第四曲 闇の中で灯る旋律
いよいよ対決の日がやってきた。
あたしは練習に没頭して、邪念を払うことだけを考えてこの日を迎えた。
……っていうのは、ちょっと言い訳で。
負けたらピアノ三重奏にいられなくなることを考えたくなくて、奏とすらほとんど話す時間をつくらなかった。
奏はときどき何かを言いたそうにしていたけれど、練習を理由に避けていた。
全部終わったら、ちゃんと謝らないとね。
――と思っていたのに。
音楽室に向かう途中、その奏に会ってしまった。
腕組みをして、仁王立ちをしている。
「かな――」
「手、貸して」
言うや否や、奏はずんずん近づいてきてあたしの両手をつかんだ。抱えていた楽譜がばさりと音を立てて落ちる。
「奏?」
「やっぱり冷たい」
そう言って、あたしの両手に何かを握らせた。
(あったかい……)
かさ、と乾いた音を立てたのは使い捨てのカイロだった。
「あとは? 何がいる?」
奏の声につられて顔を上げると、困ったように微笑む奏と目が合った。
「奏の全部!」
そう言って抱きついたあたしを、奏は優しく抱きしめてくれた。
「よくばりさんだね」
「うん、あたしはよくばりなの」
だから、何ひとつゆずるつもりはないんだ。
順番は、くじで決めた。
一年生の水沢さんが先攻。あたしが後攻。
審査員は、真田先生をふくめた合奏部全員。もちろん、奏と九能くんもいる。
審査員のイスはすべて後ろ向きになっている。どちらが弾いているかわからないように。
純粋に、音だけで審査するために。
水沢さんが先にピアノの前に座る。
あたしの前を通りすぎたときに、しっかりと目が合った。
(え……?)
思わず、息をのむ。
めっ――――――――っちゃにらまれたんですけど!
水沢さんの瞳は怒りに燃えていて、くちびるは固く引き結ばれていた。楽譜をつかむ手には、白くなるほど力が入っている。
あたしは反射的に立ち上がりかけ、イスがガタッと鳴って我に返った。あわてて座り直す。
――だめだよ、水沢さん。
それじゃ『ジュ・トゥ・ヴー』は……愛のうたは奏でられない。
憎しみは、音に出る。
とはいえ、あたしには何もできない。
何か言ってあげられたとしても、火に油を注ぐだけだろう。
水沢さんの演奏が始まる。
水沢さんの指がつむぎだす音は、とても正確だった。
ミスタッチはひとつもない。和音の乱れもない。
だけど――ときどき、棘が顔を出す。
チクチクした棘が向かう先は、あたし。
――あなたが欲しい。そばにいてほしい。愛してほしい。
その感情に、第三者(ライバル)の存在が混ざっている。
愛する人に歌っているようで、その人のほうを向いていない音。
最後の一音が鳴り、静けさが戻った。
*
拍手もなにもないまま、ピアニストだけが入れ替わる。
声を発さないように気をつけながら、あたしは小さく息を吐き出した。
邪念を払う練習として真っ暗にして見えない状態で弾いてきたけれど、今日は同じ方法は使えない。
対決はあくまでフェアでなければいけないから。
鍵盤に両手をのせると、あたしは目を閉じた。
あたしの――あたしだけのピアノを弾くために。
*
音楽室を片づけたり真田先生と話したりしているあいだに、あたしは一番話したい相手を見失ってしまった。
薄情だなぁ、と思いつつ教室へ戻ると、会いたかったうちのひとり・奏がいた。かばんを背負い、今にも帰ろうとしている。
「いた! 奏、いなくなるの早すぎ」
「はぁー? せっかくゆずったのに」
「ゆずった? 何を?」
「結ちゃんを」
「あたし、を、ゆずったって…………。水沢さんに?」
「なわけないでしょ。あたしのピアノはいつだって結ちゃんなんだから」
きゅん、と胸が高鳴った。
奏ってば、うれしいことを言ってくれる。
そう。
あたしは水沢さんに勝利して、ピアニストの座を死守したんだ。
全員が全員あたしに投票したわけではなかったけれど、奏と九能くんがあたしのピアノに手を挙げてくれたのはちゃんと確認した。
「そいじゃーね、また明日!」
バイバーイと手を振って、奏はあたしの脇をすり抜けて教室を出て行ってしまった。
「あ、うん、明日ね!」
あたしは奏の背中に声をかける。
奏ともゆっくり話したかったけれど、それはまた今度。
もうひとりの会いたかった人――九能くんを探しに行こう。
*
急いで九能くんのクラスに行ってみたけれど、そこには誰もいなかった。
(もう帰っちゃった?)
忙しい人だからしかたない……?
そう思いつつ、もう少し探してみようと思った。
職員室。
図書室。
屋上。
音楽室。
広い校舎内を早歩きで探し回るも、九能くんの姿はなかった。
(さすがにもう帰っちゃった、よね)
まあいいか、明日でも。
よく考えたら学校は毎日あるし、部活もある。
クラスが分かれてしまっただけで、どうしてこんなにもあせってしまったのだろう。
そう考えながらとぼとぼと教室に戻り、あたしは目を丸くした。
「く、九能くん⁉」
あれ? 間違えて九能くんのクラスに来ちゃった?
あたしは一歩下がって教室の入り口にあるクラス名を何度も確認する。
いやいや、うちのクラスだよね?
戸惑うあたしを黙って見ていた九能くんが、脱力したようにため息をついた。
それから、小さくひとこと。
「……めっちゃ探した」
そう、つぶやいた。
「えっ、えぇっ。待って、探してたのあたし! あたしだから!」
「は?」
九能くんの眉がいぶかしげに寄せられる。
「だって、教室とか、職員室とか、屋上とか……」
「俺も行ったな」
「うそ、でしょ……」
あたしはへなへなと座り込んでしまった。
すれ違っていたってこと?
そんなことある?
「ずっと言いたかったことあったのに、止められてたから」
そう告げられ、あたしは座り込んだまま首をかしげる。
「止められてたって、誰に? 何を?」
「アンリ先輩に」
うぅ、またアンリ先輩だ。
九能くんが近づいてきて、あたしの腕をつかんだ。
「俺はずっと、勝負なんて受ける必要ないって言おうとしてたんだ」
そう言って、強い力で引き上げてくれる。
あたしの頭はハテナだらけだ。
「え、と。アンリ先輩がなんで――」
「――おまえは邪念になるって。勝負が終わるまで桐野に話しかけるなって脅された」
「脅された?」
「『言うことを聞かないと、僕の権力を使ってパリのコンクールに出られないようにしてやる』って」
「…………」
さすがのアンリ先輩でもそんな権力ないんじゃ……とは思うけれど、おそろしすぎる。
「あ、でも勝負は受けるつもりでいたから。そうしないと水沢さんは納得しないだろうし」
「納得してたよ。俺も美山もはっきり言ったから」
「え……?」
どういうこと?
水沢さんは納得していた?
「何があろうとピアニストの交代はありえない。俺たちがそう伝えたら『わかりました、ピアニストの座はあきらめます』って」
「……九能くんと奏が? そう言ってくれたの?」
「当たり前だろ」
九能くんの顔がむっとしたようにゆがんだ。
当たり前――なのか。そうなんだ。
「美山からは聞いていないのか?」
「あ……あたしが避けちゃってたから」
大事なピアノ三重奏にいられないかもしれない。
そう思ったら、奏や九能くんと顔を合わせるのが怖くて。
「そもそもくだらなすぎる。俺が誰とでも合奏するヴァイオリニストだと思われてるのが気に入らない」
九能くんは、だいぶふきげんそうに言った。
あー、そういうことね。
「でも、水沢さんはそんな軽い気持ちじゃなかったと思うよ。すごく必死だったし」
演奏の前に、あたしをにらみつけてきたあの瞳を思い出す。
あれは、九能くんに拒絶された怒りだったのかもしれない。
「今までも一緒に演奏したいと言ってくる人はたくさんいたけど……できあがってるアンサンブルのメンバーを交代しろっていうのはさすがにおこがましくないか?」
「まあ強引だなとは思うけど……。それだけ九能くんを、す、好きだってことだろうし――」
言いながら、胸のあたりがもやもやとざわついた。
なんであたしが水沢さんの気持ちを代弁しているのだろうか。
「俺のヴァイオリンが好きなのと、ピアノ三重奏に入りたがるのは話が違いすぎるだろ」
九能くんは相変わらずふきげんそうな苦い顔でそう言った。
「えっと、ヴァイオリン……?」
あたしはしばし混乱して頭を抱えた。
「じゃなくて、九能くん告白されたんだよね?」
「……何の話?」
いよいよ九能くんの表情が険しくなり、あたしは口をつぐんだ。これ以上言うとブチギレられてしまいそうだ。
えーと。
つまり。
九能くんは、水沢さんに告白されたとき、自分のヴァイオリンが好き――シンプルに言うと『ファン』だととらえたってこと?
そのときのやりとりを知らないからよくわからないけれど、とりあえず九能くんのなかには相変わらず音楽しかないみたい。
勇気を出して伝えたのに伝わらず、どかんときてあたしに勝負を挑んだのかもしれない。
ちょっとかわいそうだなと思いつつ、どこかホッとしている自分もいる。
(いじわるだな、あたし)
でも、あたしだってピアノ三重奏を――九能くんをとられたくない。
部長だからっていい人ぶっていたら、とられちゃうかもしれないんだ。
とられそうになったら、どんな手を使ってでも阻止しないと。
「――だから」
あたしは息を吸って、ぐっと胸元をつかんだ。
「相手が誰でも、どんな理由でも。あたしは勝負を挑まれたら、受けて立つ。それだけ」
周りに何を言われても、大切なものなら自分で守らなきゃいけないから。
「……なるほど?」
「うん。だから、奏と九能くんに『受ける必要はない』って言われても、あたしは変わらなかったと思う」
水沢さんの真剣なきもちも、あの目を見たからわかる。
「まあ、それは俺もそうだな。挑まれえたら受けるかも」
「そうなの?」
「俺よりレベルが高い相手に限るけど」
「あー……」
そうだよね。
九能くんは、そういう人だね。
「それで? 桐野はなんで俺を探してたの?」
「あれ? そういえばなんでだっけ……?」
ずっと会えていなかったから、会いたかっただけで――。
何を言うつもりだったんだっけ?
「えっと………………ピアノ三重奏続けられてよかったデス……」
「当たり前すぎ。美山も同じこと言ってたけど、俺もメンバー変えて合奏する気はないから」
ああ、そうか。
あたしも同じ気持ちなんだ。
部長として、合奏部のためにと思っていろいろ考えていたけれど。――それはあたしの本意ではなかったんだ。
「ちなみに、俺が桐野を探してたのは」
九能くんに視線を戻すと、意外なほどやわらかい笑顔に迎えられた。
「桐野の『ジュ・トゥ・ヴー』、よかったよ。最初の一音で桐野だってわかった。だから、どうしても今日じゅうに伝えたかった」
ふわりと、ひとつひとつの言葉が胸に落ちる。
よかったし、
わかったし、
伝えたかった――。
どうしよう。うれしすぎるかも。
気を抜くと涙がこぼれてしまいそうで、あたしはごまかすために「えへへ」と笑った。
「あと……これは強制でもなんでもないけど。次からはできるだけアンリ先輩に相談しないでほしい」
「あー……」
たしかに、アンリ先輩に相談したせいでいろんな人に迷惑をかけてしまった。真田先生にも、葉月くんにも。
「俺だって、少しはピアノのことはわかるから」
そう口にする九能くんは、まだちょっと怒っているように見えた。
アンリ先輩に負けたくないんだろうな。
そしてたしかに、九能くんはピアノも弾ける。たぶんあたしより上手……。
「うん、これからはそうする。仲間だもんね」
「じゃ、そういうことで」
あたしたちはどちらからともなく手を上げ、ハイタッチをした。
いよいよ対決の日がやってきた。
あたしは練習に没頭して、邪念を払うことだけを考えてこの日を迎えた。
……っていうのは、ちょっと言い訳で。
負けたらピアノ三重奏にいられなくなることを考えたくなくて、奏とすらほとんど話す時間をつくらなかった。
奏はときどき何かを言いたそうにしていたけれど、練習を理由に避けていた。
全部終わったら、ちゃんと謝らないとね。
――と思っていたのに。
音楽室に向かう途中、その奏に会ってしまった。
腕組みをして、仁王立ちをしている。
「かな――」
「手、貸して」
言うや否や、奏はずんずん近づいてきてあたしの両手をつかんだ。抱えていた楽譜がばさりと音を立てて落ちる。
「奏?」
「やっぱり冷たい」
そう言って、あたしの両手に何かを握らせた。
(あったかい……)
かさ、と乾いた音を立てたのは使い捨てのカイロだった。
「あとは? 何がいる?」
奏の声につられて顔を上げると、困ったように微笑む奏と目が合った。
「奏の全部!」
そう言って抱きついたあたしを、奏は優しく抱きしめてくれた。
「よくばりさんだね」
「うん、あたしはよくばりなの」
だから、何ひとつゆずるつもりはないんだ。
順番は、くじで決めた。
一年生の水沢さんが先攻。あたしが後攻。
審査員は、真田先生をふくめた合奏部全員。もちろん、奏と九能くんもいる。
審査員のイスはすべて後ろ向きになっている。どちらが弾いているかわからないように。
純粋に、音だけで審査するために。
水沢さんが先にピアノの前に座る。
あたしの前を通りすぎたときに、しっかりと目が合った。
(え……?)
思わず、息をのむ。
めっ――――――――っちゃにらまれたんですけど!
水沢さんの瞳は怒りに燃えていて、くちびるは固く引き結ばれていた。楽譜をつかむ手には、白くなるほど力が入っている。
あたしは反射的に立ち上がりかけ、イスがガタッと鳴って我に返った。あわてて座り直す。
――だめだよ、水沢さん。
それじゃ『ジュ・トゥ・ヴー』は……愛のうたは奏でられない。
憎しみは、音に出る。
とはいえ、あたしには何もできない。
何か言ってあげられたとしても、火に油を注ぐだけだろう。
水沢さんの演奏が始まる。
水沢さんの指がつむぎだす音は、とても正確だった。
ミスタッチはひとつもない。和音の乱れもない。
だけど――ときどき、棘が顔を出す。
チクチクした棘が向かう先は、あたし。
――あなたが欲しい。そばにいてほしい。愛してほしい。
その感情に、第三者(ライバル)の存在が混ざっている。
愛する人に歌っているようで、その人のほうを向いていない音。
最後の一音が鳴り、静けさが戻った。
*
拍手もなにもないまま、ピアニストだけが入れ替わる。
声を発さないように気をつけながら、あたしは小さく息を吐き出した。
邪念を払う練習として真っ暗にして見えない状態で弾いてきたけれど、今日は同じ方法は使えない。
対決はあくまでフェアでなければいけないから。
鍵盤に両手をのせると、あたしは目を閉じた。
あたしの――あたしだけのピアノを弾くために。
*
音楽室を片づけたり真田先生と話したりしているあいだに、あたしは一番話したい相手を見失ってしまった。
薄情だなぁ、と思いつつ教室へ戻ると、会いたかったうちのひとり・奏がいた。かばんを背負い、今にも帰ろうとしている。
「いた! 奏、いなくなるの早すぎ」
「はぁー? せっかくゆずったのに」
「ゆずった? 何を?」
「結ちゃんを」
「あたし、を、ゆずったって…………。水沢さんに?」
「なわけないでしょ。あたしのピアノはいつだって結ちゃんなんだから」
きゅん、と胸が高鳴った。
奏ってば、うれしいことを言ってくれる。
そう。
あたしは水沢さんに勝利して、ピアニストの座を死守したんだ。
全員が全員あたしに投票したわけではなかったけれど、奏と九能くんがあたしのピアノに手を挙げてくれたのはちゃんと確認した。
「そいじゃーね、また明日!」
バイバーイと手を振って、奏はあたしの脇をすり抜けて教室を出て行ってしまった。
「あ、うん、明日ね!」
あたしは奏の背中に声をかける。
奏ともゆっくり話したかったけれど、それはまた今度。
もうひとりの会いたかった人――九能くんを探しに行こう。
*
急いで九能くんのクラスに行ってみたけれど、そこには誰もいなかった。
(もう帰っちゃった?)
忙しい人だからしかたない……?
そう思いつつ、もう少し探してみようと思った。
職員室。
図書室。
屋上。
音楽室。
広い校舎内を早歩きで探し回るも、九能くんの姿はなかった。
(さすがにもう帰っちゃった、よね)
まあいいか、明日でも。
よく考えたら学校は毎日あるし、部活もある。
クラスが分かれてしまっただけで、どうしてこんなにもあせってしまったのだろう。
そう考えながらとぼとぼと教室に戻り、あたしは目を丸くした。
「く、九能くん⁉」
あれ? 間違えて九能くんのクラスに来ちゃった?
あたしは一歩下がって教室の入り口にあるクラス名を何度も確認する。
いやいや、うちのクラスだよね?
戸惑うあたしを黙って見ていた九能くんが、脱力したようにため息をついた。
それから、小さくひとこと。
「……めっちゃ探した」
そう、つぶやいた。
「えっ、えぇっ。待って、探してたのあたし! あたしだから!」
「は?」
九能くんの眉がいぶかしげに寄せられる。
「だって、教室とか、職員室とか、屋上とか……」
「俺も行ったな」
「うそ、でしょ……」
あたしはへなへなと座り込んでしまった。
すれ違っていたってこと?
そんなことある?
「ずっと言いたかったことあったのに、止められてたから」
そう告げられ、あたしは座り込んだまま首をかしげる。
「止められてたって、誰に? 何を?」
「アンリ先輩に」
うぅ、またアンリ先輩だ。
九能くんが近づいてきて、あたしの腕をつかんだ。
「俺はずっと、勝負なんて受ける必要ないって言おうとしてたんだ」
そう言って、強い力で引き上げてくれる。
あたしの頭はハテナだらけだ。
「え、と。アンリ先輩がなんで――」
「――おまえは邪念になるって。勝負が終わるまで桐野に話しかけるなって脅された」
「脅された?」
「『言うことを聞かないと、僕の権力を使ってパリのコンクールに出られないようにしてやる』って」
「…………」
さすがのアンリ先輩でもそんな権力ないんじゃ……とは思うけれど、おそろしすぎる。
「あ、でも勝負は受けるつもりでいたから。そうしないと水沢さんは納得しないだろうし」
「納得してたよ。俺も美山もはっきり言ったから」
「え……?」
どういうこと?
水沢さんは納得していた?
「何があろうとピアニストの交代はありえない。俺たちがそう伝えたら『わかりました、ピアニストの座はあきらめます』って」
「……九能くんと奏が? そう言ってくれたの?」
「当たり前だろ」
九能くんの顔がむっとしたようにゆがんだ。
当たり前――なのか。そうなんだ。
「美山からは聞いていないのか?」
「あ……あたしが避けちゃってたから」
大事なピアノ三重奏にいられないかもしれない。
そう思ったら、奏や九能くんと顔を合わせるのが怖くて。
「そもそもくだらなすぎる。俺が誰とでも合奏するヴァイオリニストだと思われてるのが気に入らない」
九能くんは、だいぶふきげんそうに言った。
あー、そういうことね。
「でも、水沢さんはそんな軽い気持ちじゃなかったと思うよ。すごく必死だったし」
演奏の前に、あたしをにらみつけてきたあの瞳を思い出す。
あれは、九能くんに拒絶された怒りだったのかもしれない。
「今までも一緒に演奏したいと言ってくる人はたくさんいたけど……できあがってるアンサンブルのメンバーを交代しろっていうのはさすがにおこがましくないか?」
「まあ強引だなとは思うけど……。それだけ九能くんを、す、好きだってことだろうし――」
言いながら、胸のあたりがもやもやとざわついた。
なんであたしが水沢さんの気持ちを代弁しているのだろうか。
「俺のヴァイオリンが好きなのと、ピアノ三重奏に入りたがるのは話が違いすぎるだろ」
九能くんは相変わらずふきげんそうな苦い顔でそう言った。
「えっと、ヴァイオリン……?」
あたしはしばし混乱して頭を抱えた。
「じゃなくて、九能くん告白されたんだよね?」
「……何の話?」
いよいよ九能くんの表情が険しくなり、あたしは口をつぐんだ。これ以上言うとブチギレられてしまいそうだ。
えーと。
つまり。
九能くんは、水沢さんに告白されたとき、自分のヴァイオリンが好き――シンプルに言うと『ファン』だととらえたってこと?
そのときのやりとりを知らないからよくわからないけれど、とりあえず九能くんのなかには相変わらず音楽しかないみたい。
勇気を出して伝えたのに伝わらず、どかんときてあたしに勝負を挑んだのかもしれない。
ちょっとかわいそうだなと思いつつ、どこかホッとしている自分もいる。
(いじわるだな、あたし)
でも、あたしだってピアノ三重奏を――九能くんをとられたくない。
部長だからっていい人ぶっていたら、とられちゃうかもしれないんだ。
とられそうになったら、どんな手を使ってでも阻止しないと。
「――だから」
あたしは息を吸って、ぐっと胸元をつかんだ。
「相手が誰でも、どんな理由でも。あたしは勝負を挑まれたら、受けて立つ。それだけ」
周りに何を言われても、大切なものなら自分で守らなきゃいけないから。
「……なるほど?」
「うん。だから、奏と九能くんに『受ける必要はない』って言われても、あたしは変わらなかったと思う」
水沢さんの真剣なきもちも、あの目を見たからわかる。
「まあ、それは俺もそうだな。挑まれえたら受けるかも」
「そうなの?」
「俺よりレベルが高い相手に限るけど」
「あー……」
そうだよね。
九能くんは、そういう人だね。
「それで? 桐野はなんで俺を探してたの?」
「あれ? そういえばなんでだっけ……?」
ずっと会えていなかったから、会いたかっただけで――。
何を言うつもりだったんだっけ?
「えっと………………ピアノ三重奏続けられてよかったデス……」
「当たり前すぎ。美山も同じこと言ってたけど、俺もメンバー変えて合奏する気はないから」
ああ、そうか。
あたしも同じ気持ちなんだ。
部長として、合奏部のためにと思っていろいろ考えていたけれど。――それはあたしの本意ではなかったんだ。
「ちなみに、俺が桐野を探してたのは」
九能くんに視線を戻すと、意外なほどやわらかい笑顔に迎えられた。
「桐野の『ジュ・トゥ・ヴー』、よかったよ。最初の一音で桐野だってわかった。だから、どうしても今日じゅうに伝えたかった」
ふわりと、ひとつひとつの言葉が胸に落ちる。
よかったし、
わかったし、
伝えたかった――。
どうしよう。うれしすぎるかも。
気を抜くと涙がこぼれてしまいそうで、あたしはごまかすために「えへへ」と笑った。
「あと……これは強制でもなんでもないけど。次からはできるだけアンリ先輩に相談しないでほしい」
「あー……」
たしかに、アンリ先輩に相談したせいでいろんな人に迷惑をかけてしまった。真田先生にも、葉月くんにも。
「俺だって、少しはピアノのことはわかるから」
そう口にする九能くんは、まだちょっと怒っているように見えた。
アンリ先輩に負けたくないんだろうな。
そしてたしかに、九能くんはピアノも弾ける。たぶんあたしより上手……。
「うん、これからはそうする。仲間だもんね」
「じゃ、そういうことで」
あたしたちはどちらからともなく手を上げ、ハイタッチをした。


