夜明けが世界を染めるころ

グワングワンと、頭が回る。

ここに来てからずっと漂っている、
さくらんぼのようなフルーティーで甘い香り。

それに加えて、魔女の雫から放たれる光が、
さらに気分の悪さを増幅させていた。

黒いモヤが、魔女の雫から溢れ出す。

それはまるで、生きているかのように蠢き、
人々を取り込もうとしているように見える。

おぞましいほどの悪意。

こちらに囁きかけてくるようで、
視界がチカチカし始めた。

思わず、ぎゅっと目を閉じる。

――その瞬間、ある光景が浮かび上がった。

「だめよ!これは危険なものよ!」

「うるさい!」

「……なら、私が引き受ける」

「アイリス!!」

男の人と、女の人。

言い争う声。

暴走する黒いダイヤ――
魔女の雫。

痛い。
苦しい。

胸の奥が、締め付けられる。

「……ルナ、ルナ!」

その声が、遠くから響いた。

「ティアナ」

現実に引き戻される。

頬に触れる温もり。
真っ直ぐに、私の瞳を覗き込む視線。

焦りを隠しきれない、私の騎士。

「セ、セナ……」

ぽつりと、名前を呼ぶ。

周囲はオークションの熱気に包まれており、
私たちの会話に注意を向ける者はいない。

それだけが、唯一の救いだった。

「はい。そうです。大丈夫ですか?」

セナは、少しだけ安堵した表情を見せる。

「ご、ごめん……大丈夫」

私はそう答え、オークション会場へ視線を戻した。

背中に、心配そうな視線を感じる。
けれど、それに気づかないふりをした。

「1000万ルビー!」

「1500万ルビー!」

「2200万ルビー!」

ワイン一本の値段とは思えない。
男爵や子爵の年収に匹敵する金額が、
次々と叫ばれていく。

それでも、値は止まらない。

「5000万ルビー!」

突然、金額が跳ね上がった。

誰がそんな額を――と思った瞬間、
二階席に座る人物が目に入る。

距離があって顔までは見えないが、
金と黒で装飾された仮面をつけている。

しかし、それに対抗する声があった。

「なら、5200万ルビーだ!」

会場がざわめく。

そして――

「1億ルビー」

空気が、一瞬で凍りついた。

息を呑む音と、金額を告げる声が重なる。

やがて、小槌が高く振り上げられ――
乾いた音とともに、振り下ろされた。

「では、蝶番号32番の方が、
1億ルビーで落札です!」

異様な高額に、誰もが目を見張る。

それでも、誰一人として異を唱えなかった。

納得したように頷きながら、
オークションは、静かに幕を下ろした。