面が完全に剥がれ落ちた「雄」のフェロモンが、部屋中に充満していた。
「……遅かったな、凛。こっちへ来い」
一ノ瀬が手招きする。凛は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、彼の元へと歩み寄る。
一ノ瀬は凛の腰を引き寄せ、自分の膝の間に閉じ込めた。
「……凛。お前、さっきから俺の胸元ばかり見ているな。……そんなに触りたいのか?」
「……そんな、不躾なこと……」
「いいぞ、許可してやる。……お前は俺の『一番のファン』だろ? 推しの体温を直接確かめる権利が、お前にはある」
一ノ瀬の手が、凛の手を導き、自分の胸元へと置かせた。
指先に伝わる、力強く、速い鼓動。
「……部長。心臓、すごく速いです」
「当たり前だ。……好きな女を目の前にして、平然としていられるほど、俺は枯れていない」
4. 伏線回収:三年前、あの夜の「独白」
一ノ瀬は凛を抱きしめたまま、テラスのデッキチェアに座り、夜空を見上げた。
「凛。お前は覚えているか? 三年前、内定式の後の夜。ナイトが『雨の日の贈り物』というタイトルで、三十分間一言も喋らず、ただ雨音と万年筆を走らせる音だけを流した放送があったのを」
凛は息を呑んだ。
「……忘れるはずありません。あの放送、ファンの間では『伝説の癒やし回』って言われてて……私も、仕事が不安で眠れない夜、ずっとリピートしてました」
「あれはな……内定式で、お前が誰よりも深々とお辞儀をして、震える手で内定証書を受け取る姿を見て……お前のその繊細な指が、壊れないようにと祈りながら書いていた『ラブレター』の音だ」
一ノ瀬は凛の指を一筋ずつ、愛おしそうに口づける。
「お前が俺を見つける前から、俺はお前を見つけていた。お前が俺の声に恋をする前から、俺はお前の存在そのものに恋をしていたんだ」
「…………部長…………」
凛の目から、熱いものが溢れ出す。
一ノ瀬は凛の涙を唇で食い止めると、彼女の浴衣の帯を、ゆっくりと、だが拒絶を許さない力強さで解いた。
「……凛。今夜は、配信では決して使わない、俺の本当の声(・・・・・)を聴かせてやる。……お前の名前を呼ぶためだけに磨き上げた、俺の魂の声を」
一ノ瀬は凛を押し倒し、耳元で、これまでで最も低く、官能的な声を響かせた。
「『……愛してる。凛。俺だけのものになれ。……もう、一秒だってお前を離さない』」
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、最愛の推しの「独占愛」という名の甘い海に、ついに理性ごと沈【第七話】温泉出張、混線の夜
1. 聖女、禁断の「聖地巡礼」へ
プロジェクト『Nightfall Breath』は、SNSの騒動を逆手に取った一ノ瀬の鮮やかな広報戦略により、爆発的な予約数を記録した。その全国展開の足掛かりとして、二人は箱根にある老舗高級旅館『翠明閣』へと出張することになった。
ここは、政財界の重鎮も愛用する、一泊数十万円は下らない「本物の贅沢」を極めた宿だ。
(……仕事。これは仕事。全国の老舗旅館に我が社のアロマスピーカーを導入してもらうための、大事な営業……)
凛は、一ノ瀬の運転する漆黒のベントレーの助手席で、念仏のように心の中で唱えていた。だが、横目で見る一ノ瀬の横顔があまりにも「完璧」すぎて、視線をやるたびに心拍数が跳ね上がる。
今日の彼は、リラックスしたリネンシャツの袖を捲り、ハンドルを握る腕の血管が男らしく浮き出ている。
「凛。さっきから資料を上下逆さまに持っているぞ。……そんなに俺との『お泊まり』が楽しみか?」
「なっ、違います! 設定温度の確認をしていただけです!」
凛は慌てて資料を正したが、顔の火照りは隠せない。一ノ瀬はフッと喉を鳴らして笑うと、信号待ちの合間に凛の左手をとり、その甲に深く、熱いキスを落とした。
「安心しろ。仕事半分、お前の慰安が半分だ。……今夜は誰にも邪魔させない」
2. 露天風呂付き離れ、逃げ場のない密室
旅館に到着した二人が案内されたのは、敷地の最も奥に位置する離れ『月影』。
広大な日本庭園の中に、ひっそりと佇む数寄屋造りの建物。そのテラスには、源泉掛け流しの巨大な露天風呂が、湯気を立てて二人を待ち構えていた。
「……あの、部長。仲居さんが『お部屋は一つでよろしいですね』と仰っていましたが、予備の部屋は……」
「ない。ここは一日一組限定の離れだ。……それとも何か? お前は俺と同じ空気を吸うのが嫌なのか?」
一ノ瀬は凛を背後から抱き寄せ、耳元に「ナイト」の極上ボイスを滑り込ませた。
「……それとも、俺に何かされるのが、怖くてたまらないのか?」
「…………っ、ひ、卑怯です……!」
凛の膝が笑う。この声は、彼女の理性を奪うために調律された楽器だ。
一ノ瀬は凛を解放すると、用意されていた浴衣を手に取った。
「先に風呂に入ってこい。……それとも、一緒に入るか?」
「一人で入ります!!」
凛は脱兎のごとく、タオルを掴んで脱衣所へと駆け込んだ。
3. 浴衣の魔力と、オタクの限界
露天風呂の湯は、凛の傷ついた心と体を優しく解きほぐしてくれた。
月明かりの下、竹林のざわめきを聴きながら、彼女は改めて一ノ瀬への想いを反芻する。
(……ただのファンだったはずなのに。画面の向こうの『ナイト様』だったはずなのに。……今、私はこの人の腕の中にいて、この人の声だけを聴いている)
風呂から上がり、用意された薄手の浴衣に身を包む。鏡に映る自分は、湯気に当てられて上気し、どこか見慣れない色気を纏っていた。
意を決して居間へ戻ると、そこにはすでに風呂を済ませた一ノ瀬が、寝椅子に寝そべってシャンパンを傾けていた。
(……待って、爆死。無理。尊すぎて視界がホワイトアウトする……!)
一ノ瀬の浴衣の合わせは、わざとかと思うほどに深く開いており、逞しい胸板が露わになっている。濡れた前髪が無造作に額に張り付き、冷徹な部長の仮面が完全に剥がれ落ちた「雄」のフェロモンが、部屋中に充満していた。
「……遅かったな、凛。こっちへ来い」
一ノ瀬が手招きする。凛は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、彼の元へと歩み寄る。
一ノ瀬は凛の腰を引き寄せ、自分の膝の間に閉じ込めた。
「……凛。お前、さっきから俺の胸元ばかり見ているな。……そんなに触りたいのか?」
「……そんな、不躾なこと……」
「いいぞ、許可してやる。……お前は俺の『一番のファン』だろ? 推しの体温を直接確かめる権利が、お前にはある」
一ノ瀬の手が、凛の手を導き、自分の胸元へと置かせた。
指先に伝わる、力強く、速い鼓動。
「……部長。心臓、すごく速いです」
「当たり前だ。……好きな女を目の前にして、平然としていられるほど、俺は枯れていない」
4. 伏線回収:三年前、あの夜の「独白」
一ノ瀬は凛を抱きしめたまま、テラスのデッキチェアに座り、夜空を見上げた。
「凛。お前は覚えているか? 三年前、内定式の後の夜。ナイトが『雨の日の贈り物』というタイトルで、三十分間一言も喋らず、ただ雨音と万年筆を走らせる音だけを流した放送があったのを」
凛は息を呑んだ。
「……忘れるはずありません。あの放送、ファンの間では『伝説の癒やし回』って言われてて……私も、仕事が不安で眠れない夜、ずっとリピートしてました」
「あれはな……内定式で、お前が誰よりも深々とお辞儀をして、震える手で内定証書を受け取る姿を見て……お前のその繊細な指が、壊れないようにと祈りながら書いていた『ラブレター』の音だ」
一ノ瀬は凛の指を一筋ずつ、愛おしそうに口づける。
「お前が俺を見つける前から、俺はお前を見つけていた。お前が俺の声に恋をする前から、俺はお前の存在そのものに恋をしていたんだ」
「…………部長…………」
凛の目から、熱いものが溢れ出す。
一ノ瀬は凛の涙を唇で食い止めると、彼女の浴衣の帯を、ゆっくりと、だが拒絶を許さない力強さで解いた。
「……凛。今夜は、配信では決して使わない、俺の本当の声(・・・・・)を聴かせてやる。……お前の名前を呼ぶためだけに磨き上げた、俺の魂の声を」
一ノ瀬は凛を押し倒し、耳元で、これまでで最も低く、官能的な声を響かせた。
「『……愛してる。凛。俺だけのものになれ。……もう、一秒だってお前を離さない』」
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、最愛の推しの「独占愛」という名の甘い海に、ついに理性ごと沈められていくのであった。
つづく
1. 聖女、禁断の「聖地巡礼」へ
プロジェクト『Nightfall Breath』は、SNSの騒動を逆手に取った一ノ瀬の鮮やかな広報戦略により、爆発的な予約数を記録した。その全国展開の足掛かりとして、二人は箱根にある老舗高級旅館『翠明閣』へと出張することになった。
ここは、政財界の重鎮も愛用する、一泊数十万円は下らない「本物の贅沢」を極めた宿だ。
(……仕事。これは仕事。全国の老舗旅館に我が社のアロマスピーカーを導入してもらうための、大事な営業……)
凛は、一ノ瀬の運転する漆黒のベントレーの助手席で、念仏のように心の中で唱えていた。だが、横目で見る一ノ瀬の横顔があまりにも「完璧」すぎて、視線をやるたびに心拍数が跳ね上がる。
今日の彼は、リラックスしたリネンシャツの袖を捲り、ハンドルを握る腕の血管が男らしく浮き出ている。
「凛。さっきから資料を上下逆さまに持っているぞ。……そんなに俺との『お泊まり』が楽しみか?」
「なっ、違います! 設定温度の確認をしていただけです!」
凛は慌てて資料を正したが、顔の火照りは隠せない。一ノ瀬はフッと喉を鳴らして笑うと、信号待ちの合間に凛の左手をとり、その甲に深く、熱いキスを落とした。
「安心しろ。仕事半分、お前の慰安が半分だ。……今夜は誰にも邪魔させない」
2. 露天風呂付き離れ、逃げ場のない密室
旅館に到着した二人が案内されたのは、敷地の最も奥に位置する離れ『月影』。
広大な日本庭園の中に、ひっそりと佇む数寄屋造りの建物。そのテラスには、源泉掛け流しの巨大な露天風呂が、湯気を立てて二人を待ち構えていた。
「……あの、部長。仲居さんが『お部屋は一つでよろしいですね』と仰っていましたが、予備の部屋は……」
「ない。ここは一日一組限定の離れだ。……それとも何か? お前は俺と同じ空気を吸うのが嫌なのか?」
一ノ瀬は凛を背後から抱き寄せ、耳元に「ナイト」の極上ボイスを滑り込ませた。
「……それとも、俺に何かされるのが、怖くてたまらないのか?」
「…………っ、ひ、卑怯です……!」
凛の膝が笑う。この声は、彼女の理性を奪うために調律された楽器だ。
一ノ瀬は凛を解放すると、用意されていた浴衣を手に取った。
「先に風呂に入ってこい。……それとも、一緒に入るか?」
「一人で入ります!!」
凛は脱兎のごとく、タオルを掴んで脱衣所へと駆け込んだ。
3. 浴衣の魔力と、オタクの限界
露天風呂の湯は、凛の傷ついた心と体を優しく解きほぐしてくれた。
月明かりの下、竹林のざわめきを聴きながら、彼女は改めて一ノ瀬への想いを反芻する。
(……ただのファンだったはずなのに。画面の向こうの『ナイト様』だったはずなのに。……今、私はこの人の腕の中にいて、この人の声だけを聴いている)
風呂から上がり、用意された薄手の浴衣に身を包む。鏡に映る自分は、湯気に当てられて上気し、どこか見慣れない色気を纏っていた。
意を決して居間へ戻ると、そこにはすでに風呂を済ませた一ノ瀬が、寝椅子に寝そべってシャンパンを傾けていた。
(……待って、爆死。無理。尊すぎて視界がホワイトアウトする……!)
一ノ瀬の浴衣の合わせは、わざとかと思うほどに深く開いており、逞しい胸板が露わになっている。濡れた前髪が無造作に額に張り付き、冷徹な部長の仮面が完全に剥がれ落ちた「雄」のフェロモンが、部屋中に充満していた。
「……遅かったな、凛。こっちへ来い」
一ノ瀬が手招きする。凛は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、彼の元へと歩み寄る。
一ノ瀬は凛の腰を引き寄せ、自分の膝の間に閉じ込めた。
「……凛。お前、さっきから俺の胸元ばかり見ているな。……そんなに触りたいのか?」
「……そんな、不躾なこと……」
「いいぞ、許可してやる。……お前は俺の『一番のファン』だろ? 推しの体温を直接確かめる権利が、お前にはある」
一ノ瀬の手が、凛の手を導き、自分の胸元へと置かせた。
指先に伝わる、力強く、速い鼓動。
「……部長。心臓、すごく速いです」
「当たり前だ。……好きな女を目の前にして、平然としていられるほど、俺は枯れていない」
4. 伏線回収:三年前、あの夜の「独白」
一ノ瀬は凛を抱きしめたまま、テラスのデッキチェアに座り、夜空を見上げた。
「凛。お前は覚えているか? 三年前、内定式の後の夜。ナイトが『雨の日の贈り物』というタイトルで、三十分間一言も喋らず、ただ雨音と万年筆を走らせる音だけを流した放送があったのを」
凛は息を呑んだ。
「……忘れるはずありません。あの放送、ファンの間では『伝説の癒やし回』って言われてて……私も、仕事が不安で眠れない夜、ずっとリピートしてました」
「あれはな……内定式で、お前が誰よりも深々とお辞儀をして、震える手で内定証書を受け取る姿を見て……お前のその繊細な指が、壊れないようにと祈りながら書いていた『ラブレター』の音だ」
一ノ瀬は凛の指を一筋ずつ、愛おしそうに口づける。
「お前が俺を見つける前から、俺はお前を見つけていた。お前が俺の声に恋をする前から、俺はお前の存在そのものに恋をしていたんだ」
「…………部長…………」
凛の目から、熱いものが溢れ出す。
一ノ瀬は凛の涙を唇で食い止めると、彼女の浴衣の帯を、ゆっくりと、だが拒絶を許さない力強さで解いた。
「……凛。今夜は、配信では決して使わない、俺の本当の声(・・・・・)を聴かせてやる。……お前の名前を呼ぶためだけに磨き上げた、俺の魂の声を」
一ノ瀬は凛を押し倒し、耳元で、これまでで最も低く、官能的な声を響かせた。
「『……愛してる。凛。俺だけのものになれ。……もう、一秒だってお前を離さない』」
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、最愛の推しの「独占愛」という名の甘い海に、ついに理性ごと沈【第七話】温泉出張、混線の夜
1. 聖女、禁断の「聖地巡礼」へ
プロジェクト『Nightfall Breath』は、SNSの騒動を逆手に取った一ノ瀬の鮮やかな広報戦略により、爆発的な予約数を記録した。その全国展開の足掛かりとして、二人は箱根にある老舗高級旅館『翠明閣』へと出張することになった。
ここは、政財界の重鎮も愛用する、一泊数十万円は下らない「本物の贅沢」を極めた宿だ。
(……仕事。これは仕事。全国の老舗旅館に我が社のアロマスピーカーを導入してもらうための、大事な営業……)
凛は、一ノ瀬の運転する漆黒のベントレーの助手席で、念仏のように心の中で唱えていた。だが、横目で見る一ノ瀬の横顔があまりにも「完璧」すぎて、視線をやるたびに心拍数が跳ね上がる。
今日の彼は、リラックスしたリネンシャツの袖を捲り、ハンドルを握る腕の血管が男らしく浮き出ている。
「凛。さっきから資料を上下逆さまに持っているぞ。……そんなに俺との『お泊まり』が楽しみか?」
「なっ、違います! 設定温度の確認をしていただけです!」
凛は慌てて資料を正したが、顔の火照りは隠せない。一ノ瀬はフッと喉を鳴らして笑うと、信号待ちの合間に凛の左手をとり、その甲に深く、熱いキスを落とした。
「安心しろ。仕事半分、お前の慰安が半分だ。……今夜は誰にも邪魔させない」
2. 露天風呂付き離れ、逃げ場のない密室
旅館に到着した二人が案内されたのは、敷地の最も奥に位置する離れ『月影』。
広大な日本庭園の中に、ひっそりと佇む数寄屋造りの建物。そのテラスには、源泉掛け流しの巨大な露天風呂が、湯気を立てて二人を待ち構えていた。
「……あの、部長。仲居さんが『お部屋は一つでよろしいですね』と仰っていましたが、予備の部屋は……」
「ない。ここは一日一組限定の離れだ。……それとも何か? お前は俺と同じ空気を吸うのが嫌なのか?」
一ノ瀬は凛を背後から抱き寄せ、耳元に「ナイト」の極上ボイスを滑り込ませた。
「……それとも、俺に何かされるのが、怖くてたまらないのか?」
「…………っ、ひ、卑怯です……!」
凛の膝が笑う。この声は、彼女の理性を奪うために調律された楽器だ。
一ノ瀬は凛を解放すると、用意されていた浴衣を手に取った。
「先に風呂に入ってこい。……それとも、一緒に入るか?」
「一人で入ります!!」
凛は脱兎のごとく、タオルを掴んで脱衣所へと駆け込んだ。
3. 浴衣の魔力と、オタクの限界
露天風呂の湯は、凛の傷ついた心と体を優しく解きほぐしてくれた。
月明かりの下、竹林のざわめきを聴きながら、彼女は改めて一ノ瀬への想いを反芻する。
(……ただのファンだったはずなのに。画面の向こうの『ナイト様』だったはずなのに。……今、私はこの人の腕の中にいて、この人の声だけを聴いている)
風呂から上がり、用意された薄手の浴衣に身を包む。鏡に映る自分は、湯気に当てられて上気し、どこか見慣れない色気を纏っていた。
意を決して居間へ戻ると、そこにはすでに風呂を済ませた一ノ瀬が、寝椅子に寝そべってシャンパンを傾けていた。
(……待って、爆死。無理。尊すぎて視界がホワイトアウトする……!)
一ノ瀬の浴衣の合わせは、わざとかと思うほどに深く開いており、逞しい胸板が露わになっている。濡れた前髪が無造作に額に張り付き、冷徹な部長の仮面が完全に剥がれ落ちた「雄」のフェロモンが、部屋中に充満していた。
「……遅かったな、凛。こっちへ来い」
一ノ瀬が手招きする。凛は磁石に引き寄せられる砂鉄のように、彼の元へと歩み寄る。
一ノ瀬は凛の腰を引き寄せ、自分の膝の間に閉じ込めた。
「……凛。お前、さっきから俺の胸元ばかり見ているな。……そんなに触りたいのか?」
「……そんな、不躾なこと……」
「いいぞ、許可してやる。……お前は俺の『一番のファン』だろ? 推しの体温を直接確かめる権利が、お前にはある」
一ノ瀬の手が、凛の手を導き、自分の胸元へと置かせた。
指先に伝わる、力強く、速い鼓動。
「……部長。心臓、すごく速いです」
「当たり前だ。……好きな女を目の前にして、平然としていられるほど、俺は枯れていない」
4. 伏線回収:三年前、あの夜の「独白」
一ノ瀬は凛を抱きしめたまま、テラスのデッキチェアに座り、夜空を見上げた。
「凛。お前は覚えているか? 三年前、内定式の後の夜。ナイトが『雨の日の贈り物』というタイトルで、三十分間一言も喋らず、ただ雨音と万年筆を走らせる音だけを流した放送があったのを」
凛は息を呑んだ。
「……忘れるはずありません。あの放送、ファンの間では『伝説の癒やし回』って言われてて……私も、仕事が不安で眠れない夜、ずっとリピートしてました」
「あれはな……内定式で、お前が誰よりも深々とお辞儀をして、震える手で内定証書を受け取る姿を見て……お前のその繊細な指が、壊れないようにと祈りながら書いていた『ラブレター』の音だ」
一ノ瀬は凛の指を一筋ずつ、愛おしそうに口づける。
「お前が俺を見つける前から、俺はお前を見つけていた。お前が俺の声に恋をする前から、俺はお前の存在そのものに恋をしていたんだ」
「…………部長…………」
凛の目から、熱いものが溢れ出す。
一ノ瀬は凛の涙を唇で食い止めると、彼女の浴衣の帯を、ゆっくりと、だが拒絶を許さない力強さで解いた。
「……凛。今夜は、配信では決して使わない、俺の本当の声(・・・・・)を聴かせてやる。……お前の名前を呼ぶためだけに磨き上げた、俺の魂の声を」
一ノ瀬は凛を押し倒し、耳元で、これまでで最も低く、官能的な声を響かせた。
「『……愛してる。凛。俺だけのものになれ。……もう、一秒だってお前を離さない』」
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、最愛の推しの「独占愛」という名の甘い海に、ついに理性ごと沈められていくのであった。
つづく



