私を抱いて月夜城を飛んでいた正宗が呟く。
「月読は追って来ないな」
正宗はそう言った後、用心してか一度先へ行くことを止めてその場に止まる。正宗はしばらく月夜城の中を確認した後で、私をそっと床に降ろした。
「舞。どうやら状況は変わったようだ」
「どういうこと?」
正宗が月夜城の中を示して言う。
見ると、月夜城の一部が淡く消えかけていることに私も気付く。
「月読の支配するこの月夜城の影響は、どうやら「夜」だけのようだ。月読の性質を考えるとおそらく「月の見える夜」だけかもしれない。もうすぐ夜は明け始めるだろう。朝になれば月夜城は消えてもとの世界へ戻れるはずだ」
正宗の言うように月夜城の中は境界線が曖昧になっていて、現実が淡く滲むように染み込んでいる。目を凝らすと「向こう」に現実世界の東京の街が見える。
「月読も追ってこないようだな。だが油断せずに離れておこう。月夜城の中、月読から離れれば離れるほどその魔力の影響は弱まるはずだ」
正宗が私の手を取って「行こう」と言う。
「待って。まだ私は」
私は正宗から手を離す。正宗は私を見る。
「何度も言っているように俺はお前を現実世界へ戻そうとしているだけだ。それでも、まだ何か俺に対して「疑心」があるのか?」
私は正宗の言葉に「そうじゃないけれど」と言った後に伝える言葉。
「どうしても彼が最期に会った時に何を言っていたのかを知りたい。彼と最後に会った雨の日。私は彼の最後の言葉を聞き取れなかった。遥木さんが最後に何を私に話したのか、私は知らないといけない。そうしなければ、ここで現実に戻ったとしても、私は「次」へ行けない」
私は思わず感情的になって正宗に理解を求める。
「正宗も「私のこと」を見ていたのなら、私のこの言葉の「本当の意味」が分かるでしょう? 私のこの気持ちを」
正宗はその言葉に黙った。
「正宗の気持ちは分かったよ。本当に私のことを心配してくれていることも。だから、私は現実に戻る。でも、私は過去に置き去りになっている「心」を、ここで取り戻さないと前に歩めない。ずっと「あの時」から抜け出せない」
正宗は「舞」と言ったけれど。
「ごめん。正宗。私は遥木さんのもとへ戻るよ」
私は正宗に背を向けて月夜城の奥へ。遥木さんのもとへ駆け出していた。
「心」がある。そして「愛」がある。
それは、時に命より大切なのではないかと思う時がある。命よりも前にあるんじゃないのか、そう思う時が。それを、私に感じさせてくれたのは遥木さんだった。その彼の心を、ここで知らなければ、私は後悔する。私はここで「あの時」に置き去りにした私の心を、もう一度取り戻さなければいけない。
あれから季節は何度も巡った。
何度も桜が咲いて散っても、私は過去の想いに別れを告げられない。他人が「もう忘れなさい」と言ってもそれが出来ない。忘れられるような恋ではなかった。忘れられないのなら、前を向くために自分の心の求めていることをしたい。
私は、彼の心が知りたい。
あの二人の日々のページの、次のページをめくるために。
* * * * *
次第に、月夜城の存在が淡くなっていく。
〈正宗が言ったように、夜が終わればこの城は消えるんだ〉
月夜城は迷路のように複雑で、歩くたびに構造が変わっていく。同じ道を人に歩ませぬかのように。そして、その存在が少しずつ淡くなってきている。その消えゆく月夜城の中を急ぎ足で進んでいくが、さっき通った道は既に変化していて、道に迷うことになる。月夜城の中を進んでも、遥木さんがどこに居るのかが分からない。
私は月夜城に向かって伝える。
「遥木さん。どこに居るの?」
伽藍とした静寂の中、叫ぶように声を出す。
「私にあなたの居る場所を教えて。会いに行くから」
急に視界がぼやけたかと思うと、次の瞬間には、目の前が開けた。
私は、広いホールの中央に立っていた。赤いペルシャ絨毯。ゴシックの城の造りは変わらず。ただ、最初に来た時と「構造が違う」と一目で。そこから「無限」に思える「扉」が見えていた。二階、三階へも階段で行くことが出来ることが分かる。そして、どの階にも無限に思える「無数の扉」が見えていた。そして「扉」を開けないとどこへも行けないことにも気付いていた。
「扉を選べばいいの?」
返事はなかったが「きっとそうだ」と私は呟いた。
時間もあまり残されていない。私は扉を見ていく。
「どの扉も過去に見たことある」
その一つ一つの扉は、どれもが「覚えのある扉」だった。
無機質な白い「大学の講義室の扉」や、少し古い木製の「実家の扉」のように。あるいは、上品な青い「よく行ったレストランの扉」とか、一度だけ行った時に見た「中園家の扉」も見える。そしてあまり良い思い出もない「会社の扉」のように、月夜城には、無限に覚えのある扉が並んでいた。
私は歩き、ある扉の前で立ち止まった。
「この扉。覚えているよ」
それは、他人が見たら特徴を見つけることが出来ないような、一般にありふれた扉。どこにでもあるようなアパートの一室の、特別ではないドアノブ。でも私にはこれが二人の部屋「アトリエの扉」だと知っている。
「選ばないといけないのなら。私はこの扉を選ぶよ」
私はその「アトリエの扉」を選び部屋の中へ入る。扉をくぐって閉める時に、その後ろで他の全ての扉が消えて、月夜城が消えるのを見た。
「月読は追って来ないな」
正宗はそう言った後、用心してか一度先へ行くことを止めてその場に止まる。正宗はしばらく月夜城の中を確認した後で、私をそっと床に降ろした。
「舞。どうやら状況は変わったようだ」
「どういうこと?」
正宗が月夜城の中を示して言う。
見ると、月夜城の一部が淡く消えかけていることに私も気付く。
「月読の支配するこの月夜城の影響は、どうやら「夜」だけのようだ。月読の性質を考えるとおそらく「月の見える夜」だけかもしれない。もうすぐ夜は明け始めるだろう。朝になれば月夜城は消えてもとの世界へ戻れるはずだ」
正宗の言うように月夜城の中は境界線が曖昧になっていて、現実が淡く滲むように染み込んでいる。目を凝らすと「向こう」に現実世界の東京の街が見える。
「月読も追ってこないようだな。だが油断せずに離れておこう。月夜城の中、月読から離れれば離れるほどその魔力の影響は弱まるはずだ」
正宗が私の手を取って「行こう」と言う。
「待って。まだ私は」
私は正宗から手を離す。正宗は私を見る。
「何度も言っているように俺はお前を現実世界へ戻そうとしているだけだ。それでも、まだ何か俺に対して「疑心」があるのか?」
私は正宗の言葉に「そうじゃないけれど」と言った後に伝える言葉。
「どうしても彼が最期に会った時に何を言っていたのかを知りたい。彼と最後に会った雨の日。私は彼の最後の言葉を聞き取れなかった。遥木さんが最後に何を私に話したのか、私は知らないといけない。そうしなければ、ここで現実に戻ったとしても、私は「次」へ行けない」
私は思わず感情的になって正宗に理解を求める。
「正宗も「私のこと」を見ていたのなら、私のこの言葉の「本当の意味」が分かるでしょう? 私のこの気持ちを」
正宗はその言葉に黙った。
「正宗の気持ちは分かったよ。本当に私のことを心配してくれていることも。だから、私は現実に戻る。でも、私は過去に置き去りになっている「心」を、ここで取り戻さないと前に歩めない。ずっと「あの時」から抜け出せない」
正宗は「舞」と言ったけれど。
「ごめん。正宗。私は遥木さんのもとへ戻るよ」
私は正宗に背を向けて月夜城の奥へ。遥木さんのもとへ駆け出していた。
「心」がある。そして「愛」がある。
それは、時に命より大切なのではないかと思う時がある。命よりも前にあるんじゃないのか、そう思う時が。それを、私に感じさせてくれたのは遥木さんだった。その彼の心を、ここで知らなければ、私は後悔する。私はここで「あの時」に置き去りにした私の心を、もう一度取り戻さなければいけない。
あれから季節は何度も巡った。
何度も桜が咲いて散っても、私は過去の想いに別れを告げられない。他人が「もう忘れなさい」と言ってもそれが出来ない。忘れられるような恋ではなかった。忘れられないのなら、前を向くために自分の心の求めていることをしたい。
私は、彼の心が知りたい。
あの二人の日々のページの、次のページをめくるために。
* * * * *
次第に、月夜城の存在が淡くなっていく。
〈正宗が言ったように、夜が終わればこの城は消えるんだ〉
月夜城は迷路のように複雑で、歩くたびに構造が変わっていく。同じ道を人に歩ませぬかのように。そして、その存在が少しずつ淡くなってきている。その消えゆく月夜城の中を急ぎ足で進んでいくが、さっき通った道は既に変化していて、道に迷うことになる。月夜城の中を進んでも、遥木さんがどこに居るのかが分からない。
私は月夜城に向かって伝える。
「遥木さん。どこに居るの?」
伽藍とした静寂の中、叫ぶように声を出す。
「私にあなたの居る場所を教えて。会いに行くから」
急に視界がぼやけたかと思うと、次の瞬間には、目の前が開けた。
私は、広いホールの中央に立っていた。赤いペルシャ絨毯。ゴシックの城の造りは変わらず。ただ、最初に来た時と「構造が違う」と一目で。そこから「無限」に思える「扉」が見えていた。二階、三階へも階段で行くことが出来ることが分かる。そして、どの階にも無限に思える「無数の扉」が見えていた。そして「扉」を開けないとどこへも行けないことにも気付いていた。
「扉を選べばいいの?」
返事はなかったが「きっとそうだ」と私は呟いた。
時間もあまり残されていない。私は扉を見ていく。
「どの扉も過去に見たことある」
その一つ一つの扉は、どれもが「覚えのある扉」だった。
無機質な白い「大学の講義室の扉」や、少し古い木製の「実家の扉」のように。あるいは、上品な青い「よく行ったレストランの扉」とか、一度だけ行った時に見た「中園家の扉」も見える。そしてあまり良い思い出もない「会社の扉」のように、月夜城には、無限に覚えのある扉が並んでいた。
私は歩き、ある扉の前で立ち止まった。
「この扉。覚えているよ」
それは、他人が見たら特徴を見つけることが出来ないような、一般にありふれた扉。どこにでもあるようなアパートの一室の、特別ではないドアノブ。でも私にはこれが二人の部屋「アトリエの扉」だと知っている。
「選ばないといけないのなら。私はこの扉を選ぶよ」
私はその「アトリエの扉」を選び部屋の中へ入る。扉をくぐって閉める時に、その後ろで他の全ての扉が消えて、月夜城が消えるのを見た。
