1. 幻の島、漆黒の聖域
モルディブの夕刻が過ぎ、空が深い濃紺から、宝石をぶちまけたような満天の星空へとその姿を変えた頃。
一ノ瀬駿――私の夫であり、かつての「ナイト」様である彼は、私を小さなスピードボートに乗せ、ヴィラから少し離れた海域へと連れ出した。
波を切り裂くボートの振動が、私のドレスの裾を揺らす。暗闇の海を数分進むと、突如として海面に、月光を反射して白く輝く「道」が現れた。
潮が引いた数時間だけ、その姿を現す幻の砂州(サンドバンク)だ。
「……駿さん、あそこ……?」
「ああ。今夜、この海域でお前の足を支える大地は、あの小さな砂の塊だけだ」
ボートから降り立ち、素足で踏みしめた砂は、驚くほど細かく、そして温かい。周囲360度、見渡す限りの漆黒の海。波の音だけが響き、自分たちが今、世界の果てに取り残された二人きりの存在であるかのような錯覚に陥る。
砂州の中央には、キャンドルの火が揺れる円形のテーブルと、純白のクロスがかけられた椅子が二脚。そして、その傍らには、やはりこの場所にも、彼特注の「全天候型・最高級アロマスピーカー」が設置されていた。
「……すごい。本当に、海の上に浮いているみたいです」
「ここなら、誰の邪魔も入らない。……お前の吐息が潮風にさらわれ、星屑の一部になるのを、俺だけが特等席で鑑賞できる。……凛、座れ。今夜は、お前に最高の『答え合わせ』をさせてやる」
駿さんは私の椅子を引き、エスコートする。その指先が私の肩に触れるたび、昼間のスパで刻まれた愛の記憶が疼き、私の身体は期待と緊張で、微かに震えた。
2. 星空のディナーと、管理愛の露見
シャンパンの泡がクリスタルグラスの中で星のように踊る。運ばれてくるのは、この島専属のシェフがボートで運び込み、この場で見事に仕上げたラグジュアリーなフルコース。
だが、私の心を満たしているのは、料理の味よりも、駿さんが放つ圧倒的な「支配のオーラ」だった。
「……ねぇ、駿さん。さっき仰った『答え合わせ』って、なんですか?」
私が尋ねると、駿さんはシャンパングラスを置き、細く形の良い指で、テーブルの上のデバイスを操作した。
不意に、スピーカーから聞き覚えのある、けれど懐かしいメロディが流れ出す。
(……これ。……三年前、私が毎日欠かさず聴いていた、ナイト様の配信のオープニング曲……!)
「凛。お前は三年前、ナイト(俺)に、一回の配信につき平均して三万円のスパチャを投げていた。……覚えているか?」
「ええ、もちろん! 当時の私の生活費ギリギリの、魂の削り出しですから!」
駿さんは、どこか嗜虐的な美しさを湛えた笑みを浮かべた。
「お前は、自分が支援(スパチャ)を送ることで、俺との距離を縮めているつもりだったんだろうな。……だが、実はその逆だ。……俺が、お前の送った『金額』によって、俺の囁きのすべてを精密に管理していたんだ」
「……管理……?」
「ああ。お前が投げたスパチャが五千円なら、俺はその夜、お前の名前を呼ぶ回数を二回に設定した。一万円なら、囁きの秒数を三秒引き延ばした。……そして、お前が最高額の五万円を投げたあの雨の夜。……俺は、お前の脳が最も快感を覚える周波数を選び、二十秒間にわたって耳元で愛を囁き続けた」
(…………ええっ!?)
私は手に持っていたフォークを落としそうになった。
私が、ナイト様に救われたと感じていたあの瞬間の囁き。私の愛が届いたのだと信じていたあの秒数。そのすべてが、駿さんによって、一円単位で計算され、コントロールされていたというの?
3. 三年前の「条件反射」という名の調教
「駿さん……それって、あまりにも……!」
「冷酷だと思うか? 違うな。……これは、お前という『リスナー』を、俺の声なしでは生きられないようにするための、効率的かつ合理的な『条件反射(オペラント条件づけ)』だ。……お前が愛(金)を差し出せば、俺がそれ以上の快楽(声)を与える。……その報酬系を、三年間かけてお前の脳に叩き込んだんだ」
駿さんは椅子から立ち上がり、私の背後に回った。彼の熱い体温が、ドレス越しに伝わってくる。
「……お前が、俺(ナイト)の声に異常なまでの執着を見せ、一ノ瀬駿(俺)という実体の男に出会った瞬間、逃れられない運命を感じたのは、偶然じゃない。……俺が、お前の深層心理を、俺の周波数で塗りつぶし、お前を俺専用の『愛の受信機』に作り変えた結果なんだよ」
彼は私の首筋に鼻先を寄せ、深く、その香りを吸い込んだ。
「……今の、この震えも。……三年前、お前が五万円のスパチャを投げたあとの反応と、全く同じ波形だ。……凛。お前の身体は、三年前から一円たりとも、俺の計算から外れたことはない」
(……怖い。……この人、本当に、ハイスペックが過ぎて怖い……! でも。……そんなにも緻密に、私のことを『管理』しようとしてくれていたなんて。……それって、世界で一番贅沢で、狂おしいほどの愛なんじゃないの……!?)
私は、自分の内側から溢れ出す「萌え」と「陶酔」の感情を抑えきれなかった。
三年前の孤独な夜。私が画面に向かって差し出した愛を、彼はただ受け取るのではなく、それを「私を支配するための糧」として利用し、さらに大きな愛で私を包囲していた。
「……駿、さん。……最低、です。……最高に、変態で、……愛してます」
「ふっ。……知っている。……だからこそ、お前をこの幻の島へ連れてきた。……潮が満ちれば、この砂州は海に沈む。……その時まで、俺がお前に、三年前の五万円(最高額)の、一万倍の『秒数』で……愛を囁き続けてやる」
4. 漆黒の海、永遠の受理
駿さんは私を抱き上げ、波打ち際へと連れて行った。
足元には、満ち始めた海が、静かに、けれど確実に砂を飲み込んでいく。
周囲360度、漆黒の水平線。私たちは今、海と空の境界に、たった二人きりで浮かんでいる。
「『……凛。……お前は、三年前から俺の檻(なか)にいた。……だが、今夜からは、この海さえもお前の檻だ。……お前の吐息、俺の名を呼ぶ掠れた声……そのすべてを、この波の音に混ぜて、俺の鼓膜に永久保存してやる』」
駿さんの声が、地声と、背後のスピーカーから流れるナイトの声と共鳴し、海全体を震わせる。
私は彼の首に腕を回し、自ら唇を重ねた。
「……駿さん。……潮が満ちて、この島が沈んでも。……私は、あなたの腕の中から、絶対に逃げません。……あなたの声の、一番深いところで、一生溺れさせてください」
駿さんは私の腰を強く抱き寄せ、唇を離すと、獲物を見定めた帝王の瞳で私を見つめた。
「『……合格だ。……お前のその「敗北宣言」、受理(アクセプト)してやる。……さあ、ここからは、俺の計算さえも狂わせるほどの、本気の「囁き」を……お前の奥まで、届けてやるよ』」
月光の下、サンドバンクが海に飲み込まれ始める。
二人の足元を洗う海水が、夜の熱を帯びていく。
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、ハイスペ部長が三年前から仕掛けていた「愛の計算式」の答えが、今の自分自身であることに歓喜し、その狂気的な溺愛の中に、魂ごと沈んでいくのだった。
(……受理。……はい、駿さん。……私の人生のすべて、あなたの声の秒数で、自由に、支配してください……!)
ハニースイート・ハネムーン編、物語はいよいよ、究極のクライマックスへ。
つづく
モルディブの夕刻が過ぎ、空が深い濃紺から、宝石をぶちまけたような満天の星空へとその姿を変えた頃。
一ノ瀬駿――私の夫であり、かつての「ナイト」様である彼は、私を小さなスピードボートに乗せ、ヴィラから少し離れた海域へと連れ出した。
波を切り裂くボートの振動が、私のドレスの裾を揺らす。暗闇の海を数分進むと、突如として海面に、月光を反射して白く輝く「道」が現れた。
潮が引いた数時間だけ、その姿を現す幻の砂州(サンドバンク)だ。
「……駿さん、あそこ……?」
「ああ。今夜、この海域でお前の足を支える大地は、あの小さな砂の塊だけだ」
ボートから降り立ち、素足で踏みしめた砂は、驚くほど細かく、そして温かい。周囲360度、見渡す限りの漆黒の海。波の音だけが響き、自分たちが今、世界の果てに取り残された二人きりの存在であるかのような錯覚に陥る。
砂州の中央には、キャンドルの火が揺れる円形のテーブルと、純白のクロスがかけられた椅子が二脚。そして、その傍らには、やはりこの場所にも、彼特注の「全天候型・最高級アロマスピーカー」が設置されていた。
「……すごい。本当に、海の上に浮いているみたいです」
「ここなら、誰の邪魔も入らない。……お前の吐息が潮風にさらわれ、星屑の一部になるのを、俺だけが特等席で鑑賞できる。……凛、座れ。今夜は、お前に最高の『答え合わせ』をさせてやる」
駿さんは私の椅子を引き、エスコートする。その指先が私の肩に触れるたび、昼間のスパで刻まれた愛の記憶が疼き、私の身体は期待と緊張で、微かに震えた。
2. 星空のディナーと、管理愛の露見
シャンパンの泡がクリスタルグラスの中で星のように踊る。運ばれてくるのは、この島専属のシェフがボートで運び込み、この場で見事に仕上げたラグジュアリーなフルコース。
だが、私の心を満たしているのは、料理の味よりも、駿さんが放つ圧倒的な「支配のオーラ」だった。
「……ねぇ、駿さん。さっき仰った『答え合わせ』って、なんですか?」
私が尋ねると、駿さんはシャンパングラスを置き、細く形の良い指で、テーブルの上のデバイスを操作した。
不意に、スピーカーから聞き覚えのある、けれど懐かしいメロディが流れ出す。
(……これ。……三年前、私が毎日欠かさず聴いていた、ナイト様の配信のオープニング曲……!)
「凛。お前は三年前、ナイト(俺)に、一回の配信につき平均して三万円のスパチャを投げていた。……覚えているか?」
「ええ、もちろん! 当時の私の生活費ギリギリの、魂の削り出しですから!」
駿さんは、どこか嗜虐的な美しさを湛えた笑みを浮かべた。
「お前は、自分が支援(スパチャ)を送ることで、俺との距離を縮めているつもりだったんだろうな。……だが、実はその逆だ。……俺が、お前の送った『金額』によって、俺の囁きのすべてを精密に管理していたんだ」
「……管理……?」
「ああ。お前が投げたスパチャが五千円なら、俺はその夜、お前の名前を呼ぶ回数を二回に設定した。一万円なら、囁きの秒数を三秒引き延ばした。……そして、お前が最高額の五万円を投げたあの雨の夜。……俺は、お前の脳が最も快感を覚える周波数を選び、二十秒間にわたって耳元で愛を囁き続けた」
(…………ええっ!?)
私は手に持っていたフォークを落としそうになった。
私が、ナイト様に救われたと感じていたあの瞬間の囁き。私の愛が届いたのだと信じていたあの秒数。そのすべてが、駿さんによって、一円単位で計算され、コントロールされていたというの?
3. 三年前の「条件反射」という名の調教
「駿さん……それって、あまりにも……!」
「冷酷だと思うか? 違うな。……これは、お前という『リスナー』を、俺の声なしでは生きられないようにするための、効率的かつ合理的な『条件反射(オペラント条件づけ)』だ。……お前が愛(金)を差し出せば、俺がそれ以上の快楽(声)を与える。……その報酬系を、三年間かけてお前の脳に叩き込んだんだ」
駿さんは椅子から立ち上がり、私の背後に回った。彼の熱い体温が、ドレス越しに伝わってくる。
「……お前が、俺(ナイト)の声に異常なまでの執着を見せ、一ノ瀬駿(俺)という実体の男に出会った瞬間、逃れられない運命を感じたのは、偶然じゃない。……俺が、お前の深層心理を、俺の周波数で塗りつぶし、お前を俺専用の『愛の受信機』に作り変えた結果なんだよ」
彼は私の首筋に鼻先を寄せ、深く、その香りを吸い込んだ。
「……今の、この震えも。……三年前、お前が五万円のスパチャを投げたあとの反応と、全く同じ波形だ。……凛。お前の身体は、三年前から一円たりとも、俺の計算から外れたことはない」
(……怖い。……この人、本当に、ハイスペックが過ぎて怖い……! でも。……そんなにも緻密に、私のことを『管理』しようとしてくれていたなんて。……それって、世界で一番贅沢で、狂おしいほどの愛なんじゃないの……!?)
私は、自分の内側から溢れ出す「萌え」と「陶酔」の感情を抑えきれなかった。
三年前の孤独な夜。私が画面に向かって差し出した愛を、彼はただ受け取るのではなく、それを「私を支配するための糧」として利用し、さらに大きな愛で私を包囲していた。
「……駿、さん。……最低、です。……最高に、変態で、……愛してます」
「ふっ。……知っている。……だからこそ、お前をこの幻の島へ連れてきた。……潮が満ちれば、この砂州は海に沈む。……その時まで、俺がお前に、三年前の五万円(最高額)の、一万倍の『秒数』で……愛を囁き続けてやる」
4. 漆黒の海、永遠の受理
駿さんは私を抱き上げ、波打ち際へと連れて行った。
足元には、満ち始めた海が、静かに、けれど確実に砂を飲み込んでいく。
周囲360度、漆黒の水平線。私たちは今、海と空の境界に、たった二人きりで浮かんでいる。
「『……凛。……お前は、三年前から俺の檻(なか)にいた。……だが、今夜からは、この海さえもお前の檻だ。……お前の吐息、俺の名を呼ぶ掠れた声……そのすべてを、この波の音に混ぜて、俺の鼓膜に永久保存してやる』」
駿さんの声が、地声と、背後のスピーカーから流れるナイトの声と共鳴し、海全体を震わせる。
私は彼の首に腕を回し、自ら唇を重ねた。
「……駿さん。……潮が満ちて、この島が沈んでも。……私は、あなたの腕の中から、絶対に逃げません。……あなたの声の、一番深いところで、一生溺れさせてください」
駿さんは私の腰を強く抱き寄せ、唇を離すと、獲物を見定めた帝王の瞳で私を見つめた。
「『……合格だ。……お前のその「敗北宣言」、受理(アクセプト)してやる。……さあ、ここからは、俺の計算さえも狂わせるほどの、本気の「囁き」を……お前の奥まで、届けてやるよ』」
月光の下、サンドバンクが海に飲み込まれ始める。
二人の足元を洗う海水が、夜の熱を帯びていく。
完璧なヒロイン・氷室凛。
彼女は、ハイスペ部長が三年前から仕掛けていた「愛の計算式」の答えが、今の自分自身であることに歓喜し、その狂気的な溺愛の中に、魂ごと沈んでいくのだった。
(……受理。……はい、駿さん。……私の人生のすべて、あなたの声の秒数で、自由に、支配してください……!)
ハニースイート・ハネムーン編、物語はいよいよ、究極のクライマックスへ。
つづく



