夜明けが世界を染めるころ

「ティアナ、この近くにきれいな湖があるんだ。行かないかい?」

「ええ」

「じゃあ決まりだ」

そう言うと、彼は当然のように私の手を引いて歩き出した。



辿り着いた湖は、本当に美しかった。
水面には蓮の花が浮かび、太陽の光を受けて幻想的に輝いている。

――ほんの数分前までは。

「やあ、妹よ。奇遇だな」

最悪のタイミングで聞こえる、聞き慣れすぎた声。

「……ごきげんよう」

苦笑いで振り返ると、そこには腕を組んで得意げな兄、マルクがいた。

「最近見ないと思ったら、不良にでもなったのか?」

余裕ぶった態度だったが、
次の瞬間、私の背後を見たマルクの顔色が一気に変わる。

「……で、でんか!?」

「やあ」

ディランはにこやかに手を振った。
どこからどう見ても爽やかだが、私は知っている。

――この人、絶対面白がってる。

マルクは一瞬完全に固まり、
次の瞬間、なぜか私に詰め寄ってきた。

「お、おい妹!
リチャードに続いて、今度は殿下だと!?
お前、男を見る目なさすぎるじゃないか!」

「あの……」

リチャードの件はずっと断ってたし、
殿下とはあくまで契約上の関係で――

「いいか!
まだ銀髪で氷みたいな目の騎士か、
エセ笑顔の腹黒執事の方が――」

「腹黒、とは?」

背後から、やけに柔らかい声。

振り返らなくても分かる。
今、笑顔の圧が最大値。

「ひっ!?」

マルクが情けない悲鳴を上げて跳ね上がった。

「い、いえ!
今のは決して殿下のことを指したわけではなく!」

「そうなんだ」

ディランはにこやかに頷き、私の肩にそっと手を置く。

「ちなみにね」

嫌な予感しかしない。

「ティアナと、婚約したんだよ」

「はああああ!?」

マルクの声が湖に響いた。

「こ、こんやく!?
愛の逃避行でもするのか!?
最近見かけなかったのはそういうことか!?」

完全にテンパっている。

「い、いえ、そうではなくて……」

私は曖昧に言葉を濁す。

ディランは満足そうに微笑みながら、
マルクの肩をぽんと叩いた。

「安心して。
妹さんは僕が責任をもって“お預かり”しているから」

「余計に不安なんだが!?」

マルクは頭を抱えたあと、突然顔を上げた。

「と、とりあえず!
せっかく来たんだ、ボートにでも乗るか!?」

話題転換があまりにも唐突だった。

こうしてなぜか、
私、ディラン、マルク――そしてもう一人。

「ナナと申します」

「……ナナ嬢?」

昔、ユリアともめた令嬢。
確か10年前…ユウリがお試し執事として屋敷にきてたときだ。