Sugar Ballad

 12月の東京の金曜日の夜。
 外は寒くて、思わず「寒い」と言葉になる。
 駅前から続く並木道を歩いている。街路樹は電飾のイルミネーションが飾られている。普段は無機質のように感じるこの都会も、一時、幻想的な一面を見せる。街全体の空気感も変わってきている。年末、今年の終わりに向けて会社員の私は気を引き締め直して、最後の頑張りを見せている。
〈無事に今年を締めくくって年末年始は休もう〉
 それが今の仕事のモチベーション。
 街へ目を向けるとクリスマス前の浮かれた賑わい。
〈もうすぐクリスマスだ。イブは一人かな〉
 東京の各所、11月末から街の街路樹はライトの光をまとって光り輝いている。
 都のHPで紹介されているこのイルミネーションのイベントは、恋人たちのデートスポットになっている。私はカップルたちに多少の嫉妬のような視線を向ける。私は24日も25日も仕事。誰かの幸せを妬むような自分になっていて「少し嫌な大人になったのかもね」と苦笑いで呟く。

 大通り。ショーウィンドウを覗いた時。
 店の中にある鏡に「自分の姿」が映っていた。
〈一目で会社員って分かるよね〉
 厚手の無地のグレーのビジネスコート。
 勤め先はいわゆる「オフィスカジュアル」を認めない社風で、コートの色も、セットアップのスーツも派手なものは許されていない。社則に従ってマフラーも無地の茶色のもの。それが客先に出るビジネスウーマンだという社長の考え方だ。
 それが規則ならば会社員は従うしかない。
 数年前まで私は大学生だった。東京に馴染んでいないような大学生だったのに、気が付けば東京が似合うような会社員になった。学生時代には信じられないくらいに「会社員」をしている。会社員は考えていた10倍以上ハードだ。それでも何とか必死になって働いていて、人生を頑張っているんだと思う。

 私「五十嵐舞」は、都内の会社で働く会社員。
 今はアパートの一室で一人暮らし。平日は仕事に忙殺されて、休日は疲れてしまって休むだけの日々を過ごしている。友達たちも似たような感じらしくて、最近はそれぞれの生活に追われてお互いに会うことも少なくなった。
 会社員になってから数年。遊ぶ余裕なんてなかった。
 上司に「お前の代わりなんていくらでもいる」と言われたこともある。それでも、落ち込まずに仕事を覚えて、今はその言葉を言った上司から一人前と認めてもらっている。嬉しいが、それから責任のある仕事を一人で任されることになって、忙しくてハードな日々が続く。疲れも溜まっている。
〈だからあの時の夢を見たのかな〉
 不意に昨日見た夢を思い出した。
〈私も25歳か。彼の歳に追いついちゃったな〉
 考えそうになって〈考えないようにしないと〉と軽く首を横に振った。深く考え出すと、今でも心の傷跡が疼くから。

 * * * * *

 昨日。遥木さんの夢を見た。
「中園遥木」さんは数年前に亡くなった恋人。
 本当は遥木さんの死から完全に立ち直れていない。特に彼が亡くなった大学時代は特に酷かった。泣いて泣いて、泣きつかれても、それでも世界は回り続ける。時は、私が悲しいからという理由で止まってくれなかった。
 不意に「このままでも誰も幸せにならないな」と思った。遥木さんはもうこの世に居ないのだからと。そう考えた時、私を育ててくれた祖父母の顔が頭に過ぎって「このままでは駄目だよね」と、私は泣いているだけの日々から抜け出した。
 大学を卒業した後、会社員として働く日々へ。
 普段は「もう平気だ」と強がって生きている。仕事中はセンチメンタルになっていられない。時折、周囲から「強い」と言われることがある。でも、昨日の夢のように夢に彼が現れると、起きてからしばらく涙が零れる。

 * * * * *

〈自販機で温かい缶コーヒーでも飲もう〉
 冬の冷たい風が吹くけれど、夏の暑さに比べればまだ冬の方が好きだった。自販機で温かい缶コーヒーを買って飲む。甘い缶コーヒーを飲んで「ふう」と一息吐く。夜空を見上げると、夜空に綺麗な満月が見えた。今夜は特に綺麗な月の夜。しばらくその場に立って夜空を見て、空き缶をゴミ箱に捨てて「帰るか」と呟いた時。

『舞』という声が聞こえた気がした。
「え」と驚いたのは遥木さんの声だったから。
 私は声の聞こえた方向へ振り向く。少し先に立っている人物は、間違いなく「あの時」の遥木さんだった。整った美しい黒髪。スマートな黒いストライプのスーツ姿。あの時の遥木さんが優しい眼差しを私に向けて立っていた。
「遥木さん?」
 遥木さんは背を向けて路地へと歩き消えていく。
「居るはずがないのに。でも見間違えるはずがない」
 答えが知りたくてその後ろ姿を駆け足で追った。すると景色が、蜃気楼のように妖しく揺らめき、その後に目の前に「幻想的な異国の城」が見えた。
 そんなことはあるはずない。常識というものが否定しようとしたが、確かに目の前に城が見えている。気付くと、周囲の景色は東京ではなく夜の砂漠になっていた。私の足元、パンプスは砂漠の砂に少し埋もれていた。

〈これは私が見ている夢なんだろうか?〉
 どこか遠く。異国に迷い込んだような感覚。
 少なくとも日本式の城ではなくて、異国の遥か古代の城のように見えた。見上げると5階建ての高さにもなろうかいう高さ。積み上げられた石材によって頑丈な印象を与える。砂漠のようなこの場所から城の内部の様子はよく分からない。後ろを、歩いてきた道を振り向くと「見慣れた東京」が見えた。
〈どう考えても異様な状況だ。だけど〉
 城門の前に遥木さんが微笑んで立っている。
「遥木さん!」
 遥木さんは背を向けて城の中へ消えていく。
「どう考えても「妖しい」けれど」
 たとえ幻でもいい。彼にもう一度会えるのなら。
 私は城へ向かって一歩踏み出す。その瞬間に、世界が「現実」が揺らぎ、気付くと私は「城の中」に立っていた。