「その少女の表情は暗かった。子供ながらに、何か問題を抱えているなと思った。少し気になって、彼女を目で追っていると目が合った。それで分かったことは、この子は「人ではないものを見る才能を持っている」ということだった。その日、彼女と少し会話した。後日、また後日も、彼女は神社にやって来ては俺と会話した」
正宗が過去を語る時、その口調は優しいものになる。正宗にとって「その思い出」が大切なものであると私にも伝わってくる声だった。
「少しずつ話す時間も長くなって、他に人の居ない神社で色々なことを話す間柄になった。俺は彼女に「人間の友達と話さないのか?」と聞くと、彼女は自分のことを俺に話した」
正宗の話の、その「彼女」が私の母であることが分かる。
「彼女は「見えないもの」が見えてしまうせいで誰にも心を開けず、分かり合える存在が居なかった。だが、俺の前では「本当のこと」を話せた。そうしているうちに何年かを過ごした。そして、俺は彼女のことを考えるようになっていた」
遥木さんは「惚れたか」と言った。
「ああ、そうだ。彼女を守ると決めたのさ」
正宗の話の続きを私は聞いていく。
誰も語ることのなかった母のことを知りたかったから。
「彼女は良い子だったが性格も行動も危うかった。悪い人間に騙されるかもしれないと心配になるような気質の持ち主だったんだ。案の定、高校を卒業後に家を飛び出して、しばらく行方知れずになっていた。時折、家に手紙を送っていたようだ。俺も彼女がどこで何をしているのか分からず心配だった」
正宗は少し間を置いてから続きを話す。
「地元に戻ってきた時、彼女は身籠っていた。男は逃げたと言うが、この子に罪はないから産んであげたいとも。だが、彼女の父と母は認めなかった。彼女の父、お前の祖父は、お前も知っているように警官だった。そして元ヤクザの男と繋がりが出来てしまった彼女を、どうしても認めることが出来なかったのだろう。今になって分かるが、お前の祖父にも、おそらく葛藤はあったんだと思う」
「正宗。その子ってもしかして」
「そうだよ。生まれた子が、舞、お前なんだよ」
私は自分の出生を知らなかった。
祖父母の家に預けられたのは「生後1年以上」の時だったと聞いているけれど、それより前のことは知らない。母のことも、どんな場所で誰とどのように住んでいたのかを。今、初めて正宗の言葉でその空白の期間の出来事を知った。
「俺は出来る限り、彼女の支えになろうとした。もっとも人間の世界に関することは何も出来なくて悔しかったがな。それでも、彼女を一人にさせないと誓った」
正宗の視線が、まっすぐに私を見る。
「彼女と、この子を守りたいと」
「だが」と、正宗は悔しそうに視線を足元へ向けた。
「舞を生んで約一年後に彼女は亡くなった。その時に「この子のことをお願いします」という「祈りの声」を聞いた。亡くなる時もお前のことを心配していたんだ」
再び顔を上げた正宗は私に向けて話す。
彼の、隠していたであろう「心」を。
「舞。俺はお前と一年を過ごしていたよ。だが、お前を祖父母の家に置いていく時に「その記憶や感覚」がお前の未来に悪影響を与えるのではと思った。そして、俺はお前から「その1年の記憶」を奪った。お前が母親を覚えていないことはそういうことなんだ。だが、お前の母親はお前のことを愛していた。それは伝えておきたい」
話の最後に正宗は微笑んだ。
「舞。お前は、お前の母親の「祈り」なんだよ」
* * * * *
私には「母の記憶」がない。
写真で見たことがあるくらいだった。
「五十嵐椛」母親は、当時、悪い男と結婚していたと祖母から聞かされた。
母が身ごもると、その父は失踪したと。それで母は一人で私を産んだが、私が物心つく前に亡くなった。その後、残された私は父方の祖父母の家で育った。祖父母は私を可愛がってくれて、今になって思い返すと、辛いことはそんなになかったと思う。
ただ、祖父「五十嵐正史」は元警官だった。
祖父は公務で「銃を持っている男から市民を守るために犯人を撃って殺した」ことがある。その祖父は「殺したヤクザの系列の組」に所属していた父と、その内縁の妻であった母を認めるわけにはいかなかった。
公務という立場で人を殺めておきながら、身内にヤクザとの関係を作るわけにはいかなかった。その関係を「悪いやつらに利用された」なら。家族、さらに他の警官たちが危険に晒される。祖父は、公務で組の人間を殺しているから「報復」されるということも当然考えられた。
ただ、私が祖父母の家の玄関に置かれていた時に〈この子に罪はない〉という書き置きが残されていたと聞く。祖父はそれが誰が書いたものか調べるために筆跡鑑定までしたが「筆者不明」だった。
今の正宗の話を聞くと、その書き置きは正宗が書いたもので間違いがなさそうだ。正宗は、私が生後だった一年間。父親の代わりを務めてくれていたんだ。正宗のことを少し疑っていて、疑問に思っていたけれど。正宗は本当に私の守護者で、私のことを心配してくれていたと分かった。
* * * * *
正宗は戸惑っている私の手を強く握った。
「その約束を守るため、俺はお前が何を思っていようと一度は現実へ引き戻す」
正宗が私の手を取って月夜城の中を飛び、この場から去る。
「許せ。舞。今はこの俺を憎んでくれて構わない。だが、俺はお前の母親との約束を優先させてもらうことにする。お前を一度は現実へ連れ戻す」
正宗が過去を語る時、その口調は優しいものになる。正宗にとって「その思い出」が大切なものであると私にも伝わってくる声だった。
「少しずつ話す時間も長くなって、他に人の居ない神社で色々なことを話す間柄になった。俺は彼女に「人間の友達と話さないのか?」と聞くと、彼女は自分のことを俺に話した」
正宗の話の、その「彼女」が私の母であることが分かる。
「彼女は「見えないもの」が見えてしまうせいで誰にも心を開けず、分かり合える存在が居なかった。だが、俺の前では「本当のこと」を話せた。そうしているうちに何年かを過ごした。そして、俺は彼女のことを考えるようになっていた」
遥木さんは「惚れたか」と言った。
「ああ、そうだ。彼女を守ると決めたのさ」
正宗の話の続きを私は聞いていく。
誰も語ることのなかった母のことを知りたかったから。
「彼女は良い子だったが性格も行動も危うかった。悪い人間に騙されるかもしれないと心配になるような気質の持ち主だったんだ。案の定、高校を卒業後に家を飛び出して、しばらく行方知れずになっていた。時折、家に手紙を送っていたようだ。俺も彼女がどこで何をしているのか分からず心配だった」
正宗は少し間を置いてから続きを話す。
「地元に戻ってきた時、彼女は身籠っていた。男は逃げたと言うが、この子に罪はないから産んであげたいとも。だが、彼女の父と母は認めなかった。彼女の父、お前の祖父は、お前も知っているように警官だった。そして元ヤクザの男と繋がりが出来てしまった彼女を、どうしても認めることが出来なかったのだろう。今になって分かるが、お前の祖父にも、おそらく葛藤はあったんだと思う」
「正宗。その子ってもしかして」
「そうだよ。生まれた子が、舞、お前なんだよ」
私は自分の出生を知らなかった。
祖父母の家に預けられたのは「生後1年以上」の時だったと聞いているけれど、それより前のことは知らない。母のことも、どんな場所で誰とどのように住んでいたのかを。今、初めて正宗の言葉でその空白の期間の出来事を知った。
「俺は出来る限り、彼女の支えになろうとした。もっとも人間の世界に関することは何も出来なくて悔しかったがな。それでも、彼女を一人にさせないと誓った」
正宗の視線が、まっすぐに私を見る。
「彼女と、この子を守りたいと」
「だが」と、正宗は悔しそうに視線を足元へ向けた。
「舞を生んで約一年後に彼女は亡くなった。その時に「この子のことをお願いします」という「祈りの声」を聞いた。亡くなる時もお前のことを心配していたんだ」
再び顔を上げた正宗は私に向けて話す。
彼の、隠していたであろう「心」を。
「舞。俺はお前と一年を過ごしていたよ。だが、お前を祖父母の家に置いていく時に「その記憶や感覚」がお前の未来に悪影響を与えるのではと思った。そして、俺はお前から「その1年の記憶」を奪った。お前が母親を覚えていないことはそういうことなんだ。だが、お前の母親はお前のことを愛していた。それは伝えておきたい」
話の最後に正宗は微笑んだ。
「舞。お前は、お前の母親の「祈り」なんだよ」
* * * * *
私には「母の記憶」がない。
写真で見たことがあるくらいだった。
「五十嵐椛」母親は、当時、悪い男と結婚していたと祖母から聞かされた。
母が身ごもると、その父は失踪したと。それで母は一人で私を産んだが、私が物心つく前に亡くなった。その後、残された私は父方の祖父母の家で育った。祖父母は私を可愛がってくれて、今になって思い返すと、辛いことはそんなになかったと思う。
ただ、祖父「五十嵐正史」は元警官だった。
祖父は公務で「銃を持っている男から市民を守るために犯人を撃って殺した」ことがある。その祖父は「殺したヤクザの系列の組」に所属していた父と、その内縁の妻であった母を認めるわけにはいかなかった。
公務という立場で人を殺めておきながら、身内にヤクザとの関係を作るわけにはいかなかった。その関係を「悪いやつらに利用された」なら。家族、さらに他の警官たちが危険に晒される。祖父は、公務で組の人間を殺しているから「報復」されるということも当然考えられた。
ただ、私が祖父母の家の玄関に置かれていた時に〈この子に罪はない〉という書き置きが残されていたと聞く。祖父はそれが誰が書いたものか調べるために筆跡鑑定までしたが「筆者不明」だった。
今の正宗の話を聞くと、その書き置きは正宗が書いたもので間違いがなさそうだ。正宗は、私が生後だった一年間。父親の代わりを務めてくれていたんだ。正宗のことを少し疑っていて、疑問に思っていたけれど。正宗は本当に私の守護者で、私のことを心配してくれていたと分かった。
* * * * *
正宗は戸惑っている私の手を強く握った。
「その約束を守るため、俺はお前が何を思っていようと一度は現実へ引き戻す」
正宗が私の手を取って月夜城の中を飛び、この場から去る。
「許せ。舞。今はこの俺を憎んでくれて構わない。だが、俺はお前の母親との約束を優先させてもらうことにする。お前を一度は現実へ連れ戻す」
