夜明けが世界を染めるころ

「……一つだけ、聞いてもいいですか」

「ああ」

私は執務室の奥に飾られた、夜明けの絵画を見る。
その下に、いつも置かれている花――アイリス。

それを見つめてから、静かに告げた。

「母のこと……本当に、愛していましたか」

父は迷わなかった。

「ああ」

そして、はっきりと。

「愛していた。今でもだ」

その声は、揺れていなかった。

「そして、ティアナ。お前のこともだ」

胸の奥が、じんと熱くなる。

「……そう、ですか」

それなら、言わなければならない。

私は一歩、前に出た。

「私……ディラン殿下と――」

その瞬間。

コン、と控えめだが確かなノックの音。

返事を待たず、扉が開く。

「失礼します」

低く、落ち着いた声。

振り返ると、そこに立っていたのは――ディランだった。

「……殿下?」

父の視線が、私とディランを交互に捉える。

ディランは一礼し、まっすぐ父を見据える。

「話の途中に失礼を。
ですが、これは私自身の立場として、
そして――ティアナの選択として、
正式にお伝えすべきことだと思いまして」

一瞬、執務室の空気が張り詰める。

夜明けの絵画の淡い光が、3人を包んでいた。

私は、ディランの隣に立つ。

もう、逃げない。

この先に進むための言葉を――
今度こそ、きちんと伝えるために。


ディランは一歩、前に出た。
その所作はいつもの軽さを抑え、王族としての重みを帯びている。

「アドルフ伯爵」

父――アドルフは、黙ってディランを見つめる。
その視線は厳しいが、拒絶ではない。

「私は、ティアナと婚約する意思があります。
それは政略ではなく、彼女自身の意思を尊重した上でのものです」

私は、はっきりと頷いた。

「私もです。
ディラン殿下と……共に進むと決めました」

父の視線が、今度は私に向けられる。
その目に浮かんでいるのは、怒りではなかった。

――心配だ。

それが、痛いほど伝わってくる。

「……覚悟はあるのか」

低い声で、父が問う。

「殿下と共に立つということは、
お前が再び――いや、今度こそ本当に、
渦中に立つということだ」

「あります」

私は即答した。

「お母様が守ろうとしたもの。
お父様が守ろうとしてきたもの。
それを、今度は私が引き継ぎます」

ディランが、私の隣で静かに言葉を重ねる。

「私は彼女を“利用”しません。
守るために、共に立ちます。
彼女が一人で背負うことは、させない」

しばらくの沈黙。

やがて父は、ゆっくりと息を吐いた。