「──紗枝の気持ちは、よくわかったよ。だったら僕が『彼氏のフリ』をして、拓真の本心を引き出すのはどうかな?」
桜の花びらがふらふらと舞う、中学校からの帰り道。温かな春風がほっぺたに優しく触れる。
小さいころから変わらない、幼なじみの本田翔のやわらかな声が、波打つ海に広がっていく。
だけど、あんまりにも唐突すぎる提案に、私はパチパチとまばたきを繰り返し、気づけば目に浮かんでいた涙はひっこんでいた。
(えっ? ちょっと待って、どうゆうこと? 意味わかんないんだけどぉー!)
口を開けたまま、ポカーンとしている私に対して、翔は投げ出されたままの左手をそっと取ってくる。
その仕草はまるで、ジュニアアイドルのMVに出てくる「王子様の翔」のようで、ほっぺたがカッと熱くなっていた。
見られないようにと小さくうつむくと、左手小指からスルスルと抜けていく感覚。
「えっ! ちょっと!」
指先を見ると、ピンクの石がキラリと光る指輪がなくなっていた。まさかと思って顔を上げると、翔の長い指先にキラキラと輝くリングがあった。
「あっ、だめぇー! 拓真からもらった大切な指輪なんだよー!」
そう言いながら精一杯ジャンプして、力の限り手をグイッと伸ばすけど、翔が頭上に手をやったら届かない。
「これは預からせてもらうよ? だって僕、紗枝の彼氏なんだから!」
風に揺れる柔らかな髪、私を見つめる真っ直ぐな瞳、穏やかな微笑み。そして、フローラルな香水のような香り。
私を見下ろしてくる翔は急に男の子の顔をしているように見えて、心臓がドクンドクンと鳴るのを感じた。
私、川口紗枝には大好きな人がいる。
「うわ〜ん! 時間ないよぉ〜!」
太陽がとっくに登った早朝。
洗面所の鏡前でアタフタと手を動かすと、目の前で映る分身が同じく眉を下げて、口をモゴモゴさせている。
こんな情けないヘタレ声を出しているのに、それに返ってくる言葉はない。
だって、家には誰もいないんだから。
銀行員のお父さんは、車で二時間もかかる支店で働いていて、単身赴任。(毎週土日は帰ってきてくれるよ!)
スーパーの店員さんであるお母さんは、今日は早番だからと既にいない。
以前から早番の人が足りないと困っていたみたいで、「私、自分で準備して、カギかけて学校に行く」って宣言したの。
お母さんとお父さんは、「ええっ! 本当に大丈夫ー?」と心配していたけど、私この春で中学生になったんだよ?
スマホのアラームで起きて、用意されてある朝ごはん食べて、制服に着替えて、カギをかけて出る。
そんなのヨユーに決まってる!
……と、思っていた。
「これ、どうやって着るんだっけぇ〜?」
鏡を見つめながらセーラー服の胸当てを付けるけど、どうやら反対みたいで、明らかに不恰好な姿となってしまう。
制服を脱ぐ時って、胸当てのボタンを一つ外すじゃない? だけど横着な私は全部外しちゃったまま放置しちゃって、どうやって留めたら良いのかわからなくなってしまったのだ。
……お母さんが居てくれたら、笑いながら教えてくれるのにー!
両手をほっぺたに当てて、うわぁーんと叫んでも、当然ながら時間は無情にも過ぎていく。
ピピピピ、ピピピピ。
あー! また鳴ってるぅー!
学生カバンの上にボンって置いてあるスマホが、まるで意思があるように何度も何度もアラーム音を鳴らす。
おそらく切り忘れたスヌーズ機能だと思うけど、こう繰り返されたら余計に慌ててしまう!
そんな焦りからボタンを留める手が滑り、胸当てがペランとヘタってしまう。
『紗枝、落ち着いて。焦るから余計に上手くいかないんだよ』
慌てると呼吸が速くなってしまう私に、いつもそう声をかけてくれるのは、お父さん。
そうだ、一旦落ち着かないと。
お父さんの言葉を思い出し、すぅー、はぁー、と大きく深呼吸をする。
まずはアラームを止めよう。言ってて、まだ七時前ぐらいでしょう?
大丈夫、私! まだ慌てるような時間じゃないし!
そう自分に言い聞かせながらリビングにパタパタパタと走って、うさぎ型のスマホケースに手を伸ばす。
すると、表示された時刻はまさかの七時十五分!
う、うそぉ! やっちゃったぁ〜! 五分オーバー!
身の毛がピィーンとよだつ感覚を抑え、制服のスカートにスマホをポイっと入れて学生カバンを抱き抱え、バタバタバタっと玄関に走る。
バカバカバカー! スヌーズ機能じゃなくて、本アラームだったんじゃない! 私のバカァー!
ローファーに足を通して、玄関のカギをかけて、道路に飛び出すと、視界に入ってきたのはシュッとした背中が一つ。
「ごめんね! 遅くなってー!」
「朝からバタバタ走んなよ……って、おいっ!」
こちらに向いたキリッとした目つきは一瞬で真ん丸くなり、閉ざされていた口はパクパクと動きだす。
低い声はワントーン上がり、静かな住宅地に拓真の高い声が響く。
スタスタとこっちに向かってきたかと思えば、大きな手は私の腕をギュッと掴んで歩き出す。
ええっー!
心臓が壊れちゃんじゃないかってぐらい激しい鼓動を感じた私は、ドクンドクンと高鳴る胸を抑えて、意識して息を吸って吐き、拓真の大きな背中をじっと見つめる。
連れて来られたのは、ウチの玄関の柱前。
顔を上げることができない私がモジモジってすると、拓真は突然体をクルッと回転させてボソッと呟く。
「早く……しろよ」
「へっ?」
「早く直せって、言ってんだよ!」
吃った声に、どこまでも歯ぎれの悪い言い方。
え? いや、何をー?
まったく、意味がわかんないんだけど?
顔を上げると、背中を向けた拓真は太陽で照らされて艶やかに光る髪をワサワサとさせていて、やたら周囲をキョロキョロと見渡している。
こんなに話しかけてくれるの久しぶりだなぁーって目を細めると、春風がヒュウーと吹き、今日はやたら胸元が寒いなぁと下に目を向けると、ようやくこの異常事態に気づいた。
制服の胸当てのこと、忘れてたぁぁ〜!
ブワッァァと一気に熱くなる全身に、今度は別の意味で心臓が大きく鳴り響く。
「ふわぁぁぁー! ほんとぉーに、ごめん! なんか着方わからなくてぇー!」
カタカタと震える手で胸当てを留めようとするけど、湧き上がる感情が溢れて息が速くなり、ワサワサとなる手が余計に動かない。
バカバカバカァー! よりによって拓真にこんな姿見せるなんてぇー!
中学生だよ? 女子だよ? 乙女だよ? ほんとーに、ありえないからぁ!
「まだ、時間あるから」
後ろからボソッと聞こえた声に、沸騰していた頭をキュウウウーと冷却してくれる。
拓真は今日みたいに遅れてしまっても怒ったりせず、こうやって慌てふためいてしまう私を落ち着かせてくれる。
小さいからから、ずっと。
なんとかセーラー服を整えて、赤いリボンをキュッと結ぶ。紺色の膝丈スカートに手をそわせるもシワやヨレもなく、女子中学生として恥ずかしくない私を完成させる。
「お待たせー」
ははっと笑いながら拓真の背中に声をかけると、私をチラッと見たかと思えば、明らかに視線を外して前をスタスタと歩き出す。
これは今日だけじゃなくて、いつもなんだ。
桐島拓真。学ランを着こなす姿は、同じ中学一年生なのに、やたら大人っぽい。
私の頭一つ分ぐらい背が高く、サラサラの髪、長いまつ毛にキリッとした目。お日様のような香りがする爽やかさに加え、必要以上に話さないクール系男子。
拓真と私は幼なじみで、家もおとなりさん同士。
お母さんが言うには赤ちゃんのころから仲が良くて、アルバムの写真ではいつもいっしょ。拓真が弱い私を、守ってくれているものばかり。
それは小学生になっても同じで、手をつないでいっしょに登下校してくれた。
しっかり者で、どうしようもない私にも優しくて、笑顔が柔らかくて。
そんな拓真が、私は大好きなんだ。
四月半ば。温かな日差しは気持ちよく、空を見上げれば淡い青色が広がり、桜の花びらがひらひらと舞って桃色のじゅうたんができ上がっている。
ザザーンと鳴る音に顔を向けると、いつもと同じ浜辺と海が穏やかな顔をしていて、大きく息を吸えば空気が澄んでいて、潮の香りがする。
私たちが住むのは、田舎の海町。
特にこの地域は海岸沿いってことから、家から一歩出たら太陽に照らされた海が一望できるの。
そんな海町には子どもが少なく、中学生なんて三人しかいない。
しかもこの地域から学校は遠く、小山を越えた先に設立してあって、通学に四十分もかかるんだよ。遠すぎじゃない?
そんなこんなで今日も舗装された山道を登るけど、はぁはぁと大きく息切れを起こす。薄暗い歩行者用トンネルを抜けると、ようやく見えてきたのは下り坂だった。
「……疲れたぁ」
通行者に配慮するような木製ベンチが設置してあり、息切れした私は座り込んでへたる。暖かくて良い気候だっていうのに、全身が火照って仕方がない。
学生カバンに入れておいた500ミリリットルの水筒を出し、冷たい麦茶を一気飲みする。
プハッと一息つき、隣に座って桜を見上げている拓真に今日一のトップニュースを話すことにする。
今日ね、すっごく嬉しい夢をみたの。
だから目覚めた時にキャー! と叫びながらもだえて。
……まあそのせいで、時間ギリギリになっちゃったんだけどね……。
「今日さぁー、久しぶりに幼稚園だったころの夢みたの!」
「夢?」
こっちに顔を向けることはないけど、拓真はハッキリそう聞き返してくれる。
そう、そうなんだよね。無口だけどしっかり、話は聞いてくれているの。
「うん。拓真が私に、指輪をくれた時の夢!」
ドッキーンと高鳴る胸に、声まで高く弾んでしまう。
だけどそれに反して、グフっと咳き込むようなむせ込みをした拓真は、指輪の石みたいな美しく輝く瞳をコッチに向けてくれる。
うそっ! 反応してくれた!
目と目が合うとまるで吸い込まれそうで、伸ばされた手は私のほっぺに触れてくる。
えっ、何! こんなことされたら私!
拓真の手は、温かくて、柔らかくて、爽やかな香りがして。
飛び跳ねそうな心臓をなんとか抑え、ただ拓真に身を任せる。
ぐにゅ~。
親指とその残りの指で両ほっぺたを挟まれ、私が想像していた大人の展開に! なんて、あるはずもなかった。
「おいっ! ゴカイされるだろ!」
私のゴニョゴニョとなる口を塞ぎ、周りをキョロキョロと見渡す目は、昔の拓真に戻ったような表情となっていて、私の顔まで緩んでしまう。
「ええ〜! 別に本当のことだから、いいじゃないー!」
「そうゆう問題じゃないし! 大体、何年前の話してんだよ!」
「えーと……、七年前ぐらい?」
手を離されたことを良いことに、私はいかにもらった指輪を大切にしているかを力説する。
だけど拓真はまた目をキリッとさせ、私ではなく周囲をひたすらに見まわし、もうこっちを見てくれることはなかった。
こんな山道、誰も通らないのに!
「……そろそろ行けるか?」
「うん」
私の返事を聞くと、興味なさそうに話の途中で立ち上がり、坂道をスタスタと歩いていってしまう。
そんな姿に、私は思わず立ち尽くしてしまった。
いくつだって関係ない。大切な思い出。拓真が指輪をくれた事実は変わらないのに。
拓真は忘れちゃったの? あの日、これをくれた時言ってくれたよね? ……もう、私しか覚えていないの?
スカートを両手でキュッと握り締め俯いていると、視界に入ってくるブスッとした表情。
「……あ、ごめんなさ……」
言葉に詰まった私は、キュッと唇をかみしめる。
立ち止まったりして、メイワクだよね?
「ほら、行くぞ」
私の制服袖をキュッと握り、山の坂を一緒に下って行く。
小学生の時と違ってもう手は握ってくれないけど、立ち止まった私を気にかけてくれるのは変わらない。
拓真、あのね。この指輪は私のお守りであり、宝物なんだよ。だからいつも、大切に持ち歩いているんだよ。
スカートのポケットに手を入れるとスマホが入っていて、その横に触れると丸い円状の物に触れる。
ストラップとして、あの時の指輪を今も大切に持っているんだ。
息が苦しくなった時、私はこの指輪を握り締めて拓真の言ってくれた言葉を思い出す。
するとなんだか、強くなったような気がして。一人じゃないよって言ってくれたような気がして。
だから、私は拓真のことが……。
「翔はいつから学校来るのかなぁ? 拓真の方にレンラク入ってない?」
なんだか小っ恥ずかしくて、私は不自然なぐらいにハイテンションにペラペラと話し始める。
その内容は私たちにはもう一人の同級生である、幼なじみの男の子について。
別の世界で活躍している翔はなかなか学校には来れなくて会えないけど、今もグループメッセージでレンラクを取り合って繋がっているんだ。
今のお仕事が終わったらしばらくは中学校に馴染むために長期休暇をマネージャーさんが調整してくれていたと言ってたし、また三人で一緒に学校通って、小さい頃みたいに……。
「連絡? そんなもん入ってないし」
尖った声と共に、袖が引っ張られる感覚はなくなり、また拓真の背中はどんどんと離れていってしまった。
やってしまった。拓真は翔の話をすると、たまにこうなってしまうの。
久しぶりに拓真が昔みたいに関わってくれたから、嬉しくて、ついつい話してしまった。
バカ! 本当に私は!
ザワザワって鳴る心をキュッと抑えて、今度は遅れないようにと駆けていく。
小山を下って行くと、ズラッと並ぶ住宅街に、遠くの方にはお母さんが働くスーパーや、友だち行きつけのショップがポツポツと見えてくる。
車がビュンビュン通り過ぎる車道の横には、歩行者用と自転車用の道がしっかり分けられていて、歩いている私たちを爽快に抜かしていくのは自転車に乗っている中学生。
私たちと同じ制服を着ている、生徒だ。
その姿に、チクリと胸に針が刺さったような痛みがするけど、気づかないフリをしてただ拓真の背中だけを追いかけた。
ようやく辿り着いた、大きく、存在感がある三階立ての校舎。
北星中学校は、隣に並列されてある北星小学校と、私たちが通っていた山里小学校の二校の児童が通うことになる、中学校。
その九割が北星小学校の子たちで、中学校で「はじめまして」の子ばっかりで。……だから、まだ仲良くできていないんだよね。
中学校は、一学年五クラスもある賑やかな学校。
私たちが通っていた小学校は一学年一クラスで、六年間同じメンバーだった。クラスの人数は二十二人で、女子なんて九人しかいなかったんだよね。
全児童数が百人以内だった小学校時代を考えると、生徒数が多くて気後れしてしまう。
んっ……?
私たちのクラスである一年三組の教室前に来ると、廊下を埋め尽くす勢いで、女子たちがあふれている。
時折、キャアー! と悲鳴が起こり、その表情も眉を下げて、目はキラキラに輝いて、口元がゆるゆるになっていた。
えっ? 何ごと?
拓真と私が顔を合わせると人波が揺れて、光り輝くオーラをまとったその男の子は、こちらに向かってきた。
パチリとした二重まぶた、整った鼻筋、ツヤのある唇。まるでスマホに映し出されているMVから飛び出してきたみたいな人に、誰? っとたじろいでしまった。
「拓真! 紗枝!」
キラキラオーラとは打って変わって、少年みたいな顔になった男の子は、並んでいた私と拓真を一つにまとめて、むぎゅーとしてくる。
「なんだ、翔かぁ〜。もう、ビックリするじゃん! 私も……!」
そう返し、手を伸ばそうとした時。
「もう、こうゆうのやめろよ!」
拓真の尖った声と同時に、翔によって包み込まれていた腕は離れていく。
声がした方をチラッと見ると、拓真が翔の胸をポンっと押していた。
「えっー! 別にいいじゃん!」
そう言いながら翔が両手を広げて私の方に来ると、拓真が私の手をグイッと引っ張り、その大きな背中の後ろへと追いやられてしまった。
「拓真……、翔……」
ピリリッとした空気にヤバいと思った私は、二人の真ん中に入ろうとする。
だけど次の瞬間、目の前に押し寄せてきたのは人の波。「私もやってぇー!」という声と共に、体に強い衝撃に押されていた。
完全にバランスを崩して尻もちをつきそうになり、目をギュッと閉じる。だけど転けたわりに覚悟した痛みはなく、なんかお尻にゴツゴツした感覚がするなっと振り返ると、そこには拓真が膝を曲げてペタンと座っていて、私を受け止めるように腰に手まで回していた。
「ふわぁぁぁぁ!」
すぐに立ち上がって、痛くなかった? とか、大丈夫? とか聞くけど、拓真はプイッと横を向きスタスタと教室に入って行ってしまった。
カァァァっと熱くなるほっぺたを抑えて周りをキョロキョロと見渡すも、みんな翔しか見ていなくて、誰も見てなくて良かったーとため息が漏れてしまう。
また人影に隠れてしまった翔に、もう話せないなぁーと諦め、教室に入って学生カバンを下ろす。
すると「見てたよぉ」と、クスクス声が私の耳元でささやかれる。
ふぇっと振り返ると、ニヤニヤと笑う森口美希と、斉藤花苗がいた。私たちは小学一年生からの友だちなの。
どうやらこの盛り上がりを、教室から眺めていたみたい。
「あ、あ、あ、あれは事故みたいなものだからぁ!」
「えー、でも、ラッキーじゃん」
「ごめんねぇ、写真撮ってなくてぇー」
私が拓真が好きなことを知っている二人は、もう言いたい放題だ。
もー、拓真に聞かれたらどうしてくれるのぉー!
「いやあ、それにしても芸能人は大変だな……」
眉を下げて肩までの髪を耳にかける美希は、また女子に囲まれていて姿が見えない翔の方に目を向けて、小さくため息を吐く。
「小学校の頃とは違うからねぇ」
ははっと苦笑いを浮かべるのは花苗で、髪を一つにまとめている星の形をしたゴムが動くたびにキラッと光る。
そう、花苗が言う通り。小学校では翔は友だちという認識で、そこまで騒いだり囲んだりすることはなかった。
だけど中学生になって初対面の人ばかりになったら、翔は同級生から、特別な人になってしまう。それが今起きていることだろう。
しっかり者の拓真、明るいムードメーカーの翔。
そしてなんの取り柄もなく、ただの足手まといの私、紗枝。
私たち三人は家が近く、幼稚園のころからずっと一緒だった。
小学三年生で翔が、アイドルデビューするまで。
五人のジュニアグループである、「フレッシュ」。
その中のイケメン王子様担当の「翔」は現在知らない子はいないぐらいの有名人。
小さな海町から生まれたビッグアイドルと、騒がれるぐらいに。
「久しぶりに三人で帰ろー!」
チャイムが鳴る放課後。部活をしていない拓真と私は、学校が終わったらすぐに帰っている。
またいつものように帰り支度ができていない私が、教科書やペンケースをカバンにポンポンと入れていて、それをただ黙って待ってくれている拓真。
そこにニコニコと、軽やかな声をかけてきてくれたのが翔だった。
こうして久しぶりに三人で帰るけど、後ろに付いてくるのは同じ制服を着た女子たちで、三人だけのつもる話なんてとてもじゃないほどできない。
だけどあの小山の登り降りで、女子たちは一人、また一人と立ち止まって息を切らせ、家の近くの浜辺に着く頃は誰もいなかった。
海と歩道を分ける石垣にヘタリ込んだ私は、もう一歩も歩くことなんかできない。
だって本当なら、小山の坂を登ったところで毎日休憩しているんだよ? だけど三人になりたかったから、頑張って歩いたんだよ? 私、すごくない?
「ごめんね、紗枝。ムリさせて」
眉を下げてこっちを覗き込む翔の顔は、全然変わっていなくて、むしろホッとする。
だけど体は思う通りにはいかなくて、コホコホと咳が出てきて、学生カバンから水筒を取り出してゴクゴクとお茶を飲み干す。
「大丈夫……、だから」
ははっと笑って見せるけど、久しぶりに咳が止まらなくなって、呼吸が速くなって、ゼェゼェと息苦しくなっていく。
「だからムリするなって言ったんだよ!」
拓真は強い口調と相反して、私の学生カバンのポーチに入っている吸入器と呼ばれる道具を出してくれ、「ほらっ」と差し出してくれる。
それを咥え、すぅっと大きく息を吸えば、少しずつ咳は止まり、息も落ち着いてきた。
優しく背中をさすってくれる拓真は、こうゆう時どうしたら落ち着くかを分かってくれている。
「……ごめん、僕のせいなんだよ」
「違うよ。私が翔と一緒に居たくて、ムリに付いてきたからぁ」
ようやく呼吸が落ち着いた頃に、私は全力で首をブンブンと振る。
だって小学校の頃みたいに三人で……。
「もう大丈夫そうだし、俺、帰るわ」
私の背中から手を離した拓真は、スッと立ち上がり一人石垣から降りてスタスタと歩き出す。
「えっ、待ってよ! 久しぶりに……!」
手を伸ばして声をかけるも、拓真は振り返ってくれることもなく、そのまま帰ってしまった。
「拓真、変わらずあんな感じなの?」
「うん……」
「そっか」
海の方に顔を向けるとカモメが何匹も飛んでいて、ふわっと柔らかく吹く潮風が気持ちいい。
私は生まれた時から喘息持ちで、元々は隣の海街に住んでいたらしいけど、空気がきれいなこの田舎町に引っ越ししてきたんだ。
だからお父さんは単身赴任で、お母さんは普段から一人で忙しそうで、私の体が丈夫だったら三人で暮らせたのにね。
拓真や翔は、小さいころから私が息苦しそうにしているのを見ていて、体調とかいつも気にしてくれていて、だから思い切って遊べなかったのに、そのことに一度も文句を言わなかった。
だけど、小学四年生になったころ。
拓真はだんだんと口数が減っていって、私に対して距離を取るようになった。
そうだよね。拓真からしたら、私のお世話なんてやってられないよね。
徒歩で中学校に行くのは、喘息のせいで自転車に乗れないから。
小山で休憩するのは、発作を起こさないように息を整える必要があるから。
拓真は、学校に行くついでだと言ってくれていたけど、メイワクだったよね。仕方がなく、私の側にいてくれるだけなんだよね。
分かっていたことだったけど、気づけばポロポロと感情があふれてきた。
どうして私は、こんなに弱いの?
どうして、いつもみんなにメイワクかけちゃうの?
小学五年生の時に呼吸が安定して、やっと自転車に乗れるようになったのに。冷たい空気を吸って、咳が止まらなくなって、転けてしまって。病院の先生に危ないからと、結局自転車を止められている。
成長したら落ち着くって言われているけど、全然じゃない。
私はいつまで、みんなにメイワクをかけてしまうの?
「拓真は紗枝のことが心配なんだよ。だからああやって、キツく言ってしまうんだよ」
翔は俯いてしまった私の顔に、優しくハンカチで涙を拭ってくれる。
「ごめんね、泣いちゃって……」
また、翔にメイワクかけちゃった。
そう思うと喉の奥が詰まっていく感じがして、また息苦しくなったような気がしてくる。
心を落ち着かせようとした私は、ポケットからスマホを取り出してストラップとして付けていた、おもちゃの指輪を取り出して左手小指にそっと付ける。
拓真と私だけのヒミツ。私を守ってくれる、大切なおまじないなの。
「紗枝の気持ちは、よく分かったよ。だったら僕が『彼氏のフリ』をして、拓真の気を引くのはどうかな?」
……へっ?
翔の突然すぎる提案に、わたしの涙はひっこんだ。
ポカーンとしているわたしの手を取った翔は、左手小指からピンクの指輪をスッと抜く。
「これは預からせてもらうよ? だって僕、紗枝の彼氏なんだから」
そう言い私を見下ろしてくる翔は、急に男の子の顔をしているように見えて、心臓がドクンドクンと鳴りひびく。
(え? 翔が私の彼氏のフリ? 拓真の反応を見る? えっ? ええっ? どうゆうことぉー!)
意味がわからなさすぎてオーバーヒートを起こしてしまった頭に手を置いた私は、はわわわわっと叫んでいた。
桜の花びらがふらふらと舞う、中学校からの帰り道。温かな春風がほっぺたに優しく触れる。
小さいころから変わらない、幼なじみの本田翔のやわらかな声が、波打つ海に広がっていく。
だけど、あんまりにも唐突すぎる提案に、私はパチパチとまばたきを繰り返し、気づけば目に浮かんでいた涙はひっこんでいた。
(えっ? ちょっと待って、どうゆうこと? 意味わかんないんだけどぉー!)
口を開けたまま、ポカーンとしている私に対して、翔は投げ出されたままの左手をそっと取ってくる。
その仕草はまるで、ジュニアアイドルのMVに出てくる「王子様の翔」のようで、ほっぺたがカッと熱くなっていた。
見られないようにと小さくうつむくと、左手小指からスルスルと抜けていく感覚。
「えっ! ちょっと!」
指先を見ると、ピンクの石がキラリと光る指輪がなくなっていた。まさかと思って顔を上げると、翔の長い指先にキラキラと輝くリングがあった。
「あっ、だめぇー! 拓真からもらった大切な指輪なんだよー!」
そう言いながら精一杯ジャンプして、力の限り手をグイッと伸ばすけど、翔が頭上に手をやったら届かない。
「これは預からせてもらうよ? だって僕、紗枝の彼氏なんだから!」
風に揺れる柔らかな髪、私を見つめる真っ直ぐな瞳、穏やかな微笑み。そして、フローラルな香水のような香り。
私を見下ろしてくる翔は急に男の子の顔をしているように見えて、心臓がドクンドクンと鳴るのを感じた。
私、川口紗枝には大好きな人がいる。
「うわ〜ん! 時間ないよぉ〜!」
太陽がとっくに登った早朝。
洗面所の鏡前でアタフタと手を動かすと、目の前で映る分身が同じく眉を下げて、口をモゴモゴさせている。
こんな情けないヘタレ声を出しているのに、それに返ってくる言葉はない。
だって、家には誰もいないんだから。
銀行員のお父さんは、車で二時間もかかる支店で働いていて、単身赴任。(毎週土日は帰ってきてくれるよ!)
スーパーの店員さんであるお母さんは、今日は早番だからと既にいない。
以前から早番の人が足りないと困っていたみたいで、「私、自分で準備して、カギかけて学校に行く」って宣言したの。
お母さんとお父さんは、「ええっ! 本当に大丈夫ー?」と心配していたけど、私この春で中学生になったんだよ?
スマホのアラームで起きて、用意されてある朝ごはん食べて、制服に着替えて、カギをかけて出る。
そんなのヨユーに決まってる!
……と、思っていた。
「これ、どうやって着るんだっけぇ〜?」
鏡を見つめながらセーラー服の胸当てを付けるけど、どうやら反対みたいで、明らかに不恰好な姿となってしまう。
制服を脱ぐ時って、胸当てのボタンを一つ外すじゃない? だけど横着な私は全部外しちゃったまま放置しちゃって、どうやって留めたら良いのかわからなくなってしまったのだ。
……お母さんが居てくれたら、笑いながら教えてくれるのにー!
両手をほっぺたに当てて、うわぁーんと叫んでも、当然ながら時間は無情にも過ぎていく。
ピピピピ、ピピピピ。
あー! また鳴ってるぅー!
学生カバンの上にボンって置いてあるスマホが、まるで意思があるように何度も何度もアラーム音を鳴らす。
おそらく切り忘れたスヌーズ機能だと思うけど、こう繰り返されたら余計に慌ててしまう!
そんな焦りからボタンを留める手が滑り、胸当てがペランとヘタってしまう。
『紗枝、落ち着いて。焦るから余計に上手くいかないんだよ』
慌てると呼吸が速くなってしまう私に、いつもそう声をかけてくれるのは、お父さん。
そうだ、一旦落ち着かないと。
お父さんの言葉を思い出し、すぅー、はぁー、と大きく深呼吸をする。
まずはアラームを止めよう。言ってて、まだ七時前ぐらいでしょう?
大丈夫、私! まだ慌てるような時間じゃないし!
そう自分に言い聞かせながらリビングにパタパタパタと走って、うさぎ型のスマホケースに手を伸ばす。
すると、表示された時刻はまさかの七時十五分!
う、うそぉ! やっちゃったぁ〜! 五分オーバー!
身の毛がピィーンとよだつ感覚を抑え、制服のスカートにスマホをポイっと入れて学生カバンを抱き抱え、バタバタバタっと玄関に走る。
バカバカバカー! スヌーズ機能じゃなくて、本アラームだったんじゃない! 私のバカァー!
ローファーに足を通して、玄関のカギをかけて、道路に飛び出すと、視界に入ってきたのはシュッとした背中が一つ。
「ごめんね! 遅くなってー!」
「朝からバタバタ走んなよ……って、おいっ!」
こちらに向いたキリッとした目つきは一瞬で真ん丸くなり、閉ざされていた口はパクパクと動きだす。
低い声はワントーン上がり、静かな住宅地に拓真の高い声が響く。
スタスタとこっちに向かってきたかと思えば、大きな手は私の腕をギュッと掴んで歩き出す。
ええっー!
心臓が壊れちゃんじゃないかってぐらい激しい鼓動を感じた私は、ドクンドクンと高鳴る胸を抑えて、意識して息を吸って吐き、拓真の大きな背中をじっと見つめる。
連れて来られたのは、ウチの玄関の柱前。
顔を上げることができない私がモジモジってすると、拓真は突然体をクルッと回転させてボソッと呟く。
「早く……しろよ」
「へっ?」
「早く直せって、言ってんだよ!」
吃った声に、どこまでも歯ぎれの悪い言い方。
え? いや、何をー?
まったく、意味がわかんないんだけど?
顔を上げると、背中を向けた拓真は太陽で照らされて艶やかに光る髪をワサワサとさせていて、やたら周囲をキョロキョロと見渡している。
こんなに話しかけてくれるの久しぶりだなぁーって目を細めると、春風がヒュウーと吹き、今日はやたら胸元が寒いなぁと下に目を向けると、ようやくこの異常事態に気づいた。
制服の胸当てのこと、忘れてたぁぁ〜!
ブワッァァと一気に熱くなる全身に、今度は別の意味で心臓が大きく鳴り響く。
「ふわぁぁぁー! ほんとぉーに、ごめん! なんか着方わからなくてぇー!」
カタカタと震える手で胸当てを留めようとするけど、湧き上がる感情が溢れて息が速くなり、ワサワサとなる手が余計に動かない。
バカバカバカァー! よりによって拓真にこんな姿見せるなんてぇー!
中学生だよ? 女子だよ? 乙女だよ? ほんとーに、ありえないからぁ!
「まだ、時間あるから」
後ろからボソッと聞こえた声に、沸騰していた頭をキュウウウーと冷却してくれる。
拓真は今日みたいに遅れてしまっても怒ったりせず、こうやって慌てふためいてしまう私を落ち着かせてくれる。
小さいからから、ずっと。
なんとかセーラー服を整えて、赤いリボンをキュッと結ぶ。紺色の膝丈スカートに手をそわせるもシワやヨレもなく、女子中学生として恥ずかしくない私を完成させる。
「お待たせー」
ははっと笑いながら拓真の背中に声をかけると、私をチラッと見たかと思えば、明らかに視線を外して前をスタスタと歩き出す。
これは今日だけじゃなくて、いつもなんだ。
桐島拓真。学ランを着こなす姿は、同じ中学一年生なのに、やたら大人っぽい。
私の頭一つ分ぐらい背が高く、サラサラの髪、長いまつ毛にキリッとした目。お日様のような香りがする爽やかさに加え、必要以上に話さないクール系男子。
拓真と私は幼なじみで、家もおとなりさん同士。
お母さんが言うには赤ちゃんのころから仲が良くて、アルバムの写真ではいつもいっしょ。拓真が弱い私を、守ってくれているものばかり。
それは小学生になっても同じで、手をつないでいっしょに登下校してくれた。
しっかり者で、どうしようもない私にも優しくて、笑顔が柔らかくて。
そんな拓真が、私は大好きなんだ。
四月半ば。温かな日差しは気持ちよく、空を見上げれば淡い青色が広がり、桜の花びらがひらひらと舞って桃色のじゅうたんができ上がっている。
ザザーンと鳴る音に顔を向けると、いつもと同じ浜辺と海が穏やかな顔をしていて、大きく息を吸えば空気が澄んでいて、潮の香りがする。
私たちが住むのは、田舎の海町。
特にこの地域は海岸沿いってことから、家から一歩出たら太陽に照らされた海が一望できるの。
そんな海町には子どもが少なく、中学生なんて三人しかいない。
しかもこの地域から学校は遠く、小山を越えた先に設立してあって、通学に四十分もかかるんだよ。遠すぎじゃない?
そんなこんなで今日も舗装された山道を登るけど、はぁはぁと大きく息切れを起こす。薄暗い歩行者用トンネルを抜けると、ようやく見えてきたのは下り坂だった。
「……疲れたぁ」
通行者に配慮するような木製ベンチが設置してあり、息切れした私は座り込んでへたる。暖かくて良い気候だっていうのに、全身が火照って仕方がない。
学生カバンに入れておいた500ミリリットルの水筒を出し、冷たい麦茶を一気飲みする。
プハッと一息つき、隣に座って桜を見上げている拓真に今日一のトップニュースを話すことにする。
今日ね、すっごく嬉しい夢をみたの。
だから目覚めた時にキャー! と叫びながらもだえて。
……まあそのせいで、時間ギリギリになっちゃったんだけどね……。
「今日さぁー、久しぶりに幼稚園だったころの夢みたの!」
「夢?」
こっちに顔を向けることはないけど、拓真はハッキリそう聞き返してくれる。
そう、そうなんだよね。無口だけどしっかり、話は聞いてくれているの。
「うん。拓真が私に、指輪をくれた時の夢!」
ドッキーンと高鳴る胸に、声まで高く弾んでしまう。
だけどそれに反して、グフっと咳き込むようなむせ込みをした拓真は、指輪の石みたいな美しく輝く瞳をコッチに向けてくれる。
うそっ! 反応してくれた!
目と目が合うとまるで吸い込まれそうで、伸ばされた手は私のほっぺに触れてくる。
えっ、何! こんなことされたら私!
拓真の手は、温かくて、柔らかくて、爽やかな香りがして。
飛び跳ねそうな心臓をなんとか抑え、ただ拓真に身を任せる。
ぐにゅ~。
親指とその残りの指で両ほっぺたを挟まれ、私が想像していた大人の展開に! なんて、あるはずもなかった。
「おいっ! ゴカイされるだろ!」
私のゴニョゴニョとなる口を塞ぎ、周りをキョロキョロと見渡す目は、昔の拓真に戻ったような表情となっていて、私の顔まで緩んでしまう。
「ええ〜! 別に本当のことだから、いいじゃないー!」
「そうゆう問題じゃないし! 大体、何年前の話してんだよ!」
「えーと……、七年前ぐらい?」
手を離されたことを良いことに、私はいかにもらった指輪を大切にしているかを力説する。
だけど拓真はまた目をキリッとさせ、私ではなく周囲をひたすらに見まわし、もうこっちを見てくれることはなかった。
こんな山道、誰も通らないのに!
「……そろそろ行けるか?」
「うん」
私の返事を聞くと、興味なさそうに話の途中で立ち上がり、坂道をスタスタと歩いていってしまう。
そんな姿に、私は思わず立ち尽くしてしまった。
いくつだって関係ない。大切な思い出。拓真が指輪をくれた事実は変わらないのに。
拓真は忘れちゃったの? あの日、これをくれた時言ってくれたよね? ……もう、私しか覚えていないの?
スカートを両手でキュッと握り締め俯いていると、視界に入ってくるブスッとした表情。
「……あ、ごめんなさ……」
言葉に詰まった私は、キュッと唇をかみしめる。
立ち止まったりして、メイワクだよね?
「ほら、行くぞ」
私の制服袖をキュッと握り、山の坂を一緒に下って行く。
小学生の時と違ってもう手は握ってくれないけど、立ち止まった私を気にかけてくれるのは変わらない。
拓真、あのね。この指輪は私のお守りであり、宝物なんだよ。だからいつも、大切に持ち歩いているんだよ。
スカートのポケットに手を入れるとスマホが入っていて、その横に触れると丸い円状の物に触れる。
ストラップとして、あの時の指輪を今も大切に持っているんだ。
息が苦しくなった時、私はこの指輪を握り締めて拓真の言ってくれた言葉を思い出す。
するとなんだか、強くなったような気がして。一人じゃないよって言ってくれたような気がして。
だから、私は拓真のことが……。
「翔はいつから学校来るのかなぁ? 拓真の方にレンラク入ってない?」
なんだか小っ恥ずかしくて、私は不自然なぐらいにハイテンションにペラペラと話し始める。
その内容は私たちにはもう一人の同級生である、幼なじみの男の子について。
別の世界で活躍している翔はなかなか学校には来れなくて会えないけど、今もグループメッセージでレンラクを取り合って繋がっているんだ。
今のお仕事が終わったらしばらくは中学校に馴染むために長期休暇をマネージャーさんが調整してくれていたと言ってたし、また三人で一緒に学校通って、小さい頃みたいに……。
「連絡? そんなもん入ってないし」
尖った声と共に、袖が引っ張られる感覚はなくなり、また拓真の背中はどんどんと離れていってしまった。
やってしまった。拓真は翔の話をすると、たまにこうなってしまうの。
久しぶりに拓真が昔みたいに関わってくれたから、嬉しくて、ついつい話してしまった。
バカ! 本当に私は!
ザワザワって鳴る心をキュッと抑えて、今度は遅れないようにと駆けていく。
小山を下って行くと、ズラッと並ぶ住宅街に、遠くの方にはお母さんが働くスーパーや、友だち行きつけのショップがポツポツと見えてくる。
車がビュンビュン通り過ぎる車道の横には、歩行者用と自転車用の道がしっかり分けられていて、歩いている私たちを爽快に抜かしていくのは自転車に乗っている中学生。
私たちと同じ制服を着ている、生徒だ。
その姿に、チクリと胸に針が刺さったような痛みがするけど、気づかないフリをしてただ拓真の背中だけを追いかけた。
ようやく辿り着いた、大きく、存在感がある三階立ての校舎。
北星中学校は、隣に並列されてある北星小学校と、私たちが通っていた山里小学校の二校の児童が通うことになる、中学校。
その九割が北星小学校の子たちで、中学校で「はじめまして」の子ばっかりで。……だから、まだ仲良くできていないんだよね。
中学校は、一学年五クラスもある賑やかな学校。
私たちが通っていた小学校は一学年一クラスで、六年間同じメンバーだった。クラスの人数は二十二人で、女子なんて九人しかいなかったんだよね。
全児童数が百人以内だった小学校時代を考えると、生徒数が多くて気後れしてしまう。
んっ……?
私たちのクラスである一年三組の教室前に来ると、廊下を埋め尽くす勢いで、女子たちがあふれている。
時折、キャアー! と悲鳴が起こり、その表情も眉を下げて、目はキラキラに輝いて、口元がゆるゆるになっていた。
えっ? 何ごと?
拓真と私が顔を合わせると人波が揺れて、光り輝くオーラをまとったその男の子は、こちらに向かってきた。
パチリとした二重まぶた、整った鼻筋、ツヤのある唇。まるでスマホに映し出されているMVから飛び出してきたみたいな人に、誰? っとたじろいでしまった。
「拓真! 紗枝!」
キラキラオーラとは打って変わって、少年みたいな顔になった男の子は、並んでいた私と拓真を一つにまとめて、むぎゅーとしてくる。
「なんだ、翔かぁ〜。もう、ビックリするじゃん! 私も……!」
そう返し、手を伸ばそうとした時。
「もう、こうゆうのやめろよ!」
拓真の尖った声と同時に、翔によって包み込まれていた腕は離れていく。
声がした方をチラッと見ると、拓真が翔の胸をポンっと押していた。
「えっー! 別にいいじゃん!」
そう言いながら翔が両手を広げて私の方に来ると、拓真が私の手をグイッと引っ張り、その大きな背中の後ろへと追いやられてしまった。
「拓真……、翔……」
ピリリッとした空気にヤバいと思った私は、二人の真ん中に入ろうとする。
だけど次の瞬間、目の前に押し寄せてきたのは人の波。「私もやってぇー!」という声と共に、体に強い衝撃に押されていた。
完全にバランスを崩して尻もちをつきそうになり、目をギュッと閉じる。だけど転けたわりに覚悟した痛みはなく、なんかお尻にゴツゴツした感覚がするなっと振り返ると、そこには拓真が膝を曲げてペタンと座っていて、私を受け止めるように腰に手まで回していた。
「ふわぁぁぁぁ!」
すぐに立ち上がって、痛くなかった? とか、大丈夫? とか聞くけど、拓真はプイッと横を向きスタスタと教室に入って行ってしまった。
カァァァっと熱くなるほっぺたを抑えて周りをキョロキョロと見渡すも、みんな翔しか見ていなくて、誰も見てなくて良かったーとため息が漏れてしまう。
また人影に隠れてしまった翔に、もう話せないなぁーと諦め、教室に入って学生カバンを下ろす。
すると「見てたよぉ」と、クスクス声が私の耳元でささやかれる。
ふぇっと振り返ると、ニヤニヤと笑う森口美希と、斉藤花苗がいた。私たちは小学一年生からの友だちなの。
どうやらこの盛り上がりを、教室から眺めていたみたい。
「あ、あ、あ、あれは事故みたいなものだからぁ!」
「えー、でも、ラッキーじゃん」
「ごめんねぇ、写真撮ってなくてぇー」
私が拓真が好きなことを知っている二人は、もう言いたい放題だ。
もー、拓真に聞かれたらどうしてくれるのぉー!
「いやあ、それにしても芸能人は大変だな……」
眉を下げて肩までの髪を耳にかける美希は、また女子に囲まれていて姿が見えない翔の方に目を向けて、小さくため息を吐く。
「小学校の頃とは違うからねぇ」
ははっと苦笑いを浮かべるのは花苗で、髪を一つにまとめている星の形をしたゴムが動くたびにキラッと光る。
そう、花苗が言う通り。小学校では翔は友だちという認識で、そこまで騒いだり囲んだりすることはなかった。
だけど中学生になって初対面の人ばかりになったら、翔は同級生から、特別な人になってしまう。それが今起きていることだろう。
しっかり者の拓真、明るいムードメーカーの翔。
そしてなんの取り柄もなく、ただの足手まといの私、紗枝。
私たち三人は家が近く、幼稚園のころからずっと一緒だった。
小学三年生で翔が、アイドルデビューするまで。
五人のジュニアグループである、「フレッシュ」。
その中のイケメン王子様担当の「翔」は現在知らない子はいないぐらいの有名人。
小さな海町から生まれたビッグアイドルと、騒がれるぐらいに。
「久しぶりに三人で帰ろー!」
チャイムが鳴る放課後。部活をしていない拓真と私は、学校が終わったらすぐに帰っている。
またいつものように帰り支度ができていない私が、教科書やペンケースをカバンにポンポンと入れていて、それをただ黙って待ってくれている拓真。
そこにニコニコと、軽やかな声をかけてきてくれたのが翔だった。
こうして久しぶりに三人で帰るけど、後ろに付いてくるのは同じ制服を着た女子たちで、三人だけのつもる話なんてとてもじゃないほどできない。
だけどあの小山の登り降りで、女子たちは一人、また一人と立ち止まって息を切らせ、家の近くの浜辺に着く頃は誰もいなかった。
海と歩道を分ける石垣にヘタリ込んだ私は、もう一歩も歩くことなんかできない。
だって本当なら、小山の坂を登ったところで毎日休憩しているんだよ? だけど三人になりたかったから、頑張って歩いたんだよ? 私、すごくない?
「ごめんね、紗枝。ムリさせて」
眉を下げてこっちを覗き込む翔の顔は、全然変わっていなくて、むしろホッとする。
だけど体は思う通りにはいかなくて、コホコホと咳が出てきて、学生カバンから水筒を取り出してゴクゴクとお茶を飲み干す。
「大丈夫……、だから」
ははっと笑って見せるけど、久しぶりに咳が止まらなくなって、呼吸が速くなって、ゼェゼェと息苦しくなっていく。
「だからムリするなって言ったんだよ!」
拓真は強い口調と相反して、私の学生カバンのポーチに入っている吸入器と呼ばれる道具を出してくれ、「ほらっ」と差し出してくれる。
それを咥え、すぅっと大きく息を吸えば、少しずつ咳は止まり、息も落ち着いてきた。
優しく背中をさすってくれる拓真は、こうゆう時どうしたら落ち着くかを分かってくれている。
「……ごめん、僕のせいなんだよ」
「違うよ。私が翔と一緒に居たくて、ムリに付いてきたからぁ」
ようやく呼吸が落ち着いた頃に、私は全力で首をブンブンと振る。
だって小学校の頃みたいに三人で……。
「もう大丈夫そうだし、俺、帰るわ」
私の背中から手を離した拓真は、スッと立ち上がり一人石垣から降りてスタスタと歩き出す。
「えっ、待ってよ! 久しぶりに……!」
手を伸ばして声をかけるも、拓真は振り返ってくれることもなく、そのまま帰ってしまった。
「拓真、変わらずあんな感じなの?」
「うん……」
「そっか」
海の方に顔を向けるとカモメが何匹も飛んでいて、ふわっと柔らかく吹く潮風が気持ちいい。
私は生まれた時から喘息持ちで、元々は隣の海街に住んでいたらしいけど、空気がきれいなこの田舎町に引っ越ししてきたんだ。
だからお父さんは単身赴任で、お母さんは普段から一人で忙しそうで、私の体が丈夫だったら三人で暮らせたのにね。
拓真や翔は、小さいころから私が息苦しそうにしているのを見ていて、体調とかいつも気にしてくれていて、だから思い切って遊べなかったのに、そのことに一度も文句を言わなかった。
だけど、小学四年生になったころ。
拓真はだんだんと口数が減っていって、私に対して距離を取るようになった。
そうだよね。拓真からしたら、私のお世話なんてやってられないよね。
徒歩で中学校に行くのは、喘息のせいで自転車に乗れないから。
小山で休憩するのは、発作を起こさないように息を整える必要があるから。
拓真は、学校に行くついでだと言ってくれていたけど、メイワクだったよね。仕方がなく、私の側にいてくれるだけなんだよね。
分かっていたことだったけど、気づけばポロポロと感情があふれてきた。
どうして私は、こんなに弱いの?
どうして、いつもみんなにメイワクかけちゃうの?
小学五年生の時に呼吸が安定して、やっと自転車に乗れるようになったのに。冷たい空気を吸って、咳が止まらなくなって、転けてしまって。病院の先生に危ないからと、結局自転車を止められている。
成長したら落ち着くって言われているけど、全然じゃない。
私はいつまで、みんなにメイワクをかけてしまうの?
「拓真は紗枝のことが心配なんだよ。だからああやって、キツく言ってしまうんだよ」
翔は俯いてしまった私の顔に、優しくハンカチで涙を拭ってくれる。
「ごめんね、泣いちゃって……」
また、翔にメイワクかけちゃった。
そう思うと喉の奥が詰まっていく感じがして、また息苦しくなったような気がしてくる。
心を落ち着かせようとした私は、ポケットからスマホを取り出してストラップとして付けていた、おもちゃの指輪を取り出して左手小指にそっと付ける。
拓真と私だけのヒミツ。私を守ってくれる、大切なおまじないなの。
「紗枝の気持ちは、よく分かったよ。だったら僕が『彼氏のフリ』をして、拓真の気を引くのはどうかな?」
……へっ?
翔の突然すぎる提案に、わたしの涙はひっこんだ。
ポカーンとしているわたしの手を取った翔は、左手小指からピンクの指輪をスッと抜く。
「これは預からせてもらうよ? だって僕、紗枝の彼氏なんだから」
そう言い私を見下ろしてくる翔は、急に男の子の顔をしているように見えて、心臓がドクンドクンと鳴りひびく。
(え? 翔が私の彼氏のフリ? 拓真の反応を見る? えっ? ええっ? どうゆうことぉー!)
意味がわからなさすぎてオーバーヒートを起こしてしまった頭に手を置いた私は、はわわわわっと叫んでいた。
